第18章 第2話
家に帰るとタンスの中から略礼服を引っ張り出した。
略礼服と礼服の違いは「略」の字があるかどうかだけだ。きっとたいした違いはない。
「お兄ちゃんどうしたの、糊とハサミを手に持って」
「いや、実はさ、かくかくしかじか……」
麻美華から聞いたパーティーで着る服のことを礼名に話す。勿論、ふたりきり公園で会っていたことは内緒だ。
「で、お兄ちゃんはこの略礼服を燕尾服に仕立て直そうとしてるの?」
「うん、タキシードでもいいけど」
「糊とハサミで?」
「そう、切ってくっつけて」
「お兄ちゃんっ!」
急に礼名が大きな声を出した。
「そんなことで燕尾服ができたら、仕立屋さんは苦労しませんよ! 折角の略礼服が台無しになるじゃない! さっさとハサミを仕舞ってくださいっ!」
「だけど、倉成さんは大友財閥へのメンツもあるからと……」
「ともかく、お裁縫は礼名に任せてよっ!」
ひったくるように略礼服を取り上げた礼名は、暫くそれを眺めて大きく溜息をつく。
「って、そんなこと出来るわけないじゃない……」
「じゃあ、倉成さんには悪いけど、やっぱり僕はこの服で参加しようかな……」
「ダメだよっ!」
今度は礼名にダメ出しされた。
「ど、どうして?」
「だって、わたしは立派すぎるイブニングドレスを作って貰ったんだよ。それなのにお兄ちゃんだけ一着買ったらもう一着無料のような吊しの略礼服って。そんなこと出来ないじゃない!」
「でもほら、一着買ったらもう一着だって、結構しっかりしてるんだぜ」
「見る人が見たらわかります!」
なるほど、そう言うものかな。
「じゃあ、やっぱりこの糊とハサミで……」
「その発想は捨ててくださいっ!」
「あっ、どんなものでも五秒で強力接着しちゃうと言う、瞬間接着剤もあるよ!」
「衣裳は縫うものなんですっ!」
「ホッチキスという手も」
「言語道断です」
「やっぱり買うしかないのかな?」
「そうですね……」
僕らはパソコンを立ち上げると通販サイトを漁る。
しかし、いいものはやっぱりオーダーメイドだし、値段だってそれなり以上だ。
礼名とふたり顔を見合わせる。
「ほら、これなんか結構安いよ」
「だけど納品まで三週間って書いてあるよ。間に合わないよ」
パーティーは明後日だ。今更普通にオーダーなんか出来るわけがない。
「じゃあ、この新古品は……」
「レビューに安っぽいって書いてあるじゃない! 礼名のドレスは最高級品だよ。それなのに、そんなこと…… ねえ、ふたりでパーティーをボイコットしようか?」
「それって倉成さんの顔に泥を塗ることになると思うよ」
「美容にはいいかもよ。どろんこ」
そう言いながらも、礼名は考え込んでしまった。
勿論僕も考えてるけど、いいアイディアが出ない。
晩ご飯を済ませて入浴も済ませて、またふたりで考える。
「そうだ! お父さんの燕尾服!」
礼名は立ち上がり二階に駆け上ると、やがて一着の服を持って降りてきた。
「ほら、お父さんの燕尾服だよ。昔着てたことがあるの思い出したんだ」
「僕は知らなかったよ……」
笑顔の礼名からそれを受け取ると、僕は早速袖を通す。
しかし。
「全然ダメだね。お兄ちゃん手が長すぎ。ウエスト細すぎ。バストなさ過ぎ!」
「バストはパッドを入れれば?」
「女装じゃないよ!」
ともかく寸法が違いすぎた。
当然だ、僕は父より背が高かったし、ずっと細かった。
「「はあ~っ!」」
ふたり揃って大きく溜息をついた、その時だった。
ピンポンピンポン ピンポンピンポン
ピンポンピンポン ピンポンピンポン
ピンポンピンポン ピンポンピンポン
「誰か来たみたい……」
一回鳴らせば済むのに何度も呼び鈴を押すなんて。ウザいヤツだ。
「はい、今行きますっ」
店の灯りを点けて礼名が入り口に向かう。
やがて。
「どうしたんですか、麻美華先輩!」
「こんな時間に悪いわね。悠くんはいるかしら」
その声に僕も店へと降りた。
夜も九時を回るというのに突然現れた麻美華は手に大きな紙袋を提げていた。
「どうしたんだよ、こんな時間に」
「まあ、こんなところで立ち話もなんだから、ともかく家に上がるわね」
「それはこっちのセリフだよ!」
「狭い家だけど、どうぞ上がるわよ」
「だからそれはこっちのセリフだって!」
「ホントに狭いわね」
「うるせえなあ……」
ほとんど勝手に家に上がり込んだ麻美華はそこに一着の燕尾服を見る。
「あっ、何よこれ。ちゃんと持ってるじゃない、燕尾服」
「ああ、僕の親父のなんだ。だけど……」
僕は上着の袖に腕を通して全く合わないことを告げる。
「お父さまの…… それは残念ね……」
驚いたような顔でその服を見ていた彼女は、やおら思い出したように持って来た紙袋に手を入れる。
「えっと、よければこれを着てみて欲しいのだけど」
彼女の手には一着の黒い燕尾服。
「えっ、まさかあれから一着仕立てちゃったの?」
「まさか。そんな超人的早業師がいたら教えて欲しいものよ。それに第一、私は悠くんの採寸もしていないわ」
それもそうだ。それじゃこの服は一体……
彼女から受け取ったそれはとても丁寧な作りで生地の肌触りも素晴らしく、ファッションにとんと興味がない僕でさえ最高級品であることが分かった。しかし驚いたのはそれだけではなかった。
「凄い、ピッタリじゃない!」
上着に手を通した僕に礼名が驚きの声を上げる。
「やっぱりね……」
一方の麻美華はひとり合点したように納得している。
僕は一旦自分の部屋へ向かい、ズボンも試着する。
驚いたことに、それもピッタリだった。
折り目正しくクリーニングされている燕尾服は、まるで僕のために誂えたもののように無理なく綺麗にフィットした。一体どうしたことだろう。僕は上着の内ポケットを見る。と。
そこにはオレンジ色の刺繍でこう記されていた。
『Mr.Soichiro Kuranari』。
僕の脳裏にひとりの紳士の姿が浮かぶ。背格好は似ていたかも知れない。ただ、僕の方が痩せていると思うのだけど。
上下を着たまま部屋を出ると、麻美華と礼名が待つ一階へと向かう。
「お兄ちゃん、ちょっと後ろ向いてください…… って、完璧じゃないこれ!」
驚いたように何度もその服を確かめる礼名。
一方の麻美華は、さもありなん、とばかりに満足げな顔だ。
「ふっ、やっぱりだわ。私の予想通りね。この服、悠くんにあげる。明後日はこれを着るといいわ」
「そういう訳にはいかないよ。これとってもいいものじゃないか! きっと凄く高かったんだろ!」
「ええ、そうだと思うわ。だけどいいのよ、今は誰も着ていないのだから」
と言うことは、彼女のお父さんが昔着ていた服、と言うことだろうか。
だけど、それだったら彼女の弟さんが着るのが筋だ。
「あ、言っておくけれど、うちの弟たちが誰かのお古を着るなんて思えないから、そんなことは考えないでね。こんなにピッタリなのだし、この服を着るべきなのは他の誰でもない、悠くんなのよ」
「ちょっと待ってください。この服は一体どうしたんですか? まるでお兄ちゃんのために誂えたかのようにピッタリだし、生地も仕立ても凄くいいですよね、これ」
「さすがは礼っち、いい目利きをしているわ。これは私のパパが若い頃着ていたものよ。そう、倉成壮一郎の服よ。今は太ってしまって着れないらしいわ」
「えっ、麻美華先輩のお父さまのお洋服! そんな大層なもの戴くわけには」
「誰も使ってないんだから使えばいいのよ。それがエコロジー、地球に優しく財布にも優しく、そして貧乏な貴方たちにも優しいのよ!」
「分かっちゃいますけど、あからさまに貧乏と言われると腹が立ちますね!」
「じゃあ、ボンビー」
「同じです! 清く貧しく美しい、とか言ってください!」
結局。
貰うかどうかは別として、僕はその服を預かった。
明後日の晩餐パーティーで着るために。




