第2章 第6話
家に帰った僕は、自分の部屋に入ると真っ先に黒い学生鞄を開けた。
そして中からピンク色の封筒を取り出す。
今日、倉成さんから手渡された封筒だ。
封を止める国民的うさぎキャラのシールを剥がすと、四つ折りの真っ白な便せんが入っていた。
悠くんへ
今日は驚かせてしまってごめんなさい。
でも、一度でいいから来て欲しいの。
もう一度だけ考えてください。
お願いします。
倉成麻美華
それは青いインクで書かれた、少し丸みを帯びた女の子らしい文字。
いつも上から目線でものを言う彼女が書いた『お願いします』の文字が、僕の胸に刺さる。
「う~ん」
制服のままベッドに横になると天井を見上げる。
「はあっ」
大きく嘆息する。
そして放心。
きっと彼女は悪い人じゃない。
それどころか、僕は彼女に親近感すら覚える。
不思議だ。
でも、どうしてこんなお誘いをしてくれるのだろう。
理由が全く分からない。唐突すぎる。
…………
考えていても仕方がない。
僕は立ち上がると着替えを済ませて階段を下りた。
「どうした礼名?」
居間に入ると鏡の前でじっと自分を見つめる礼名がいた。
「あっ、お兄ちゃん。何でもないよ、何でもない」
彼女は作り笑顔を浮かべると台所に走っていく。
「今日は豪華に、お兄ちゃんの大好きな唐揚げにするよ」
「やった! 礼名の唐揚げは美味しいからな」
「まあね、揚げたてだから当然だけどね」
言う間にも油が弾ける音が聞こえてきて。
僕は居間に置かれたテレビをつけ、ハードディスク録画のメニューを開く。
「お兄ちゃん、何か録画するの?」
「うん、アニメ。クラスメイトお勧めのやつ。明日、礼名も一緒に見るか?」
「当然見るよ。お兄ちゃんは油断も隙もないからね。ライバルに負けないように好みもちゃんと把握しておかなくちゃだしさ」
拗ねたような目で僕を見る礼名。
やがて、唐揚げがこんがり揚がる。僕はご飯を装って食卓に並べる。
「お兄ちゃん、ありがとね」
「料理してるのは全部礼名じゃないか」
食卓に並ぶ青物は、今日も大根の葉っぱ炒め。
そして、ふたり手を合わせて、いただきます。
「んめえ、やっぱ礼名の唐揚げうめえ」
「お兄ちゃん大げさだね。ほとんど毎日鶏肉が手を変え品を変え出て来てるだけなのにさ」
「そう言われると、そうだな」
「お兄ちゃんって幸せな性格だよね。あっ、そんなことより」
礼名は急に真顔になる。
「あのあと倉成さんは何か言ってきたの?」
「あ、うん。僕に遊びに来て欲しいって。ま、同じ事の繰り返しだけど」
手紙のことは敢えて黙っておいた。
「どうしてって、理由は聞いた?」
「うん聞いた。何でもお父さんが苦学生にいい仕事を紹介してくれるとか何とか。ま、冗談だと思うよ」
「あのさ、お兄ちゃん」
ぱし
箸を食卓に置いて身を乗り出す礼名。
「もの凄くきな臭い匂いがするよ。だってさ、お兄ちゃん覚えてるかな。朝日さん言ったよね。「僕がここに来たのは、とある人に頼まれたからだ」って。その後、「どうせまた身内贔屓の話だろうって思った」とも言ったよね」
「ああ、入学式の前の日、朝日さんが最後に来たときの事だね」
「あれって誰のことだか分かるよね。知り合いでさ、朝日さんみたいな大物を知っていて、そんなことを言う人、ひとりしかいないよね」
「うん、桂小路のおじいさんだよな。僕も気が付いてた」
伝統と格式ある名家で資産家でもある桂小路は政財界にも通じていた。モーニングサンオフィスの社長である朝日さんと話が出来たとしても何の不思議もない。
「絶対裏で桂小路が糸を引いてるんだよ。わたしとお兄ちゃんのラブラブな毎日を引き裂こうと揺さぶりを掛けてきたんだよ!」
「朝日さんは、そうだったんだろうね……」
桂小路は伝統ある名家であり資産家であり、大きな商社のオーナーでもあるが、実は後継者がいなかった。桂小路家には母の弟がいる。彼は成功している有名なデザイナーなのだが、少し変わり者で女性には興味がないらしかった。いわゆる同性愛者ってやつだ。勿論独身。それでなくても対面を気にする桂小路の祖父は彼を後継とはしないと決めたようだ。そうなると残る血脈は孫である僕たち兄妹だけ。
「だったら倉成さんの話も怪しいこと分かるよね。桂小路だよ、あそこがお兄ちゃんとわたしの、このふたりだけの生活を破綻させようと、今度は倉成に頼んできたんだよ」
「そうなのかな……」
「そうだよ、だから絶対行っちゃダメだよ、お兄ちゃん」
それは僕も考えた。真っ先に考えた。でも、何か引っかかる。もし僕が倉成さんのお父さんなら絶対そんな手は取らない。子供の友達を不幸にするために、わざわざ可愛い我が子を巻き込むだろうか? 僕が倉成さんに恨みを買っているのなら話は分かるが。
「うん、でも倉成さんの話は違うんじゃないかな」
「甘いよ、お兄ちゃん甘いよ。あんこのハチミツ固めより甘いよ! 相手は桂小路だよ、欲望のためなら手段を選ばない悪のプロフェッショナルなんだよ!」
「なんだその、悪のプロフェッショナルって?」
「えっと、悪いんだよ。ともかく悪いんだよ。お腹が真っ黒だよ。だから」
どん!
礼名は突然、食卓に手を突き立ち上がる。
「倉成に行っちゃ絶対ダメだよ! わたしを裏切ったら絶対いやだよ!」
* * *
その夜、僕は自分の部屋で窓を開け、星を見ていた。
「何が正しいのかな。礼名はこれで幸せになれるのかな……」
確かに礼名の言う通りかも知れない。
たかが高校生の僕が考えるより、世の中はもっと深く黒くドロドロとした思考で動いているのかも知れない。
桂小路の評判が悪いことは噂でも聞いている。
だけど。
礼名にとっては、どうなのだろう。
桂小路に戻れば、彼女は一気に上流社会人の仲間入りだ。何せ彼女は世が世なら一国のお姫様なのだ。今みたいな貧乏暮らしとはすぐにおさらばだ。
兄として、僕はどうすればいいのだろう。
僕はだんだん分からなくなってきて。
朗らかで心根から優しくて、頑張り屋さんの礼名。
そんな彼女の幸せな未来を育んであげるのが僕の役割。
「れいちゃんを大事にしてあげてね」
想い出す母の声に僕は小さく答える。
「うん、分かってるよ。僕は礼名の立派な兄になってみせるよ、母さん」
きっとそれが、いつも優しかった母が望んだこと。
こんな生活を、礼名に苦労を掛け続ける生活を本当に続けていいのかな。
いったい何が彼女の幸せなのかな。
「礼名……」
僕は窓の外の遠い遠い星を眺めながら、
何度も何度も答えが出ない思考を繰り返した。
第二章 学校はわたしの敵だらけです 完
第二章 あとがき
ご愛読戴いている皆さんこんにちは。
倉成麻美華です。
先ずは最初に深くお詫びいたしますわ。
ごめんなさい(ぺこり)。
最終的にメインヒロインになる美しいこの私が、第二章の、しかも途中からの登場だなんて、あり得ない不始末でしたわ。
バカな作者に成り代わり、先ずはここにお詫びしておきますわね。
この先、この物語は、この倉成麻美華を中心に進んでいきますの。楽しみにしてらっしゃいね。お~ほっほっほっ!
さて。
皆さんは地位も名誉も財力も、そして圧倒的美貌すら持ち合わせたこの私が、どうして場末の粗末な喫茶店でギリギリの生計を立て暮らしている神代悠也とか言うチェリーボーイごときにちょっかいを出したのか、不思議に思っているのでしょうね。
えっ、全く不思議に思わなかったって?
それはきっとタチの悪いご都合主義のマンガやアニメに染まりすぎですわ。不思議にお思いなさいよ。だってこの私自身が不思議に思ってるんだから。どうしてあんな男が気になるのかって。だいたいあんな男、この私と会話するだけでも不釣り合いだというのに。
えっ? どうしました作者の日々一陽さん。
それは次章を読んで貰えばいい、ですって?
次章ではもっと不思議な展開を用意しているから、その程度の違和感は気にならなくなる、ですって?
ダメじゃない。
もっと真面目に書きなさいよ。読者の皆様は大切な時間を使って私達の物語を読んでくださっているのよ。そんなことじゃ他の小説に逃げられちゃうわよ。
私、知ってるんだから。
毎晩家に帰ると真っ先にパソコンを起動して、今日も感想貰えなかったって、きっと誰も読んでくれてないんだって、ひとり涙している作者の惨めな姿を。でも、それもこれもみんな作者が悪いのよ。魅力的なこの私を、ちゃんと第一章の最初から登場させないからなのよ。
これに懲りたら次章は私の出番で埋め尽くすことね。分かったかしら、日々一陽さん。
では皆さん、次章「みんな麻美華に首ったけ」でお会いしましょう。
倉成麻美華でした。