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2-1 私立光明ヶ丘学園

 傘を打つ静かな雨音。

 アスファルトに広がる水溜りをはねる無数の足音。

 登校中の生徒たちの賑やかな話し声。

 雨が降っていて鬱陶しいという点を除けば、平穏無事な朝の一幕。もっとも、転校初日という状況からか、気持ちは浮足立っている。

 校門から真っ直ぐ正面には、なんら華美な装飾や目立つ特徴のないアイボリーの校舎が聳え立っている。このつまらない建物が、今日からは俺の学び舎となる。

 私立という冠や光明ヶ丘などという新興住宅地のような響きとは不釣り合いな素っ気なさ。せっかくならばもっときれいな、ベンチャー企業のオフィスのようにおしゃれな校舎だったらよかったのになぁ、と小さく溜息をこぼす。

 だがまあ仕方あるまい。あえて地味で質素なデザインを採用しているそうなのだから。「不必要なトラブルを招く材料にならないように配慮した結果」だ、とは事前に会った先生の弁である。

 何しろ、超能力者――"シェアード・サイキック"という存在を抱え込んでいる、という時点でトラブルは必須なのだ。俺だって自分の能力によって今まで散々トラブルを起こしてきたし、その結果として学園に捕捉され、転校する事態にまで至ったわけで。

「ぼーっとして、どうかした?」

 隣を歩いていた小隈さんが、小首を傾げて覗き込んできた。鮮やかな黄緑色の傘が落とす影の所為で、彼女の顔もぼんやりとグリーンに染まっている。

「ちょっと感慨にふけってた。今日からここが俺の学校なんだなーって」

「うん。そうだね」

 小隈さんの返事を聞きながら、周囲の生徒たちの顔を次々と見る。

 面長でぼんやりとした、髪がくしゃくしゃの男子。背の高いバレー部っぽい、女子からチョコを貰いそうなスレンダーな女子。不細工なキャラクターのキーホルダーを鞄から下げている以外は、これといった特徴のないおっとりとした女子。

 俺を追い越してゆく人々のどれだけが、同じサイキックなのだろう? 顔を見たところでわかりはしない。それでも気になって、すれ違う顔を横目で追わずにはいられない。

 男子、男子、女子……見送った生徒たち。そして次の女子に差し掛かろうとした時――不意に金髪が靡いた。

 鮮やかなオレンジ色の傘が、俺たちの少し先でピタリと立ち止まる。下から覗く白く艶めかしい脚から、女性だとわかる。そして、腰のあたりまで伸びたウェービーな金髪が、彼女の正体を物語っていた。

「敦賀さん」

「げっ」

 デフォルメされたカエル模様がプリントされた傘を持った小隈さんが、正にカエルが鳴くような声を漏らした。本気で不満であり、朝っぱらから最悪だと言いたげな気持ちが、たったその一言に全て凝縮されているようだった。

「……あんまりにも変な声がしたものだから何かと思えば、陽菜さんじゃないの。ごきげんよう。カエル柄の傘を持っているからって、カエルの真似までするほど愉快な方だったなんて、今朝に至るまで存じ上げませんでしたわ」

 振り向きざまに敦賀さんは言ってのけた。久しぶりの不敵な笑みに、ちょっと嬉しくなる。

 が、そんな俺とは正反対に。小隈さんは心中穏やかではない様子だ。

「か、カエルの真似じゃない! あんたを見かけて最悪な気分になっただけ!」

「ご挨拶ねぇ。陽菜さんのご実家の方だと、朝は他人に罵詈雑言を投げかける風習でもあるのかしら。私、礼節と常識の欠片もないあなたのことを思うと、不憫すぎて人目もはばからず泣きだしてしまいそうですわ。ふふっ」

「ち、違うし! ……箱崎くんも、こんなのに声かけないでよ!」

 敦賀さんはくすくすと笑うだけで、小隈さんのことを大して気にしていない様子だ。周囲の生徒も騒ぐ俺たちを大して気にもせず校舎へと歩いてゆく。

「あら、透さんも一緒だったのね。ごきげんよう。ようこそ……とでも言うべきかしらね」

「おはよう敦賀さん。俺の転校、歓迎してくれるのかな」

「さあ? それはあなたの身の振り方次第ですわ」

「じゃあ敦賀さんの機嫌はなるだけ損ねないように気を付けるよ」

「ふふふ、賢明ですわね」

「……無視するな!」

 自分のことをほっといて話しているのが気に食わないのか、小隈さんが割って入った。いつものことながら、リンゴのように顔を真っ赤にして敦賀さんを睨み付けている。

 同時に――俺と小隈さんを繋ぐ"リンケージ"が、じわりと弱まってゆくのを感じる。

 シェアード・サイキック同士を繋げ、互いの力を共有する不可視の絆、リンケージ。非常に便利なこの透明バイパスは、一方で互いの信頼関係によって強弱が変動するという不便極まりない性質を持つ。

 そしてその副次的な効果として、信頼された時の増大と失望された時の減少が、感覚として伝わってくる。つまり、リンケージした者同士は、言葉でいくら取り繕ったところで、信頼も不信も丸わかりなのだ。

「あらあなた、まだ居らしたんですの? 私のことが嫌いなのだったら、無理せず一人とぼとぼと教室へ行けばよろしいのに。ひょっとして普段の態度は好意の裏返しだったりするのかしら? いやーん♪」

「ぐぅ……む、むかつくぅ……っ!! ……箱崎くん、早く行くよ!!」

「あなたおひとりで行けばいいのではなくて? せっかく楽しく談笑しているのだから邪魔しないでほしいですわ。ねぇー、透さん?」

 口元をにやけさせ、得意げな眼差しで小隈さんに視線をぶつけた。駄目だ。これ以上敦賀さんに付き合っていたら、小隈さんが怒りに怒って、一日手の付けようがなくなってしまう。学校の案内なんかをしてもらう約束なのに、それでは困る。

「知らない!」

 泥が撥ねるのも無視して、白い靴下に茶色い染みを作りながら、小隈さんは早足で駆けて行った。

「あー、ごめんごめん。行くってば。……それじゃね、敦賀さん。あんまり小隈さんのこといじめちゃ駄目だよ」

 俺もまた小隈さんを追ってさっさと歩きだす。彼女は去り際に舌をべぇっと出して、敦賀さんに小さな反撃をしているようだったが、まるで子供のやっかみにしか見えない。

「ふふ、それではまたね、お二人とも」

 対する敦賀さんは余裕綽々。大人の態度でにっこりとほほ笑みながら、手を振って俺たちを見送った。


「……あー、もう、むかつく!」

 下駄箱に辿り着くなり、不満げに感情を吐き出した。

 脱いだ靴を乱暴に投げ入れるが、片方だけ勢い余って落下してしまう。イライラとした様子で拾い上げ、今度は八つ当たりはせず普通に仕舞い込む。

「いつものことなんでしょ?」

 俺も自分に割り当てられた場所を探す。一番下の段に「箱崎」の名札を見つけたので、そこに靴を突っ込むと、持参した上履きに履き替える。

「だからあいつと顔合わせたくないの!」

 そりゃあ向こうの思うがままにいじられて、自分はろくに反論できないんじゃそうだろうなぁ。二人の口論における実力差は、戦いのそれ以上に大きいことを知っている。

「箱崎くんも、あんな奴と関わってもいいことないよ」

 彼女は爪先をトントンと床に打ち付けながら、俺を横目で見た。

 確かに小隈さんにとっては天敵だが。俺は敦賀さんが悪人だとは思わない。

 滅茶苦茶なところはあるし、特に小隈さんをいじり倒すところは、まあ、厄介なことするなぁと思うが……。本当に私利私欲が全てでモラルなどない人物だったならば、きっとテケテケと戦った時に、あれほど献身的な協力などしてくれなかっただろう。

 だが、それを小隈さんに伝えたところで、それが彼女の望む答えではないことはわかっている。こういう時は、適当にはぐらかして話題を変えるに限る。

「あはは……あ、そーだ。職員室の場所ってわかる? 今日は先にそっち行かなくちゃいけないって言われてるんだよね」

「職員室? ああ、そっか。初日だもんね。いいよ。案内する」

 あっさりと話題に乗っかってくれて安心する。小隈さんは良くも悪くも単純……いや、切り替えが早いので、こういう時は助かる。

 俺が急いで上履きに履き替えたのを見届けてから、彼女は真っ直ぐ正面の階段へ向かった。

 校内は外観同様に、特筆すべき点の一切ない、それはもうフツーな内装をしている。スタイリッシュのスの字もない平々凡々な、白に近いクリーム色の塗装が施された壁と柱と、ワックスで磨かれたモスグリーンの床で構成されている。以上だ。他に挙げるべきところが見当たらない。

「職員室は二階に上がってすぐのところ。たまに呼び出されたりするから、この先結構行く機会はあると思うよ。だからちゃんと覚えておいてね」

「そっか。どこかに派遣されるにしても、先生のお達しを受けてから、だもんね」

 これは入学前に聞いた話だ。

 学校は多数の一般生徒、少数のシェアード・サイキック、自治を託された選りすぐりのサイキック集団・生徒会によって構成されている。

 さらにその上に立つ存在、生徒であるサイキックの管理・指導を行うのが、サイキックの教師たちである。

 さらにさらにその上……のことは聞いていない。きっと知ったところで直接会う機会もないだろうし、別に急いで知る必要もないと思っている。

 つまりそのサイキック教師が俺たちの直属の上司になるという話だ。生徒会の役割はあくまでも規律の維持管理であり、命令権のようなものはないらしい。クラック対処や勧誘の指示を出すのは、全て教師たちだという。だからまずは、上司へのご挨拶というわけである。

「着いたよ。ここが職員室」

「ん。ありがとう」

 小隈さんが言う通り、扉の上には「職員室」というプレートが掲げられている。

「私、待ってた方がいい?」

「うーん……多分だけど、先生と教室に行ってホームルームで紹介って形だと思うから、先に行ってもらった方がいいかな」

「わかった。それじゃ、また後でね」

 小隈さんは踵を返し、階段の方へと戻って行く。教室は四階だったはずだが、どうか途中で敦賀さんと鉢合わせないように、と小さく祈った。

「失礼します」

 気を取り直して、二度扉をノックする。するとすぐに「どうぞ」と女性の声が返ってきた。

 扉をスライドさせて中へと入る。うっすらとコーヒーの香ばしい匂いが漂っている。前の学校の職員室と同じだ。

「君、何年何組で、名前は?」

 入ってすぐの席に座っていた中年の女教師が、椅子を回転させて俺の方へ振り向いた。なんとなく、昔は結構モテたんじゃないかな、という雰囲気を漂わせる品の良いおばさま先生だった。

「二年三組の箱崎です。今日からこちらの学校に通うことになった、俗に言う転校生です」

 おばさま先生は口を開けたまま「あー、はいはい」と言うと、手をパンと合せてコクコクと頷いた。

 おもむろに立ち上がり、

「肥後せんせぇ、転校生君が来ましたよぉ!」

 と、職員室全体に響き渡る、良く通る大声を上げた。

 一斉に職員室中の教師たちがこっちを注目する。この人、落ち着きのありそうな見た目に反してやることが豪快だ。

「ちょっと待っててね。すぐ来ると思うから」

 優しく微笑むとおばさま先生は椅子に腰を下ろした。目を輝かせて俺のことを楽しげにじっと眺めている。

指田夕子さしだゆうこ。私、音楽の授業を担当してます」

「よろしくお願いします。音楽は指田先生一人で受け持ってるんですか?」

「うん、そうなのよ。と、いうわけで、君とは授業でお会いすることになるから、よろしくね」

 前の学校だと音楽の成績は、可もなく不可もなく平均点のあたりをうろうろしていた。指田先生とは仲良くしておいた方が何かとよさそうだ。

「箱崎君は音楽はお好き?」

「専ら聞く専ですね。カラオケで好き放題歌うのは好きですけど、授業なんかで採点されちゃうのは、ちょっと苦手かな」

「仕方ないわよねぇ。優劣つけないと成績の出しようもないから。堪忍してね。ま! 学生の歌なんてものは、元気に大きく口開いて歌ってればいーのよ。逆に、変に技術使って上手くやろうって子見てると「あら、生意気」なんて思っちゃう。おっほっほ」

「あはははっ。明け透けなこと言いますね」

 俺はなんだか、あっという間にこの先生のことが好きになりそうだ。

「お待たせしました」

 指田先生の笑い声に、男の人の声が挿し込まれた。俺と指田先生は同時に声の方へと顔を向けた。

「あら、肥後先生いらしたわね。ほら箱崎君、彼があなたの担任の肥後先生よ」

「やあどうも。二年三組の担任を務める肥後栞里ひごしおりです。担当は現国です」

 背が高く細っこい人だ。頬も若干こけている。目は細く、顔つきはおとなしそうというか、幸の薄い感じがする。

「肥後先生って肥えるって字が入ってるクセして全然太ってないんだから、嫌になっちゃうわよね」

 指田先生は言いながら、段になった腹をさすった。

「節制してますから」

 対する肥後先生は腹を上から下に撫で下ろした。なんだかおかしなやりとりだ。

「これからよろしくおねがいします。箱崎です」

「それじゃあ、いくらか説明することもあるから、奥の会議室に行こうか。ここだと賑やかすぎますからね」

「はい。指田先生、お話楽しかったです。ありがとうございました」

「はいはい。礼儀正しくてよろしい。その調子なら赤点付けなくて済みそうね」

「なるだけ真面目に頑張りますので、何卒! よろしくお願いします」

 最後になるだけ大仰に深々とお辞儀。それから肥後先生の後を追って会議室へと向かった。


 件の会議室は職員室と直結していた。

「こちらですよ」

 肥後先生が扉を抑えていてくれたので、俺はそそくさと中に入る。

「失礼しまーっす……」

 会議室には長机が横たわり、いくつもの椅子が並んでいる。恐らくは先生全員が中に入れるだけの数が揃っているのだろう、結構な数がある。

 先生が扉を締めると同時に、外の会話や雑音がまるで聞こえなくなる。廊下からの音も聞こえてこない。防音仕様のようだ。

「さて……説明するから、適当に近くの席に座れ」

 ……突然、肥後先生の口調が変わった?

 驚いた俺は、彼の方を振り向く。

「なんだ? さっさとしろ。ホームルームがあるんだ」

「は、はい」

 温和そうだと思った眼鏡の下の細めた目は、いつの間にか鋭く俺を睨みつけるものへと変わっていた。優しそうな雰囲気は微塵も感じられない。

 さっきまでのあれは演技だったのだろうか。あまりの変貌っぷりに、どうしていいものか反応に困ってしまう。

 ひとまず言われたとおり座って、向こうの出方を待つことにした。余計なこと言うと怒られそうだし。

「おおよそのことは入学前に説明を受けているな。ここでいう"おおよそのこと"とは、学校に関する諸情報だ。お前がやるべきこと、一般生徒とサイキックの比率、組織構成、内部の派閥に関する問題等々」

 先生は椅子に付いた俺の前で直立し、捲し立てるようにすらすらと言葉を紡ぐ。

「これからクラスに所属する前に、必要なことを言っておく。超能力の使用如何に限らずトラブルを起こすな。特に、一般生徒を巻き込むことは禁ずる。超能力及びサイキックに関する情報をみだりに口にするな。超能力や任務等への疑問・質問は一般生徒が居ない場所で行え。お前の会話や行動は常にこちらに監視・把握されているものだと考えろ。それ故に、不穏な行動を起こそうなどとは思わないことだ。ここまではいいな」

「……はい」

 不満があろうとなかろうと、頷くしかない空気だ。異論を認めてくれそうな気配はない。時計の音だけがやたらとハッキリ聞こえてくる。

「次だ。何か問題が生じた際は、まず教師に連絡を取り判断を仰ぐこと。俺か、養護教諭の辻井、生物の鈴村。その三人の誰かに連絡をしろ。不通の場合に限って研究所への連絡は許可するが、原則的にお前から研究所への接触は認められていないことを留意しておけ」

「はい」

 事前にも説明を受けたのだが、研究所と呼ばれる施設が学園の地下にあるらしい。

 研究所、という名前の通り、そこでは日夜シェアード・サイキックに関係する研究が行われているそうだが、詳しいことは一切教えてもらっていない。

 俺が伝えられたことは「いずれ研究に協力してもらうことがあるだろうが、平時においては全く気にする必要はない」ということだけだ。きな臭いことこの上ないのだが、情報収集を行うにしても、ある程度学園に馴染んでからではないとどうにもならないだろう。

「問題が生じた際とは言ったが、基本的には自治については生徒に任せている。お前が派閥に所属するなら、その派閥の連中に。あるいは生徒会の連中が問題解決にあたることになるだろう」

「じゃあ、どういう問題が起こった時に相談すればいいんですか?」

「任務、クラック関連、学園外の問題。概ねその三つだ。例として、学内でサイキックに絡まれた程度の問題に、いちいち教師が介入することはない。俺たちも忙しいんだ。もっとも、直接的に問題に介入することはないが、目に余る問題児についてはこちらが粛清や対処を行うこともあり得る。……くれぐれも、問題は起こすなよ」

 刀のような眼光が、より一層鋭くなり突きつけられる。気圧された俺はごくりと唾を飲み込む。

「ど、努力します」

「…………」

 一瞬の気まずい沈黙。

「まあいい。最後に何か質問はあるか? あるなら手短に済ませろ。返答に時間を要する質問の場合、回答は後日とする」

 先生が目を瞑る。ホッとして息を吐き出す。

 何か聞くべきことはあるだろうか。急いで情報を整理する。聞くべきことがありすぎて、逆に何を聞いていいものか悩む。

「能力を持った教師って、まさかさっき挙げた三人だけってことはないですよね。他には誰か覚えておいた方がいい人って居ますか」

「必要があればこちらから情報を提示する。提示されていないということは現状で不要だということだ。以上だ」

 ……なんとも取りつく島のないお人のようだ。諸々の疑問は肥後先生には聞かないで、別の先生や小隈さんたちに話を聞いた方がよさそうである。

「ああそうだ。先ほど挙げた養護教諭の辻井と生物の鈴村の二人だがな。希望者にはリンケージを行っている。それぞれヒーリングとテレパスだ。応急処置と緊急連絡に使えるものだから、特に断る理由がなければリンケージしておけ」

「はい、わかりましたー」

 従順そうな返事をする。余計なことは言わない。

 そして、敦賀さんがその両方を使うことができたことに納得する。

 が……一方で、誰でもリンケージできるものなのに、どうして小隈さんは持っていなかっただろうという疑問が新たに湧きあがる。このあたり、後で聞いてみようかな。

「既に小隈とは顔見知りだったな。困ったことがあったら、ひとまずあいつを頼るといい。……役に立つという保証はできないがな」

 先生が何を言わんとしているか理解できたが、小隈さんの名誉のためにも聞かないでおくことにした。



「はい、それじゃあ自己紹介をお願いします」

 会議室を一歩出た途端、再び温和な教師の仮面を着けた肥後先生にバレないよう苦笑してるうちに、あっという間にホームルームの時間になってしまった。

 黒板に名前を書きながら、ふと、俺の学校に小隈さんが転校してきた一か月前を思い出す。

 あの時はまさかあんなとっつきにくそうな子と友達になれるだなんて、思いもよらなかった。さらに言えば、たった二人の転校生によって逆に自分が転校することになるなんて、あの時の俺に予想できるはずがない。

 さて、自己紹介はどうしようか。と、一瞬だけ悩んだが、結局はいつも通りのテンションで行くだけだ。

「どーもみなさん、箱崎透でーす。面白いこと楽しいことが大好きですので、遊びのお誘いいつでもお待ちしてまーす。雑談から人生相談まで二四時間受付中! みなさんこれからよろしくおねがいしまーす!」

 身振りを大きく、顔はニコニコスマイル。明るいお調子者であることを印象付ける工夫だ。

 クラスの面々を眺める。反応はどうか。

「よろしくねー」

 穏やかそうな女子生徒から雰囲気通りの優しい反応が。

「よろしくー」

 ほとんど同じタイミングで野球部っぽい坊主頭の男子から。

 それから次々と歓迎の言葉と拍手。どうやらみんな、受け入れてくれたようだ。しかし、なんだか全体的にみんなおっとりとしているような気がする。

 そんな中に後ろの方の席に座る小隈さんの姿を見つける。いつもの仏頂面で機械的に拍手をしてくれていた。もうちょっと歓迎ムードを出してくれてもいいのに。

「じゃあね、箱崎君はあっちの、三列目の一番後ろの席に座ってくれるかな」

 肥後先生が手で示した席は、狙ったかのように(実際わざとだろう)小隈さんの隣であった。粋な計らいだ。いざという時には隣同士の方が意思疎通もしやすいし、クラスにおける唯一の知り合いなのだから、やっぱり頼る相手が近くに居てくれるのはありがたい。

 机の間を歩きながら、左右の生徒ににこやかに手を振る。するとみんなも「よろしくね」と言いながら、手を振り返してくれる。なんだか今日日の高校生とはとても思えない、微笑ましい反応だ。

 今日から自分の席となる机に座る前に、お隣の小隈さんを見る。彼女はこっちを半ば呆れたように横目で見ていた。

「お隣に引っ越してきた箱崎です。よろしくどーも、お願いします」

「……よろしく」

 淡々と返事をした後、小声で「馬鹿」と言われてしまった。

 あんまりふざけていると、後で肥後先生が仮面を外した時に何を言われるかわかったもんじゃない。

 小隈さんへのからかい半分の挨拶だけ済ませると、俺は鞄を机の横にかけ、中から筆記用具やノート、教科書を取り出して、授業を受ける準備をした。今まで使っていたものとは違う教科書だ。それに合わせてノートも新しくした。ただし筆記用具だけは使い慣れたものをそのまま持ってきている。

「今日からよろしくね、箱崎くん」

 不意に前の席の女子がくるりと振り向いた。

 小柄で可愛らしい、のんびりした印象の子だ。垂れ気味の目が特徴的で、少し茶色がかったボブカットが彼女の雰囲気によく似合っている。

「うん、よろしくね。わからないこととかあったらガンガン聞くかもしれないから、その時は嫌な顔しないで教えてくれたら嬉しいなぁ」

「あははは、うんうん。ガンガン聞いていいよー。あ、私、島田愛奈しまだあいなっていうんだ」

「島田愛奈さん、ね。よし、バッチリ覚えた。もう絶対忘れない」

「あはははは。なんだか面白い人だねー、箱崎くんって」

 のほほんとした調子で笑う島田さんを見ていると、こっちまでのんきな気持ちになりそうだ。空間の流れをゆっくりにするオーラを出すサイキックか、とでも言いたくなる。

 その時だった。ほんの少しの違和感が体内を過る。

 一瞬、何が起こったのだろうかと考える。そして、小隈さんとのリンケージが弱まったのだ、ということに気が付いた。

「…………」

 急いで隣に視線を移す。だが彼女は窓の方へと顔を向けているために、こちらから表情はうかがえなかった。

「どうかしたの?」

「いや、物音がした気がして。気のせいだったみたい」

 真実を伝えるわけにはいかないので、適当にはぐらかす。

「そう? あ、そーだ。一限目は古典だけど」

「はい、島田さん。おしゃべりは休み時間までお待ちなさい。ホームルームあとちょっとで終わりますからね」

「あわわ、ごめんなさい」

 肥後先生に注意された島田さんは、慌てて前を向いて背筋を伸ばした。周囲のみんなは暢気に笑っている。

 先生の素顔を知ってしまった俺からすると、やんわりとした注意であっても恐ろしく思えてしまい、素直に笑うことができない。


「……連絡は以上になります。それではみなさん今日も一日、しっかり勉強に励んでください」

「きりーつ、礼」

 人と椅子がガタガタと動き出す音が、隣や上の教室からも聞こえてくる。丁度どこもホームルームが終わったのだろう。

 移動教室なのか、賑やかな足音も聞こえるが、一限はこのまま教室で授業だったはずだ。

「よーっす、転校生」

「こんちわっ」

 早速、新参者を探るべくだろう、クラスメートが俺の机へと集まってきた。

 十人前後。男子に女子に、半々くらいだ。島田さんも再び後ろ向きに椅子へ座り会話に加わる。

「へっへっへっ。それじゃ定番の質問攻めターイム。ご趣味はなんでしょ?」

 ムードメーカーらしい女子がいきなり質問を始める。ありがたいことだ。

「お茶とお琴を少々」

「って、早速ボケかますんかい!」

 ズビシぃっ、という効果音でも鳴り響きそうな綺麗なツッコミを入れるノリの良さ。なんだか付き合いやすそうなタイプだ。

「ごめんごめん。そうだなぁ、映画でも音楽でもスポーツでも漫画でも、結構広く浅く好きかな。根がミーハーだから」

「ほほーう。中々軽薄なタイプと見た!」

「そうだねー。ワールドカップがやればサッカーファンになるし、芸能人が居たら誰であれ握手とサインと写真は求めるタイプだね」

「典型的なにわかファンじゃん! なんかお調子者っぽいなぁ、お前」

「よく言われる」

 俺も含めたみんながどっと笑いだす。どうやらノリは前とさほど変わらないようで安心する。

 前と違うことと言えば――

「…………ふん」

 小隈さんという、拗ねやすいクラスメートが居るという点である。

 本日、これで既に三度目となるリンケージの弱まりは、教室に入ってきた先生の「授業始めるよー」の声に紛れてわからなくなった。

 ……俺の心に「後でちゃんとフォローしなくちゃなぁ」という火種を残して。



「さっきはゴメンってば」

「……別に怒ってないし。怒るような理由だってないんだし」

 と、言いながら。小隈さんはこっちを見ようともせず、不機嫌丸出しの態度でスタスタと歩いてゆく。わかりやすいことこの上ない。

「よかった。怒ってないんだ。それじゃ、ちゃんと止まって、こっち向いて話してくれるでしょ?」

 彼女の足がピタリと止まる。きっと内心では「墓穴掘った」とでも思っているんじゃないかなぁ、と予想してみる。

 まるで錆びた歯車のようなぎこちない動きでこっちを振り向いた。なんとも形容しがたい微妙な表情をしている。

「……はい。止まってそっち向いた。……で、何」

「ちょっとここではしづらい話」

「今じゃなきゃ駄目なこと?」

「そうじゃないけど……覚えてるうちに聞いておきたいなぁって」

 小隈さんは左手首の腕時計をチラリと確認してから、「うーん」と小さく唸りキョロキョロとあたりを見回した。

「じゃ、手短にね。次も授業あるんだから」

 すると彼女は手招きして、踵を返し歩き出す。

「どこ行くの?」

「そこの小会議室」

 指差す方を見ると、確かに「第五小会議室」と書かれた教室があった。スペースは普通の教室の半分ほどらしく、隣には「第六小会議室」という教室が並んで存在した。

 なんとも奇妙な教室だ。そんなにそこら中に会議室を作ってまで、話し合うようなことがあるんだろうか?

 小隈さんは扉の前に立つと、一度俯いて息を吐き出してから、顔を上げてノックを二回した。

 すると奥から足音が近づいて来て、すぐに「コン、コン」とノックが返ってきた。誰かいる。

「げっ。駄目だ、使用中」

 トイレじゃあるまいし……と思っている間に、すぐに小隈さんは隣の第六小会議室へ行き、またノックをした。

 今度はしいんとしたままレスポンスはない。

「大丈夫みたい。入って」

「う、うん」

 小隈さんが扉を開けて待ってくれたので、俺は急いで小会議室に入った。それからすぐに小隈さんも入り扉を閉めた。


 小会議室の中央には、職員室の会議室よろしく長机が鎮座していた。あとは隅にロッカーと畳まれたパイプ椅子があるくらいで、他に目を引くものはなかった。本当にちっちゃな会議室、という趣の質素な部屋であった。

「で、質問だっけ?」

「あー、うん。そうなんだけど……ごめん、まずはこの部屋のことを聞きたい」

「え? あ、そっか。教えてもらってないんだ」

 ということは、やはり特別な部屋のようだ。

「ここはセーフティーゾーン、って言えばわかるかな。一般の生徒は絶対に入ってこないから、サイキック同士で話をするために作られた部屋なんだ」

「絶対にって、何の根拠があって断言できるのさ」

「……えっと、それは……うん……」

 小隈さんは目を伏せて、言い淀んだ。

 恐らくそれは、俺がこれから質問しようと思っていることと関係がある……そんな気がした。

「じゃあ、先にしようと思ってた質問」

「……何?」

「クラスのみんなって、なんだか妙におっとりしてる、っていうかさ。やたらと感じがいいっていうのかな」

「…………」

「思い過ごしならいいんだけど。その、さっきの「絶対」って話も含めて……何かあるのかなって」

 クラスメイトと顔を合わせたときの、あの違和感。

 居心地がよく、みんなの人当たりがあまりにもよすぎることへの不安感。

 口では「思い過ごし」だなどと言ったが、頭では絶対に裏があることを理解していた。

「……今から言うことを聞いてどう思ってもいいけれど……私たちにはどうにもできないし、割り切るしかないってことは、わかってね」

 諦めを促す不穏な前置きが、嫌な事実の存在を雄弁に物語っていた。

「箱崎くんが不思議に思った通り、秘密があるの。多分、そのうち先生に聞くことになるとは思うけど……別に私たちサイキックはみんな知ってるし、教えても問題ないと思うから、教えるね」

「うん。お願い」

 ふう、と小さな溜息をついてから、小隈さんは真剣な表情でこちらを見つめた。

「この学校にはサイキックが何人も居るわけでしょ。で、大体が何らかの派閥やグループに属してる。だから対立してる派閥同士だと、こないだの私と敦賀の戦いみたいな小競り合いはしょっちゅうあるんだ」

 そういえば肥後先生もそんなようなことを言っていた。サイキックに絡まれたくらいで頼るな、と。

「もちろん禁止されてるから、本当はいけないんだけどね。けどみんながみんな、約束を律儀に守るわけじゃない。手を出されたらやり返すのが普通」

「まあ、そうだろうね」

 こんな力を持っていたら、それを誇示したがるのは当然だろう。能力の格付けなんかもあるんじゃないかと思う。

「うん。でも、さすがにおおっぴらに戦うわけにはいかない。だってサイキックの存在は、あくまでも秘密にされないといけないから」

「そりゃそうだ」

「だけど、やっぱり完全に秘密にするのは無理でしょ? 校内で戦えば痕跡は残るし、能力を使ってるところを見られることだってありえるわけだし」

 一拍置いて、続ける。

「だから。サイキックの方ではなくて、一般生徒の方をどうにかすることにしたんだって」

「……どうにかって?」

 小隈さんは視線を少しずらし、伏し目がちになる。

「一般生徒は事前調査で、感受性の高さや影響の受けやすさ、みたいな点を重視されるの。基準を満たしている生徒は入学後に催眠や薬物投与によって、特定の状況下――サイキックに関する会話や戦っているところ、破壊された校舎なんかに直面した際に、自動的にそれを"当たり前のこと"として受け入れたり、意識が途絶えたりするの。さらにトラブルを回避するために禁則事項を設定してあるし、嫌悪感や暴力性を持たないよう常にリラックス状態を維持するように操作されてるんだって」

 ……なんというか。

 予想はしていたものの、実際に聞くとキツイものがある。

 島田さんのおっとりとした笑顔を思い出す。これからあの顔を見る度に、胸が痛むことになるのだろうか?

 いや、きっと……すぐに慣れてしまうのだろう。そうでなければ、この学校ではやっていけないのだろうから。

「まるで悪の秘密結社みたいだ」

「……馬鹿。もういい? そろそろ教室戻らないと」

「うん。ありがとうね」

 小隈さんと一緒に小会議室を後にする。"絶対に"一般生徒が入ってこない部屋を。

 教室の前に行くと、丁度島田さんも教室に戻ってきたところだったようで、ばったり鉢合わせた。キャラクターものの黄色いタオルで手を拭いていたから、トイレにでも行ってたのだろう。

「あらー、箱崎くんと小隈さん。これは意外な取り合わせ」

 あの話を聞いた後だと、形容しがたい黒くもやもやとした嫌悪感のようなものが心の中に溢れているみたいに苦しくなる。

 彼女は本当に、こんなおっとりとした人だったのだろうか?

 実際にはもっと元気で、喜怒哀楽に満ちた人だったんじゃないか?

 そんなことを考えたところで、どうしようもない。小隈さんが前置きしていた通り「割り切るしかない」のだ。

「ひょっとして二人は、いつの間にやら仲良しさん?」

 へらへらと笑いながら首をかしげる島田さんに、小隈さんは顔を真っ赤にして、

「ち、違う!」

 と全力で否定した。

 なんだかこうも目の前で完全否定されると、さすがに悲しい気分になる。そのおかげでほんの少しの間でも嫌なことを考えずに済むのは、果たして幸いと言えるのだろうか。


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