第22章 第5話
「ただいま~っ! あれっ? お兄ちゃんに郵便だよ!」
家に帰る頃には辺りは真っ暗だった。
「誰からかな…… 差出人が書かれてないぞ。あとで開けようか」
僕はその大きめの封筒を食卓に置いて居間の灯りを点ける。
「今日はクリスマスのご馳走だよ! チキンレッグでしょ、クリームシチューでしょ、スモークサーモンでしょ。だけど何と言っても一番のご馳走は礼名だよっ!」
「そうか。礼名は霜降り和牛だったか」
「ひどいよっ! 礼名は柔らかでもスリムだよ! 食用じゃないよ、鑑賞動物なんだよっ!」
そう言いながらも笑顔でエプロン姿に変身する礼名。
僕は着替えのために自分の部屋に戻ると、幼稚園での出来事を思い返す。
あのあと。
サンタの役目を終えると、僕らは園長室へ挨拶に行った。
園長先生はとても喜んでくれて、来年も是非、と言ってくれた。
「園の先生がサンタに扮してもすぐにバレるのよ。ほら、夢がないでしょ!」
「いえ、僕も『バイトだろ』って言われちゃいましたけど……」
そうですか、と園長先生は笑ってくれたけど、ともや君の名を口にすると彼女の表情が曇った。
「中川友哉くんは今年お父さんを亡くしましてね。お母さんは行方知れずなんです。それも理由はあまりいい話を聞きません。他の男と一緒だとかなんとか。友哉君は今、父方の祖父母と暮らしてるんですよ。家は裕福らしいんですが、子供に必要なのはお金だけじゃありませんからね」
園長室を出た頃には園児はほとんど帰宅していて、そっと覗いた教室には友哉君もななちゃんもいなかった。
帰る間際にホールを見守るマリア像の前で暫く手を組んでいた礼名。
彼女は一体何を願っていたのだろう。
そんなことを思い返しながら着替えを済ました僕は、また居間に戻った。
「手伝うよ」
「ありがとうお兄ちゃん。でもその前にさ……」
礼名は台所に立ったまま食卓に目をやる。
「その、差出人不明の郵便物を開けてみようよ」
「ああ、そうだった」
僕はテーブルの上の封筒を手に取った。その大きい封筒には赤い紙で包装された包みが入っていた。
「これって……」
包みの中には小さな絵本。表紙も中身も全て英語で書かれてある。
「へえっ、可愛いね。輸入本かな? 日本のじゃないよね」
礼名も僕の横に来てその絵本を覗き込んで呟く。
僕の脳裏に昼間の麻美華の言葉が蘇った。
「今年のクリスマスにパパから貰ったのは外国で買ってきたと言う小さな絵本だけ。弟たちにも同じものですよ」
もしかしてこの本は……
「この絵本ってサンタクロースの由来と伝えられる、聖ニコラウスのお話みたいだね」
聖ニコラウスの伝記。
それは昔、母から聞かされたことがある。
三人の娘を持つ家がありました。
しかし家は大変貧しく娘を嫁がせるお金もありません、
だからその美しい娘達は結婚を諦め娼婦になるしかありませんでした。
これを知ったニコラウスはその夜、その家の煙突から金貨を投げ入れました。
そうして娘達は望み通りに結婚することが出来ました……
って、そんな話だ。
「だけど誰からかな? お兄ちゃん宛でしょ? 麻美華先輩や綾音先輩の他にもお兄ちゃんを想ってる人がいるとか?!」
「いや、そうじゃないよ」
「そうじゃないって、心当たりがあるの?」
「えっと、いや、心当たりはないけど、僕を想ってるとか、そんなんじゃないよ」
「どうして言い切れるの?」
「いや、何というか、勘だよ、勘」
「怪しいなあ! 差出人不明の
『ひっさしぶり~ メアド変えたよ~』
って携帯メールくらい怪しいよ! お兄ちゃんてばモテるからねっ! って、そう言えば!」
礼名は思い出したように手を叩いた。
「今日はどうだったの?」
「どうって?」
「もう、デートだよ、デート。綾音先輩と麻美華先輩との! 昨日プレゼント貰ったからお返しに何か買って返すっかもって言ってたよね。何買ったの、ねえ、教えてよ!」
僕を見ながら一気に捲し立てた礼名は野菜を盛りつけながら。
「どんなに高価なものを贈ってたって怒らないからさ」
「あ、うん……」
桜ノ宮さんと麻美華との今日のデート。それはイブの夜にプレゼントを用意していなかったことが遠因だ。だからふたりには今日何か買って渡すかもと礼名に伝えていた。勿論礼名もふたつ返事で肯いた。
「まさか指輪とかじゃないよね!」
「まさか」
「童貞贈りました、ってのもナシだよ」
「んなわけないだろ!」
「じゃあ、教えて……」
野菜の盛りつけを終えた礼名は軽く手を洗うとじっと僕を見つめる。
「倉成さんには…… ぬいぐるみ」
「ええっ! ぬいぐるみ! あの上から目線のクールな麻美華先輩がぬいぐるみ?」
「うん、競走馬の、手の平サイズの」
「昨日お兄ちゃんに、
『悠くん、明日のデート、さぞ嬉しいでしょうね。今晩は麻美華のこの美貌を思い返しながらひとり悶々とハアハアしながら眠るがいいわ』
な~んて言っていた麻美華先輩が馬のぬいぐるみ? それ、麻美華先輩が欲しいって言ったの?」
「ああそうだよ」
「いつもの上から目線炸裂で?」
「ちょっと違うかな。ゲーセンのクレーンゲームを見ながらだったから」
「ってそれ、お兄ちゃんが取ってあげたの?」
僕が肯くと礼名も合点がいったようだった。
「そうかあ。それはきっと喜んだでしょうね、麻美華先輩」
「あ、うん。馬の名前が『ゴールデンヒロイン』ってのが気に入ったらしく……」
と、突然、礼名の目が輝き出す。
「ええっ! それ羨ましいです。今度ゲーセン行きましょう! 一緒に行きましょう! 礼名にも取ってくださいっ! プリンセスレイナって馬がいいですっ!」
「そんな馬いねえっ!」
「じゃあアイシテルヨレイナとか、レイナダイスキとか、ケッコンシヨウレイナとか!」
「だからいねし馬名は九文字までだ!」
「わたしとお兄ちゃんの愛に文字数で制限を掛けるなんて許せませんっ!」
「いや、そう言う問題じゃないし、それに……」
「それに?」
「あいつは、もし取りづらいのならどれでもいいよ、って言ってくれたよ」
とたん、右手を握りしめ力説していた礼名が、ふっと我に返る。
「そうだよね、お兄ちゃんには優しいもんね、麻美華先輩。ごめんなさい、お兄ちゃん。いい贈り物ができてよかったね! じゃあ、さ。綾音先輩には何を?」
「ああ、桜ノ宮さんには……」
やばい。
彼女にはプレゼント渡せてない。
いや、プレゼントはあげたのだが、それは形を持つ「もの」じゃない。
「あの、もの、じゃないんだけど……」
「ものじゃないって何だよ! まさか、破廉恥極まりないあんな事とかこんな事とかそんな事とか! 確かに綾音先輩は綺麗で優しくてお金持ちで胸も大っきくて、って考えてみたら完璧な女の人ですけど、だからっていきなり冬の植物園でそんなことしちゃうだなんて!!」
「違うって。そんなんじゃなくて……」
「じゃあ、どんなんですか?」
「それがその、やくそく…… って言うか」
「約束!!」
とたん、礼名の声が狭い家を揺るがした。
「約束って、こっ、婚約!!」
「違う!」
「じゃ、いきなり結婚!!」
「僕はまだ十七歳だ」
「じゃ何ですか、その約束って!」
「それがその……」
僕は正直に告白する。
今日から桜ノ宮さんを「綾音ちゃん」と呼ぶ約束をしたことを。
そして彼女も僕のことを「悠也くん」と呼ぶことを。
「そんなあっ!! お兄ちゃんが親愛の情を込めてファーストネームで呼んでいいのは宇宙広しと言えどこの礼名と、将来ふたりの間に授かる可愛い子供たちだけだよ! それ以外の女とは他人行儀に接すればいいんだよっ! それなのに、それなのに……」
予想通りの反応だった。
「ごめん礼名。じゃあさ、礼名にもプレゼント買ってあげるからそれで許せよ。何がいいかな? あ、でも婚約ってのはナシだぞ! アクセサリーなんてどうだ? 髪飾りとかペンダントとか……」
「いりません!」
「一緒だな。桜ノ宮さんも欲しいものはないって言い張ってさ」
「綾音先輩も……」
と、急に礼名の声がおとなしくなる。
「お兄ちゃんの立場もわかったよ。もういいよ」
「ごめんな、礼名……」
「ううん、綾音先輩も麻美華先輩も喜んでくれたんだったら、それでいいよ」
「なあ礼名、ホントに欲しいものはないか? 今年一年何も買わずに頑張ってきただろ?」
「プレゼントならもう貰ったじゃない! アルバム」
「いや、あれはプレゼントと言うよりふたりのものじゃないか」
「あのね、お兄ちゃん……」
彼女はその吸い込まれそうなほど綺麗な瞳で真っ直ぐに僕を見つめる。
「わたしいつも言ってるよね、今が一番幸せだって。お兄ちゃんとの生活をいつまでも続けたいって。と言うことはさ、礼名にはとっくにサンタさんが贈り物をくれたんだよ。宇宙で一番大切な人と巡り合わせてくれたんだよ。それが礼名への贈り物。だから今の幸せがあるんだ。これ以上望んだら、わたしきっとバチが当たるよ! だからさ……」
礼名は食卓にご馳走を運びながらニコリと笑顔を浮かべる。
「プレゼントなんていらないよ。お兄ちゃんさえいれば!」
第二十二章 完
第二十二章 あとがき
こんにちは、桜ノ宮綾音です。
いつものご愛読心より感謝しています。
作者が突然の思いつきで作ったクリスマスの物語はいかがだったでしょうか。
あたしのクリスマスは悠也さんとファーストネームで呼び合う中に進化して、とっても幸せな一日でした。うふっ。
皆さんのクリスマスはいかがでしたか。
欲しいプレゼントは手に入りましたか。
ちなみにあたしの家のサンタさんは前から欲しかったブランド物のトートバッグを買ってくれました。もう今年のクリスマスはハッピーの大盤振る舞いですよ!
と言うわけで、例によってお便りのコーナーです。
今日のお便りは、ペンネーム、お兄ちゃん好き好き姫さんからです。
大好きな綾音お姉さん、こんにちは!
……はい、こんにちは。
わたしは小学四年生の女の子です。
将来は綾音お姉さんみたいに綺麗で優しい人になりたいです。
……お兄ちゃん好き好き姫ちゃんはとってもいい子ね。ありがとう。
ところで、わたしには大好きなお兄ちゃんがいます。
お兄ちゃんは中学生です。
いつもわたしと遊んでくれたりお勉強を教えてくれたり、とても優しいです。
だからわたしはお兄ちゃんが大好きです。
だけど最近、お兄ちゃんが優しくありません。
今までリビングで一緒にゲームをしたり遊んでくれたのに、最近は自分の部屋に籠もってばかりです。
その上、わたしが入ろうとすると、勝手に入ってくるな、と言います。
昨日もノックをしないでドアを開けると、ビクン! と驚いて凄く怒りました。
ベッドの下が汚れていたので、掃除してあげようと覗き込んだら凄く怒られました。
せっかくお掃除してあげようと思ったのに。
そう言えば、昨日お兄ちゃんがお風呂場で自分の下着を洗っていたから、わたしが手伝おうとすると凄く怒りました。
わたしは親切でお手伝いしたいのに、お兄ちゃんはひどいです。
もしかしたらわたし嫌われちゃったのかな?
わたし、何か悪いことしたのかな?
お兄ちゃんが自分の部屋から出てくるにはどうしたらいいのですか?
教えてください、綾音お姉さん!
あのね、お兄ちゃん好き好き姫さんは嫌われてなんかいないから安心してね。
お兄ちゃんは成長期なんですよ、第二次の。
成長期なので、色んなものがムクムク伸びるんです。
だから、お兄ちゃんがお部屋にいるときはそっとしておいてあげてね。
お風呂場やトイレでひとりコソコソしていても見て見ぬ振りをしてあげてね。
それが優しい妹としての務めだと思うわ。
どうしてかは、あなたもあと少ししたら自然と分かるから待っててね。
それからね、お兄ちゃんが自分の部屋から出てくる秘訣を教えるわね。
綺麗で可愛いお友達を家に連れてきてごらんなさい。きっと出てくるから。
でも、本当に可愛い子だったら、その子が来た夜は絶対お兄ちゃんのお部屋を覗かないこと。これはお約束よ。
分かったかしら、お兄ちゃん好き好き姫さん。
もう少ししたらあなただって、
「わたしの部屋を勝手に覗くな、バカ兄ちゃん!」
な~んて言ってるかも、よ。
と言うわけで、次回予告です。
年も明けいよいよお正月です。
しかし喪中の神代家には門松もおせち料理も初詣もありません。
お墓参りをして、お店を開けて、と平凡な日々のはずなのに、何この修羅場?!
次章「綾音ちゃんとのいちゃラブ生活を満喫する99の方法」でお会いしましょう!
ただいまハッピー最高潮の、あなたの綾音ちゃんでした!




