第26章 第5話
翌朝。
プレゼントがよほど嬉しかったのか、礼名はブックカバーに一冊の本を挟んでこれ見よがしにテーブルに置いていた。
「さあ朝食だよ! あっ、その本ね、お兄ちゃんも読んでいいよ!」
件のクイーンズ文庫だった。
あまり読む気はしないけど、今晩どんなものか眺めておこう。
僕らは朝食を終え身支度を調えると揃って家を出た。
空は青空、
吐いた息が真っ白になるほど空気が冷たい。
朝から彼女は一言も触れないけど、今日は礼名の誕生日だ。
「帰りが少し遅くなるけど待っててくれるか。今日は一緒に外食しよう」
「うんっ! ありがとうお兄ちゃん。今日は礼名も少し用事があるんだ。だから帰るのは一緒くらいだと思うよ」
「わかった」
ウィッグの新店舗工事が順調に進むのを複雑な気持ちで一瞥すると、並んで学校へと向かった。
礼名と毎日通う商店街の道、それは代わり映えのしない通学路。
「ここの二階って空き店舗のままだね」
「子供の頃から比べると、少し寂れてきてるかな」
「そうかもね……」
近年は郊外に大型店舗が出来て賑わっている。
車を持たない僕たちは滅多に行くこともないのだが、流行のファッションも美味しいラーメン屋もシネマコンプレックスも揃っていてとても楽しめる。その分、中吉商店街の客がじりじりと減っているのだろうか。
そんな中、商店街の外れとは言え新しい輸入食品店が出来ることは一部の商店街の人達からは歓迎の声が上がっていた。それはムーンバックスが出来たときも同じだった。大通り沿いに出来たムーンバックスによって商店街は少しだけど活気づいた気がする。どうにも複雑な心境だ。
その日の僕は授業に身が入らなかった。
どうしてもウィッグ開店後のオーキッドのことばかりに考えがいってしまう。
キンコンカンコ~ン
そうしてぼんやりと授業を終えると急いで下校した。
礼名へのささやかなプレゼントを買いに走るとまた急いで家へと戻る。
「ただいま……」
どうやら礼名はまだらしい。
郵便受けから封筒とチラシを手に取ると家に入り、真っ先に礼名へのプレゼントを店の棚に隠す。
「ただいま~っ!」
ほんの少しの差で礼名も帰ってきた。
「お帰り。僕も今帰ったところだ」
そう言いながら手に持ったチラシと封筒に目を落とす。チラシは不動産屋のものだった。申し訳ないけど速攻でゴミ箱へ。封筒は礼名宛のもので差出人は…… なかった。
「礼名宛の郵便だよ。差出人不明の」
ラブレターにしては素っ気ない封筒。
「誰からかな?」
彼女はそれを手に取ると自分の部屋へと向かった。
僕も着替えるために彼女を追うように二階へと登る。
昨日から礼名は絶好調だ。
誕生会がよほど嬉しかったのか、ずっと上機嫌。
最近ウィッグの店舗工事が本格的になってきて、否が応でもそのことばかりに気が向いてしまう。自然と気持ちは沈みがちになる。さすがの礼名も同じ。だけど昨日からは礼名本来の笑顔が戻ってきている。
着替えを済ますと居間に下りる、礼名はまだだ。僕は彼女が置いている本を手に取った。
『僕は妹に惹かれてく』
文武両道でイケメンと言う完全無欠の兄が落ちこぼれの実の妹の肉体に狂わされていく…… と言う話のようだ。なんかドロドロしている。礼名と言い麻美華と言い、やはり女の子って完全無欠のイケメンに憧れを抱くのだろうか? ははっ。僕じゃダメだな。
「お兄ちゃんお待たせ……」
「あ、じゃあ行こうか」
時計を見ると二十分ほど経っていた。いつもより着替えに時間が掛かったのは化粧をしていたからかな。礼名には珍しく口紅が少しはみ出ている。ほんの少しだけど。
僕らは家を出て洋食屋・ボンファンへ向かった。
* * *
「お誕生日おめでとう!」
ふたりはシャンパングラスに入ったジンジャーエールで乾杯をした。
それから運ばれてきたのはハンバーグセットとカツレツセット。この前と同じメニューだ。だって安くて美味しいんだもん。
「どうぞごゆっくり!」
コック帽を手にとって店長が笑顔を見せる。
今日が礼名の誕生日だと知った彼は乾杯用のジンジャーエールをサービスしてくれた。
「ところで今日来てた封筒は何だったんだ?」
「あ、あれ、ね。あれはその、ラブレターだよ」
「そうか。礼名モテるな」
「そうだよ! だから早く礼名を捕まえなきゃ知らないよ!」
店でも学校でも傍目も気にせずブラコンを炸裂させているのに、礼名は頻繁にコクられているようだ。その一部は我が家に恋文として寄せられる。だからそれらしき手紙が来るのは全然珍しいことではなく、むしろ日常的な出来事だった。だけど、そのことについて僕は何にも触れなかったし、礼名も何も語らなかった。
ただ、ラブレターって言うのは封筒からしてそれらしい雰囲気を醸すものだ。だがさっきの封筒はいかにも事務的然としていたのだが。
「あのさお兄ちゃん、あのブックカバーってどこで買ったの?」
「あ、あれ? あれはデパートの文具売り場」
「綾音先輩が買いに行ってくれたの?」
「うん」
「ひとりで?」
え?
昨日、プレゼントは誰が買ったかとかは聞かれなかったし、そんな話はしなかった。
だけど、礼名は勘が鋭い子だ。
それに僕はやましいことはしてないし嘘を突き通す必要もない。
「実は先週、一緒に行ったんだ。ほら生徒会を抜けた日があっただろ。あの日に行ったんだ。ああ、笹塚さんも公認だよ、何にするか一緒に決めようって。それで……」
「はうっ」
小さく息を漏らした礼名に僕は言葉を止めた。
「礼名?」
「ごめんなさいお兄ちゃん、ヘンなこと聞いて。礼名と麻美華先輩を驚かすため、なんだよね」
「あ、うん。そう言うこと」
「はい、ハンバーグ、一口どうぞ!」
礼名は自分のハンバーグを大きく切り分けると僕の皿に載せる。
「ありがとう。じゃあ僕のも一口どうぞ」
礼名は僕が渡したカツレツを美味しそうに頬張る。
僕も彼女のハンバーグを口に運ぶ。溢れ出す肉汁と抜群のデミグラスソースが絡まって、ともかくメチャ旨い。
「カツレツもすっごく美味しいっ! 何だか元気が出てくるね! だけどこんな贅沢しちゃっていいのかな?」
「今日は一年で一番おめでたい日だからな。それなのに一番安いセットメニューだけでホント悪いな」
「そんなことないよ! 礼名はすっごく嬉しいよ!」
心底嬉しそうな笑顔を向ける礼名。
そんな彼女を見ていると、どうしても僕は考えてしまう。
それは、この一年ずっと思って来たこと。
一言で言うと「これでいいのだろうか」と言うこと。
桂小路に戻れば苦労だらけのこんな生活とはすぐにおさらばして、上流の生活を約束されている礼名。いや今なら、桂小路が嫌いなら大友だっている。他にも聖應院の御曹司たちが礼名を目当てに店に来てくれる。こんな僕なんかよりずっと幸せになれる……
「これで礼名は十六歳。あとはお兄ちゃんの誕生日が来るといよいよ結婚のチェッカーズフラグが振られて、ふたりはシャンパンの雨に酔いしれるんだねっ!」
「速攻でゴールインかよ! ってか、そもそもいつスタートしたんだよ!」
しかし、目の前でじゃがいもを頬張る礼名はいつもにも増してハイテンション。
「礼名が生まれたときにだよ。知らなかった? 今は最後の直線走路で礼名が後続を20馬身以上引き離してぶっちぎりでゴール板に飛び込むところだよ! 鉄板の一番人気で配当は1.0倍だよ」
「いつF1から競馬に変わった?」
「おっ、相変わらずお熱いね。これ、僕からのプレゼント」
ふと見上げると白いコック帽の店長がショートケーキをふたつ手に持って笑っていた。
「最高にお似合いのカップルに、はい!」




