第3章 第5話
忙しかった土曜日から一転し、日曜日はヒマだった。
ぐずついていた天気が、ついに雨になったのだ。
「今頃太田さんと細谷さん、出しまくってるかな?」
「パチンコだね。さあ、どうだろうね。勝負はこれからじゃないのかな」
雨だから、もう十一時過ぎなのに窓に見える人影もまばらだ。
いつもよりお客さんが少ない日曜日、礼名もちょっと手持ち無沙汰だ。
「パチンコの調子がいい日には、チョコパフェ食べに来てくれるよね」
「そうだね。でも、どうしていつもチョコパフェなんだろう。たまにはプリンパフェでもいいのにね」
「お兄ちゃん、知らないの? 太田さんと細谷さんはチョコパ教信者なんだよ」
「なんだその、チョコパ教って?」
「えっと、ご神体がチョコアイスで、三種の神器がコーンフレークとバナナとウェハースなんだって。だからもしウェハースが切れていてもクッキーとかを代用しちゃダメなんだよ。バナナがないからってメロンにするのも絶対NG。御利益がなくなっちゃうんだって」
「じゃあ、ホイップクリームをあんこに変更するのはOKなのか?」
「うん、OKだよ。この前ちゃんと聞いたもん」
本当にいいのか? いざとなったら、チョコパにあんこ盛る気か、礼名。
「でも、安心してね。あのおふたりは生クリーム好きだから、代えたりしないよ」
「凄いな。礼名は何でもちゃんと覚えてるんだな」
「そうだよ。わたし、常連さんのことなら趣味でもお誕生日でも座右の銘でも何でも覚えてるよ。だって、お客様商売だもん」
「じゃあさ、太田さんと細谷さんの歳、いくつか知ってるか?」
「おふたりとも二十一歳のバリバリの乙女だよ」
「どちらも大卒で既に十年くらい会社員をしているのにか?」
「そうだよ。わたしの記憶に間違いはないよ。だってお客様商売だもん」
少し悪戯っぽく微笑んだ礼名はお冷やのサービスに回る。
からんからんからん
「いらっしゃいませ~」
派手なスーツにオールバック。
入ってきたのはキザっぽい三十代後半の男性客だ。
「お一人様でしょうか。お好きなお席へどうぞ」
「センキュー!」
男はキザっぽい英語でキザっぽい笑みを礼名に向けると、真っ直ぐカウンターへ歩いてきた。
「いらっしゃいませ」
「カウンター、座ってもいいですよね」
「はい、勿論です」
僕は彼におしぼりを差し出す。
「このお店はとってもヒマそうですね」
「あ、ええ。生憎の雨模様で、今日はヒマですね」
失礼なキザ野郎だな、とは思ったが、客商売なので自嘲気味な笑顔で応える。
「いらっしゃいませ~」
カチャリ
礼名が男の前にお冷やを置く。
「こちらメニューになります」
「ありがとう。これはウワサ通り、いやそれ以上だ」
男は独り言のように呟くと、ブレンドコーヒーを注文した。
「何だかちょっと、ヤな感じだね」
礼名が瞳で語りかけてくる。
「そうだね、すっごいキザっぽいね」
コーヒーを淹れながら、僕も目線でそう答える。
男は物珍しそうに店の中を見回していた。
「お待たせしました」
カタッ
礼名が淹れたてのコーヒーを丁重に男の前に置くと、彼は小指をピンと立ててカップを持ちコーヒーをひと啜りした。
「うん、まあまあ、少しは、そこそこは美味しいですね」
メチャ失礼なヤツだ、とは思ったが、客商売なのでスマイルスマイル。
「何、このイヤミくん!」
礼名の瞳が僕に語りかける。
「でも、がまんがまん」
僕も視線でそう返す。
あ、僕たち兄妹、またもや目と目で通じ合ってる。
「あのお花は造花なんですか?」
カウンターの端に飾ってある花を顎で指す男。
「はい、仰るとおりです。うちに飾ってあるのは全て造花なんですよ」
「こんなにたくさん飾ってあるのに全部ニセモノなんですか、本物はひとつもないんだ。へえ~っ」
「お気に召しませんでしたか?」
何とか営業スマイルを持続させながら答える僕。
カウンターに戻ってきた礼名の笑顔も少し強ばっている。
「いえ、ニセモノなりには綺麗ですよ」
「ありがとうございます」
作り笑顔でも頭を下げる礼名。お客様商売だしな。
男はまた小指をピンと立ててコーヒーを啜る。それから、もう一度メニューを手に取り、それをゆっくり眺め始めた。
本当にイヤミな人だ。
だけど、イヤミの中にも意義ある指摘があるかもだし、ここは冷静でいなくちゃね。
礼名もこれくらいのイヤミはへっちゃらみたいだし。
やがて。
「神代さん」
「はい?」
目の前のイヤミ君が僕を名前で呼んだ。
どうして僕の名前を知ってるんだ?
と、疑問に思う間もなく。
「実はわたくし、こう言う者でして」
小指を立てた手で差し出されたその名刺を見た僕は、一瞬言葉を失った。
株式会社ムーンバックスコーヒー
地域統括ゼネラルマネージャー 月守 秀貴
「…………」
「このお店の斜め前に私どもの新店舗が出来ること、もうご存じですよね」
「ええ、存じてます…… わざわざご挨拶ありがとうございます」
「そんな怖い顔しないでくださいよ。実はですね神代さん、今日はあなたをお誘いに来たんですよ」
「えっ?」
「そんな間の抜けた顔をしないでくださいよ。実はね、新店舗の店長を神代さん、あなたにお願いできないかと思いましてね。あなたなら喫茶の知識も豊富だし、しかも経営の実績まである。まさに適任だと思っているんです」
「はあっ?」
「そんな驚いた顔をしないでくださいよ。あなたにとっても悪い話じゃないはずですよ。待遇だって店長として丁重にお迎えします。仮に高校中退したとしても不利なことは一切ないですよ。我がムーンバックスは職務内容と成果に応じてキチンと報酬をお支払いします。詳しくはこちらをご覧下さい」
月守さんは茶色い封筒を僕に突き出して。
「うちの新店舗がオープンしたら、あなたのお店も困ったことになりますよね。どうですか、お互いにいい話だと思いますけど」
「ぐぬぬぬ……」
気が付くと僕の手にある名刺を覗き込み、礼名がわなわなと拳を握りしめている。
月守さんはそんな礼名にも声を掛ける。
「あ、礼名さん、勿論あなたにも来て欲しいんですよ。あなたがいればお店の成功は間違いなしだ。いやあ、話は聞いていましたがこれほどまでとはね。働き者で愛想もよくって、そして驚くほどに美しい」
「申し訳ありませんが……」
礼名はその小さな拳を握りしめたままキッパリと言い放った。
「わたしたちのお店は、ムーンバックスさんに絶対負けません。他をお探しください!」
「ほう……」
月守さんは少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに薄ら笑いを浮かべて。
「気が強いお嬢さんだ。だけど、こんなちっぽけなお店じゃやっていけないでしょう。ムーンバックスが出来なくってもいずれは終わりだ。私達はあなたがたを救いに来たのですよ」
「あの、残念ですが、妹の言う通りこのお話はキッパリとお断りさせて戴きます」
「ふうん、いいんですかね、お兄さん。あとで後悔することになりますよ。まあ頭を冷やしてその封筒の中をよく読んでみてください。連絡は名刺の方の番号へお願いしますね」
彼はそう言うと、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。
チャリン
そしてコーヒーカップの横に代金ちょうどを投げ置いた。
「じゃあ、連絡待ってますよ」
からんからんからん
「ありがとうございました……」
そんな月守さんでも、きちんと見送りをする礼名。
だが、彼の姿が見えなくなると、静かに、しかし強い闘志を秘めた口調で僕に告げた。
「負けないよ、絶対負けないよ。ねえ、お兄ちゃん、真っ向勝負だよ。わたしに考えがあるんだ!」




