第18章 第1話
第十八章 ラストダンスで抱きしめて
夕暮れの住宅街。
まだ五時だというのに辺りはめっきり薄暗く、だけど街灯は灯っていない。
そんな中、公園の入り口に佇む長い金髪の彼女だけが特別高貴な色を放って僕の目に飛び込んでくる。
「ごめん、待ったかな?」
「はい待ちました。でもお兄さまを待つのはちっとも苦になりません。むしろワクワク感でいっぱいですから」
端正な顔を綻ばせて、普段は誰にも見せない親しげな笑顔で駆け寄ってくるのは倉成財閥のお嬢さま、倉成麻美華。通学路から外れたこの公園でふたりが会うのは、毎週の恒例行事になっていた。
「ねえ聞いてくださいよ! 昨日は光輝と光昭がそっちのケーキが少し大きいとかで喧嘩始めたんですよ。ホントにもう情けないんだから……」
「倉成家だったらケーキなんかいくらでもあるんじゃないのか?」
「さすがにひとり一個ですよ。それにメイドの瑞季はひとつずつ違うケーキを作るんです」
光輝君と光昭君はどちらも麻美華の弟だ。中三と中一でいつも喧嘩が絶えないらしい。こうしてふたり会うときには結構そんな愚痴も聞かされた。
「喧嘩の原因ってのは、お金持ちでも僕ら貧乏人でもたいして変わらないんだね」
「そうですか? お兄さまと礼っちもケーキの大きさで喧嘩したりすんですか?」
「ん~、しないね。礼名はいつも大きい方を譲ってくれるからね」
「じゃあ、どんなことで喧嘩するの?」
「喧嘩か。う~ん、したことないかな。あっ、でもそう言えば……」
喧嘩という訳じゃないけど言い争いなら案外多い。
「僕が作る晩ご飯は美味しくないってなじられて、わたしが作るからお兄ちゃんはテレビ見て待ってて! とか」
「それ、喧嘩なんですか?」
「僕の掃除は手際が悪いってこき下ろされて、わたしがするからお兄ちゃんは早く宿題済ませてくださいって言われたりとか」
「わたしが聞いてるのは喧嘩するかどうかですけど……」
「そうそう、先日洗濯しようとすると、きゃっ! とか悲鳴を上げられて「お兄ちゃんそれは礼名の仕事ですっ! 見ましたね、わたしのAカップ!」って真っ赤な顔で怒られたりとか……」
「あの、最早おのろけにしか聞こえませんけど……」
そう、礼名とは喧嘩した記憶がない。意見の相違があっても僕が強く言うと「お兄ちゃんがそう言うのなら」と彼女が引く。逆に彼女が強く言うときには僕が引く。そしてこのふたりの距離感は小さい頃からずっと変わらない。
「そう言えば、あれからもう半年経ちますけど、私もお兄さまとは喧嘩しませんよね」
「そりゃあ、喧嘩にならないからね。麻美華強いし」
「酷い言いぐさですねっ! そりゃあいつもは命令口調で威張ってますけど……」
「分かってるさ。本当は麻美華がとっても優しいってこと」
ぽわっ!
突然、色白の麻美華が音を立てて真っ赤になって破裂した。
どうしたんだろ、何かヘンなことでも言ったかな。
「あ、そ、それで今週の聖應院との交流会なんですけど……」
「あ、そう言えば今週の金曜だったね、交流会」
「はい、それが……」
落ち着かない素振りで話題を変えた麻美華だったが、急に思い出したように真顔になる。
「大友財閥の腹黒王子から連絡があって、ホテルオートモで行われる聖應院との交流晩餐会、最初はメインダイニングで行うって言ってたのに、突然パーティー会場で行うとか言い出して……」
双方五名ずつ、合計たったの十人で立食パーティーと言うのもヘンな趣向だが、高校生なのにドレスコードまで適用して正装できてくれと言ってるらしい。着替えの部屋も衣裳のスタッフも用意するらしく、貧乏な南峰生のために衣裳も無償で貸し出すらしい。
「ハッキリ言ってバカよ! 高校生なんだから会議なんか制服ですればいいのよ。それを晩餐会とかパーティーとかアホ丸出しだわ!」
「でも、どうしてそんな事を?」
「お近づきになりたいんでしょうね。礼名ちゃんとか綾音とか」
去年も彼らは南峰生徒会をダンスパーティーに招待してきたそうだ。大友王子は麻美華をダンスに誘い甘い言葉をささやいたそうだが、その気がない麻美華は彼の足の甲をヒールで思いっきり踏みつけたらしい。
「でも、王子って凄いイケメンだし、ちょっとキザっぽかったけどそんなに変な人には見えなかったよ?」
「そうですね。一見イケメンの紳士だわ。だけど彼は自分が大友財閥の御曹司であることを鼻に掛けてるの、それが分かるんです」
それは麻美華も似たようなものじゃない? と言う言葉を飲み込んだ僕に、彼女はそれを見透かしたかのように話し続ける。
「私も『倉成のお嬢さま』だから似たようなものだけど、だけど、だけど…… 虫唾が走るわ、あんなの!」
大友財閥の御曹司を「あんなの」呼ばわりするとは、さすが麻美華だ。彼のルックスとステータスに目が眩む女は星の数ほどもいるだろうに。
「じゃあ、この前の聖應院の男四人の中に麻美華の好みって、いた?」
「いるわけないでしょう!」
「へえ、理想高いんだ。じゃあ、好みのタイプって誰なの?」
「何言ってるんですか! 麻美華の好みは、その、あの……」
ぼっ!
また色白の麻美華の頭から水蒸気が吹き出し爆発した。
「そ、そんなことより、そう、服装ですよ、服装!」
話を戻します、と断って彼女はまた語り出す。礼名は先日華麗なイブニングドレスを誂えたし、桜ノ宮さんも着ていく服の心配はいらない。笹塚さんの服も山ほどある麻美華のドレスの中から選んで寸法を合わせ直すらしい。
「それでお兄さまは燕尾服とかタキシードとかお持ちかと?」
「大丈夫だよ。ちゃんと略礼服を持ってるから。冠婚葬祭何でもござれ!」
「お兄さまっ!」
睨まれた。
そして大きく溜息をつかれた。
「どうせそう言うことだと思ったんですよ。しかし今回のパーティーは正装で出て欲しいんです」
「えっ、略礼服じゃダメなの」
「ダメですっ! これは大友と倉成のメンツの問題なんです!」
大友銀行を中心に商社、重機、製鉄、生命保険など数多の企業を束ねる大友財閥。その規模や伝統は倉成と双璧と言ってもいい。でも、だからといって、パーティーはあくまで高校生の交流会だ。そこまで気にしなくても……
「ダメですっ!」
心を読まれたようにダメ出しを喰らった。
「私が気にしなくても彼らが一方的に勝ち誇ります。ええ、そうに決まってます。去年もそうでした、一着買ったらもう一着付いてきたという略礼服で参加した林田会長をドブネズミでも見るような目でみる人もいました。大友自身はあからさまな態度は取りませんが、心の中ではそう思っているに違い有りません。やっぱりこいつら貧乏なんだなって。でも、そんなの絶対許せません! ましてやお兄さまがそんな目で見られるのは絶対絶対許せません!」
正直僕はどう思われようと痛くも痒くもないのだが、彼女のプライドが許さないらしい。
とは言え、ない服は着れない。
ないパンツは穿けないのと同じ論理だ。
「今から買いに行きましょう!」
麻美華は鞄から携帯を取り出す。
「ちょっと待ってよ。そんなことできないよ!」
「どうしてです? 礼っちも作りましたよね」
「だからって僕まで買って貰うなんてできないよ」
車でも呼ぶつもりだろう、僕の言葉を無視して携帯の操作を始める麻美華。
「ともかく、麻美華には恥をかかせないように何とかするから!」
僕は急ぎ足で公園を後にする。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいお兄さまっ!」
後ろから追い縋る声がするけど、これ以上頼るわけにはいかない。
気持ちは嬉しいけど。
ごめん、麻美華。




