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「あらぁ、あなたも残ってらしたのね。早く帰りなさいと言われたのに、悪い子ねぇ」
敦賀さんは小隈さんを見るなり、小さく手を振って迎えた。しかしそれは歓迎していると言うよりは、小馬鹿にしているような感じだった。
「……さっきから聞いてたけど、肝心なこと言ってないじゃない」
小隈さんの目つきは厳しく、敦賀さんを正面から非難した。だが敦賀さんは相変わらず気にする素振りも見せず、あくまで自分のペースを崩さない。
「ま! 盗み聞きなさってましたの! いやーん、意外とやらしい趣味をお持ちなのねぇ」
「……っ!」
あからさまな挑発だったが、小隈さんは律儀に怒ったようだった。
さらに、反論の隙を与えぬように彼女は続けた。
「まあ、それは別にいいのですけど。それより、あなた怖いの苦手でしょう? 怖さのあまり粗相をなさらないうちにお帰りになった方がよろしいんじゃなくて? 私、この年齢になって同級生の下の世話するなんて御免こうむりたいのですけれど」
慇懃無礼っていうのは、こういう子のことを言うんだろうなと思った。
丁寧な口ぶりには似合わないが、しかし敦賀さんのキツそうな見た目には、ある意味ぴったりの言動だった。
そして、ついに小隈さんの怒りが爆発する。
「う……うるさいっ!! そんなことない! ……とにかくっ! 派閥のことを隠して騙そうとしてる奴に、何も言われたくなんかない!!」
「派閥……って、どういうこと?」
俺は二人のどちらとはなく尋ねた。先に口を開いたのは敦賀さんだった。
「……私は自由主義派、陽菜さんは学内自治派。平たく言ってしまえば、私の方は「超能力自由に使ってもいいじゃん」派で、陽菜さんの方は「ガチガチのルールに沿ってお行儀よくしましょうね」派……ってところかしら」
「はぁっ!? そっちはただの自己中の集まりじゃない!」
「まぁ! 協調性も社会性もない人間孤島のあなたの口から"自己中"という言葉が聞けるなんて、私感動のあまり泣いてしまいそうですわ! あははっ!」
言葉とは裏腹に、もう笑いが堪えられないといった感じで、ついに敦賀さんは失笑してしまっていた。いい性格をしている。
この姿を見たらファンである男子の多くも、恐怖のあまり距離を置いてしまうことだろう。もっとも、今度はMっ気のある別のファンが出来そうだが。
「わっ……笑うな性悪!! とにかく私が言いたいのは、そんな嘘つきの性悪に騙されて着いて行ったら、危ないってこと!!」
小隈さんは薄暗い廊下でもわかるくらいに顔を真っ赤にしながら、つかつかと俺のところへと歩み寄ってきて、隣でぴたりと立ち止まる。
「ちょっとあなた、横取りする気?」
口元に薄い笑みを浮かべる敦賀さんの目元から、フッと笑いが消える。
今まで不良のケンカを見かける度に首を突っ込み、時にはかなりヤバい状況になることもあったが――そんなのとは桁が違う恐ろしさを感じた。
彼女の目は、本能的な恐怖を植え付けるような暗い光を放っていた。甘い囁きが背筋を撫でたのとは別のぞくりとする感覚が、背筋を遡る。額に汗が浮かび、頬を伝い落ちる。
「………………」
小隈さんの顔からも先ほどまでの怒りの色が吹き飛び、緊張した面持ちに変わっていた。
二人の剣呑な空気に挟まれた俺は……無言ながら決断を迫られているのを感じる。
だが、まだ決断をすべきではない、と思った。まだ情報が足りない。迂闊に即断するよりは、機会を作ってもう少し情報を引き出すべきだ。
幸か不幸か――この後、その機会を得ることになる。何よりもその展開は、どうすることもできない不可避のものだった。
「――譲る気は、ありませんのね?」
口火を切ったのは敦賀さんだった。
「……ない」
そして、火蓋を切って落としたのも敦賀さんだった。
――バチッ。
何かが弾けるような音が耳朶を打つ。
「っ!!」
強烈な閃光が頬をかすめ空気を引き裂くと同時に、小隈さんは跳んでいた。
「やる気なのね」
上半身を屈めながら小隈さんははっきりと一人ごちた。
それから彼女は鞄から折りたたまれた紙を取り出した。広げられたそれはポスターほどのサイズがある薄い紙だった。
「……やってやる」
呟きながら鞄を廊下に置き、紙を円筒状に丸める。
――瞬間、紙の筒は、金属光沢を放つ黒みがかった色へと変化し、固まってしまった。
「はぁっ!!」
小隈さんはその紙筒だったものを、勢いよく敦賀さん目掛けて横凪ぎに振り切った。
「ふん!」
敦賀さんは易々と跳躍して回避、紙筒は空を切り壁に打ち付けられる。
「――はぁっ!?」
俺は驚きのあまり思わず声を上げ、目を疑った。
……紛れもなく紙だったはずの筒は、ガィン! という鈍い音を立てて、硬い壁に容易く傷を付けたのだ。
つまり今、あの紙筒は――さながら鉄パイプや金属バットのように変質しているということか?
「はんっ、甘いですわよ!」
敦賀さんは小隈さんが体勢を立て直す前に、すかさず電撃を発射する。手を横に振ると、動きに合わせて電撃が一列になって迫った。しゃがむか跳ぶかしなければ、避けようがない。
しかし小隈さんも予想していたようで動じない。
「はっ!」
バットが再び変色して白い紙に戻ると、今度はそれを眼前に広げてから――また金属質に変化させた。
電撃は全てバチッという音を立てながら、その薄っぺらい盾に飲み込まれて消滅する。
そして、また紙を丸めてバットに戻すと、小隈さんは敦賀さんとの距離を詰めた。
(これが……超能力者同士の戦いかよ)
俺は――たまらなく興奮していた。
人を傷つける趣味はないし、別にしたいとも思わない。だがそうではなく、この非日常の空気に酔い痴れているのが自分でもわかった。自然と口角が吊り上るのを抑えられない。
(ああ、それじゃダメだ。考えろ。考えろ、俺)
ただ流されるのは性に合わない。俺が好きなのは、俺が介入することで、俺にとって理想の結果に持ってゆくことだ。いくらぶっ飛んだ状況だからって、何もしないのは論外だ。
俺は努めて冷静でいるよう心掛け、状況を観察する。
現状はこうだ。
見慣れた校舎の暗い廊下で、二人の転校生が超能力で戦っている。原因は派閥の違いだが、それ以上に個人間の不和が大きいようだ。
派閥はそれぞれ、敦賀さんは自由主義派、小隈さんは学内自治派、らしい。
問題は、それ以外の派閥の有無だが――わざわざこの二人が派遣されたことから考えると、存在してもそこまでの勢力ではないか、あるいは派遣される枠が二つしかないために今回は枠を取れなかったか……。理由はいくらか思いつくが、ひとまずは二大勢力だと捉えても問題ないだろう。
と、なると、だ。俺はどちらに着くべきか。
正直、ここで答えを出すには判断材料が不足している。どちらが性に合っているか――それがわからない以上、判断基準をこの二人に一存するしかない。
片や美人だが一癖も二癖もあるような電撃娘。
片や暗くて友達も少なそうで、意外と感情的になりやすいめんどくさそうな鉄の女。
所属するメリット、共有できる能力の利便性と数、思想的共感……考えるべきことはたくさんある。ありすぎて困るくらいだ。
だが俺は、迷った時には雑多な項目は全て切り捨てて、最も単純な基準に従うことにしている。今回も、一番シンプルかつ俺の要求に即した、第四の本能とでも言うべき基準。
――どっちを敵に回した方が、退屈しないで済む?
「はあっ!!」
電撃がバチバチと音を立て、廊下を縦横に駆け巡る。
小隈さんは猫のように跳びはねて、時に紙バットを足場にするなど、トリッキーな動きで器用に回避する。狙いを逸れた電撃は、壁に当たるとスパークし、黒い傷痕を残して消えた。
敦賀さんの攻撃を躱しながら、小隈さんはついにその距離を詰めて射程圏内に捕えた。
「――もらった!」
小隈さんは紙バットを、まるでホームランバッターのように勢いよく振り下ろす。
「ふふっ――」
バットが華奢な体をへし折るべく、敦賀さんの体へと迫る。それなのに、彼女の顔からは余裕を象徴する笑みが消えず、俺の方を一瞥する余裕まであるようだった。
――いや、その笑顔は、彼女自身と共に……忽然と消えてしまった。
「あっ!?」
一秒に満たない寸前まで確かに敦賀さんが存在していた場所を、バットは何に触れることもなく空振った。そして――
「ぅぐあぁァァッ!!」
バチンッ! という一際大きなスパーク音が炸裂した。
小隈さんは突如聞いたこともないような甲高い声で絶叫し、痙攣しながら廊下へと倒れ込む。後にはカラカラとバットが転がる音だけが反響していた。
「ちょっろーい! ちょろすぎますわっ、陽菜さん! あははっ」
策にはまったことが、おかしくて仕方ない。そんな感じに敦賀さんは、俺の目の前できゃらきゃらと笑った。
……俺の目に、確かに消えたように見えた敦賀さんは――"消えた"と認識した瞬間には、既に小隈さんのすぐ後ろに、消えた時と同じポーズのまま立っていた。
そして、即座に小隈さんの方を振り返ると手を翳し、眩い閃光が走ったかと思うと――次の瞬間には、小隈さんが叫び倒れ込んだ。
これは……テレポート、というやつだろう。
「あなたねぇ、こないだお会いした時にも、私使ってましたわよねぇ? ホント、思慮が足りない方。猪突猛進……馬鹿の一つ覚えみたいな戦いしかなさらないから、無様に地を這うハメになるんですのよ」
小刻みに体を震わせながら、言葉にならない声で呻く小隈さんに、敦賀さんは容赦なく言葉を浴びせる。果たして、彼女にそれを聞くだけの余裕があるのか……ここからではわからないが、しかしそのダメージは想像に難くない。
今まで見た限り、敦賀さんはエレキネシス、テレパシーに加え、さらにテレポートまで使えることがわかった。一方の小隈さんは、温存しているのか、それとも単にリンケージしてないのか、いずれにせよ圧倒的不利は火を見るより明らかだった。
「動き回ってお疲れでしょう? そこで眠っていらして」
「うぁ……ぁぁぁ……ぁっ……」
敦賀さんが手を翳す。小隈さんは必死に逃れようとするが、手を動かすので精一杯のようだ。
――この光景を見て、俺はついに決断を下した。
「それでは、おやすみなさぁい♪」
明香里は目を細めて、自らの腕の延長線上に位置する陽菜に狙いを定めた。
あとたったの一撃で確実に意識が途絶え、当分は邪魔されなくて済むであろう威力の電撃が、掌へと集中する。
「…………?」
自分の身を襲った異変には、すぐに気が付いた。だが原因はわからない。
「あっ……?」
急に体がよろけて転びそうになり、思わず右足を踏み出して体勢を立て直そうとする。
――が、
「え、ちょっ……!?」
右足が何故か――掴まれているかのように踏み出せなかった。
そのまま明香里は肩から倒れ込み、体を廊下に打ち付けてしまう。思いがけない転倒は、予想以上に痛く――そして、恥ずかしかった。
思わず彼女は赤面し、スカートをすかさず手で抑えながら、現在自分を見ているであろう一人の男の方へと振り向き、そして――異変の正体を知ることとなる。
「さすがにやり過ぎは止めないと、ダメっしょ」
俺は悪びれもせずに言ってのけた。転んだ拍子の眼福は不可抗力だ。
――サイコキネシスを人に使う機会はあまりなかっただけに不安だったが、ひとまずの成功に胸を撫で下ろす。
しかし、これはまだまだ序の口に過ぎない。本番はここからだ。
「つまり……私と敵対する、ってことかしら」
初めて見た敦賀さんの赤面も一瞬で消し飛び、あの底冷えするような笑顔に変わる。
ここで気圧されてはいけない。可能な限り動揺を押し殺し、普段の調子を保とうと努める。
「んー、正直言うと、俺はどっちの味方するってつもりはあんまりないんだよね。でもこういう時は、負けてる方を贔屓するって決めてるんだ。判官びいきって奴かな」
さらに俺は力を操る。幸いにも敦賀さんの視線が俺に釘付けであるおかげで、まだ気づかれていない。あまり力を込めすぎると、バキバキにぶっ壊れてしまう可能性がある。慎重に、だが駆け足で行う。
「あなた、本当に馬鹿でいらっしゃるのね。安っぽい正義感?」
「そんな上等なもんじゃないよ。マジモンの馬鹿なだけだよ、俺は」
「ええ、馬鹿って部分には完全同意させていただきますけれど、理由をお聞かせ願えるかしら?」
「敦賀さんの方が強くて、小隈さんの方が弱い。だったら、俺は弱い側に着いた方が楽しめそうだ。そう思っただけだよ」
吐き捨てるように「はっ」と笑い、敦賀さんは呆れきったとばかりに、
「馬鹿の理屈には着いていけませんわ」
と、ばっさり切り捨てた。
そして、敦賀さんは俺の方を見つめながら手を上げようとする。その視線と動きには、紛れもない敵意が込められていた。
会話によって時間を稼げたおかげで、準備は完了した。なるだけそちらに視線をやらないようにしながら、意識だけを集中させる。
丁度支度が出来たところで――俺は先手を打って敦賀さんの方へと突っ込んだ。
「命知らずね、あなた!」
容赦のない電撃が発射、俺の真横をかすめる。間近でバチバチと強烈な音が聞こえて、肝が冷える。あんな電撃、喰らったら一発KOだ。
確かに俺は命知らずだが、無意味に捨てる命は持ち合わせていない。スピードを緩めず、敦賀さんへと突っ込みながら――さらにサイコキネシスを暴れさせる。
……先に自己弁護するが、あくまでこれは行動観察によって得られた成果を活かし、彼女の心理を突いて隙を生じさせる戦略であり、下心は……そんなには、ない。
俺はたった一か所に狙いを澄まし、力を込める――!!
「――きゃぁあっ!?」
突然ズレ落ちるスカート。露わになる薄いピンクのパンツ。動揺を隠しきれず恥じらう表情。
……先ほど転んだ時、敦賀さんは痛みを気にするよりも先に、自らのスカートを抑えていた。痛みがそんなに酷くないのもあったろうが、恥をかくのを何よりも嫌っているように思えたのだ。
そんな彼女であれば、咄嗟の際に優先するのは俺への攻撃よりも、恥ずかしさだろうと思ったら――案の定、彼女はしゃがみこんでスカートを履きなおした。まあ、彼女に限らず、女性の多くは気がとられるだろうが。
「ちょ、もうっ、えぇっ!?」
慌てふためきながら頬を染める敦賀さんには、今までにない素の少女らしさがあった。
俺は圧倒的不利な状況の中、勝ち取ったチャンスを最大限に活用する。
「それじゃ、失礼!」
そのまま勢いを落とさず、へたり込んだ敦賀さんの脇を全速力ですり抜けた。
そして、先ほどからサイコキネシスで持ち上げておいた小隈さんを抱え込むと、今度は俺と彼女を能力によって抱きかかえ、廊下を浮遊しながら弾丸のように逃げ去った。
「このッ…………!!」
……明香里が羞恥心と怒りによって顔を真っ赤にしながら振り向いた時、既に廊下に残っているのは自分だけだった。
*
「……んう……ぅん」
無防備に横たわる女子が身をよじり、愛らしくも悩ましげな声を漏らす。しかも夜の教室というシチュエーション。俺は思わず生唾を呑む。
女の子とはいえ、人ひとりを担いで逃げるなんてハードな経験はしたことがなく、能力もそういう用途で使ったことがなかったため、成功するかは五分だったが――何とかうまく行って安心した。
特に、転校生の敦賀さんより俺の方が地の利を得ることができたのも大きい。サイコキネシスを応用して浮かんでしまえば、足音も立てずに移動できることもあり、俺たちを見つけるのはなかなか骨が折れるだろう。
俺は教室の一つを隠れ家にして、身を潜めて小隈さんの回復を待った。
彼女を助けた理由は二つある。
一つは戦力確保。当然だが、小隈さんは俺よりは戦闘経験が豊富なはずだ。得手不得手はこの際置いておくとして、二対一の方が勝算は高いに決まっている。
もう一つは情報収集だ。敦賀さんと敵対してしまった――何より、屈辱を与えてしまった以上、もう彼女から情報を聞き出すのは難しいだろう。であれば、残る選択肢は彼女しか残されていないのだ。
ハンカチで小隈さんの汗を拭きながら、彼女が落ち着くのを待つ。
暑そうにしていたから勝手に上着を脱がせて枕代わりに頭の下に敷いてしまったが、夜の学校で朦朧としている女子の服を脱がすのも、これまたなんとも言えない背徳感のある行為だった。
だが平時ならともかく、今はそんなことに耽溺している場合ではないのだ。
「……ぅ」
「え? どうしたの?」
「……み、ず」
不意の要求にいささか戸惑う。ペットボトルが入れてある俺の鞄も、小隈さんの鞄も、全て廊下に置いて来てしまっていた。さすがにあの状況で鞄にまでは意識が回らなかった。
「ちょっと待って」
俺は教室の外に耳を澄まし、気配を探る。
……とりあえず、敦賀さんの気配は感じない。意を決し、小隈さんを抱え上げて廊下へと滑るように飛び出す。
彼女の肩を支えながら教室の向かいにある水道に連れて行き、蛇口を捻ってやると、ぼとぼとと口元から零しながら水を飲んでいた。
「…………ありがと」
俺からは目を逸らしつつ、シャツの袖で口元を拭いながら、小隈さんがぽつりと呟いた。
「どういたしまして。さ、戻ろう」
言われるがまま、小隈さんは小さく頷くと、俺たちは急いで教室に身を隠した。
暗い教室で、俺と彼女は隣り合い壁に寄りかかって座り込む。
「…………ねえ」
沈黙を先に破ったのは、意外にも小隈さんだった。
「なに?」
「……なんで、助けたの」
その言葉は……静かながら気色ばんでいた。
だが俺は、彼女をさらに怒らせることを理解しながら、正直に打ち明けることにした。
「君が負けてたから」
「……っ!!」
小隈さんは目を細め、眉間に皺を寄せながら俺の方へと振り向いた。射抜くような視線を真っ直ぐに受け止めながら、今にも掴みかかりそうな彼女に向かって、続ける。
「君が怒ろうと、負けてたのは事実だ。そして、俺は負けてる方に肩入れするのが好きなんだよ。こればっかりはどーしよーもない、俺の根っからの性分なんだ」
「……!」
何か文句を言おうとしたのだろうか、身を乗り出して口をぱくぱくと開閉するが、結局何も言わないまま座り直すと、俯いてしまった。
「…………はぁ」
深いため息をつくと、そのまま彼女は自分の腕に顔を埋めてしまった。
「ホント、妹に似てる」
「は?」
あまりにも唐突に訳のわからないことを言われてしまい、反応に詰まる。
兄や弟、百歩譲って父親や爺さんならまだしも、妹ってなんだ。
「……私、双子の妹が居るの。二卵性だからちっとも私と似てないんだけど」
まさか小隈さんが自分のことを話すとは思わず、面食らいながらもなんとか答えた。
「その妹さんと俺が……似てるって?」
「ん」
いきなり、諦めたように話を始めた小隈さんからは、人を寄せ付けない感じが薄まっているように感じた。少しは信頼されたということだろうか?
「あの性悪からいろいろ話は聞いたんでしょう」
「あー……うん。リンケージとか、超能力者を集めた学校があるとか、そんな感じのことを」
「学校は超能力者……シェアード・サイキックの情報を集めてるの。で、ほぼサイキックだと確定すると、氏名・年齢・容姿・性格諸々の情報が書かれた調査ファイルが渡される」
「まるで探偵か刑事みたいだな……。それで、俺のことはなんて書いてあったの?」
小隈さんはほんの少し躊躇したようで、言葉に詰まっていた。だがそれからすぐに口を開いた。
「……『過去何度もトラブルに巻き込まれており、いずれも自ら積極的に介入した模様』。要約すると、好奇心旺盛な厄介事大好き人間、って感じだった」
「なるほど。返す言葉が見当たらないね」
俺はくつくつと苦笑する。端的だが俺という人間を的確に表現しているのが、これまた厄介だ。
「それで、ファイルを見た妹が「この人、あたしと似たタイプ」って言ってたの。最初は半信半疑だったけど……なんか、今はわかる気がする」
自分に似たタイプの女子を想像してみるが……あまりピンとこない。女性に限らず、これまで自分と似ていると思うような相手と出会ったことがないから無理もない。
「何?妹さんも厄介事大好き人間なの?」
しかしこの質問には、小隈さんは横に首を振った。
「そういうことじゃなくて……なんて言うのかな、雰囲気が、というか……妙に勘が良くて、人との距離の取り方が上手くて、悟った風なところがある、っていう感じが、かな」
「ふぅん。似てる……のかなぁ、それ?」
確かに、人から勘がいいとか、達観してるとか言われることがないではないけれど、自覚はない。正直、年相応で普通に悩んだり迷ったりする、馬鹿で調子のいい男子高校生だとしか思っていない。
「まあでもさ、そんな話聞いちゃうと一度会ってみたいね、妹さんと」
「多分、気が合うんじゃない? あっちも結構ズバッと言うタイプだし」
俺はくすりと笑った。小隈さんも釣られたのか、小さくだけど、笑った。初めて彼女の笑顔を見て、内心ちょっとした感動を覚える。
とはいえ、今はほのぼのと身の上話をしている場合ではない。そろそろ、本題を切り出すにはいい頃合いだろう。俺は小さくパンと手を叩く。
「それじゃ、こっから真面目な話」
「……何?」
急に話を切りだされ、小隈さんは小首を傾げた。しかし、今までの警戒感のようなものは、もうないようだった。
「敦賀さんを……どうすればいい?」
抽象的な表現だったが、小隈さんはすぐに答えた。
「……倒すしか、ない」
その瞳に鋭い光が灯る。同年代の普通の連中ではありえない――いや、大人であっても滅多に見ることなどない――殺伐とした決意に満ちた瞳だった。
「でも、このままじゃ勝てない。蒸し返すようで悪いけど、小隈さんは負けそうになった」
「…………」
小隈さんは露骨に不服そうにしながらも、今度は何も言わなかった。
「で、その原因は、敦賀さんとこちらとの、圧倒的な能力差だ。見た限り、彼女は自分の能力のエレキネシスに加え、テレパシーとテレポートまで使える」
「うん。それは間違いない……」
「で、だ。俺は君にリンケージについて、もっと詳しく聞かなくちゃならない」
少しの沈黙の後、小隈さんは、
「うん」
と、頷いた。
「じゃあ聞くけど、そうだな……リンケージによってどこまで共有できる?」
「どこまでって、どういう意味?」
「えっと、例えば俺が敦賀さんとリンケージした場合、俺もテレパシーやテレポートも使えるようになるのか、ってこと」
質問に小隈さんは首を振って否定した。
「ううん、そうはならない。共有できるのは自分のカーネルだけ」
「カーネル?」
「……あれ? そのあたりの話、あいつから聞いてないの?」
きょとんとした後、すぐに小隈さんはぼそりと「使えない奴」と悪態をついたのを、聞き逃さなかった。
「じゃあエクステンション、とかって言っても……わかんない、よね」
「さっぱり」
小隈さんは、うーん、とちょっと悩んでから、たどたどしく説明を始めた。
「……えっと、例えば箱崎くんはサイコキネシスが使えるわけじゃない?」
「そうだね。まあそれが俺の能力だし」
「うん。カーネルっていうのは、その能力の根幹のこと。でも、一口にサイコキネシスって言っても、微妙に人それぞれ違ったりするの。……まあ、どう違うとかの例えは、ちょっと思いつかないんだけど。とにかく、その人の根っことなる部分がカーネル」
なるほど。カーネルというのは能力の核を指すのか。
「で、さっき言ったエクステンションなんだけど……カーネルっていうのが、基幹能力のことだとすると、エクステンションは拡張能力。これは本来の能力から派生した能力とかを指すみたいなんだけど……ごめん。私もまだ使えないから、上手く説明できない」
「まだってことは、例えば訓練とか何かすれば使えるようになるわけ?」
「……よくわかんないの。努力でどうにかなるっていうよりは、何かのはずみで使えるようになるみたい」
「そういえば、小隈さんの能力って?」
ピクリ、と一瞬だけ小隈さんの体が揺れた。
「私の場合は……その、物体を強化する、っていうのがカーネルになるの」
自分の能力について触れたとき、言い淀んで一瞬だけ視線を逸らしたのを見逃さなかった。だが、今は追及をしないでおく。
「えっと、話を戻すと。つまり、共有できるのはリンケージを行う当事者同士の能力、カーネルの部分だけ、ってことか」
「うん、そういうこと。……だけど、共有さえすれば完全に使えるわけじゃないの。共有された能力は、便宜上イミテーションと呼ぶんだけど、その強さはリンケージした相手との信頼関係で決まるの。自分が相手にどれだけ信頼されているか、で強さが変わるんだ」
「互いに信頼していれば能力を最大限に発揮できるけど、信頼されてないと能力もしょぼくなるってこと?」
「そういうこと。しかも、自分が相手を信頼してなくても、向こうから信頼されてれば、こっちは一方的に能力を強く発揮できちゃう。……まあでも、相手のことを信頼してないってことは伝わっちゃうから、大抵は同じくらいになるけどね」
これまた厄介な話だな、と思った。と言うことは、仲のいい相手じゃないと、能力を安定的に使うことができないわけだ。
俺はおもむろに、あることを尋ねてみた。
「じゃあさ……俺と君でリンケージすることも可能ってことだよね」
「…………できる、けど」
酷く渋々というか、嫌そーな目で見られてしまい、少し傷ついた。そこまで嫌がらなくてもいいじゃないか。
「でも……やってもあんまり効果ないと思うよ。……言いづらいけど、私と箱崎くんとじゃ、大した信頼関係ないし」
「いや、だからこそ効果があるかもしれないんだ」
「……?」
小隈さんは俺の言葉が理解できないのだろう、不思議そうというか、怪訝な視線を送ってきた。俺にはある考えがあったが、それを言うには時期尚早だ。まずは、もっと踏み込んだ質問をしなくてはならない。
「で、さ。君の能力について……いや、まずは俺の能力について教えるのが先か」
ひとまず俺は能力を説明するべく、目の前の机に力を込めて持ち上げる。いきなりの事態に、小隈さんはさらに訝るような目で見ていた。
「俺の能力は、そっちが言う通りサイコキネシス。カーネルの呼び名は……"WINDOM"とでもしておこうか。範囲は最大で五十メートルくらいだけど、有視界内じゃないと動かせないから、狭いところだとかなり制限されちゃうね。厳密な計測はしたことないけど、大体俺の腕力の十倍くらいの力があるみたい。だから本気を出せば、この机と椅子ぐらいだったらグシャグシャにできる」
「…………」
小隈さんの顔に警戒の色が浮かぶ。無理もないだろう。
「ま、実際にぶっ潰しちゃうと明日騒ぎになるからしないけどね」
笑いながら俺は机と椅子を慎重に元の位置へと降ろした。デカい音を出して敦賀さんに居場所がバレては元も子もない。
「同時に十個までは操れるけど、それ以上は無理。力は総量が決まっていて、複数の対象を操ろうと思うと、力も分散される。あと、物理的な干渉を受けるみたいで、いくら五〇メートル以内でも、自分を起点にして真っ直ぐと透明な手が伸びる感じだから、密閉された内部をどうにかすることはできない」
手の内を晒すのはリスクが高いということは、重々承知していた。しかし、小隈さん相手であれば、正直に話すことで得られるメリットの方が大きいだろうと判断した。
「以上、俺の能力説明終わり。……よければ、君の能力について教えてほしい。共同戦線を張らなくちゃ、敦賀さんには勝てないだろうし。でも、無理強いするつもりはない」
無理強いするつもりがない、というのは、半分本音だ。もう半分は、小隈さんの性格上、こう言った方が断りづらいだろうという打算だった。
「……私のカーネル、は……"PRISM"。……物体を強化する能力」
言いながら彼女は筒状になった紙を持ち上げた。
そして、一瞬にして紙筒は黒光りする金属バットのように変化した。
「こんな風に、接触してるものだったら強化できる。一回強化しちゃえば、手放してもどれだけ遠くに行っても、私が解除しない限りはこのまま。最大一〇個まで同時にかけられる」
説明からは、やはりどこかに嘘が混じっているような、そんな気がした。明確な疑惑の箇所はわからないが、言い方や挙動などに不自然さがある。
「……ねえ、小隈さん。説明してくれるのはありがたいけど……嘘はなしにしないか」
「!?」
試しに鎌をかけてみると、彼女はわかりやすいほどの動揺を見せた。嘘が下手なタイプだ。
それから、ちょっと何か言おうとしては止めて、最終的に大きなため息をつくと、髪の毛を両手でくしゃくしゃと掻きながら「あぁ、もう!」と叫び、
「……ホント、妹みたいに勘が鋭くて、ヤダ」
と、不満たっぷりといった口調で非難された。
「私の能力、本当は……"強化"じゃなくて"属性付与"なの」
「属性付与?」
「うん」
そう言うと小隈さんはおもむろに立ち上がり、教室の後ろにあるロッカーからほうきを一本取り出した。
「だから元の素材は関係ない。紙きれだろうとほうきだろうと、変化後の硬さは一緒。元の硬さが一でも九九でも、引き上げられる上限は一〇〇までってこと。水みたいなものとか、生き物には通用しない」
一瞬で黒光りする金属光沢に包まれたほうきと、金属バットのようになった紙筒をコツコツと叩き合わせる。
「なんで隠したの?」
率直な疑問だった。説明を聞く限り、特別隠し立てするような理由が見当たらないからだ。一体、何のために隠しているんだろう。
「…………だって」
そのまま小隈さんは言い淀む。俺は続く言葉を待った。
「だって、強化の方が聞こえがいいし……あと、属性付与なんて、使い勝手悪いし、なんか押し付けがましくて……嫌い」
なんだか聞いたところでよくわからない理由だった。だけど、傍から見てつまらないことほど、本人にとっては気になったり重要だったりするものだ。
しかし俺は、小隈さんの能力を聞けたおかげで――勝機を見出せそうだった。
「俺と君がリンケージして、俺が君の能力を使ったとしたら……効果は弱まる、ってことだよね」
念のため確認をすると、小隈さんの表情がわずかに曇った。
「そう。だからあんまり当てにしないで……」
自虐的に言い捨てる姿を見ながら、俺はフッと笑う。
「いや、この場合は――それがいい」
「え?」
俺は一度立ち上がる。そのまま不思議そうに見上げる小隈さんの前に回ると、片膝をついて座った。
「俺と――リンケージしてほしい」
「ほ……本気で?」
「本気だよ」
「…………」
小隈さんはまだ悩んでいるようだった。俺を信頼しきれていないのだろうし、自分の能力への自信もないのだろう。それに、この様子だとほとんどリンケージをしたことがないのではないだろうか……と、そんな気がする。
「……まあ、嫌な時は、私でも箱崎くんでも、いつでも勝手に切ることが出来るし……」
「うん。だから共同戦線を張る今だけでいいから力を貸してほしい。君の力が必要なんだ」
「……よくそんな恥ずかしいこと、平気で言えるね……」
真っ赤になって視線を逸らす小隈さんに、俺は微笑む。
「口先だけの男ですから」
彼女は小さなため息をついてから、すっと立ち上がった。俺も彼女に倣って立ち上がる。
俺たちは向き合う形になる。小隈さんは、真っ直ぐな眼差しで俺を見つめた。
そして彼女は、俺に向かって手を翳した。
「手を重ねて」
「こう?」
言われるがまま、俺も小隈さんに続いて手を上げる。
ぴたりと掌が重なり合う。小さな手から、じんわりと体温が伝わってくる。
――それと同時に、俺の中に、不思議な感覚が存在することに気が付いた。
それはきっと、生まれた時からそこにあったのに――今の今まで眠り続けていた感覚。
まるで腕の中に一本の芯が通ったかのような……。
「感じる? 自分の中に回路があるのを」
「……うん」
知らないはずなのに、ずっと前から知っていた気がする。神経が延長されて、今にも外に飛び出そうとしているように疼いている。
「初めてのことだと思うけど、でも……絶対に出来る自信が、あるでしょう」
「うん、ある。変な話だけど……」
「それが、私たちがシェアード・サイキックである証し。腕を動かし、目で見るように、生まれつき超能力を使えるのと一緒。私たちは生まれ持ったこの回路の接続方法も切断方法も、頭じゃなくて感覚で理解できている」
「あ……」
不意に掌に見えない何かが触れる。それは熱を持たない温もりのような、不思議な触感だった。
「リンクして」
俺は思わず唾を飲み込む。未知の感覚に戸惑いと恐怖が首をもたげていたのだ。
しかし、それ以上の好奇心が易々と不安を抑え込み、俺は不可視の回路を体外へと押し出す。
体の奥底から、見知らぬどこかへと通じるケーブル。それが今、肩から腕へ、腕から掌へと生き物のように移動しているのがわかる。
――脈打つ透明な神経同士が結びつく。
――知識でも言語でもない"理解"と力が、血流の如く循環してゆく。
俺から彼女へ。彼女から俺へ。決して混ざることのないはずのエネルギーが溢れ出し、注ぎ込まれてゆく。
「――はい、リンケージ終わり」
妙にあっさりとした小隈さんの言葉で、急速に意識を現実へと引き戻される。
既に彼女は手をおろし、スカートでごしごしと拭っていた。
だが俺はその間も、じっと自分の掌を見つめていた。
「これが……リンケージ……」
「そ。これであなたは私のカーネル、"プリズム"のイミテーションが使えるようになった。逆に私は"ウィンダム"を使えるようになったってわけ」
ここで俺は、肝心なことを聞き忘れていたことを思い出す。
「ねえ、そのイミテーションって、俺と君とだったら、大体どれくらいの強さを発揮できるの?」
尋ねると小隈さんは「うーん」と少し悩み、
「……さっきも言ったけど、信頼関係に依存するから……半減、いや、二、三〇パーセント程度の出力しかないって覚悟しておいて」
と、申し訳なさそうに言った。
だが俺は、思わず笑みがこぼれる。
「そりゃあ好都合だ」
「はぁ?」
小隈さんの「こいつ何言ってんだ」と言いたげな視線を浴びるが、俺は笑いを止めない。
「君の能力と俺の能力。この二つがあれば、間違いなく勝機はある。さて、作戦会議を始めようか……」
「ねえ、教えて。私はともかく、箱崎くんにとってのリンケージのメリットはなんなの?」
「それは追々説明するよ。それよりまずは、敦賀さんのテレポートをどうするかが問題だな。あれさえ防げれば勝機も見えてくるんだけど」
なんとなくだが、テレポートを行使する際に必要な動作で、これじゃないかという予想はできている。が、絶対の自信はない。もう一度能力を使う瞬間を見ることが出来れば、確信を持つことができそうなのだが……。
一応、現段階での推測を小隈さんに伝えた。すると彼女は意外にも、
「それなら……妹の能力で、どうにかできるかもしれない」
と、自信を持って答えた。
*
敦賀さんは、案外すぐに見つかった。先生にバレないようにしつつ校舎中を見て回ったが、結局俺と小隈さんが鞄を置きっぱなしにしてしまった廊下に戻って来ていたのだった。
(じゃあ、作戦通りに)
隣の小隈さんに囁くと、彼女は無言で首肯した。
それから俺は、わざと足音を立てて廊下に飛び出す。
「……やあやあどうも」
俺の声にピクリと微かに肩を揺らしたかと思うと、敦賀さんは不気味なほどにゆっくりとこちらへと振り向いた。
「あらあらあらぁ、よくもまあぬけぬけと、顔が出せたものですわねぇ」
満面の笑みながら存分に怒気を孕んだその顔は、身の毛のよだつ恐ろしさだった。
「いやぁ、さっきのことを謝っておきたくてね」
「謝るくらいなら初めからなさらないでくださいます? それに……」
バチバチッ、と不吉なスパークを両手の間で綾取りでもするかのように走らせる。照らされた笑顔が、さらに恐怖を掻き立てた。
「私、我慢とか妥協とか大ッ嫌いですのよ。だから謝られるより、ストレス解消も兼ねて力づくで泣いて謝らせる方が性に合ってますの――」
「おっと!」
力強く床を蹴って、敦賀さんは突撃してきた。雷撃が彼女を先導し、俺へと迫る。
「――はっ!」
「!」
しかし、そこへすかさず小隈さんが飛び出し、紙の盾で雷撃を全て弾き飛ばしてしまう。
俺と小隈さんが二人並んでいるのを見て、敦賀さんは眉間に皺を寄せたまま、笑う。
「ふぅん。お二人仲良く、私と戦おうって腹積もりですのね。あっという間に打ち解けてしまわれるなんて……暗い夜の学校で、お二人揃ってナニしてらしたんだか」
「へ、変なことはしてない!!」
単純な煽りであっても、小隈さんはすぐに顔を真っ赤にして反応してしまう。他人事ながらこの挑発への耐性の低さは心配になる。
想像通りの反応がおかしいのだろう、敦賀さんは反応を見てくすくすと笑う。
「ふふふっ、別に私変なことをしていたなんて、一言も口にしてないのですけど? やましいことでもあったのかしらねぇ」
「あっ……う、うーっ!」
「どうどう、落ち着いて」
墓穴を掘った小隈さんを宥めつつ、俺は脳内で作戦を反芻していた。
なんせ俺は、まともな超能力戦闘はおろか、ろくにケンカすらしたことがないのだ。圧倒的な経験値不足を知恵と機転で補わなければならない。
勝利には作戦の円滑な遂行が不可欠だ。
「雑談はさておき。いい加減、始めちゃいましょうか……!」
「!」
再び、敦賀さんが勢いよく両手を翳す。俺と小隈さん、それぞれに狙いを定めている。
だが――ただぼんやりと喰らうわけにはいかない!
「はぁ……!」
俺は、その翳された両手に意識を集中する。まるで自分の腕を動かすように、彼女の両手を上へと操る。
「あ……!?」
発射された電流は手の上昇に合わせて、まるで見当違いの方向へと飛んで行く。後方へ抜けて行く閃光。直後、背後で音が弾けた。
「ふっ!」
動揺による隙を突くように、小隈さんは身を屈めながら素早く距離を詰める。いつの間にか紙の盾はバットへと姿を戻していた。
「行けぇっ!」
敦賀さんの両手を"ウィンダム"で持ち上げたまま、さらに小隈さんの背中を能力によって"後押し"する。
「りゃあ!」
彼女はまるでアスリート並のスピードで、敦賀さん目掛けて一直線に突っ込んでゆく。
しかし、
「――ふふっ」
敦賀さんは小隈さんではなく、俺の方をちらり、と一瞥した。
突然力が抜けたように"ウィンダム"が空を掴み、それと共に彼女の姿が消失した。
「テレポートっ!」
小隈さんの叫びに合わせて、俺はすかさず振り返る――!
「眠りなさい!」
――俺が寸前まで立っていた場所が眩く炸裂する。
危機一髪、予想通り後ろに回った敦賀さんの攻撃を、何とか跳びあがって回避した。
俺は自分の体を突き飛ばしたウィンダムで、そのまま小隈さんの隣まで飛んでから、そっと着地した。
「振出しに戻る、ですわね」
「………………」
俺と小隈さん、敦賀さんの視線が交差する。
一手間違えれば――そこで即座にゲームオーバー。皮膚が切れそうなほどにピリピリとした空気を肌に感じると、自然と口元が緩んだ。つくづく俺は阿呆なのだ、と実感する。
「人数的にはこちらの不利ですけれど、そちらにはマトモな遠距離攻撃の手段がありまして? 諦めるなら早い方が……」
「手なら、あるさ」
「……?」
強がってみせる俺の言葉に合わせて、小隈さんは懐から数枚の折り紙細工を取り出す。
それは、手裏剣の形をしていた。
「……チッ!」
敦賀さんが舌打ちをするのも無理はない。彼女は、このおもちゃに過ぎない折り紙の手裏剣が、いかに危険な代物であるか理解していた。
「……目にモノ見せてやる」
――ただの紙切れは"プリズム"によって瞬時に、本物の如き殺傷力を持った正真正銘の手裏剣へと変化した。
「驚くのは、まだ早い」
小隈さんが四枚の手裏剣から手を離すが――手裏剣は地に落ちることなく、宙に留まる。
「厄介なことしてくれますわね……!」
リンケージを通じ小隈さんも習得した"ウィンダム"によって、手裏剣は縦横無尽に駆け巡る凶悪兵器へと変貌を遂げる。
「今度はそっちが逃げ回る番だ!」
小隈さんの叫びと共に、手裏剣が廊下を複雑な軌道で虫のように舞い踊る。
「ああもう、鬱陶しい……っ!」
敦賀さんは器用に避けながら撃墜を試みるが、宙を素早く飛び回る手裏剣に中々電撃は当たらない。
「借りるよ!」
返答を待たずして、俺は小隈さん愛用の紙バットを拝借し、そのまま敦賀さんへ向かって突進を始める。
「うくっ……」
小隈さんはその間も支援のために手裏剣を飛ばしてくれているが――いかんせん、動きが覚束ない。慣れない能力のコントロールに苦戦しているようだ。
「はんっ、もうへばってるんですの!?」
一方、次第に動きに慣れてきた敦賀さんは余裕を取り戻したようで、近づく俺には構わず冷静に手裏剣を叩き落とす。
「無謀ですわよ!」
全ての手裏剣を叩き落としてから、迫る俺に向かって敦賀さんが言葉を投げかけた。
そのまま彼女は俺目掛けて電撃を発射する。
「うおぉっ!」
だが俺は"ウィンダム"によって物理法則を無視した鋭角な動きで何とか躱し、スピードを緩めずに接近を続けた。
(触れればいい! そうすれば……勝ち目はある!)
*
「……隙を作る?」
あらかた作戦の趣旨を説明し、最後の詰めの段階の話になった。
「ああ。さっきも言った通り、恐らく普通に接近したところで、テレポートで逃げられてしまうだろう。だからどうにかしてテレポートを妨害しなくちゃ……勝ち目はない」
「せめて、テレポートのタイミングか、行き先がわかれば……」
そして俺は、ある推測を彼女に話すことにした。
「これはまだ確証はないんだけど、テレポートをするには、移動先を目視する必要があるんじゃないか、と思うんだ」
「目視?」
「うん。さっきテレポートを使った瞬間を思い出したんだけど、その時、敦賀さんは小隈さんの後ろに居た俺の方を見たんだ。そして、その直後に君の後ろに出現した」
「ということは……目を閉じさせればテレポートは防げるかもしれない」
「俺もそう思うんだ。けど、問題はその目を閉じさせる方法をどうするかってことなんだ」
「……短い間でいいから、目を閉じさせればいいんだよね」
考え込むような様子で、質問か独り言かわからない感じで呟いた。
「それなら……妹の能力で、どうにかできるかもしれない」
*
(まだだ……まだ遠い)
まだ手を伸ばしてもとてもじゃないが届かない。が、間合いに入ればテレポートで逃げられてしまう。
だからこそ、タイミングが重要だった。
「しつこいですわねぇ、もうっ!」
敦賀さんはぷりぷりと憤慨しながら、絶え間なく電撃を放つ。
一方の俺も、何とか紙一重のところで回避に成功していた。極限の集中力と、日ごろの行いの良さによって成せる業だ。だがこれ以上はキツイ。
「……もうっ!」
あと数歩で届く距離――そこに達した時、敦賀さんが俺から視線を外し、廊下の先、小隈さんの居る方向へと視線を移した。
間違いなくそれは……テレポートの合図だ!
「今だッ!!」
俺は廊下中を反響するほどの大声で絶叫した。
瞬間、弾かれたように小隈さんが手を翳す。
「これでも喰らえッ!!」
掛け声に呼応して――風が巻き起こる!
吹き始めのそよ風は、刹那の内に突風へと表情を変え、そして暴風となって廊下を疾駆する。
「きゃぁあっ!?」
――小隈さんの妹さんの能力であるエアロキネシス"STIFF BREEZE"が、敦賀さんを襲い――そのあまりの勢いに、彼女は目を開けていられなくなる。
「うぉおおおッ!!」
必死に作り出した一瞬のチャンスを逃すわけにはいかない!
俺は全力で距離を詰めると――ついに左手で敦賀さんの腕を掴んだ。
「なっ!?」
敦賀さんは突然の事態に混乱しているようだが、構っている暇はない。
「"プリズム"ッ!!」
リンケージによって得た小隈さんの能力を発動する!
「あっ!?」
俺が触れていた袖の部分から、瞬時に金属光沢が制服を浸食。あっという間に敦賀さんの制服は、脱獄不可能のストレイト・ジャケットへと変貌を遂げた。
さらに、ダメ押しの一撃を――全力で振りかぶる!
「おりゃぁあッ!」
小隈さんから借りていた紙バットを勢いよくスイング。
狙いはもちろん――拘束具と化した制服だ!
「あっ……ちょっと!!」
何とか防御しようとしても、金属のように変化した制服はピクリとも動かない。予想外の状況に正常な判断が下せず、パニクっているようだ。
「これで、終わりだッ!!」
がら空きの腹部にバットが――命中する。
「――ヵはぁッ」
ガキィン、と甲高い音が響く。
制服は打撃が当たった部分から粉々に砕け散り、避けることも防御することも出来なかった敦賀さんは、衝撃によって体内の酸素を押し出されてしまう。
「があぁ……、あっ、ごほっ……!」
そのまま壁に体を打ち付けると……ずるりと身を横たえ、咳き込んだ。
だが拘束はまだ続いており、痛むであろう腹部や咳き込んだ口元を抑えようとしても、腕を動かすことができないで居た。
「……勝負あり、でしょ」
もう抵抗はしてこない――いや、どんな抵抗をされても、多分どうにか押さえ込めると踏んだ俺は、"プリズム"を解除してやる。
解除と同時に、砕け散った金属片はたちまち布切れに変わり、ブレザーは奇妙に真ん中だけ破れた状態になった。敦賀さんは体の自由を取り戻すと同時に、腹部を抑えこむ。
「ごほっ……おえっ……ぐぅうっ……!」
咳と吐き気、何よりも屈辱が込み上げてきているのだろう。お腹を押さえたまま敦賀さんはその場に横たわり、蹲った。
「…………」
無言のまま小隈さんが駆け寄ってきた。
その表情は、呆気にとられているようで――目の前の状況が信じられない、という顔をしていた。
「信じられない……」
思った通りの言葉をぽつりと漏らしたので、ちょっと笑いそうになった。
「だから言ったでしょ。君の能力があれば勝機はあるって。特に信頼感が低いおかげで、今回は助かった」
「……まさか半減した"プリズム"で相手を拘束して、能力本来の硬度のバットで殴るなんて……考えもつかなかった」
小隈さんが扱う本来の"プリズム"の硬さを一〇〇とした場合、俺のイミテーションの"プリズム"では、せいぜい五〇から二〇程度まで下がっている。つまり俺が"プリズム"によって金属化したものならば、小隈さんの紙バットで容易く破壊出来るということだ。
本当はこんなまだるっこしいことをせずとも、もっと別の方法もあったのかもしれない。例えば俺の"ウィンダム"で無理矢理押さえつけて気絶させることだってできただろう。
しかし今回は、小隈さんに自信を持たせてやりたかった。それに、自信を持たせてやる戦いをした方が、信頼感が得やすいだろうという打算でもあった。
「小隈さんの能力は、使い方次第でナマクラにも名刀にもなる。あとは君が自信を持って、使ってやればいいだけだよ」
そう言うと俺はにっこりと笑って見せた。
「…………よ、余計なお世話だし」
称賛されることに慣れていないのか、小隈さんは頬を赤く染めると、視線を逸らしてそっぽを向いた。照れてるのだ。
(ん……?)
俺の中で何かが微かに脈打ったような気がした。いや、気のせいではない……のだと思う。
どうやら小隈さんとのリンケージが、わずかながらではあるが、強まったようなのだ。
(なるほど、こりゃあ便利な好感度メーターだ)
横目でまだどこか茫然としている小隈さんを見つめる。どうやら姫君の信頼を得ることができたようで何よりだ。
(さて、と)
心の中で呟くと、俺はもう一人の姫君へと視線を向ける。
「……ふぅーっ、ふぅーっ……」
だいぶ咳も収まったようだが、呼吸は荒いままだ。
何よりも、涙の滲んだ視線は俺を刺し殺すかのように鋭い。だがもう俺に恐怖心はない。
「とりあえず、これでおしまい」
俺はブレザーを脱ぐと、敦賀さんのボロボロになった上着を隠すように覆い被せた。汗臭いし、屈辱的だろうが、それでも恥ずかしい恰好をそのままにしておくのは忍びない。
「睨んでも勝敗はひっくり返らないよ。それに、君がおかしなことをするようなら、俺だってもっとひどいことをしなくちゃならない」
「……ふーっ……あなた……清々しいくらい……ふーっ……ぐすっ、サイテーですわ……」
しかし敦賀さんは俺のブレザーに顔を埋める。泣き顔を見られたくないのだろう。
「負けて泣くとか……可愛いところもあるじゃん」
俺が軽口を叩くと、敦賀さんは無言で俺の脛を蹴飛ばした。痛い。
これ以上は火に油だ。だが最後に一言だけ言っておかねばならない。
「今日はさ、こんな結果になっちゃったけど……今はまだどっちの派閥に入るとか、決める気はないから。こんな物騒なやり方じゃなくて、話し合いならいつでも受け付けるよ」
「…………ふんっ」
拗ねたようなその返事は、肯定なのか否定なのか、わからなかった。