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1-2 侵食

「たまにあるんだよな、こういうの」

 制服姿の男は誰に言うでもなく、ぼやくように呟いた。

 日中の喧騒が嘘であるのかのように寂寞とした真夜中の校舎は、男の足音や小言さえも拾い上げて廊下の果てまで響かせる。

 事の発端は三〇分ほど前に遡るが――なんてことはない、警報装置に反応があったので確認をしろという命令を受けて、警備員である彼が派遣されたというそれだけであった。

 以前にも似たようなことはいくらでもあった。

 実際に泥棒が入っていた時には大変だったが――そんな本物の事件には、たった一度しか遭遇したことがない。ほとんどはいたずらや肝試し、あるいは忘れ物のために忍び込んだ学生(稀に教師)だったり、酷い時には施錠前に入り込んだ猫だったりと、侵入者の正体はまちまちだがいずれも「人騒がせな」と説教をして終わり、というのが常であった。

 今回は校内の複数個所で警報が鳴ったため、念のため三人でやってきた。しかし、男の考えでは、

(どうせ馬鹿なガキが侵入しただけだろ)

 と、高をくくっていた。もっとも、彼も勤続年数は十年以上と長く、呼び出される度に大した事件性もないまま帰っているため、当然の予想だと言える。

 警報の鳴った三階に辿り着いた男は、懐中電灯で廊下を照らしてみた。幸い夜空には雲がほとんどなく、月明かりが窓から差し込んでいるため、廊下の見通しはさほど悪くない。それでも夜の学校というのは不気味さが拭えないが、男はもう慣れたものであり、怖がる様子は微塵もなかった。

「こちら落合、三階到着しました。見回り始めます」

『了解』

 警備員は仲間に連絡をすると、億劫そうに「さて」と呟いた。帽子の向きを直し、それからきびきびと見回りを始めた。

 廊下、異常なし。

 窓も全て閉まっている。

 教室、異常なし。窓も扉も施錠されている。

 念のため中を調べたが、物陰やロッカーの中、教卓の下にも誰も隠れていない。

 教室の見回りを終えて廊下に戻ろうと扉に手をかけた、その時のことだった。


 ――ドン。


「?」

 何かがぶつかったような鈍い音が廊下の方から聞こえた。

 やっぱり何か居るのか。とりあえず、窓や扉を叩いたような音ではない。壁に体をぶつけただけではこんな音はしないだろうし……男の頭の中では一瞬のうちに分析が行われる。正体はさておき「何かが居る」という判断が下された。

 男は即座に警棒を取り出し、周囲に警戒を巡らせる。そして小声で無線に連絡を入れる。

「こちら落合。三階の廊下で物音。今から確認を行います」

『なに、本当か。すぐに高野とそちらに向かう。泥棒だと物騒だから、あまり無理はするなよ』

「了解です」

 駆け足気味に無線連絡を終えると、男は体を屈めつつ扉の小窓から廊下を覗く。

 音の聞こえた方を見てみる。だがそこには誰も居ない。

 扉を開けた音はしなかったし、それ以前に目の前の扉以外は全て施錠されていたから、どこかの部屋に入ったとは考えづらい。

 先ほど聞こえた音は、無理矢理扉や窓を破ったような音ではなかった。足音もしなかった。となると、まだ廊下に居る可能性は高い。

 思い切って男は扉に手をかけ、おもむろに廊下へ飛び出した。きょろきょろと周囲を見渡しても、何も居ない。居た痕跡すらない。

(……勘違い……だったのか?)

 しかし男は経験上、こういう状況での勘違いというのは滅多になく、大概はただの見落としであることを知っていた。とにかくまずは音が聞こえたところを確認すべく、音源らしい方へと移動する。

(確かさっきの音は……このあたりだったはずだ)

 警棒を握る手に力を込めながら、注意深く周囲を観察した。

 床、壁、柱、天井……隅々まで懐中電灯で照らして調査するが、不審な痕跡はない。


 ――ドンっ。


 再びの音は、背後からだった。

「誰だッ!?」

 男の叫びが廊下に反響する。だがその問いかけに答えるものは居ない。

 あざ笑うかのように、叫びに紛れるように……音は廊下の奥へと遠ざかり、また、

 ――ドンっ。

 と鈍い音が響いた。

「クソっ、なんなんだ!」

 音のする方へと男は走った。全く正体のわからない音の主に苛立ちと焦燥を隠せない。

 遠ざかった音を追って廊下の角を曲がるが、そこにはやはり姿はない。

「おい、ふざけるな! 出てこい!」

 廊下を見回しながら、自分をからかっているようにしか思えない相手に怒号をあげる。

(ふざけやがって……!)

 心の中で悪態をつきつつ、額の汗を拭おうとする。右手に警棒、左手に懐中電灯を持っているため両手がふさがっており、ハンカチを取り出すことも出来ない。仕方なく袖で額を拭った。

「おっと」

 その時、うっかり懐中電灯が手からこぼれた。しかし咄嗟に手を伸ばしたお蔭で、懐中電灯を落とさずに済んだ。

「…………?」

 男はふと、違和感を覚えた。

 何かがおかしい。景色も変わらず物音もしないのに、何かが変だ。なんとなく落ち着かない。体の力が抜けたような、そんな気がする。

 それに、なんだかスースーする。

 不意に男は頭に手をやった。汗ばんだ髪の毛のじっとりとした嫌な感触がする。

「……あれ?」

 懐中電灯を持っているため、手の付け根のあたりで髪に触れるしかなかったのだが、その懐中電灯が何かに当たった。

 とうとう男は自分の頭上を見た。

 そこには、見慣れたものが――しかし信じられない挙動をしていたために、すぐには状況を理解することが出来なかった。

「…………はぁ?」

 男には理解を越えた状況を理解する術も、何よりも――それを考える時間もなかった。


 ――ドンッ!


「――――ぁッ」

 男と何かがぶつかった鈍い音。彼が気絶する寸前に耳に入った最後の音。

 そして彼が最後に見たのは、頼りなげに宙を舞う帽子だった。



 彼女は電車が嫌いだった。

 乗り物としてではなく、見知らぬ人間と肌が触れ合いすし詰めにされる環境が、心底嫌いだった。

 匂い、体温、汗……生理的な要素も嫌な原因だったが、一番の理由は別にある。

(最悪……)

 多少時間をずらした程度では、この混雑から逃げることはできない。学校が始まる時間がもう少し遅ければ、などと下らないことを考えるほど幼稚ではないが、せめて仮の住居であるマンションの場所がもう少し近ければ、電車通学をせずに済んだものを……という苛立ちはあった。

 電車がカーブに差し掛かった、その時。

 ――突然、汗ばんだ手の感触が、尻から伝わる。

(…………ほんっとうに、最ッ悪ッですわ)


 彼女、敦賀明香里が満員電車を忌避する原因の第一位は――痴漢だった。


 明香里の美貌は生まれ持って授かったものだった。物心つくころには自分が可愛いことを理解していたし、これまでの人生でも十二分に利用してきた。

 もっとも、彼女は我慢をすることが心底嫌いだったので、過度な節制をしてまで美を保つつもりは毛頭なかったが、軽い運動や日々のケア程度の我慢にならない範疇の努力で十分美貌を保つことはできた。

 しかし意外にも彼女は、その見た目や行動とは裏腹に、体を許したことはない。別に清純を気取っているわけではない。

 手を握ったり、ちょっと抱き着くくらいはしたが――それ以上のことを気のない男にするのは我慢がならなかった。プライドが許さないのだ。

 だからこそ、利用する価値さえ見出せないような、縁もゆかりも興味もないクズ男の慰み者になるなど――耐えられるわけがない。

「――――チッ」

 明香里は周囲から見えないように俯くと顔を歪め、不快感を露わにした。そして、舌打ちをした瞬間、

「いぎゃああぁッ!?」

 痴漢の男は突如、絶叫しながらビクンと跳ねると意識を喪失し、そのまま力なく人ごみにもたれかかる。

「はぁ? なに!?」

「ちょっ……え? 大丈夫ですか!?」

 周囲の人々は、白目を剥き大きく口を開けたまま痙攣するサラリーマンの男に声をかける。状況がわからないまま騒動だけが広まり、車内は軽いパニック状態となった。

 騒然とする車内とは関係なく、定刻通り電車は駅へと到着し、ドアが開く。

「すいませーん、急病人でーす! 誰か、駅員さん呼んできてー!」

 正義感の強い人たちは呻く男を介抱するが、多くの乗客は我関せずといった様子で足早に、しかしちらりと男を好奇の目で一瞥しつつ、ホームへと流れ込んでゆく。

(バラされないで済んだんですもの、慈悲深い私に感謝してほしいくらいですわ)

 当事者の明香里もまた無関心な風を装って、人ごみの中で尻を手で払う。

 彼女はそのまま雑踏に紛れ、改札へ向かった。



「おっ」

 一本早い電車に乗れたおかげか、たまたま今日は仲のいい連中の誰とも出会わず、一人きりで通学路を歩いていたちょうどその時、先を歩く彼女を見つけたのだった。

 案の定、彼女もまた一人で歩いていたから、声をかけるにはちょうど良かった。

「おはよっ、小隈さん」

「っ? ……あ、ああ、おはよう」

 いきなり声をかけられたからだろうか、一瞬怪訝な目で見られた。わかっちゃいるけど、そういう反応をされると、やっぱり切ない。それでも挨拶が返ってきただけマシだと思うべきだろう。

「この坂道ダルいよねー。俺もう一年以上通ってるけど、毎朝めんどくさっ! て思うよ」

「……別に。これくらい、どうってこと……」

「あら、意外と体育会系だったりする?」

 つれないタイプだというのは、たった一日で十分にわかっていた。だからこそ、後学のため徐々にでもいいから打ち解けておきたいなー、と思い、話を続けることにした。

「そういえばさ、昨日は来てくれてありがとね」

「……何の話?」

「放課後の怪談。昨日のは一際うまく行った! って自信があるんだけど、どうだった?」

 もちろん、怖かったとは言ってくれないだろう。素直にそう言うタイプではなさそうだ。

 しかし予想外なことに、彼女は何か言おうとしたかと思うと、それからすぐに顔を真っ赤にし、怒ったように語気を荒げて、

「さ、先行くから!」

 と言い捨てて、早足で坂道を駆けて行ってしまったのだった。

「地雷踏んだ、のかなぁ?」

 振られた俺はしょんぼりと肩を落としつつも、真っ赤になった小隈さんの顔を思い出し、結構可愛いところがあるんだなー、なんてことを考えながら、とぼとぼと坂道を一人歩くのだった。


「なぁなぁ、もう聞いた?」

 教室に入るなり、挨拶もなく野村に尋ねられた。が、主語と心当たりのない質問に、俺は首を傾げる。

「いや、聞いてない」

「なんかさぁ、昨日の深夜にうちの学校で警備員のおっさんがぶっ倒れたらしいよ」

「倒れたって……なんで」

「いや、それがわかんねーから噂になってんだよ。どーも病気じゃないらしいんだよな。それに、どこも荒らされてなかったって話だから泥棒じゃないらしいし……ほら、例のテケテケだっけ? あれの仕業だって噂まであんだよ」

 おいおい、いくらなんでもそれは飛躍しすぎだろうと思ったけど、水を差すのも悪いから黙っておいた。

「ねえ、その話、詳しく教えて」

「「へ?」」

 俺と野村は同時にマヌケな返事をすると、思わずきょとんと声の主を見つめてしまう。

 一体いつから聞いていたのか、そこには小隈さんが居たのだ。

「教えて」

「え? あ、うん……?」

 野村もどうしていいのかわからないようで、助けを求めるように俺の顔を見た。だがすぐに小隈さんの無言の圧力に負けて口を開く。

「い、いや、別に大した話じゃないんだけど、昨日の夜中に警報が鳴ったとかで、警備員のおっさんが来たらしいんだよ。で、見回りしてるうちの一人が気絶してたとかで……俺も当事者に聞いたわけじゃないから、詳しくはわからないけど」

「場所は?」

「え? うちの学校だけど」

「そうじゃなくて、倒れてた場所」

「え、ああ、三階だって聞いたけど……詳しい場所までは、ちょっと」

 野村と小隈さんの会話を聞きながら、会話と言うより殆ど事情聴取だな、と思った。

「ひょっとして小隈さん、意外と探偵ものとか好きだったりする?」

 面白半分に聞いてみると、やはりと言うべきか、

「……別に」

 とだけ言い残して、用が終わるなり席へと戻って行ってしまった。

 彼女は――何か隠し事をしているな、という気がした。

 必要以上に人と関わろうとしないことと関係しているのかはわからない。だが、それも含めて、何か人に言えない悩みや問題を抱えている、というような気がしたのだ。

「わっかんねぇなぁ、あの子」

「お疲れ様。お前は頑張ったよ、うん」

 嘆く野村を慰めていると、どたどたという足音が廊下から響いてきた。ん? と不思議に思っていると、

「あぁー、びっくりしたぁー!」

 などと訳の分からないことを叫びながら、飯島が教室に飛び込んできた。

「どうしたのよ」

 尋ねると飯島は「ねえ、聞いて聞いて!」と言いながら、話したくて仕方がないといった様子で詰め寄ってきた。

「さっきね、電車乗ってたらさぁ、いきなり、ちょっと離れたところにいたサラリーマンがね! なんか「うぎゃぁーっ!」とか絶叫してんの! しかもその後ビクビクひきつってぶっ倒れてんの! マジビビったし!」

「そりゃビビるわ。あー、じゃあ電車遅れてんのかなぁ」

「夜と朝とで、ねぇ。気絶が流行ってんのかね」

 俺が笑いながら何気なくふざけたことを呟くと、

「え!? なに、なんかあったの!?」

 と、食いついてきた。

 昨晩の出来事を伝えた結果、昼休みには学校中の生徒が噂を知るところとなったのは言うまでもない。



「……マジで?」

 きっと俺じゃなくても、テンションに違いはあれど、平凡な男子だったら思わずそう聞き返してしまうだろう。

「ええ、マジですわ。もしよろしければ、一緒に帰っていただけません?」

 ニコニコと敦賀さんは繰り返したので、ようやく冗談でも聞き間違いでもない、これは現実のことなのだと理解する。

 そして俺は、肝心なことを確認しなくてはならないことに気が付いた。

「それは、二人っきりでってこと?」

「ええ」

「行こうか」

 敦賀さんの口が「ええ」と動いた瞬間には、俺は椅子から立ち上がり、ネクタイを締め直し、最大級のキメ顔を作って鞄を持っていた。

「それじゃーみなさんごきげんよう!」

 俺はレーザービームのように焼け付く周囲の羨望と怨念の視線を受けながら、そそくさと教室を後にする。

「裏切りものーっ!」

「お前明日死刑だかんな!」

 モテない男どもの僻みと呪詛は心地いい……そんな風に勝ち誇っていると、

「あら、別に浮いた話にはなりませんわよ?」

 と敦賀さんが付け加えたため、教室から野太い「うぉっしゃぁ!」という歓声が上がる。

「そりゃないよー」

「まあまあ……ちょっと用事がありますの。付き合って?」

「へいへーい、喜んでぇ……」

 明らかに落胆して見せるが、実際問題、俺が彼女と釣り合うとも思えない。何より、別に付き合うんじゃなくても、一緒に帰れるだけでも男としては嬉しいことこの上ない光栄なのだ。結果オーライということにしておこう。


「んで? 用事って何があるの?」

 思わせぶりな態度への恨み言をぽつぽつと漏らし、それを敦賀さんにひとしきり笑われた後で俺は尋ねた。下り坂を歩いているとつい早足になるが、折角だからゆっくり目に歩こうと歩幅を縮めペースを落とす。

「そうねぇ……笑わないで聞いて下さる?」

「我慢はするけど、耐えられなかったらごめんね」

「まっ。誠実なんだか不誠実なんだかわかりませんわ。……まあいいですけれど」

 言葉を終えると、敦賀さんの瞳が、不意に怪しい光を帯びた――気がした。いや、きっと錯覚なのだろうけど、とにかく雰囲気が少し変わったような気がした。

「昨日、お話してくださいましたよね。学校の怪談。テケテケ、でしたわよね」

 思いがけない話題に俺は面食らう。

「ああ、うん。それがどうしたの?」

「実は、ですね……私、その話に興味がありますの。もっと詳しくお聞かせ願えますか? 昨日のような脚色や雰囲気作りは抜きで、お願いしたいの」

 敦賀さんが俺でないとダメな理由に納得する。こりゃ他の奴じゃ意味がないわけだ。

「それは構わないけど……何? オカルトとか、興味あるの?」

 尋ねると、敦賀さんは悪戯っぽく笑った。

「意外でした?」

「うん、結構ね。わざわざ俺を呼び出してまで、っていうのがね。俺としてはテケテケよりも、俺に興味持ってほしいけどねー」

「あら、それはあなたの努力次第ですわ」

 俺と敦賀さんは互いに笑った。


「さて……どっから話せばいいかな」

 駅の近く、穴場の喫茶店で俺と敦賀さんは向かい合って座った。いつもさほど混雑しない上、昔ながらの雰囲気の所為かあまりうちの生徒も見かけないような場所なので、こっそり話すには最適だ。

 俺はアイスティーを、敦賀さんはコーラを注文していた。なんだか彼女のようなタイプなら、てっきりもっとお上品な、名前の長ったらしい紅茶の類でも頼むかと思っただけに意外だった。

 ストローに口を付けて一口飲んでから、彼女は手を顎に当てて考える素振りを見せた。

「そうねぇ……まずはいつ頃からある話なのか、教えてくださる?」

「りょーかい。……前もって断っておくけど、昨日も言った通り、これは去年卒業した先輩に聞いた話だ。だから大いに先輩が脚色している部分もあるだろう。ただし、それとは別に、俺は聞き込みなんかをして、何人かの先生や生徒からも情報を仕入れている。その中で、あくまで俺基準で客観性が高いと判断した事実に基づいて話をする……ってことで、いいかな」

 念のため確認をしておくと、敦賀さんは「上出来ですわ」と微笑んで、頷いた。

「まずは、いつ頃かという話だけど、おそらく"完成したのは"五年前だ」

「完成したのは、というのはどういう意味ですの?」

「うん、それなんだけど、元になった噂自体はもっと古くからあるみたいなんだよ。十年以上勤めてる先生に聞いたことがあるんだけど、それによると、先生が赴任した時にはもう噂としてあったそうなんだ。もっとも、最初は夜中の学校で足音が聞こえるとか、白い影を見たとかその程度だったらしい」

「なるほど……」

「で、その後もちょっとした恐怖体験ってくらいの扱いで、そんなに大々的に話題として挙がることもなかった。ところが、五年前になって急に話の骨格が出来上がっている」

 俺はアイスティーをすすり、続ける。

「この五年前、というのが大きな問題なんだ。昨日語った怪談の中で、下半身不随になった男子学生が出てきたっしょ?」

「ええ、もちろん覚えてますわ」

「彼は実在する生徒で、本当に下半身不随になっている上、転校しているんだ」

 一拍、沈黙が訪れる。不意に敦賀さんが不敵な笑みを浮かべた。

「……実は、その話は存じております」

「え、マジ?」

 意外な返答に虚をつかれ、俺は唖然としてしまい言葉を失う。

「言いましたでしょう? この手の話に興味がある、と。昨日、事情があると言って先に帰ったでしょう? 実はその足で図書館に行って、新聞記事を調べていましたの。閉館時間ギリギリだったから、本当に焦りましたわ」

「いやはやまあ凄い行動力だね……御見それしました」

 敦賀さんは「ふふっ、凄いでしょ」と笑いながらぺろりと舌を出してみせた。茶目っ気のある仕草にドキッとする。

「まあ俺も敦賀さんと同じで、図書館で当時の新聞を調べてみたし、ネットのニュースサイトでも取り上げられたおかげで、すぐに事実確認は出来たんだけどね。知ってるなら話は早い。記事に書いてあった通り、放課後に男子学生が倒れていたのを残ってた先生が発見、病院に運ばれて一命をとり遂げるも、頸椎を骨折していた上に脊髄が損傷、下半身不随の後遺症が残ったって話だ。事件と事故の両面で調べるも、手掛かりがないため迷宮入り……。男子生徒は変な音を聞いた、ボールみたいなものが当たったと証言したらしいが、本人も何が起こったのかわかっていない様子だった……って話らしい。」

「そうですね、確かにそう書かれていました」

 俺と敦賀さんは同時にストローに口を付ける。冷たい液体が体の中へと流れ落ちるのを感じながら、俺はさらに続ける。

「で、これは聞き込みでわかったことを踏まえて俺が出した結論だけど……あのテケテケの怪談は、多分二~三割が真実で、残りのほとんどは創作だと思う」

 右手で二本指、三本指と順番に上げながら答えた。

「どうしてその結論に至ったか、教えていただけますわよね?」

「もちろん。……何と言っても、例の男子生徒は、一言もテケテケの怪談に出てくるような証言はしていない。階段の中で彼が語った話と一致するのは「物音を聞いた」「下半身不随になった=足を失った」というその二つだけだ。その物音がテケ、テケ、なんていう話もなければ、目撃したのが下半身のない女子生徒だったなんて話は欠片も出てきてない。まあ当時の証言をその場で聞いていないから事実はわからないけれど……多分、こんな流れで話が出来上がったんだと思う」

 俺は間を置いてから、再び口を開く。

「最初のうちはただの不幸な事故だった。だが、少年の残した証言「変な物音」と「ボールみたいなもの」という、不可解なキーワード。特に変な物音という、好奇心をくすぐるような言葉を聞いて、誰かがこう思ったんだろう。「それって、テケテケの足音じゃないか?」とね。事実、学校の不思議な物音という噂の正体の一つとして、花子さんやメリーさんや音楽室のピアノというメジャーなものの中に、テケテケもあったらしい。相応しい尾ひれを見つけると、より面白おかしい方向へと噂は変わってゆくこととなった。耳目を集めたい誰かが「変な音だけじゃつまらない、だったら見た目もボールからもっと違うものにしよう。そうだ、折角テケテケという怪物の噂があるんだ、あの噂通り下半身のない女ということにしよう」と考えて噂を流したのかもしれない。あるいは退院後学校に戻ることなく転校したことを不審に思い「少年は下半身不随になってしまったと言うが、本当はテケテケに足を奪われてしまったんじゃないか?」とオカルティックな想像を口にしたのかもしれない。憶測や幻想、怪奇な噂話が混ざり合い、最終的に"足を奪われた少年"という事実と"謎の怪物テケテケ"という都市伝説を折半した、うちの高校版『テケテケの怪談』の出来上がり、ってわけだ」

 神妙な顔で敦賀さんは「なるほど」と頷いた。

 さすがに一気にしゃべった所為で口が疲れた俺は、少しだけ温くなったアイスティーを半分ほど飲む。

「……というのが、俺の考えた怪談が出来上がるまでの経緯」

 敦賀さんは一言「ふーん」と呟いてから、

「実にもっともらしい話、ですわね」

 と、納得したような、しかし――どこか腑に落ちないような反応を返した。

 俺はさらに、バカバカしいと言われるのを覚悟で、個人的な見解――というか、願望じみた妄想を――付け加えることにした。

「で、さ。これは事実とは別で、あくまでも俺がただ思ったことなんだけど……」

「なんですの?」

「俺はね、テケテケが本当に居るんじゃないか、って……そう思うんだ」

「……どうしてそう思うのか、伺っても?」

 俺の突飛な発言に、敦賀さんは否定も怪訝そうな目で見ることもせず、ただ尋ねてきた。

「前提として俺の価値観を教えておくと……俺はね、超常現象やUMA、都市伝説の類は、まず信じることにしてるんだ」

「何か――きっかけがあった、とか?」

 敦賀さんの瞳がきらりと光った……気がした。口元は笑っているが、目つきは普段より鋭い。何か、探りを入れられているような感じがして、背筋がぞくりとする。ここは敢えて嘘はつかず、しかし真実は曖昧にして伝えることにする。

「うん。けどその話は、またいつか」

 さすがに「超能力が使える」などと軽々しく口にしたら、頭がおかしいと思われる。さらに証明して見せれば、いよいよ異常者扱いだろう。

 敦賀さんはそれ以上言及することはなく、さらりと、

「あら、残念。……話を戻しますけれど、どうしてテケテケが居ると思うのか、続けて下さる」

 と、脱線を正されただけだった。肩透かしを食らった俺は、どこか安心と不安を抱えつつも、どこまで話したっけ? と思い出しながら続けることにした。

「えーっと、そうそう。まあ俺はそういう諸々の怪奇現象を否定しないでまずは受け入れるって言いたかったのよ。それでテケテケについてだけど、キーとなるのは、少なくとも十年以上前から語られているという「真夜中の足音」だ。この噂は細々とだが定期的に確認されている。比較的最近にも――これは夜ではなく夕方だったが――「足音を聞いた」という噂を耳にした」

「声はすれども姿は見えず、というやつですか」

「そうなんだ。今までに学校の物音にまつわる怪奇現象で姿を見たというのは、例の少年の証言だけ。ついでに言えば、少女の姿なんていうのは完全に脚色だと考えると、より曖昧で奇妙な「ボールのようなもの」という表現が残っているだけだ」

「うーん……例えば、ですわよ」

「ん?」

「例の少年は、本当にボールをぶつけられた。そして打ち所が悪くて大怪我をした。怖くなった犯人は口をつぐんで逃げ出しただけ……という話は考えられません?」

 敦賀さんの推理は至極真っ当で、なるほどと思うようなものだ。しかし。

「残念だけど、それはもう言われつくした意見だ。学校と警察も当初は「奇妙な音」はボールのバウンド音で、少年が見たのは自身に迫るボールだったという見解だったんだ。いじめ説、事故説の両方で考えたんだよ。だけど医者が言うには「ただのボールによる衝撃が加わったとは考えづらい」とのことで、結局事件は振出に戻る……ってことになったらしい」

「……あなた、よくそこまで調べましたわね」

 感心と呆れが半々くらいのなんとも言い難い顔をされるが、俺は気にせず、

「持つべきものは飽くなき探求心とおしゃべりな先生、ってね」

 と得意げに笑って見せた。つられて敦賀さんもクスリと笑った。



「――結局はさ、正体不明の怪奇現象止まりなんだよね」

 話が一通り終わり、俺と敦賀さんは駅へと続く商店街をぶらぶらと歩いていた。ここ数日は連続して同じくらいの時間に帰っている気がする。丁度、一番夕陽の強い時間を少し過ぎたくらいの、陰が濃くなり出す頃合いだ。いわゆる逢魔時である。

「ところで敦賀さんはさ、このオカルト話を聞いて、何かするつもりなの?」

「え?」

 唐突に尋ねられた敦賀さんは、ちょっとだけ驚いたようで目を丸くしていた。しかしすぐにまた、悪戯っぽい笑みを浮かべる。

「そうねぇ、怪物退治――とでも答えれば、満足かしら?」

「あー、いいねぇ。面白そうだ」

 俺と敦賀さんは顔を見合わせてクスクスと笑った。

 それから彼女は両手を小さく胸の前で振りながら、

「なんてね、冗談。さっきも言ったけれど、単純にこういう話が好きなの」

「ま、怪物退治に行くときは一声かけてよ。写真の一枚も撮れれば、物好きな出版社が買ってくれるだろうから…………あれ?」

 話している途中、俺は思わず言葉を漏らした。

「どうかしましたの?」

 不思議そうに敦賀さんが俺の顔を覗き込む。

「ゴメン、用事。先帰ってて。あ、そうそう、今日は楽しかったよー」

 質問されると面倒だと思った俺はそれだけ言い残すと、とっとと走り出した。

「あ、ちょっとぉ……」

 困ったような声が遠ざかる。名残惜しいが仕方がない。


「………………」

 敦賀明香里の表情から柔らかな表情が消えた。

 周囲を最小限の動きで見まわすと、彼女はおもむろに人気のない路地へと入り――消えた。

 そして次の瞬間には、路地の真横にそびえるビルの屋上に佇んでいた。

「何か楽しいことが起こりそう、ですわね……」

 不敵に笑う明香里の視線の先には、商店街を一心不乱に走る箱崎透の姿があった。


 カツアゲなんて今時流行んないよなー、と思う。にもかかわらず、余計な風習に限って律儀に受け継ぐ輩――不良というのは、いつの時代にも必ず居るんだろう。

 遠目では誰かまではわからなかったけれど、路地裏に連れ込まれたのはうちの生徒だった。まあ肝心なのはうちの生徒かどうかというより、何か事件が起こったということだ。

 走りながら、俺は自分の口元が自然とほころんでいるのに気が付いた。

 きっと誰かが見たら気味悪がろうだろうが――俺はトラブルが大好きだ。

 事件や問題という言葉を聞くと、まずは首を突っ込む。いや、自然と首を突っ込んでいる。そして自分の手に負えるような事態であれば、全力で解決に当たる。それが自分に無関係であろうとなんだろうとだ。

 悪趣味だとか偽善者だとか言われる可能性もあるし、そういう意見を否定する気はない。ただもう、これは生まれ持った性分だからしょうがないのだ。

 もめ事を見つけたとき、俺は正義とか悪とかを考える前に、退屈や停滞という人生最大の敵を倒すチャンスが転がってきた、と思ってしまうのだ。善悪はその後にじっくり考えればいい。

 だから今も、目の前で事件発生の瞬間に立ち会えて、心から喜んでいる。ヒーローになる気は毛頭ない。とにかく、緊張感や喜びや驚きの渦中にありたいと思う。それだけの至ってシンプルな話なのだ。

 まばらな人ごみを駆け抜けると、学生が連れ込まれた路地裏がすぐそこに迫る。

 まずはちらりと様子を伺う――

「いいから出せっつってんだろ!?」

 ――必要もないくらいの大声で、これ以上なくわかりやすい状況説明が、勝手に耳に飛び込んできてくれた。

「だ、誰かぁ……!」

 弱弱しい声は、連れ込まれた学生のもので間違いないだろう。

「な、落ち着けよ。お小遣いくれればいいだけだって」

「早くしてくんないかなー。俺らだって暇じゃないんだよ」

 まあこれ以上ここでボケーッと聞いていても仕方ないので、早速出ていくことにしよう。

「……おいおい、あんたらヤバいよ!」

 俺はなるだけ慌てた様子を演出するべく、焦燥しきった表情を作る。とにかく、信じ込ませることが重要だ。

「はぁ?」

 不良たちは予想通り「なんだこの馬鹿は?」みたいな反応を返す。

 幸いにもまだ殴られる前だったようで、うちの見ず知らずの男子生徒は泣きそうな顔をしているものの、これといった怪我は見当たらなかった。

「いや、あんたらがここ入ってくの見て、俺、ヤバいと思って……」

「何こいつ」

「おいおい、お小遣いに加えてお年玉までもらえちゃうのかよ」

 当然ながら、不良の反応は冷たいものだ。それどころか、更なる獲物を見つけて喜んでいた。

 好き放題の不良は気にせず、あくまで自分のペースを守り、切羽詰まった様子で続ける。

「あんたたち、ここで人が死んだって話知らないの!?」

「え?」

 突然の物騒な言葉に、不良も男子生徒も一瞬面食らったようだったが、不良たちはすぐに吹き出した。

「ぶっは、何それ? え? だから何って話なんだけど」

「人が死んだからってなんだっつーんだよ。祟りが起きるーってか?」

「そうなんだよ」

 待ってました、と言いたい気持ちを抑えて、俺は相手の言葉をすかさず肯定する。

 と、同時に。連中の後ろへ積まれたビールケース目掛けて"力"を込める。

 サイコキネシスによって引っ張られたケースは地面に落下し、乾いた音を立てた。

「うぉっ」

 さすがにあまりにもタイミングが良すぎたためか、振り向いてひきつった表情をする。そして、醜態を怒りで誤魔化すように、いきなり不良の一人が俺の胸倉を掴んできた。

「テメェ、ふかしこいてんじゃねぇぞ!」

 息がかかる距離に迫る不良の顔。だが俺はなるだけ――不良にではなく、未知のものへの恐怖に駆られているような怯えた表情を作る。

「だ、だから、そんなことしてる場合じゃないんだって!! あっ!!」

「はぁ!?」

 俺がビールケースを指差すと、場に居た全員が指の延長線上に注目する。

 ――ずるり、ずるりと、物理法則を無視して、まるで意思を持った生き物のように這って迫るビールケースがあった。

 この場でそれが幽霊でもなんでもないと唯一知っている俺は、連中の顔がみるみる恐怖に染まっていくのを見て、内心爆笑してしまう。

「……な、なんだよこれ」

 その声は弱々しく、胸倉を掴んでいた手もいつの間にか離れていた。そしていきんでいた手は、すっかり震えはじめる始末だ。

 名残惜しいが、ここいらでとどめを刺しておこう。

「……だから、俺は忠告しに来ただけなんだって。ここは……マジで、ヤバいんだよ。これ以上怒らせないように、早く逃げた方がいい。じゃないと――」

 さらに生ごみが入ったポリバケツが、勢いよく倒れる。もっとも、これも俺が操っているだけなんだが。

「お、おい、なんだよぉ!?」

 不良の一人が逃げ出した――そう、一人逃げ出せば、それでいい。後は――

「ちょっ、ま、待てよ!」

「んだよぉ!?」

 と、残りの連中も釣られて逃げ出す。ついでに、

「う、わあああ!」

 絡まれていた男子生徒も蒼白になって逃げてくれたお蔭で、すっかり路地裏は本来の静けさを取り戻した。残るはただ、俺一人だ。

「……いやー、楽しかったー!」

 まるで連中は俺の書いた脚本通りに動く役者のようだった。あの本気の怖がり具合、アカデミー助演男優賞をあげてもいいくらいだ。

 ついでに人助けも出来て満足した俺は、喜びの中で後片付けを開始した。



「――やっぱり! やっぱりでしたわ! あはははっ!」

 ビルの屋上で明香里は、心底楽しくてしょうがないといった風に笑っていた。

 不良と透のやり取りを一部始終余さず見終えて、ついに彼女は確信を持った。

 明香里は鞄から携帯電話を取り出すと、どこかへと電話をかけた。コールが三回目に入るかどうかのタイミングで、スピーカーの向こうから声が返ってきた。

「私です。……ええ、その件で。例の彼、ほぼ百パーセントの確率でクロですわ。能力はサイコキネシス……引力操作の可能性もありますけれど、可能性は薄いでしょう。明日からは勧誘活動に切り替えます。……ええ、クラックについてはまだ調査中ですが、昨晩警備員が一人気を失っていたことから、こちらも間違いないでしょうね。既にサイキックが三人も居るんですもの、そろそろクラッカーとご対面できるはずですわ」

 通話を終えた明香里はしゃがみこみ、しばし足元でビールケースやゴミ箱を元に戻す透を、にやにやと眺めていた。


「……うん。多分そう。サイコキネシスだと思う。あとクラックもあるみたい……」

 路地の向こう、物陰でぼそぼそと通話をする少女がもう一人。

 小隈陽菜もまた確信めいた表情で、鼻歌交じりで片づけを行う透を見つめていた。

「……勧誘なんて、私には……。……うん。でも……敦賀は仕掛けてくると思う」

 波乱の予感を秘めたまま時は流れ、知らぬは透ただ一人――。



「またあったのぉ?」

 俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。

「だってよ。昨日の放課後、数学の花井が倒れてたって。いよいよこれは、なんかあるね」

 多少は心配そうにしながらも、野村はどこか「面白いことが起こってるな」という高揚感を隠せない風だった。

(おとといに続いてまた……)

 荒唐無稽だと思いながらも俺は、学校に潜む怪物が徘徊する光景を想像してしまう。

「次は誰がやられるかねぇ?」

 野村がにやにやとしながら言うと、すかさず菅原が、

「内田、内田がいい! あいつの授業わかんねぇんだもん!」

「いや、先に鈴木がやられれば、数学両方居なくなるから数学の時間休みになんぞ!」

「おいおい激熱じゃねーか!」

 盛り上がる二人の会話を聞き流しながら、俺は考えた。

(別に正体が犯罪者でも怪奇現象でも、なんでもいいや。とにかく、こんな面白そうなネタ、他の奴に譲るには惜しいな)

「ほら、さっさと席に戻れー」

 岡本が教室に入ってきたので、俺たちは蜘蛛の子を散らすように自分の席へと戻る。

 その日の岡本は、いつもよりも険しい顔をしていた。

「あー、もう知ってる奴もいるかもしれないが……三組の花井先生が昨日の放課後、急病で倒れられた」

 知っている奴も知らない奴も含めて、教室がざわつく。様々な憶測がこそこそと飛び交うが、岡本の「はい、静かにー」の一言で沈黙が戻ってくる。

「幸い命に別状はなく、軽いムチウチで済んだそうだ。だけど一か月は大事を取って休まれることになった。怪我の原因は不明で現在調査中だが、今日から当分の間は放課後の居残りを禁止することになった」

 不満の声を上げる者、驚きを隠せない者、様々だった。だがそんな抗議は意に介さず、岡本は続ける。

「とにかく! 放課後残ってる奴を見つけたら、問答無用で追い出すからなー。部活に入ってる奴は、顧問の先生にどうするか聞くように。連絡は以上だ」

 答えようのない質問を受けるのは面倒なのだろう、岡本は駆け足気味に話を打ち切ると、さっさと教室を後にしてしまった。

(面白くなってきたぞー。居残りしない手は、ないね)

 口元を手で覆い隠しながら、俺はひっそりと笑った。


「………………」

 ざわつく教室の片隅で小隈陽菜は、小さく肩を揺らす箱崎透を見つめていた。

 陽菜は事前に与えられたデータファイルに書かれた、箱崎透に関する調査結果の不穏当な一文を思い出す。

(『過去何度もトラブルに巻き込まれており、いずれも自ら積極的に介入した模様』……)

 会話に夢中なクラスメートたちの誰にも見られていないのをいいことに、陽菜は存分にうんざりと、大きなため息をたっぷりと吐き出した。



 普段は滅多に使うことがないトイレの個室だが、今日この時だけはありがたい潜伏場所として、大いに役立ってくれた。

 全ての授業が終わり放課後になると、俺はさっさと帰る素振りを見せて別れを告げて昇降口へと一目散に走った。

 そして靴を履いてからこっそりと校舎裏へと回り、靴をビニール袋に入れてから鞄に仕舞うと、靴下のまま教室へと戻った。それから体育館用のバッシュに履き替えて、トイレに潜んで放課後を待った。

 見回りの先生方に見つかりはしないかと気を払ったものの、さすがに向こうもトイレに潜んでまで放課後の学校をうろつこうとする人間が居るとは思いもしなかったようだ。

 特にそれらしい物音が聞こえることもないまま日が落ちたので、俺はいよいよ夜の学校探索を始めることにした。

 タイムリミットは午後の七時。それ以前は先生が居るものの、まあ隠れてしまえば問題はない。だがそれ以降になると、警備のためのセンサーが動き出して厄介なのだ。これも以前、おしゃべりな先生から聞き出した情報なので、間違いはないだろう。


 まずは問題の三階を調べることにした。

 と言っても、せいぜい「現場は廊下」という程度の情報しかないので、どこから手を付けるべきか迷う。とりあえず、壁や床などにそれらしい――何を以て"それらしい"と判断すべきかわからないが――痕跡がないかを探す。

(うーむ……)

 例えば壁を見てみても、探せば汚れや傷はすぐに見つかる。が、明らかに生徒の悪戯でつけられたり、経年劣化や手あかなどの汚れだったり、はっきり怪しいと断じられるものではない。

 壁の低いところから天井に近いところへと、撫でるように視線を上げる。というか、実際に手で触れて撫で上げてみる。

「ん?」

 パッと見ではわからなかったが、壁がわずかに窪んでいるところがあった。試しに携帯電話のライト機能で様々な方向から照らしてみると、影の落ち方で大体の形とサイズがわかった。

 まるでボールでも当たったかのような球状の窪みは、少なくとも直径三〇センチ。壁と凹みの境界は曖昧であるため、実際はもっと大きな何かが当たったものだろう。と、ここまで考えてから、

(って、そんなデカいボールみたいなものってなんだよ)

 という根本的な疑問に行き着いた。

 最低でも直径三〇センチ以上の巨大なボールと聞いて真っ先に思い出したのは、一時ダイエットだとかで話題になったバランスボールだが……あれをどれだけ全力でぶつけたところで硬い壁には傷一つ付けられないだろう。

(ということは……こりゃ正に"それらしい痕跡"じゃねーか!)

 偶然の発見に俺はつい笑みがこぼれる。もっと難航するかと思いきや、早くも手がかりゲットだ。

 そして、ボールのようなもので連想するのは、例のテケテケの元となった話である。最も、たかだかこんな痕跡ひとつでテケテケが存在すると断定するほど馬鹿ではない。

 何より、これを見つけたところで連続襲撃犯の正体について答えが出るわけではない。更なる調査を続けようとした、その時だった。


"――何か、見つかりましたか?"


「――!?」

 まさか先生に見つかったのか? と、キョロキョロ周囲を見回すが、姿はおろか人の気配さえない。

 だが先ほどの声は到底空耳ではない、やけにはっきりとした声だった。

「……いや、待てよ」

 そして俺は、違和感に気が付いた。

 一つは、それは「あんな若い声の、女の教師は居ない」ということだ。

 うちの高校には残念ながら若い女教師という、響きだけで興奮を覚えるような素敵な存在は居ない。ほとんどが不惑を過ぎて家庭もあるようなおばちゃん先生だ。だから、先ほどの声の主が教師である可能性はありえない。となると声の主は順当に考えれば学生だということになる。

 もう一つは、咄嗟にはわからなかったが、冷静に考えると――先ほどの声は、感覚的に妙な部分があった。

 なんというか、空気振動が鼓膜を震わせ、脳がそれを認識したという音を認識するプロセスから、音の要素を抜いたような……そう、直接"声だけ"を認識したような、なんとも説明しがたいものだった。思考をするときの心の声を、よりはっきりとさせたような感じだ。

 何より、その声には聴き覚えがあった。

「…………」

 不可解な事態に、まずは更なる反応を伺うことにした。あちらもそれを察してくれたのか、すかさず、

"ふふ、こっちです。あなたのう・し・ろ"

 と、からかうような、しかしどこか蠱惑的な魅力を含んだ言葉が再び"脳内に"響いたので、ついに俺は振り返りながら確信を持って口を開いた。

「……居残りしてると怒られるよ、敦賀さん」

 曲がり角からスッと現れた敦賀さんは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。彼女はこちらを見ながら、

"あら、ご忠告どうも。だけど私の勘違いじゃなければ、あなたもでしてよ?"

 と――口を動かすことなく"言った"。

 これはもう、そういうことなのだろう。


「つまり――君も、俺と一緒ってことか」


 自然と俺の口元に笑みが浮かぶ。

 果たしてその笑いは、ついに同じ力を持った仲間と出会えた嬉しさなのか、得体の知れない事態に巻き込もうとしている運命への苦笑なのか、それは俺にもわからなかった。

「ふふふ、話が早くて助かりますわ」

 敦賀さんは微笑みを浮かべながら、ようやく口を開いた。

「初めて同族とお会いした気持ちは、いかがですか?」

 正直なところ混乱を隠せない俺に、敦賀さんはこともなげに尋ねた。

「そうだね……嬉しい、っていうのは本当かな。あとスゲー驚いてる」

 そう、これは嘘じゃない。

 だが「突然の転校生」が「俺と同じ超能力者」で「都市伝説と怪奇事件」について聞かれたとあっては、きな臭い懸念を抱かずにはいられない。

「それで、いつ俺がそうだと気が付いたの? 歓迎会?」

「まだあの時は半信半疑でしたけれど……昨日お話を伺った後、あなたカツアゲの成敗をなさったでしょう」

 なるほど。目を付けられてる俺の不審な行動を見逃すわけがないか。まさか俺も転校生が超能力者だなんて突飛な考えは浮かばなかった。わかっていれば、もう少し慎重に……いや、むしろこうなるように、積極的に仕掛けたかもな。

「で、だ。君は俺をどうするつもりなんだ?」

 俺は最も重要な話題に切り込む。仮に答えが返って来なくても、何か糸口になればいいと思った。

 しかし敦賀さんは意外なほどあっさりと答えた。

「平たく言ってしまえば、勧誘ですわ」

「勧誘?」

「そう。超能力者はあなたと私だけじゃなくて、世の中にはもっとたくさん居ますのよ。私はね、そんな超能力者を一つ所に集めた学校から、あなたの勧誘の命を受けてやって参りましたの」

「それ、変な宗教団体が母体とかじゃないだろうね」

 俺の半分本気の冗談に敦賀さんはカラカラと笑った。

「宗教ですって? まさか! ご安心なさいな。一応私立の学校と銘打っていますけれど、その実態は国立の研究監視機関ですのよ」

 いよいよ話のスケールが大きくなりすぎてきた。国の施設だって?

 馬鹿げているが――事実として、バックに居る何者かは俺という超能力者を見つけ出し、敦賀明香里という超能力者を送り込んできたのだ。一笑に付して済ますには、あまりにも出来過ぎている。

「研究と監視を目的としている、と言うとモルモット扱いみたいで聞こえは悪いですけれど……案外、自由にさせてはもらえますわよ。一昔前の映画みたいに、頭に電極を刺して薬漬けにされて実験されたり洗脳されたり

……みたいなことはありません。ま、ひょっとしたら私が気づいていないだけで、実はとっくに操られているのかもしれませんけどね。ふふっ」

「面白いけど、笑えないジョークだね」

 うんざりとしたように肩をすくめながら笑い返す。

「まあ冗談はさておき、案外自由というのは本当ですわ。電話の盗聴や定期健診、外出時にはGPSでの追跡などなど面倒なことは山のようにありますけれど、外出自体は自由ですし、遊びも恋愛も趣味も、ある程度は勝手にさせてもらえますのよ?」

 さらりと凄いことを言っているが、彼女の性格的にわざと言ってるんだろうなと思う。

 実際問題、無理やり入学させて反感を買うより、ある程度情報を開示して納得ずくの方が後腐れしないのだろう。仮に俺が敦賀さんの立場ならそうしている。

「その学校は超能力者を集めて何するつもりなんだ? というか、俺は何をさせられる?」

「そうねぇ、あなたでしたら私と同じように、勧誘に回されるのではないかしら。そういうの得意でしょう? 口がお上手ですもの」

「お褒めに頂き光栄です」

「ふふふっ。そうそう、そういうところ」

 俺と敦賀さんはくすくすと笑った。しかし未だ緊張感を拭い去ることができない。互いに腹を探り合っている状況だから仕方がないのだが。

 さて、一体次は何を聞くべきか……そう考えているうちに、昨日のことを思い出した。

「そういえば、さ。敦賀さんがわざわざ来たのって、勧誘のためだけなのかな」

「それは、どういう意味ですの?」

「わざわざ勧誘するためだけだったら……あんなに熱心にテケテケのことを聞く必要がないんじゃないかと思ってね。そりゃあ相手の趣味に合わせることで関係を持つとっかかりにはなるけれど、それにしては聞いてくることが、なんていうか……」

「妙に具体的過ぎた?」

 敦賀さんは俺の言葉の続きを引き取って答えた。それからまた、にやりと笑う。

「うーん、そうねぇ。あなたのお察しの通り、私にはもう一つの目的がありますの。でもそのことを説明するなら、先に私たちのことを話さなければいけませんわね」

 敦賀さんは一旦間をおいてから、説明を始めた。

「先ほど私は "超能力者"と一般的でわかりやすい表現をしましたけれど、実は私たちの仲間内では、その特性を加味した別の呼び方をしていますのよ」

「特性?」

 言葉の意味がわからず、オウム返ししてしまった。

「そう。例えば――あなたの能力。いわゆる念動力、サイコキネシスの類とお見受けしているのですけれど、いかがでしょう?」

「ご名答。少なくとも、俺はそう認識してるよ」

 敦賀さんの方が超能力の知識や認識に関しては数段上だろう。下手に隠して印象を悪くするよりは、ある程度は素直に答えて情報を引き出した方がいい。

「では、私の能力は――なんだと思います?」

 妙に含みのある質問だった。質問の意図は不明だが、奇を衒わず答えることにした。

「テレパシーって言うのかな、さっきのは」

 しかし俺の言葉を聞くと、敦賀さんは目を細めて「ふふっ」と肩を揺らした。

「ああ、ごめんなさい。別に馬鹿にしているわけではないのよ。……はずれと言えばはずれだし、あたりと言えばあたり、というところですわ」

「なんだそりゃ?」

 からかうような口ぶりだった。短い付き合いだが、敦賀さんは人を焦らすのが好きなようだ。俺は焦らされるのが嫌いではない――だからって別にそれで喜ぶほどマゾではないが――ので、急かさずにただ彼女の答えを待った。

「テレパシーは、"私が使える"能力であって、"私の"能力ではないの」

「……なんだか、君が言いたいことがわかりそうでわからないな」

「ふふっ、ごめんなさいね。ちょっと意地悪が過ぎたかしら」

 相変わらずこっちのことなどお構いなしに微笑みながら、彼女は鞄とは別に持っていた紙袋から――思いもよらないものを取り出した。家庭にあって然るべきものだが、女子高生が普段持ち歩くにはおよそ似つかわしくない。

「じゃーん。さて、これはなんでしょう?」

 まるで見せびらかすように、彼女はそれを俺の前に差し出した。

「蛍光灯、だよね」

 それは紛れもなく、極めて一般的な蛍光灯だった。教室の明かりにも使われているような、細長いやつだ。

「はい、正解。では、見ていてくださいね……」

 敦賀さんの言う通り注目した、次の瞬間――、

「!?」

 ――蛍光灯に光が灯った。

 いや、蛍光灯が光るのは当たり前なのだが、敦賀さんが手にしているにもかかわらず、となると大きな問題だ。

 中学の理科の実験だったか、帯電する物質を擦ることで静電気を発生させ、それによって蛍光灯を発光させるのは見たことがある。だが決定的に違うのは、敦賀さんが擦って静電気を起こした気配がないばかりか、蛍光灯は微弱な光を発するのではなく、電源が来ている時と何ら変わらない安定した強い光を発している点だ。

「あらためて、質問しましょう。――私の能力は、なんでしょう?」

 蛍光灯の白い光で下から照らされた敦賀さんの顔は、まるで俺が怪談を語る時のような怪しさを放っていた。

「――電気?」

 他に考えが浮かばない俺は、見たままを答えた。すると、敦賀さんはにっこりと屈託のない笑みを浮かべて、

「ぴんぽーん♪ 大正解、でございますわ」

 と言いながら、大きな丸を蛍光灯で描いた。

「電気、では聞こえが悪いですし、何より伝わりづらいですから、エレキネシスと呼んでいますわ。これからは電気なんて無粋な呼び方はなさらないでね」

 わざと不機嫌そうに言って見せる敦賀さんの素振りは無邪気だった。しかし、却ってその裏には打算や企みがあるようにしか思えなかった。

「改めて言い直させていただきますと、私の能力はエレキネシス――"INDRAインドラ"というものですの。そして、さらにテレパシーも使える。さて、これは一体どういうことでしょう?」

 小首を傾げる敦賀さんを見つめながら、彼女の言葉の真意を探る。

 俺の能力は、サイコキネシスである。離れている物体であっても、俺が動かそうと思えば自由に動かすことが出来る。

 そして、敦賀さんの言葉を素直に信じるとすれば、彼女の能力は電気を操るエレキネシス・インドラである。

 これを踏まえた上で、彼女が先ほど言っていた言葉を思い出す。

『テレパシーは、"私が使える"能力であって、"私の"能力ではないの』

 ――と、いうことは、だ。

「つまり君の能力はエレキネシスであって――ちょっと考えにくいことだが――テレパシーは、誰か別の人間の超能力、なーんて……」

 さすがに無理があるか? と思ってしまう答えに、しかし敦賀さんは目を見開いて「まあ」と漏らした。

「いくらヒントを与えたとはいえ……まさか、的確に答えを返されるとは思いませんでしたわ。あなた、本当に察しがいいのねぇ……」

 そう語る彼女の顔は、演技ではなく素で驚いているようだった。

「そりゃ、どうも……」

 だが、褒められておいてなんだが、自分で言っておいてその意味するところはイマイチ――いや、実際のところさっぱり理解できていない。苦笑するしかなかった。

「あなた、ひょっとして実は――"リンケージ"したことあるんじゃないんですの?」

 小さく眉間に皺を寄せながら、敦賀さんは俺を訝った。だがその言葉には全く心当たりがない。

「ごめん、リンケージって何?」

「……本当に存じ上げないのね。まあいいですわ。説明して差し上げます」

 一体、自分が何を疑われていたのかもわからないまま、彼女に納得されてしまった。

「リンケージというのはね、私たち超能力者であれば、誰でも出来る技であり、私たちを超能力者足らしめている根源的な要素ですの」

「…………続けて」

 とりあえず説明の意味するところはちっともわからないが、こういうのは往々にして続きを聞けばわかるものだ。ここで話の腰を折るよりは、わからなくても流しておく方が賢明だろう。

「ねえ、透さん。あなたは自分の力が――どこから来ているか考えたことはあって?」

「どこから来ているか……ってことは、どっかから来てるってことなんだ」

 もちろん、今までに自分の能力の正体について考えたことは何度もあった。専門書から胡散臭い雑誌を読み込み、ネットで情報を漁り……それでも答えが出ることはなかった。

 その答えを知る人物が、目の前に居るのだ。ついにその秘密がわかる、という事実に、気持ちが昂る。

「そう。蛇口を捻れば水が出る。スイッチを入れれば電気が点く。それと一緒で、私たちが超能力を使えるのは、さながら超能力の発電所のような場所があるからでしてよ」

 どんどん途方もないスケールにまで世界が広がってゆき、頭がくらくらすると同時に――俺の心の中では、その得体の知れない世界への興奮が沸き起こっていた。

「私たちはその動力源ならぬ能力源をサーバーと呼んでいます。そしてサーバーから私たちへ超能力を伝える不可視にして超常のワームホールこそ――リンケージなのです」

「つまり、そのリンケージってのを通じて、俺は能力を与えられてるってこと?」

「そういうことです。こちらとしてもご理解が早いと助かりますわ」

 俺はまじまじと自分の掌を見つめた。

 もちろん、そこには薄暗い闇の中に溶け込もうとしている陰に塗れた手があるだけで、違和感も奇妙なところもない。だが俺が不思議に思いながらも当然のように扱って来たこの力は――どこか得体の知れない場所から、その"リンケージ"というパイプを通じてやってきたのだという事実を知ると、途端に自分が変わってしまったように思えた。

「……続けてよろしいかしら?」

 掌を見つめる俺に、敦賀さんはそっと尋ねた。気を取り直して、視線を彼女に戻す。

「ああ、大丈夫。続けて」

「そう? ……今までも重要な話でしたけど、ここから先も、もっと重要な内容になりますから、聞き逃さないでくださいね」

「……りょーかい」

 気を取り直して、という感じで一拍置いて咳払いしてから、敦賀さんは話を続けた。

「私たちの根幹を成すと言っても過言ではないリンケージですが、大別すると二つの機能があります。一つは先ほども言った通り、私たちとサーバーを結び超能力を提供する機能、サーバー・リンケージ。そして、もう一つが――」

 ピンと来た俺は、思わず彼女が言うであろう言葉を奪ってしまった。

「超能力者同士を結び、その間で超能力をやり取りする機能……?」

 敦賀さんは言葉を遮られたことで不服そうにしながらも、すぐに呆れたように掌を上げて肩をすくめた。

「そ。ホント、察しが良くて助かりますわねぇ……」

 ――つまり敦賀さんは、テレパシーを使える超能力者とリンケージしていて、それによって彼女の本来の力ではないテレパシーを使うことが出来る、ということか?

「で、その超能力者同士を結ぶローカル・リンケージによって能力を共有している超能力者を、便宜上単なるサイキックと区別してシェアード・サイキックと呼んでますのよ」

 怒涛のような説明に――正直、着いて行くのがやっとだった。

 初めて同じ超能力者に出会ったと思ったら、能力の由来や秘密、さらに国立機関なんて手に余るものまで……。たった一日で、一学期分の勉強を詰め込んだような気分だった。

 ……そして俺は、自分の身の振り方について必死に考える。

 正直な話、敦賀さんをどこまで信用していいのかはわからない。話のほとんどは真実だと信じているが、あるいは全くのでたらめである可能性だって否定できないのだ。

 しかし全てとはいかないが、大半をその通りだと信じる場合――ほぼ間違いなく、俺に拒否権はないということになる。

 例えば、敦賀さんは今現在、こうやって対面での話し合いによる勧誘活動を行っているわけだが……勧誘する対象の能力者を不審に思った、あるいは相手が受け入れがたい思想を持っていた場合、反撃を受ける可能性がある。となると、正体を明かして近寄るリスクは非常に高い。

 これは想像だが――多分、大小問わず全国で情報を集めているのだ。テレビに出ている超能力者から、それこそ俺のような人間の噂に至るまで、ありとあらゆる情報を、だ。

 きっと気づかなかっただけで、一年か、あるいはもっと……かなり以前から念入りに調査されていたのだろう。そして、いよいよ時宜を得たために、敦賀さんが勧誘のために送り込まれたのだ。

 誘拐のような物騒な手段を取っているのかは知らないが、俺が普通にこうして勧誘されたのは、下調べの段階で攻撃性が低く話し合いで仲間に引き入れることが可能だと判断されたのだと思う。

 仮に不良を撃退する際に、能力で完膚なきまでに叩きのめしていたら、敦賀さんではなく、もっと屈強な人間が送り込まれたのではないかと思う。そして脅迫や暴力などで逆らえない状況に追い込まれただろう。

 悩む俺を見かねたのか、あるいは別の思惑があるのか――敦賀さんは意外な、しかしある意味では必然の提案をした。

「ねえ、透さん。私とリンケージ、してみない?」

 妖しい微笑みには、抗いがたい色気とでも言うべき魅力があった。

 ここではいはいと答えてしまうのは、さすがにリスクが高い。俺は何を確認すべきか考え、答えを見つけてから口を開いた。面白いことやトラブルは大好きだが、ここで軽々しく首を突っ込むのはさすがに早計だ。優位に立ち回るためにも情報が欲しい。

「美人の頼みじゃ断りたくはないけどさ。そのリンケージって、例えば俺と君がした場合、本当に能力を共有できるのかな?」

「一方的に奪われるだけで、あなたは私の力が使えないかも、と危惧しているんですの? ……リンケージは能力の共有であって、一方通行の搾取はできませんからご安心を。第一、私そんなアコギな真似はしませんわよ」


「――――どうだかっ」


 不意に廊下に声が響いた。

 吐き捨てるようなその声には聴き覚えがあったが、声の主を見るまで誰の声か思い出せなかった。

 そして彼女の姿を見つけた時、なぜ同時期に転校生が二人もやってきたのか理解した。

「……そうか、君も、そうなのか。あはは……」

 ――小隈さんのむすっとした顔を見て、俺はもう笑うしかなかった。


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