2-3 洗礼
影の正体は男子と女子、二人の生徒だった。
男子の方はシャープでギラギラとした目つきで、半袖のシャツから覗く肌は病的な白さ。不健康そうだ。
腰や首からチェーンのアクセをジャラジャラと垂らし、腕には鋲の付いたレザーのブレスレット。
ところどころ長く伸ばした黒髪の隙間から、シルバーのカフスやピアスが光る。全体的にパンクだ。
女子の方はと言えば、男子の方と違って派手さはない。
栗色の軽そうなワンレンボブ。垂れ目の下に泣きぼくろ。
ビジュアル的に中の上くらいの、なんというか、ファッション誌のストリートスナップとかで見かけそうだな、という印象以外は、これといって特徴のない子だ。
つまり、平均よりは可愛いが、際立った個性を発していない、とでも言うか。
「よう。初めまして」
パンク男子が片手を上げながら挨拶をした。
彼に心当たりはないが、視線からして俺に話しかけていることは明白だった。
「? 初めま――」
「なんの用だッ! 大路!」
返そうとした挨拶は、遠城さんの叫びによって掻き消された。
驚いて彼女を見ると、肩を怒らせ、パンク男子へと今にも飛びかからんんばかりに、不機嫌な猫のような形相で睨み付けている。ただ事ではない反応だ。
「あぁ? 何時俺が男気取りに話しかけた? テメェは俺が喋っていいっつーまで黙って」
「とっとと消えろ! どうせまたロクでもないことしに来たんだろ!!」
相手の男子が言い終えるよりも早く、遠城さんが罵声を浴びせる。
すると男子は「チッ」と舌打ちをして、こちらもみるみる表情を歪めてゆく。
「うるせぇ! 黙らねえとテメェから先にぶっ殺すぞ!!」
「ぶっ殺すって……穏やかじゃないなぁ」
思わず口を挟むと、男子の突き刺すような視線は遠城さんから俺へと移る。
「ああ? ……おーおー、そーだった。お前に用があって来たんだよ。サイコキネシスの箱崎透くんにな」
この口ぶり、この態度。何より、サイコキネシスという単語。
彼も俺と同じ、シェアード・サイキックか。そして、このやりとりを場の空気にそぐわない穏やかな表情で聞いている連れの女も。
さらに遠城さんの反応から考えて、彼は学内自治派ではない。
派閥の和を重要視している彼女がここまで敵意をむき出しにする相手は、きっと――自由主義派のサイキックだ。
俺としては敦賀さんの手前、あまり事を荒立てたくはない。ひとまず相手の出方を伺い、出来ればトラブルを避ける方向で行きたい。俺はトラブルや突発的な事件は好きだが、こういうのは求めているものとはちと違う。
「俺に用事? それって派閥への勧誘? それとも、転校祝いの歓迎会のお誘いでもしてくれるのかな」
「くくっ。歓迎会ねぇ」
大路と呼ばれたパンク男子は愉快そうに噴き出した。
決して楽しくて笑っている、という雰囲気ではない。とても平和的な話し合いをしに来たのではない、剣呑な棘のような空気を全身から放っている。
「くくくっ。いや、まあ確かにな、歓迎パーティーみたいなもんさ。主催者は俺。ただし場所はここ。時間は――」
俺を睨み付けたまま、口だけが狂気的に大きく開かれる。
「箱崎くん避けてッ!!」
「ッ!?」
遠城さんが俺のブレザーの背中を掴み、ぐいっと後ろに引っ張った。大路の態度からして、どう考えてもヤバい予感しかしない。
「――今! この瞬間からだッ!! "OBLIVION"ッ!!」
絶叫。地面に両手を伏せる。
と、同時に――地面の一部が迫り出し、何本もの杭のようになって俺へと伸びる!
「後ろに跳んでッ!!」
「うぉお!! "ウィンダム"!!」
命じられるまま俺は"ウィンダム"で背後の地面を掴み、それから遠城さんを掴みあげると、自分事後ろへと投げ飛ばして距離を取る。
「きゃあッ!?」
落下の最中、再び"ウィンダム"で地面を掴み慣性を殺して着地する。
「これが、君の――いや、今はそれより! 止まらないで校舎に戻ってッ!!」
「手荒い歓迎だなぁ、もう!」
愚痴をこぼしながらも、遠城さんの言う通りに昇降口へ引き返し、走って校舎の奥を目指す。行き先も定まらないまま、走る。
「あーあ。逃げられちゃったぁ」
女は口ぶりでは残念そうにしながら、しかしその表情は一つも変えぬまま、傍らの男に話しかけた。
「逃げられたんじゃねえ。わざと逃げ場のない校舎に追い込んだんだよ。その方が俺にとって有利だからな」
土で汚れた手を払いながら、男は得意げに答えた。
「ホント、あっきーはこういうの好きだよねぇ」
「新入りには立場をわからせねぇとな。ここでボコボコにしておけば、俺に逆らうなんて舐めた真似しやがらねぇからなぁ。くっくっくっ」
笑いながら男は闇に包まれた校舎へと歩き出す。さながら怯える鹿を追う狩人のような心持であった。
「……わいくせに、好きだよねぇ」
それは、蚊の鳴くような呟きだった。
「ああ? なんだ?」
「え? 何にも言ってないよぉ」
女の言葉は男の耳まで届かなかった。言葉は既に夜の帳を降ろしつつある世界に融けて、彼女以外に知ることのないまま消え失せた。
そして二人の姿も校舎の影に紛れて、消えた。
*
一か月前と今夜――舞台と役者が違うだけで、まるっきり同じことをしている気がする。
学校の中での戦いがこれで二度目ということは、ことわざ通りであれば三度目があるのかと思うと、まだ見ぬ未来にげんなりとしてくる。それどころか肥後先生の口ぶりからすると、三度どころか三度の飯がある如く、日常茶飯事になるやもしれない。
先導する遠城さんの後を追って、走る。
校舎に逃げ込む際にちらっと見た感じ、職員室にはまだ電気が灯っていた。てっきり、そこに逃げ込むことでやり過ごすのかと思ったが……職員室へ通じる正面の階段を上ることなく、すぐさま右へ曲がって行ってしまった。
「ちょっと、遠城さん! これ、どこ向かってんの!?」
「特別棟!」
「どこそれ!?」
「僕たちが戦う時、使ってもいいことになってるところ! とにかく着いて来て!」
推測するに小会議室のような特別エリアなのだろう。詳しい説明は落ち着くまで聞けなさそうなので、今は諦めて追いかけることに専念してせっせと足を動かす。
昇降口を右折した後は、突き当りを左折。しばらく走っていると、遠くに緑色の光があることに気が付く。近づくとそれが非常口を示すライトだと判明する。
不気味な光に照らされた金属製のドアに辿り着くと同時にノブを回し、開け放ったままにして、屋根つきの渡り廊下を抜け、もう一枚の非常ドアを開く。
「ここが特別棟?」
「そう!」
外観も内装も本校舎とまるで同様の建物だ。特別棟だなんて大層な名前をしているのだから、てっきりもっと立派な建物を想像していただけに拍子抜けする。ちっとも特別なところなんてないじゃないか。
てっきり本校舎の一部だとばかり思っていた建物が特別棟だったとは。コの字の校舎を鏡に映したように、そっくり逆位置に建ってロの字を作り出している建物である。
「ひとまず三階まで上がるよ!」
「り、りょーかい」
息切れ気味の俺と違い、遠城さんはまだまだ元気なようで、ひょいひょいと一段飛ばしで階段を駆け上がる。とりあえず、明日からもう少し運動や筋トレを頑張ろうと、心の中で誓いを立てた。
とはいえ、遠城さんにも疲れはあるはずだ。階段を上るだけなら、俺の能力を使った方が互いに体力を温存できる。
「遠城さん、ちょっと失礼するね!」
「え、何……うわわっ!!」
先回りの謝罪を済ませると、俺は"ウィンダム"で遠城さんと自分自身を抱え上げた。
「何すんの!?」
遠城さんは、慌てたような怒ったような表情で俺を非難した。いきなり見えない腕によって抱え上げられたのだから、当然困惑するだろう。敵対行動ともとられかねない。
「この方が楽だし早いから! ちょっとだけ我慢して!」
「我慢って、きゃあぁッ!!」
勢いよく一階の廊下から階段の踊り場へ。
すぐさま身を翻し、二階廊下、踊り場、そして三階へ。
あっという間に上り終えると、なるだけ丁寧に遠城さんを降ろした。
「ね? 早く着いたし、体力も多少は温存できたでしょ?」
「あー……びっくりしたぁ。でも、ありがとう。さ、もうちょっとだけ走るよ!」
さっきまでの困惑した表情から、今度は笑顔になって感謝をされ、それからまたキリッとした表情になって走り出す。感情の切り替えが早く目まぐるしい子である。一緒に居たら楽しいだろうなぁ、と日常に戻ったかのような思いが過る。
宣言通り、廊下を一〇メートルほど走るとすぐに教室の一つに飛び込んだ。小隈さんと共闘した時とほとんど同じ流れにデジャヴュを感じつつ苦笑する。
飛び込んだ先は、机もロッカーも教卓も、黒板すらもない完全な空き教室だった。何のための教室なのだろう。
急いで扉を閉めると、遠城さんは壁を背もたれにして床へと座り込んだ。俺も彼女に倣い隣に座った。やっと一息つけることに安堵した。
「ふぅーっ。これで少しくらいは時間が稼げたかな」
大きく溜息をついて、リラックスした表情を見せた。
かと思うと、すぐに苦々しげに顔を歪めて、教室の壁を睨み付けた。それは本校舎の方角であり、俺たちが襲われたグラウンドの方角であった。
「あーっ、もうっ! ムカつくなぁ!」
叫ぶと同時に床を叩いた。あの襲いかかってきた二人組に対して悪態をついているのだろう。
だが、こうなった責任の一端は俺にある。
あの大路とか呼ばれたサイキックは、明らかに俺を狙って攻撃を仕掛けてきた。一緒に居たせいで彼女を巻き込んでしまったのだ。
「ごめんね。巻き込んじゃってさ」
遠城さんの方を向いて、頭を下げて謝罪した。
が、彼女はきょとんと目を丸くして不思議そうに見つめ返すだけで、却ってこちらが困惑してしまう。
「なんで箱崎くんが謝るの? 襲ってきたのは大路たちじゃん」
「襲われた原因は俺なんだよね。何だか好戦的なタイプみたいだから、新入りへの洗礼をしに来たのかな」
「うん。あいつ……に限った話でもないけど、特に大路のバカは新しいサイキックが来ると、いっつもこうなんだ。絶対頭おかしいよ、あいつ。鎖みたいなのジャラジャラだし」
別にチェーンを着けてるのは頭おかしいのとは関係ない。坊主憎けりゃ、というやつだろうか。
「そういえばさ。なんでさっき職員室に逃げ込まなかったの? これもルールってやつ?」
遠城さんは一瞬だけ質問の意味をわかりかねたのか小首を傾げたが、すぐに察したようで「ううん」と否定し、首を横に振った。
「職員室に逃げ込めば、多分あいつも追ってこない。けど、それじゃダメなんだよ。無用な戦いを仕掛けちゃいけないって言われてるけど、ケンカを買ったらダメとは言われてない」
そりゃ屁理屈だろうと思っていると、彼女はぐいと迫り、俺の胸に力強く指先を押し付けた。
「いい? この学校じゃあ舐められたらダメなんだ。絡んできた奴をボコボコに叩きのめして力を示すことで、ケンカを売るのは無謀だって思い知らせなきゃダメなんだよ。もしここで逃げ出したり降参したら、箱崎くんは腰抜けの雑魚野郎って評判がみんなに広まって、いいように利用される羽目になるんだよ!?」
彼女の言っていることは、どこまでが真実なのだろう。
誇張して言っている部分もあるとは思う。だが軽々しく否定をすることもできない。
スクールカースト同様、シェアード・サイキック間でも能力や実力によるカーストは存在するだろうことは容易く想像ができる。きっと逃げるということはピラミッドの下層に落ちることを意味するのだ。
つまり、今から俺がやらねばならない戦いは、サイキッカーのリングにおけるデビュー戦なのである。
「……オーケー、わかった。返り討ちにしないと学園生活お先真っ暗ってことね。じゃあ、やってみせるさ」
「よーし、そうこなくっちゃ。男らしいぞ」
俺が笑うと彼女も不敵に笑った。
腹を決めた以上は、可能な限り情報を集めて対策を取らねばならない。
特に、あの地面を迫り出してきた能力がどんなものか、まるでわかっていないのだ。テケテケの時と違い、遠城さんという情報を持つ人物がいるアドバンテージを活かさない手はない。
「さてと。それじゃ戦う前に、聞けることは聞いておきたいんだけど、いいかな」
「うん。僕を頼ってくれていいよ。今は共闘するしかないんだし」
「ありがとう。それじゃまずは、あの二人の名前と能力が知りたいかな。あと確認だけど、あの二人は自由主義派で間違いない?」
遠城さんは首肯した。
「うん、そう。自由主義派。男子の方は大路彰。あいつは「暗闇にだけ生やせるクリスタル」を生み出す能力を使う」
暗闇にだけ生やせるクリスタル……先ほどの襲撃の光景を思い出す。
すっかり影の落ちた暗い校庭。
大路が地面に手を着くと、複数の杭が飛び出してきた。てっきり俺は地面を隆起させたのかと思ったが、あれはクリスタルだったのか。
重要なのは「暗闇にだけ生やせる」という点だろう。ここに敵の能力を打ち破るチャンスが見いだせそうだ。
「暗闇にだけってことは、明るいところでは使えないの?」
「うん。あいつ昼間に襲ってくることないから、絶対そう。暗い教室で襲われた時に電気付けたら、クリスタルがあっという間にぶっ壊れたって話も聞いたよ」
「ということは、強い光があれば能力を封じ込められるってことか」
弱点は相手も理解していると考えるべきだろう。
俺だったら……まず、この建物の電源供給を絶つか、ブレーカーを制圧する。
*
同時刻。特別棟入口。
「よし。それじゃやれ」
尊大な態度で大路が命令を下す。女は嫌な顔一つせず「はぁい」と返事をし、ドアに手を翳した。
*
「女子の方は鳥羽理沙。能力は――」
*
「"THE FROZEN WROLD"……いくよぉ」
梅雨時の蒸し暑さを掻き消すように、理沙の周囲の気温が急速に下がってゆく。
吐く息が季節外れの白に染まる。
金属製のドアの表面がにわかに曇りだす。瞬く間に霜が降りる。
いや、それだけに留まらず――ドア全体が氷で覆われてゆく。
理沙が手を動かすのに合わせて氷が生じ、ドアとその周辺だけが大寒波に襲われたような、白く歪な氷のオブジェクトへと変貌してしまった。
「はい、"氷"接おーわりぃ」
「次はブレーカーと、もう一つのドアだ。急ぐぞ」
「はぁい」
*
「……氷かぁ。攻撃・足止め・防御、万能に活躍しそうで厄介だな」
能力の程度はわからないが、廊下全体を凍てつかされたらそれだけで危険だ。
足場が悪くなれば不利になるし、転ばないよう気を取られて戦いにも集中できなくなる。
滑った先に大路のクリスタルを設置すれば、シンプルながら十分破壊力のあるトラップが作れてしまう。もっとも"ウィンダム"を使えば疑似的な空中浮遊が出来るのだが、それを維持し続けるとなると持久力的に辛い。
「あの二人は常にコンビで戦ってるの?」
「んー……たまに、かな。鳥羽は一人で戦ってるところを見たことがない。大路も誰かとつるんでることが多いかな。常に二人で居るわけじゃないけど、コンビプレーは慣れてるかも」
「うーん。となると、やっぱり分断した方が戦いやすそうだなぁ」
俺も遠城さんも、しばし黙って考え込む。
「もし分断して戦うんだったら、僕が鳥羽を引き受ける」
不意に遠城さんが顔を上げて提案した。
「理由は?」
尋ねると、ちょっとだけ困ったようにはにかむと、
「……本当はもう少し、隠しておこうかなと思ったけど。そうも言ってらんないもんね、この状況」
すくっと立ち上がり、踵を返して数歩歩き、それからこちらへと振り返った。
「これが、僕の能力」
そう告げると、彼女は人差し指を突き出した。
――ボッ、という破裂音と共に、小さな炎が爆ぜた。
「"MYSTIC EYES"。いわゆるパイロキネシスってやつだね」
小さいが鮮烈な炎の残光が視界に焼き付き、その奥に辛うじて遠城さんの顔が見えた。
発火能力――なるほど、彼女が氷使いの相手を引き受けたワケが理解できた。
「さて、と。僕の方はこれで納得してもらえただろうけど、箱崎くんはどうやって大路と戦うつもり?」
「一つ聞くけど、その炎の明るさがあれば、例のクリスタルは破壊できるのかな」
「んー。できなくもない、とは思う。けど壊すまでには時間がかかるだろうし……さっきも言ったけど、僕はまだ君とリンケージするつもりはないよ」
小隈さんの時と違い、彼女はきっぱりと断った。
確かに今回は、最悪逃げ出せばどうにかなる状況なのだ。無理にと懇願し心証を悪くするのは避けたい。
「そうだな、せめて懐中電灯が二、三本は欲しい。あと、もう少し大路のクリスタルの特性を知りたいかな」
光以外で有効な方法があれば、それに越したことはない。常に選択肢は複数あるのが望ましい。
遠城さんは質問の答えを探しているようで、腕を組んで「うーん」と悩んだ。そして、何か思い当たったようで、
「あ。そうそう、僕が見たわけじゃないんだけどね。前に戦った人から聞いた話だと、液体の上にクリスタルを作ることはできないって」
「乾いてないとダメってこと?」
「どうなのかな。そこまではわからないけど」
でも、確かに。グランドの状況を思い出すと心当たりがあった。
もし本気で倒すつもりなら、(能力の有効範囲が不明だが)グラウンドをクリスタルの針山にすればよかったんじゃないか? 何もわざわざ電気や懐中電灯といった対策が取れてしまう校舎内に追い込まなくてもいいはずだ。
他にも外より建物内の方が戦いやすい理由があるのかもしれないが、遠城さんの話が本当であれば、今日は雨が降っていた所為で水溜りがそこかしこに残っていたから避けたのかもしれない。
「水か……」
まあ、だからと言って校内を水浸しにする方法も……。
いや、待てよ。あるにはある。
が、それをすると後で叱られるばかりか、遠城さんが圧倒的に不利になってしまう。一応、確認だけはしておこう。
「遠城さん。この特別棟に火災探知機とスプリンクラーが設置されてるかどうかって知ってる?」
「僕が転校してきた時に、どっちもあるから迂闊に校内で能力を使うなって釘を刺されたからね。あるはずだよ。……箱崎くんの言いたいことはわかるよ。大路を相手にするだけでいいなら、やってもよかったんだけどね。さすがに鳥羽相手に水浸しは僕がキツすぎるから却下」
そりゃそうだ。
「その鳥羽って子も好戦的? さっきは一言も発してないし、姿くらいしか見てないからよくわかんないんだけど」
「いや、別に好戦的ってわけじゃないね。全力とか本気とは無縁だけど、よく誰かとつるんでちまちまサポートしつつ戦ってるイメージ。不利な状況になったらあっさり手を引く、って感じだった。あと怒ってるところ、っていうか感情むき出しにしてる姿は見たことないな。いっつも薄ら笑いしてて、なんか腹立つ」
「なるほどね」
となると、やはり大路をどう倒すか。それを重点的に考えるべきだろう。
備え付けの電燈は既に使用不可である可能性、割られる可能性も含めて、作戦の主軸に組み込まずに考えるとする。
その場合、やはり独自電源を持ち携帯可能な懐中電灯が欲しい。その上で廊下の水道を利用してクリスタルを生成不可能な状況に追い込めれば上々だ。
「あとは、そうだな……あの二人が誰とリンケージして、どんな能力を持ってるかってわかる?」
「そこまではわからない。鳥羽は隠し玉ありそうだけど……大路はどうだろう。脅されでもしない限り、あんな奴とわざわざリンケージしたがる奴が居るとは思えないけど」
遠城さんは吐き捨てるように言った。よほど大路のことを嫌っているようだ。
まあ、俺とて出会いがしらに攻撃されたのだ、いいイメージは皆無である。
「さっきからすっごい嫌ってるみたいだけどさ、大路ってどんな性格なの?」
「はっきり言ってゴミみたいな奴だよ! 馬鹿で自分が強いと思い込んでて、機嫌が悪いと一般生徒にもちょっかいだして。自分が気に食わないことあるとわめいて暴れる、ガキでクズで最低のゲスカス野郎だ!!」
……バイアスがかかっていることを踏まえた上で。
好戦的であること、キレやすいことは間違いないだろう。先ほどのグラウンドにおける遠城さんとのやり取りからしても明らかだ。
それならば、感情を逆なですることで一対一の状況へ持っていくのは可能だろう。鳥羽を遠城さんが上手く足止めしてくれれば、という前提だが。
「ごめん、脱線しちゃったね。……リンケージのことでハッキリと言えるのは、テレパスとヒーリングは生徒の七割近くが持ってるってことくらいかな。あと、大路と鳥羽は互いの能力を共有してる可能性が高いってこと」
「遠城さんもテレパスとヒーリングは持ってるの?」
「うん。だって持ってると便利だしね。陽菜ちゃんみたいに断る理由もないし」
意外な流れで小隈さんの名前が挙がる。
思い返してみれば、敦賀さんは両方を持っていた。それなのに小隈さんが持っていないから、肥後先生に教えられるまで、テレパスとヒーリングは自由主義派のサイキックなのかと考えていたのだが。
「小隈さんはなんで断ったんだろう」
「さあ? 今度本人に聞いてみれば。だからこそ、君とリンケージしたってことがすっごい驚きだったんだけどね」
そのあたりのことは機会があったら尋ねてみよう。今はそれより、戦闘に集中しなければ。
「じゃあ、あとは自由主義派の他のサイキックの能力を――」
さらに掘り下げようとした矢先。
「おらぁーッ!! かくれんぼより楽しいことしようぜぇッ!!」
嘲るような声が静かな校舎を反響した。大路が追いついたのだ。
声の位置や大きさから考えると、まだ遠いようである。
恐らくは一階……ここまで来るのは時間の問題だ。
「来たね。あのゲロ野郎、今日こそ火だるまにして地獄を味わわせてやろうか……!!」
「ほら、落ち着いて。遠城さんの受け持ちは鳥羽でしょう。俺が煽って大路を引き付けて上の階へ行く、遠城さんは鳥羽を別の階で釘付けにする。それでいい?」
「ごめんごめん。それでいいよ。あ、そうだ。懐中電灯だったよね」
「どこか心当たりはある?」
「心当たりも何も、そこに一本」
彼女は入口のすぐ横の壁を指差す。備え付けの器具に収まった懐中電灯があった。
「あら、あっさり」
「どこの教室にも設置されてると思うから、とりあえずあいつらが来る前にこのあたりのは回収しておこう」
二人が居ないか警戒しつつ、教室を出る。幸いまだ三階までは上がって来ていないようだ。威嚇するような叫びと乱暴にドアを開け閉めする音が、遠くから聞こえてくる。
俺と遠城さんは手分けして懐中電灯を集めると、あっという間に、五本手に入った。
確認のため電源を入れる。五本ともちゃんと強い光を発し、教室の闇を白く円形に切り取った。
「僕はいざとなったら炎もあるし、一本あれば十分だよ。残りは箱崎くん持って行って」
「でも火災探知機に引っ掛かるとヤバいから、せめて二本は持ってた方が安心じゃない?」
「んー……それもそうだね。じゃあ、そうするよ。ありがとう」
俺は一本を手に持ち、残り二本を無理矢理ベルトに差し込む。
遠城さんはどこに持つべきか悩んでいるようであったが、迷った挙句、カーテンのタッセルを持ってくると、縛って二の腕に固定したようだ。それにしても邪魔くさくて動きづらい。
「それじゃ、最終確認。大路と鳥羽を分断する。俺が大路を、遠城さんが鳥羽を引き受ける」
「うん。理想としては君が大路を倒すことで、鳥羽が引く展開に持ち込みたい……だよね?」
「あくまで、理想としてはね。……もし、俺が先にやられたとしたら、君はどうする?」
片方がやられた場合、二対一に追い込まれる可能性も大いにあるのだ。考えておいて損はない。
「僕は戦うよ。いざとなったら、スプリンクラーもお叱りも覚悟で、あいつらを焼き尽くしてやる」
一瞬、彼女の手の中で炎が輝いた。なんとまあ勇ましい。俺とは大違いだ。
この戦いに無理をして命をかけるほどの重要性を感じない。もっとも、俺は彼女と違って自由主義派との因縁や確執もないのだから当然だ。
ここは彼女に合わせるべきだろうか? 俺も我が身がどうなろうと、身命を賭して戦うと宣言するべきだろうか?
少しだけ考えてから、しかし、なんと言われようと正直な気持ちを告白することにした。
「俺は……俺は、遠城さんが倒されたら逃げるよ。その際、できれば君を助けてから逃げようと思う。でも、それが無理そうなら……君を見捨てて逃げる。それで、学内自治派の助けを呼ぶことにする」
「……うん。君はそれでいいよ。僕よりも君の方が戦略的には正しい……んだと思うし。まあ? 男らしくはないけどね」
遠城さんは、ちょっと小馬鹿にしたような笑顔をこちらに向けた。俺は反応に困って苦笑を返すしかできなかった。
だが、なんと思われようと、言われようと。俺は俺のベストを尽くすしかない。
自分一人ならばどれだけ自由に楽しもうと関係ないが、遠城さんを巻き込んだ以上、自らに課せられた責任を果たさねばならないのだ。
「こんなこと言うのは俺らしくないし、勝てる根拠もないけどさ。このデビュー戦、白星で飾ってみせるつもりだよ」
「あ、男らしくないって言われて傷ついた?」
「そりゃあね。これでも日本男児の端くれですから」
どちらともなく笑う。ほんの一瞬だけ、今から危険な戦いに赴くということを忘れてしまいそうになっていた。
「だったらちゃんと迎えに来てよね。僕が君を迎えに行くよりも早くね」
「なるだけ遅刻しないようにするよ。……さて、行きますか!」
わざとガラガラと音を立てて扉を開く。いざという時に逃げ込めるよう、扉は開けたままにしておく。
廊下には二人の影はない。まだ下の階に居るようだ。
「どうする? ここで待つか、それとも二階に下りるか」
「先手必勝。向こうが罠を仕掛けてる可能性もあるから、それも見ておかなくちゃ」
遠城さんが駆けだすのに合わせて、俺も廊下を走る。
いまさらになって土足で校内に立ち入るという校則違反をしていることに気が付いた。泥の付いた足跡もしっかり残しているはずだが、恐らくは本校舎から特別棟へ至る廊下のどこかで途切れていることだろう。どうせ戦うハメになるのだし、気にしても仕方ない。
「うおっと!」
階段を下り二階に到着したところで、遠城さんが急に立ち止まった。ぶつかりそうになりながら、俺は辛うじて避けて、隣に付いた。
「どうしたの、遠城さん……って、なんじゃこりゃあ」
一階へと通じる階段に向かう彼女の視線を追った。
そこには、踊り場を埋め尽くし、天井にまで伸びる無数の結晶が、暗黒の輝きを発しながら群生していたのだ。
「大路の奴……絶対に逃がさないつもりだな」
「バリケード代わりにも出来るってことか。全く、便利な能力だね。嫌になるくらい」
この特別棟が本校舎と同じ構造であれば、中央に一か所、校舎の左右にそれぞれ一か所の、合計三か所ある階段は全て使用不可になっていると考えるべきだろう。とはいえ、いざとなれば"ウィンダム"で窓から校舎を下ることも可能だ。それでも咄嗟の逃走経路が塞がれているのは、厄介なことには変わりない。
そして、この状況から考えると……、
「階段を塞いでるとなると、あいつらは中央か、ここと逆に居て三階を目指してるってところか」
「この調子で塞がれると分断が出来なくなるな……。急いで上に戻ろう!」
翻って走り出そうとする遠城さんに、
「ちょっと待って」
「? 何、急ぎの用事?」
「懐中電灯の有用性だけ確かめさせて」
引き留められて苛立っているようだったが、俺の言葉を聞いて得心したようだ。彼女は「ああ」と頷くと立ち止まってくれた。
「それじゃ、スイッチオン」
林立するクリスタルに懐中電灯を向け、スイッチをスライドする。
パッと光が灯り、クリスタルを照らす――瞬間、クリスタルが消滅した!
光が触れたところは刹那に消え失せ、その周囲もあっという間に霧散するように風化し、消えて行く。
光が弱くなるにつれて消滅の速度も遅くなっているようだが、懐中電灯を向けた途端、まるで何もなかったかのように平然とした階段の姿を取り戻した。
「……ちょっと楽しいな、これ」
気温の強い日にアイスクリームがじわじわと融けるイメージをしていただけに、こうも劇的に消滅するというのは予想外だった。確かにこれじゃあ昼間に戦うのは無理だろう。
だからといって、油断していいわけではない。懐中電灯を破壊されれば、即座に大ピンチに陥るのだから。
「効果のほどはわかったかな? 急ごう!」
「ごめん、お待たせ」
下ってきた階段を駆け上がり三階へ戻ると、校舎の西側を目指して走り出す。
途中、中央階段の前を通過する際に階下を覗き込むと、やはり既にクリスタルで塞がれていた。こうなるとますます西側階段へ向かっている可能性が高い。
廊下を真っ直ぐと西へ向かう。
そして、曲がり角を左に折れる。
と、同時に。奥の方からタッ、タッ、という足音が聞こえる。
「間違いない、あの二人だ」
続いてパキパキという乾いた音。さらにその直後、硬いものが壁にぶつかるような音が続いた。
想像するに、クリスタルが形成され、天井や壁に届くほど伸びて行く音だろう。あのバリケードを作っているのだ。
「……よぉし。次だ、次」
階段を一段一段と叩く音。いよいよ感動の再会を果たす時が来た。
「手筈通りに、行くよ」
遠城さんが階段に視線を向けたまま、こちらに投げかけた。
「どうにか成功させてみせるさ」
精一杯の強がりに、なけなしの自信を詰め込んで笑い返した。不安や恐怖を口にすれば引っ張られるだけだ。
コツ、コツ。
二人分の微妙にずれた足音が一段、また一段と歩みを進める。
そしてついに、最上段。
まずは爪先が見え、続いて脚、そして全体が姿を現す。
仮にその姿が見えなかったとしても、ジャラジャラというチェーンのぶつかり合う音が正体を物語っていた。大路だ。
「いよぉ、遅かったじゃないか!!」
「――ッ!?」
機先を制するように、思い切り大きな声を投げかけてやった。
こちらの存在に気づいていなかった大路は面白いくらいにびくっと体全体を跳ねさせてよろめきながら後ずさり、驚愕の表情でこちらを注視した。
「……んだよッ、テメェら! てっきり逃げたんじゃないかと思ってたぜぇ」
動揺を隠したいのか、舌打ちをすると、すぐに余裕綽々といった表情を取り繕った。
「はっ! お前みたいなゴミカス野郎相手に、僕が逃げるわけないだろ?」
「あぁッ!?」
大路は廊下を踏み抜かんばかりの勢いで、思い切り足を叩きつけて威嚇した。さすがにここでいきなり飛びかかってくるほど短気ではないようだ。
「ほらぁ、あっきー。カリカリしちゃダメだよぉ」
憤る大路の後から、散歩の途中かのようにゆったりと鳥羽が姿を現した。あくまでもマイペースを保っているようで、場違い感が強い。それだけに、大路と違って感情を刺激して怒らせることが出来ず厄介だ。
「うるせぇ! あの舐め腐ったオカマ女、今日こそ腕の一本も切り取って命乞いさせてやるッ!!」
……作戦開始といこうまずは、大路の怒りを俺に向ける。
「あーあー、君、なんつったっけな……小路くんって言ったっけ?」
「あぁッ!? 俺は大路だ! 間違えてんじゃねぇぞ!」
「あれ、そうだけ。悪気はないんだ。そんなことよりさ、遠城さんを相手にする前に、まずは俺と戦ってよ。そのために来たんでしょ?」
「ンなことは、もうどうだっていいんだよ! 俺に舐めた口聞く奴は、一人だろうが二人だろうが現実教えてやるだけだからよぉッ!!」
随分と怒り心頭のご様子だ。このままだと、二対二のタッグマッチになってしまう。
軌道修正のために、大路を煽りつつ、プライドを刺激する方向に切り替える。
「……あー、遠城さん。上行って待っててよ。大路くんも快諾してくれたみたいだし」
「え?」
「あぁぁッ!? 聴覚麻痺してんのかテメェッ!?」
さすがに、突然話題を振られて遠城さんも戸惑っているようだ。打ち合わせにない展開だから仕方ない。
「ほら、行った行った」
俺は無理矢理遠城さんの背中を押し、走ってきた廊下を逆走させようとする。
(ちょっ……何考えてるの!?)
(いいから、とりあえず上に行っててよ。分断に失敗したら、俺もすぐそっち行くからさ)
「……んもう!」
不満はありそうだったが追及はせず、遠城さんは踵を返して駆けだしてくれた。ありがたい。
「あーあ、行っちゃった」
「テメェ……二対一とか、本格的に俺のこと見下してんだろ……ッ!?」
ビキビキと血管が浮かんでくる音が聞こえてきそうな形相で、大路は目を見開いて激怒した。
実際は舐めているどころか、油断するような余裕さえないのだが。
「じゃあお望み通りテメェをまず――」
大路が能力を行使すべく手を振りかぶる。マズい。
「――はぁ? 何言ってんのさ」
「あぁ?」
心底呆れた、というように両手を挙げる身振り付きで、溜息をつきながら二人に向き合った。
「俺が二対一で君たちと戦うわけないじゃん。だから、さっきも言ったでしょ? "大路くん、俺と戦ってよ"って」
「ん~? どういう意味なのかなぁ?」
大路が何か言うよりも前に、鳥羽が暢気にニコニコとしながら小首を傾げた。
「あ、鳥羽さんに用はないから、遠城さんの方行っててくれないかな」
「おいテメェ、どういうつもりだァッ!?」
食いついた。さらに煽る。
「ち、ちょっと待ってよ。ひょっとして大路くん、二対一じゃなきゃ俺と戦えないとか言わないよね? 散々強気なこと言ってるくせに……まさか、だよね?」
俺は敢えて、見え見えの舐めた態度を演じてみせた。
もちろん、相手も挑発だとわかっている可能性は高い。が、ここまで言われて冷静に対処できる性格ではないはずだ。
「…………あァ?」
大路の動きが止まる。
そして、限りなく無表情でこちらを見た。
「俺が、貧弱? 俺の能力が、貧弱? 誰かと協力しないと戦えない、腑抜け野郎?」
確認するかのように、俺の発言を自分自身の言葉に置き換えて唱えた。言い知れぬ迫力に気圧されそうになるが、ここでビビッては駄目だ。
パートナーの鳥羽はと言えば、特に露骨な挑発であることを指摘するでも、宥めるでもなく、相変わらずのんびりとした様子で薄笑いを浮かべ、ただ成り行きを見守っているようだった。彼女の思惑がわからない。だからこそ、どういう行動に出るかわからず厄介だ。
「鳥羽ぁ……手ぇ出したらぶっ殺すからな。テメェはあの女装女のところ行け」
「……はぁい」
破裂寸前の風船。
嵐の前の静けさ。
そんな様子で、黙々と内側に憤怒を溜め込んだ大路が、ゆらりと手を出して鳥羽を追い払った。
彼女は遠城さんが向かった階段を上がってゆく。
無理矢理ではあったが……何とか一対一の状況を作り出すことはできたようだ。
「……って」
……いよいよ、来る。
「このッ! 俺をッ! 舐めやがってよおぉぉぉぉッ!!」
絶叫と共に、大路が両手を振り上げ――打ち下ろす!
掌が触れたところから、無数の暗黒クリスタルが生み出される!
前に塩の結晶化を早送りした動画を見たが、その比ではないくらいに……早い!
暗黒クリスタルは鋭利な杭となって、俺を突き刺さんと迫る!
「あぶねっ!」
俺はジャンプし、さらに"ウィンダム"で体を天井まで持ち上げて回避。
「逃げるだけの糞みてぇな能力だな、おい! 俺は違うぞ! テメェを殺せる能力だッ!!」
大路は両手をついて暗黒クリスタルを次々と繰り出す! 第二波が来る!
だが第一波が足元に残ったままだ。このままでは廊下がクリスタルで埋め尽くされ、足場も逃げ場もなくなってしまう。
すかさず手に持った懐中電灯のスイッチを入れる。まるで悪を倒す聖剣のような頼もしさで、光の柱が力強く灯る。
そして、まずは足元の第一波を掃除して逃げ場を確保する!
「おりゃあっ!!」
クリスタルをなぞるようにして光を走らせる。
光が触れたところから、クリスタルは雲散霧消してゆき、ものの数秒ほどで第一波の全てを排除することができた。
そして、着地とほぼ同じタイミングで頭上を通り過ぎる、暗黒クリスタルの第二波!
硬さはわからないが、能力の持ち主たる大路があれだけ自信を持って使う以上、殺傷能力は高いと考えていいだろう。危ないところだった。
「テメェ、たったそのチンケな懐中電灯一本で俺に勝った気でいるんじゃねぇだろぉなぁオイッ!! どんだけおめでたい頭してるんだ!?」
「さすがにっ……そんなに浅はかじゃあ……ないっ!!」
懐中電灯を上、横、正面と次々に向けてクリスタルを破壊してゆく。
しかし、予想以上に大路の攻撃の手が激しく、攻めるタイミングが掴めない。クリスタルを避け、排除するだけで手いっぱいだ。
このまま千日手が続くとは思えない。普通に考えれば懐中電灯等で対策されることは予想済みだろうし、経験もあるはずだ。
となると――何か状況を打破する策や能力があると考えるのが妥当だ。それを警戒しなければならない。
膠着状態は続き、既に第何波かわからないクリスタルをジャンプで躱したその時、
「――こっちに来やがれッ!!」
右手を床に触れたまま、左手をこちらに翳すと――突然、俺の身体が見えない力で大路の方へ引き寄せられてゆく!
「なっ!?」
思わず懐中電灯を握っていた手を放してしまった。
床に落ちる、かと思いきや――俺が引き寄せられるよりも先に、大路の元へ飛んで行ってしまった!?
サイコキネシスかと思ったが……またこれは別種の力のようだ。一か所ではなく、全身がまんべんなく引っ張られる感覚。どちらかと言えばテケテケの力に近いものを感じる。
「行ってたまるか……よっ!!」
俺は急いで"ウィンダム"を延ばして柱に掴まる。
全力で自分の身体を引っ張り上げるべく力を込めると、思っていたよりあっさりと未知の能力に抗うことができた。
「チッ……だけど、これで切り札はなくなったってわけだ」
忌々しげに舌打ち。大路は手の中で懐中電灯を弄んでから、クリスタルで押し潰して破壊した。
三本の内の一本がお釈迦になった。手痛い損害だが、俺自身には傷一つない状態で相手の手の内を晒すことができたのだから、代償としては軽い方だ。
「これでッ! テメェを串刺し刑だッ!!」
大路はしゃがんだまま、再びこちらを掴みとるように左手を掲げ、右手を床に着けた。
黒い輝きと共に床からクリスタルが伸び――さらに、体もクリスタルの方へと引き寄せられていく! このままじゃあいつの言う通り串刺しだ!
「奥の手ってのは何本も用意しておくものだからね!」
身体を"ウィンダム"で固定したまま、すかさず二本目の懐中電灯を取り出し、スイッチを入れる。今度こそ落とすまいと、しっかりと力を込めて握りしめる。
「あぁ!?」
光が迫りくるクリスタルを完全に破壊! そのまま大路を白く照らし出す。
くっきりと照らされた大路は、苛立ちと憎しみが混ざったように眉間にしわを寄せ、眩しさに目を細めながらこちらを睨んだ。
「テメェまだ隠し持ってたのか!! チッ、ああ、糞がよぉッ!!」
「そりゃあ対策取らなきゃ馬鹿ってもんでしょ。君が日没後に襲ってきたのと一緒だっての。ねぇ、中路くん」
「――あ・あぁッ?」
ブチン、と血管の切れる音が幻聴で響いたのではないかと錯覚するほど。大路はひきつった笑顔を見せた。
再三にわたる挑発。これで怒りのボルテージは最高潮に達したはずだ。怒りに我を忘れてくれることで、多少は戦いやすくなる……と、いいのだが。
しかし、それ以上に。俺にはこの戦いで、相手の能力を可能な限り引き出しておきたいという思惑があった。
なんせ俺はこの学校に遅れて入ってきたのだ。他のみんなとは知識や経験の蓄積が遥かに劣る。
だからこそ、ここで大路の能力や、リンケージしている能力を解き明かすことで、この先の戦いにおける対策を立てるための足掛かりにしておきたいのだ。
怒れば敵は本気になる。本気になれば何としてもこちらを倒すべく、手持ちの能力を惜しみなく使う。直情径行の相手であれば、特に顕著に――という展開を期待している。
「おーし、わかった。わかった。殺すのはNGだ。だから、俺はお前を殺さない。オーケー、OKだ」
上を向いて深呼吸した後、大路は俯き気味にブツブツと呟いた。その言葉は俺へ向けたものでありながら、あくまでも自分に言い聞かせている風であった。
ひょっとすると煽り過ぎたかもしれない。そう思っても後の祭りだ。
「だったらよぉ――死ぬより悲惨なほどグチャグチャにしてやるっきゃねぇなぁーーーーッ!!」
両腕を広げて、大路はビリビリと空気を震わせて絶叫した。
ついに、完全に……ブチ切れた。
「なんか……ヤバいかも!」
自分で招いた展開に後悔しつつ、急いで次の行動に移る。
「手足の一本や二本ちょん切っても死にゃしねぇだろぉッ!?」
滅茶苦茶にクリスタルが急成長し、殺人的速度で迫る!
「ワンパターンだね!」
懐中電灯を構え、正面に向けて迎え撃つ。強がりなセリフを吐いてみたが、大路もただ自棄になって攻撃しているわけではないはずだ。
強い光によってクリスタルは次々消滅する。先ほどと何も変わらない。攻撃速度が多少速くなったくらいだ。
パキパキという生成音が輪唱するかのように響いている。続々と攻撃が来る、その予告だ。
「くくくくくッ。テメェは、次でおしまいだッ!」
自信満々な口ぶりに不安を覚える。あの様子だと、間違いなく何かを仕掛けてくる。
最大限に警戒を続けながら、懐中電灯の光でクリスタルを消し――いや、消し去れない!?
「喰らえやぁッ!! 串刺しミサイルだッ!!」
クリスタルは消滅したはずなのに……透明な輝きを放ちながら、鋭利な先端部分だけが猛スピードで飛んできた!
「うわぁっ!!」
咄嗟に身を翻して軌道から体を外そうとする。が、数が多すぎて避けきれない!!
「つぅっ!!」
クリスタルの先端が肩、腕、頬、太腿、腰を掠めた! 鋭い痛みが走る!
「くっそぉっ!!」
直撃こそ免れたものの、次、さらに次と攻撃の波は続く。この調子で喰らい続ければ集中力を欠き、いずれ致命傷を負うことになる。
数か所から血を流す俺を見て、大路は満足そうに肩を震わせて哄笑した。
「はっはっはっはぁーーーーッ!! どうだゲロ野郎! 全部避けれるもんなら避けてみろよぉッ!!」
「これでもドッヂボールは得意だったんだけどね……!」
負けじと笑顔を作りながら、クリスタルを破壊しつつ頭をフル回転させる。
なぜクリスタルを破壊できたのに、先端だけは破壊しきれずこちらへ飛んできた?
迫るクリスタルに光を向ける。確かに、一瞬にして消滅するのは変わりない。
だがやはり、その先端部分だけはキラキラと光を反射しながら、消えることなく勢いを維持し、殺意の牙となって飛んでくる!
光で破壊出来る以上、クリスタルの性質に変化はない。つまり、あの先端部分は何か別の能力によって作られているのだ。
光を反射する透明で硬質な物体。ガラスや氷のような……氷? 氷だ!
「そうだ……鳥羽の能力!」
物体を凍らせる能力! それによって先端をアイスコーティングしているのだ!
急成長するクリスタルの伸長を推進力に変換し、勢いよく先端をこちらへと飛ばす技なのだ!
原理はわかったが、しかし、それでは光じゃどうしようもない。氷を一瞬のうちに融かせるほど強力な光ではない。手持ちの能力で飛来する氷を融かす方法もない。
ならば、融かす方向で考えるのはやめだ。
俺の"ウィンダム"は小さなものとは相性が悪い。バリアーのように力場を作って面でガードすることは出来ない。
昔、蚊柱を一網打尽に出来ないか試したことがあるが、一斉に面で処理することはできなかった。ついでに言えば、液体や気体のような流動性のものを掴むこともできないことも実証済みだ。
氷である以上、氷柱は固形だ。しかしハイスピードで飛んでくる無数の氷柱を一つ一つ掴むことなどできない。そこに神経を使えば、今度は暗黒クリスタルを捌ききれなくなるだろう。
菜月ちゃんの"スティッフ・ブリーズ"による風で逸らす・吹き飛ばす方法もないではないが……出会って間もない俺と彼女の信頼関係で、それだけの力が出せるかが疑問だ。つまり軌道を逸らす方向も当てにならない。
であれば防御、回避のどちらかだ。防御は"プリズム"で瞬間的にはどうにかなる。が、その次はどうする? 防御に徹していても、いずれジリ貧になって削られて終わりだ。
防御と回避で手いっぱい。だが、攻撃をしなければ勝ち目はない。
この猛攻の中、大路のやつをどう倒せばいい?
「さっきまでの勢いはどうしたんですかねぇーーーッ!? と・お・る・クンよぉーーーッ!!」
更なるアイススピアーが……来る!
*
「――ふぅっ!!」
ボーイッシュな少女、遠城悠がスカートを翻しながら身を屈める。
野球ボールを投げるような素振りで、廊下スレスレで腕を振り抜く。
手中には小さな炎が握られていた。炎はなぜか、主の手を焼くことはない。牙をむくことなく、従順に廊下を舞う。
火災報知器に探知されないギリギリのサイズの炎が、這うようにして廊下を疾駆する。
軌道の先には――穏やかに微笑む少女、鳥羽理沙。
「危ないよぉ、悠ちゃん」
身に迫る危険を避ける素振りも見せず、理沙は直立したままその場を動かない。
しかし、足元ではパキパキと小気味よい音を立てながら、氷が花開いていた。
悠の炎が到達する。理沙の氷にぶつかり、じゅうっ、という音と共に消滅する。
それ以上、理沙は何もしない。悠に対して仕掛けてくる気配がないのだ。
悠は驚嘆も怒りも苛立ちも見せず、呆れたように片眉を上げて理沙を睨む。
「……ねぇ、鳥羽さぁ。やる気あるの?」
「んー。悠ちゃんには、ないように見える?」
「実際ないでしょ。やる気とか、殺気とか。あんたからは戦うって意識が欠片も感じらんない」
理沙はパン、パンと手を叩いた。
「すっごぉい。当たりだよぉ。さっすが悠ちゃん、よくわかるねぇ」
馬鹿にされたように褒められた悠は鼻で笑った。
「はっ。一度だって、あんたが本気になったり焦ったり……僕、そんなところ見たことないもん。変なやつ」
「えぇ~? 変なのはみんなの方だと思うよ?」
栗色の髪を弾ませながら、小首を傾げる。
理沙のそんな仕草が、悠の癇に障る。自分とは相性が悪い。相容れない。
「みんな積極的になって戦ってばっかり。別に私、悠ちゃんに変なことしたことないよねぇ? なのにどうして戦おうとするの?」
「はぁあ? 今回に関しちゃ、そっちのバカ大路が一方的にケンカ売ってきたんじゃん」
「うん。それはその通りだね。でも、それで私と悠ちゃんが戦うっていうのは、おかしくなぁい?」
それは、確かに――ほんの僅かではあるが、理沙の意見に同意できる部分はあった。
そも、悠が理沙と戦っているのは、大路と一緒になってやって来たからで。
理沙が一人きり、ただ透へ挨拶をしただけであれば、このような状況にはなっていなかっただろう。いくら嫌いな奴が相手であっても、「気に食わない」という理由だけで手を出すほど、悠は短気でも好戦的でもない。
しかしだ。大路と一緒に来た以上、理沙にも戦いに加担する意思はあるはずだ。そうでなければ戦うことを前提とした大路と一緒にやってくるはずがない。
いや、そんな細かい理由付けなど抜きにしたところで。自由主義派に属するサイキックが仕掛けてきたというだけで、十分に戦う理由として成り立つ程の因縁がある。
「私ねぇ、無駄なことでもその人にとって大切なことってあると思うんだぁ。スポーツ観戦だって、キャラクターもののキーホルダー集めだって、別になくても大丈夫でしょ? 誰かにとっては無駄なことでしょ? でもあったほうが、毎日が楽しくなるよねぇ」
「あんた、何言ってんの?」
「でもねぇ、"無駄"で"面倒"なことっていけないと思うんだぁ。この戦いってさぁ、"無駄"だし。疲れるし。攻撃されたら痛いし。校舎やものだって壊しちゃうし。そうするとぉ、後で怒られちゃうし。それってすっごく迷惑で"面倒"なことじゃない?」
「まどろっこしい物言いしないでさ……要点を言いなよ」
せっかちだなぁ、とでも言いたそうに、わざとらしく理沙は肩をすくめて見せた。悠は反応するのも癪だと思い、黙して待った。
「だからぁ。私は"この状況"で戦うつもりがないって言いたいのね」
「引っ掛かるな。この状況って言うけど、じゃあどの状況なら戦うつもり?」
「んー? それはぁ、あっきーが勝って降りてきたら。私ぃ、有利で苦労しないで勝てる状況以外で戦うつもりないもーん♪」
言いながら理沙は楽しそうに、逆なでするようにぴょんと跳ねた。
「だから、ね? この状況では戦わないの。透くんが勝てば私は降参するしぃ、あっきーが勝ったらサポートする感じかなぁ。ね、悠ちゃんと無理して戦う必要ないって、わかってくれたぁ?」
それは酷く利己的な理屈だった。
一方的で自分勝手な話を聞かされた悠は、顔を伏せる。既に夜の闇に満たされている廊下では、その表情は読み取ることができない。
顔を伏せたまま、彼女は大きく息を吐き出した。そして顔を上げた。
「……あんたってそういう奴だよね。いいよ、乗っかってあげる。僕も無駄に躍起になって戦いたいほど、鳥羽を恨んでるわけじゃないし。性格も雰囲気も嫌いだけど」
理沙を真っ直ぐに見据える悠は、先ほどまでの呆れやイラつきのない、至って平静な顔をしていた。
「えぇ~? 私は悠ちゃんのこと好きなのになぁ。そういうさっぱりと割り切っちゃうところとか、いいなぁって思うもん」
「止めてよ。あんたに好かれたって嬉しくない。あんたはさ、大路が勝たないことを祈ってなよ。二人相手だったら、校舎ごと焼き払ってでもやってやる覚悟はあるよ」
「校舎って多分高いと思うよぉ。何億円もしちゃうんじゃないのぉ?」
「じゃ、その時は僕にボロ負けするあんたたちに全部払ってもらうよ」
理沙はくすくすと小さく笑い、悠もふっと笑った。
「それでぇ、悠ちゃんはあっきーと透くんのどっちが勝つと思う?」
「…………」
悠は少しの間を置いてから、
「箱崎くんは大路と比べて経験値が少なすぎる。踏んだ場数は戦闘能力の差に反映される。加えて夜の闇の中だ。あいつの能力的に、この上ない最高の条件が揃ってる」
「意外と辛辣なんだぁ」
「いいこと並べて口にすれば勝てるっていうなら、いくらだって言ってあげるけど? 不利な条件、力量差。勝ち目はあると思うけど、負ける要因だって揃ってる」
一拍置いて悠は、「でも」と続ける。
「相手は大路だから、勝てるんじゃない? あいつ、感情的になりやすいし、有利な状況ってことと根拠不明の自信、箱崎くんの能力を知ってるって慢心に、相手がルーキーだって侮ってるだろうから、付け入る隙は大いにあるよ」
「ふふ、あっきーかわいそぉ~。知らないところでこんなに馬鹿にされちゃってるぅ」
理沙は彰を庇う様子など微塵も見せず、ただ素直におかしそうに口元を手で押さえていた。
いくらいけ好かない大路のことであっても、仲間を小馬鹿にするような真似をする彼女への不快感が、悠の中で膨らんでゆく。
「……あんたはどう思ってるの」
笑い声に耐えかねて、遮るように悠は質問を返した。
「んん? 私ぃ? 私はねぇ……ふふ、悠ちゃんと同じぃ」
「どこまでも腹立つことしか言わないね、あんた」
一時の沈黙が二人の間を過る。
沈黙を埋めるように廊下を反響するのは、激しい戦いの音。彰の罵声。透の叫び。何を言っているかまでは聞き取ることができないまでも、彰が優勢であることは感じ取れる。
(自分の力で勝たなくちゃ意味がないんだ。君が迎えに来てくれるの……待ってるよ)
胸の中で悠は呟いた。
答えの変わりに、ただ遠くで透が何事かを叫ぶのが、物音に紛れて聞こえてきた。
*
「俺は攻撃を続ける! お前は避け続ける! 体力測定みてぇなもんだぜ! もっとも体力が尽きたら、そこでめでたくジ・エンドだがなぁッ!!」
アイスコーティングされたクリスタルの格子の向こうで、大路は自慢げに、自らの勝利を確信しているかの如くわめいていた。
格子の隙間から腕を伸ばし、クリスタルを生成。先端を氷で覆い射出。
単調な攻撃の繰り返し。だがこちらには、その単調で単純な攻撃と防御を崩す決定的な手段がない。
いや、俺の"ウィンダム"を使えば、力づくであの格子くらい粉々にへし折ってやることは出来るはずだ。しかしそれには問題がある。
格子に力を込めたところで、一瞬でへし折れるわけではない。最大出力でやっても、超希望的観測で見積もったところで数秒は要するだろう。
当然ながら無音で破壊することは不可能である以上、気付かれる。警戒した大路はさらに後方へ下がって防御を固め、攻撃を行ってくることだろう。
そして距離が開けられてしまうと、一層攻撃のチャンスが遠のく。あいつが勝利を確信して、逃げないでいるこの距離でいるうちに倒す必要があるのだ。
格子ではなくあの隙間から覗く大路の腕をへし折ることも考えたが……それより早くクリスタルが生成されて障害となり、やはりこれも上手くいきそうにない。
(考えろ、考えろ俺……俺の手持ちの能力! "ウィンダム"、"プリズム"、"インドラ"、"スティッフ・ブリーズ"……持っているアイテム、懐中電灯……敵の能力、"暗黒クリスタル"、"氷結"、"引力"……!)
この場で使えるものは何でも使わねば勝てない。
教室に飛び込めば多少は武器や何かに利用できるものもあるかもしれないが、出口を塞がれたらアウトだ。第一、あの空き教室の何もなさを鑑みると、武器に使えそうなものを期待するだけ無駄だろう。
最悪、窓から逃げ出したフリをして追ってきたところを攻撃する手も考えたが……成功の可能性や、無視して遠城さんの方に向かう可能性を考えるに、実行するには尚早だ。
(何かないか! この場で、手持ちの駒や状況を活かし、不利を打破する方法は!)
"インドラ"は隠し玉だ。唯一光を発することが出来る能力……あのクリスタルを破壊する手段となるものである以上、逆においそれと使えば警戒されるだけだ。突破口が見えたタイミングでなければならない。それにこれだけでは氷の問題を解決することができない。
では"プリズム"は? 制服を瞬間的に金属化、敵の攻撃を防御する手段にはなり得る。相手に近づいた段階で、敦賀さんにしてみせたみたいに拘束具に変えるのにはいいが、これだけ離れていては不可能だ。攻撃の手段が見いだせない以上、抜本的な解決策にはならない。
となると、まだ使ったことのない"スティッフ・ブリーズ"。
風を起こすエアロキネシス。一体、どれほどの風が起こせるのか試していない以上、威力がわからない。致命的な一撃を与えてくれることを期待するには、少々荷が重すぎる……。
氷を纏った漆黒の悪意が来る。氷もクリスタルも、風でどうにかできるものではない……。
(……いや、いや。待てよ。風……風か! 氷もクリスタルも破壊は出来ない。だが……いけるかもしれない!)
どちらも破壊出来ずとも、現状は打破できるかもしれない! 一縷の勝機を掴むため、俺は自分を鼓舞するべく宣告を叫ぶ。
「予言だ! 今からお前は俺の行動によって震えあがり、自分から戦いの手を止めることになる!」
「あぁ? ハッタリでこの俺が怯むと思ってるなら、マジでめでたい野郎だなぁッ!」
菜月ちゃんに祈るように意識を集中する。
体内を巡る透明な回路が切り替わる。
最初から知っていたかのように。自分の手足を動かすが如く――周囲を停滞していた大気が、俺の意思に従って旋回を始める。
「ハッタリかもね! おらぁッ!」
攻撃を避けながら"ウィンダム"を水道に伸ばし、蛇口を回す。全開になった蛇口から水が勢いよく飛び出して、廊下を水浸しにしてゆく。
「あぁ……ッ?」
その光景を見て大路は、くつくつと笑い出した。
「ひょっとしてアレか? 遠城から俺の能力が濡れた場所では使えない、とでも聞いてんのか? それで苦し紛れにやってやろうってか! ははははははッ!!」
奴がわざとらしく腹を抱えて笑っている間も、俺は風の勢いを高めて行く。初めて使う他人の能力というのは、想像以上に扱いづらい。中々勢いが強まらない。
「教えてやるよ! その情報は当たりだ! 水と氷の上には生やすことができねぇ! でもなぁ……水を浴びてもクリスタルは消えねぇし、氷の能力がある以上、弱点にはならねぇんだよッ!!」
そう言うと大路はクリスタル攻撃の手を止めて、水貯まりの方へ手を翳す。
するとあっという間に水は凍りつき、水道まで達した。
「……で? さっきのハッタリは一体なんだったんですかねぇ? 俺が、どうしてお前にビビりあがるようなことになるって? ん?」
足元近くまで達した凍りついた水溜り。氷の所為で廊下の気温が少し下がっているようで、少しばかり肌寒い。
そして、凍らせてくれたおかげで……俺は自分の行動に確信が持てた。
風の回転数が高まり、いよいよ耳にヒュウヒュウという低い口笛のような音が聞こえだした。そろそろ頃合いだろう。
「予言ってのは、実際に起こるまで誰も信じてくれないもんだからね! 味わって手遅れになってから理解して、後悔すればいいさ! 行くぞっ!」
風向きを一気に直進コースへと切り替える。
狙うは当然、大路だ!
「ッ!?」
急に吹き付けた木枯らしのような突風に怯み、攻撃のために手を構えようとする。
が、すぐにそれが能力による風であることに気が付いたようだ。
「双子妹の能力かよ! 脅かしやがってよぉ……。まさかそれが切り札とか言うんじゃねェよなぁッ!? 付き合ってられねぇ! 馬鹿は死ねッ!!」
吹き付ける風を受けながら、大路はクリスタルによる攻撃を再開した。
慣れない"スティッフ・ブリーズ"を扱いながらの戦いは辛いが、手を休めずに避けるしかない。
「く……っ!!」
どうしても避けきれず、透明暗黒色の結晶の杭が体を掠めて行く。
ちょっとでも避けそこなえば、大路の言う通り串刺しだ。あっちの予言を叶えたくはない。
幸いこの風の影響は大路にも確実にあった。風圧の所為で目を細めざるをえないからだろう、先ほどよりも精度が落ちている。
何より、この風を"単なる悪あがき"と思ってくれていることがありがたい。
だが俺にとって辛いことが、ダメージ以外にもう一つ。
「……はぁっ……はぁっ……!!」
風が勢いを増すごとに――体力の消耗も極端に激しくなっているのだ。
回避動作なんてほんの少しの動きしかしていないにも関わらず、一〇〇メートルを全力で走っているかのようなしんどさが、ずっしりと圧し掛かってくる。
小隈さんの"プリズム"を小出しに使った時はこんなことなかったのに……連続放出はこうも違うのか。道理でテレポートやヒーリングを使った時、敦賀さんがあれだけ疲労困憊していたのだな、と身を持って痛感する。
図らずも大路の言っていた体力測定の様相を呈してきた。俺の作戦が決まるよりも大路の体力や根性が勝っていたら、即ち負けが確定する。
「あぁ……クソッ、うざってぇ風だ……ッ!!」
氷でコーティングされたクリスタルが迫る。
片手で持った懐中電灯で辛うじて破壊、飛来する鋭利な氷塊を避け続ける。
「はぁ……っ!! はぁ……っ!!」
……中々効果が現れない。
疲労と比例するように焦りが膨らんでゆく。
やはりぶっつけ本番でやるのは無理があったか……不安が募るが、それでも、ぐっと堪えて風を送る手を止めることはしない。
「その風を……止めやがれぇッ!!」
立て続けに数発、クリスタルが飛来! 懐中電灯で破壊する、が――、
「あっ!?」
氷が懐中電灯にクリティカルヒット! パリン、という音と共に光が消失した。
疲労の所為で集中力を欠いてしまった。貴重なストックを不注意により失ってしまい、思わず舌打ちする。これで残りは一本だ。
「はっはぁー! こ、これでッ、残機は一だッ!」
強気な言葉の中に微かな"震え"があることを、俺は見逃さなかった。
風の効果は出ている! そして向こうも、それにそろそろ気が付く頃だ。
「お、るぁッ!!」
クリスタルの攻撃は続く。だが先ほどまでよりも勢いが弱い。
しかし俺も消耗し動きが鈍くなっているため、状況が好転したとは言い難い。
「はぁぁっ!! はぁぁ……ぁっ!!」
俺はさらに力を込めて、風の勢いを強める。
びゅおう、という音を引き連れて、空気の奔流が大路を襲う。
「く……そ…………ッ!?」
大路の口数が減る。
……ようやく。ようやく俺がなぜ風を送り続けているのか、身を持って理解出来たようだ。
「て、て、てめぇ……これを、を、狙っって、や、がったのか……ッ!?」
歯の根が合わないようで、大路は喋り辛そうに言葉を漏らした。言葉にも視線にも、先ほどまでの迫力はない。
「予言通り……だろ? はぁっ……震えあがる……ことに、なるって……ね!!」
やせ我慢をしながら、無理やり口角を吊り上げて強がって見せた。
大路は既に攻撃の手を止めて、両腕をクロスさせて自分の身体を覆っていた。全身を小刻みに震えさせ、今にも膝から崩れ落ちそうだ。
原因は――低体温症だ。
自分の身を守るべくクリスタルの格子を作ったまではよかった。だがその防御をさらに確実なものにするため、厚い氷のコーティングをしたのが裏目に出たのだ。
氷である以上、冷気を発している。超能力で作られたものであるため、氷に似た別物ではないかと勘繰り、敢えて足元に水を撒いて冷気があることを確認せざるを得なかったが。
今の時期は湿気が多い。加えて戦いによる発汗、あの痩せ細った脂肪の少ない体格と、全身を冷やしてやるには良い条件が揃っていた。
特に大路のすぐ傍には巨大な氷柱が設置されているのだ。格子をすり抜ける激しい風によって、体の芯から冷え切っているはずだ。
「はぁーっ……。直接……その氷とクリスタルを……どうにかする手段は……はぁーっ……俺には、なかった。お前は、自分から……死地に足を、踏み入れてたんだ!」
「く、くぅ……そぉ……ッ! 糞ぉ……がぁ……ッ!!」
冷え切っている全身とは裏腹に、瞳は怒りの炎を爛々と灯し、俺を射抜くように睨み付けてきた。
「糞ぉッ!!」
大路が叫んだ瞬間、
「――何っ!?」
唐突に氷が全て融けてしまった。
いや、正確には、水溜りはそのまま水に戻り、クリスタルを覆っていた氷は水にはならず気化してしまったようだ。
これは元の状態に戻した、ということか?
「ゆ、許せねぇ……俺を、こ、コケにしやがって……ッ!!」
氷がなくなったからといって即座に低体温症が解消されるわけではない。震える体を気合で奮い立たせ、こっちに向かって来ようとしているのか。
「無理……するなよ。はぁ……もうそっちの敗北は……決まったんだ」
これはハッタリではない。
相手に何か隠し玉があれば話は別だが、そうでなければ、もう勝利は揺らがない。
が、口で言ってはみたものの。性格的に「はいそうですね」と引いてくれる相手ではないことは理解している。
「違ぇ……! 違ぇ……お、俺は、負けねぇんだッ!!」
大路は両手を無理矢理体から引きはがして、ぎこちない動きで左右に広げた。
悪あがきに付き合っていられるほどの体力は、もう俺にも残っていない。こっちはこっちで、早く決着をつけないと負けかねないのだ。
「だから!」
渾身の力を振り絞り、再び"スティッフ・ブリーズ"を発動。
狙うは元に戻り、ばしゃばしゃと吹き出す水道水!
「ぶぁっ! 糞ッ!!」
風は大路へと水を運び、追い打ちのように覆いかぶさる。
水に濡れた箇所からはクリスタルを生成できない。全身水浸しにしてやればクリスタル攻撃も、氷結攻撃も封印できる。
しかし、俺の主目的は別だ。いよいよ攻撃に転じるタイミング!
「もう一度だけ言うぞ! 負けを認めて……帰るんだ!」
「負けてねぇッ!! だから降参するわけがねぇんだッ!!」
「……そうかよ」
"スティッフ・ブリーズ"を解除する。もう十分だ。
自分の身体を"ウィンダム"で持ち上げて、床から離れた状態で別れを告げる。
「じゃあ……おしまいだ」
体内の回路を切り替えて、両手に力を集中する。
……温存していた"インドラ"が、死刑宣告のようにバチッと鳴いた。
「ッ!? それは……敦賀の――」
大路の言葉が終わるよりも早く、電撃を足元の水溜りに放つ!
導火線となった水溜りを一瞬で伝わり――、
「――ッぎゃああぁーーーーーーッ!!」
絶叫。
顔から倒れ込み――沈黙。
「…………やった」
起き上がる様子はない。
俺は……勝ったのだ。
「はあぁ~、終わったぁ……」
安堵の溜息を吐き出しながら"ウィンダム"を解除、そのまま廊下にへたりこみ、
「冷たっ!?」
……足元がびしょ濡れであることも忘れて座ってしまい、尻から伝わる水の冷たさに思わず立ち上がる。
それと同時に、安心している場合ではないことを思い出す。
「そうだ、遠城さん!!」
今すぐ布団に入って眠りたくなる疲労感が全身を包んでいる。だが遠城さんを見捨てて帰るような真似をすれば、夢見が悪くなってしまう。
足手まといになりかねないが、それでも行かねばならない。行くと約束したのだから。
靴に浸み込む水の気持ち悪い感触を味わいながら、倒れた大路に警戒しつつ距離を取って歩く。クリスタルが消えていない以上、倒れたフリをしている可能性もあるからだ。
念のため大路に近寄り、制服に触れる。急いでシャツとズボンを"プリズム"で金属化して、起き上がっても何もできないように保険をかけておいた。ついでに死なれても困るので、顔を水から放して体を仰向けにする。
最後の一本の懐中電灯を使ってクリスタルを排除しながら階段を目指す。
耳を澄ましてみるが……激突しているような音は聞こえない。声も聞こえない。
既に決着がついたのだろうか? それならなぜ、遠城さんか鳥羽のどちらかが加勢に来ないのだろう。
不信感を覚えながら意を決して上階に進み、そっと廊下を覗き込む。