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2-4 生徒会、来る

「んんぅ?」

 繰り広げられている光景に、思わず疑問の声が漏れてしまった。

「…………」

「~~♪」

 遠城さんは黙々と。

 鳥羽はマイペースに。

 薄暗い廊下で――スマホをいじっていた。二人の顔は画面からの逆光に照らされている。

 ……戦いは?

「……あのー、お二人とも、何してるんでしょーか?」

 二人を驚かさないよう、おずおずと声をかける。

「ん? あ、箱崎くん! 君が来たってことは勝ったんだ!」

 遠城さんが画面から顔を上げて駆け寄ってきた。

「あららぁ。やっぱりあっきー負けちゃったんだぁ」

 仲間が負けたと言うのに驚いた様子もなく、ただケータイを仕舞い込んだ。あまりにも余裕過ぎる態度に、却ってこちらが戸惑ってしまう。

「結構怪我してるなぁ……大丈夫? ヒーリング持ってないんだよね。じっとしてて」

 俺の戸惑いに気が付かずに、遠城さんは傷口に手を当てて、治療を始めた。じんわりと温かい感覚とともに、痛みが引いてゆく。

 その間無防備に鳥羽に背中を向けているのだが……遠城さんは警戒している様子がない。

「あ、ありがとう。……ところで、二人はスマホいじってるように見えたけど、戦いはどうなっちゃったの?」

 さすがにこの疑問を放置したままでいるわけにはいかない。

「んー、なんて説明したらいいのかな。鳥羽の試合放棄?」

「ちがうよぉ。無益な戦いをしないための休戦協定でしょぉ」

「あー……うん。よくわからないけど、わかった」

 表現はどうあれ、戦いをしていないことは理解した。経緯はもはや聞くまい。

「それでぇ、あっきーが負けちゃったから私の負けねぇ。二対一で戦いたくないもんねぇ♪」

 ぶりっ子という表現が似合うような大げさな身振りで、鳥羽は両手を真っ直ぐ上げて降参の意を示した。

 ここまであっさり手を引かれると、最初から戦う意思などなかったようにさえ思える。大路に言われて仕方なく付き添ってきただけなのか?

「でぇ、箱崎くん。あっきーは強かったぁ?」

 さらに、至ってマイペースに質問までしてくる始末。まるで自分が戦いを仕掛けてきた奴の仲間だということなど忘れているかのようだ。

「苦戦する程度には強かったよ。あれが学園で最弱の奴だったら、俺にはとても勝ち残れなさそうだ」

「そっかぁ。ふぅん。大丈夫だよぉ。あっきーは中の下くらいだからぁ。一人で勝っちゃたってことは、箱崎くんは結構強いと思うなぁ♪」

「お褒めにあずかり光栄だね」

「はい。終わったよ」

 遠城さんがスッと立ち上がった。制服は早速ボロボロになったが、クリスタルによってつけられた無数の切り傷はすっかり消えている。

「恩に着るよ。ありがとう」

「君も早めにあかねちゃんとリンケージしてもらうんだね。ヒーリングとテレパスはあって損するもんじゃないから」

「明日にでも行くよ」

 そして彼女は振り返ると、鳥羽に視線を向けた。

「あんた、大路を助けてやらなくていいの? 箱崎くんがここに居るってことは、あいつ気絶とかしてんじゃないの?」

「あぁ、そういえばそうだねぇ」

 言われて気が付いた、という風な態度で、掌をポンと合わせてみせた。

 大路は仲間からも嫌われているのか? あの性格じゃ無理もないが、少し不憫に思えてくる。

「二人も一緒に行くぅ?」

「馬鹿。一人でとっとと行けよ」

 氷結を扱う鳥羽よりも、炎を扱う遠城さんの方がよっぽど冷たい。まるで野良猫を遠ざけるように、爪先を振って「しっしっ」と邪険に払った。


「行くなら、私と一緒に来てもらおうか」


 ――聞き覚えのない、強気そうな女の声が、足音を伴って廊下に響いた。

 その場に居た俺たち三人の視線が廊下の先に集まる。

「……誰? 心当たりある?」

 遠城さんと鳥羽、どちらともなく尋ねた。すかさず遠城さんが、警戒し上げかけていた俺の腕に触れた。

「大丈夫、敵じゃない。……味方じゃないけど」

「あの人はねぇ、生徒会の人だよ」

 ――生徒会。

 学生自治の頂点に立つ、選りすぐりのシェアード・サイキックの一団。

 彼女が……その一員だというのか。

 足音だけで、まだおおよそのシルエットしか見えぬその人は、黙々と近づいてくる。

 スタイルは良い。足がスラリと長く背も高い。間違いなく俺よりも一〇センチは高く、一八〇センチはあるんじゃないかと思われる。

 まるでこの闇の中に、何一つ怯えるべき問題などないと語りかけるように、しっかりとした力強い足取りだった。

 近づくにつれ、ガタイも中々しっかりしていることに気が付く。

 その腕や足には女性アスリートのようなしっかりとした筋肉が浮かんでいるのだ。格闘技かスポーツ経験者と見て間違いないだろう。

「鳥羽と遠城か。で、そこの男子が転校生だよな?」

 女子らしからぬぶっきらぼうな口ぶりで、順番に視線を向けた。

 薄ら日に焼けた肌と、真っ黒のショートヘアー。

 泣きぼくろの上に輝く鋭い目と、不敵に端を上げた唇。

 自信に満ち溢れた人物だということが、見た目と振る舞いで十二分に伝わってくる。

「初めまして。二年三組、箱崎透です。学年と名前を伺ってもよろしいですか?」

 先輩っぽくも見える上に生徒会なんて大層な肩書を持っている相手だ。迂闊になれなれしい口調で話しかけるのはリスキーである。

 ご機嫌取りをしておいて損はない。……いや、何よりも、彼女の放つ只者ならぬオーラに気圧されていた。

「お、ちゃんと自己紹介が出来る奴か。感心だな。私は甲斐鳴海かいなるみ。お前と同じで二年だ。タメ口で構わん」

「じゃあお言葉に甘えて。甲斐さんね、よろしく」

「ああよろしく。と言っても、通常の学生生活以外の、生徒会の面倒事処理でよろしくするようなことは勘弁だがな。なぁ、二人とも?」

 含みのある物言いをして、彼女は遠城さんと鳥羽の方を見た。その表情は発言同様に、含みのある不穏な笑みを湛えていた。

 鳥羽は相変わらずの態度だが、遠城さんは少しばつの悪そうな顔をしている。

「言っておくけど! 僕も箱崎くんも、売られた喧嘩を買っただけだからね。仕掛けてきたのは全面的に大路の馬鹿だから!」

 甲斐さんの含みの意味を理解しているのだろう、遠城さんはまるで弁解をしているようだった。

「安心しろ。全部モニターされているからわかっているさ。一応確認するが、鳥羽は何か釈明はあるか?」

「えーっとねぇ、あっきーが一人で突っ走って酷いことになると困っちゃうからぁ、まーちゃんにお願いされて、私はセーフティーとしてやってきただけなのね? 止めても聞かないから付き合ってあげただけでぇ、私は悪いことしてないよぉ。ねー、悠ちゃん」

「僕に振るなよ」

 まーちゃん、という今日どこかで聞いたばかりの名前を必死に思い出そうと脳内を探る。

 確か……自由主義派のリーダーだったはずだ。一体どんな人なのだろう。

「なるほどな。事前に聞いている限り、お前たちは途中で戦いを中止したということだったが……まあいいだろう。で、大路はまだ下に居るのか?」

「気絶して倒れてるはずだよ。死ぬような深手は負わせてないし」

「そうか。まだ居るならそれでいい。三人ともついてこい」

 後から来たというのに、誰よりも事情通だという素振りで背中を向けると、下の階目指して黙々と歩きだした。遠城さんと鳥羽も迷わず着いてゆくので、俺もその後ろを追いかけた。

 廊下には無数の傷と、まだところどころに壊し切っていないクリスタルの残骸が点在していた。もっとも朝が来るか電気をつけてしまえば、あっという間に消えてしまうのだろうが。

 そして……未だ大路も廊下で倒れたままであった。

 こうして落ち着いた状況になって遠目から見ると、死体が転がっているようにしか見えない。まさか殺してはいないだろうな、と今更ながら少しの不安感が過る。

「鳥羽。まずはお前への処罰だ。と言ってもまあ……情状酌量の余地はあるからな。ひとまず大路のやつを全快させろ」

「はぁい」

 甲斐さんに命じられるまま、鳥羽は不満を述べることなく倒れた大路に近寄り、ヒーリングを始めようとする。俺は制服にかけていた"プリズム"を慌てて解除した。

「……"処罰"だって?」

 彼女が使ったその表現に違和感を覚えた。

 何に対する罰なのだろう。ヒーリングをすることが何らかの罰に対する償いになるというのも不思議なことだ。

「遠城さん。これから一体何が始まるの?」

 尋ねられた遠城さんはどこか浮かない顔をして、

「……私刑執行さ」

 はっきりとそう言った。

 俺はそれ以上、内容について聞くつもりはなくなった。

 聞かずとも、目の前で繰り広げらる時を待てば、嫌でも知ることになるのだろうから。

「ふぅ~……終わったよぉ」

 大路の治療を終えた鳥羽は、額の汗を拭い立ち上がった。甲斐さんは満足げに頷き、大路の傍にしゃがみこんだ。

「よぉし。ちゃんと治しておかないと、耐えられんかもしれないからな」

 全身がびしょびしょに濡れていることなど気に掛けず、大路の胸倉を掴みあげると、頬をピシャリと叩いた。

「起きろ」

 何度か叩いていると、

「……うぅっ…………あぁ?」

 うめき声をあげながら、閉じられていた瞼がゆっくりと上がった。

 目を覚ました大路は状況が呑み込めていないようで、ぼんやりとした表情で周囲を見回した。

 だがすぐに、目の前の甲斐さんのことを認識したのか、今度は驚愕の顔へと変貌した。

「な、なんでテメェがここに」

「おはよう大路。随分とまぁ派手に暴れてくれたようだな。そのくせ返り討ちにあって惨めに床を舐めるとは、大したマヌケっぷりじゃないか。お前らしいよ」

「ひっ、だ、黙れッ! 糞……」

 大路が抵抗のため腕を動かそうとした。

「動くな」

 しかし、甲斐さんが即座にその腕を掴み制止した。

「抵抗するな。今から私が言う通りに動け。逃げたり反撃したりすれば、私はお前にこれからする以上の仕打ちをしなければならない」

「ぅ……あ……っ」

 淡々とした宣告を聞いて、大路は震えだした。それは先ほどまでの寒気からくるものではない、心の奥底から湧き出る恐怖からのようであった。

 抵抗を諦めたのか、構えていた腕をだらりと投げ出し、俯いた。

「ふふふ。お前のような馬鹿には、やはりこういうのが一番効くな。再三の忠告を無視した自分の愚かさに後悔するといい」

 掴んでいた腕を放し、甲斐さんは立ちあがった。

「立て」

 慈悲の欠片もない冷酷な瞳で見下しながら命じた。

「…………」

 あのプライドの塊のような大路が、ただただ従属し、沈痛な面持ちで立ち上がった。

 彼女にはそれだけの強制力があるのだ。

「うーん。向きが悪いなあ。もっと廊下に一直線に立て。……そう、そうだ。その位置で止まれ」

「…………」

 俺も遠城さんも鳥羽も、黙ってその光景を見守っていた。

 彼女たちと違う点と言えば、唯一俺だけがこれから何が行われるのかを知らないことだ。それでも、この場の空気から、それが生半可な事態ではないことだけは想像できた。

 吹き抜けるような廊下の中央に大路は立っていた。

 今にも膝から崩れ落ちそうなほど、全身をガクガクと震えさせながら……自分の身に降りかかる罰を待つ。

「なぁに、安心しろ。たった一発だ。従順さに免じてそれだけで終わりにしてやる」

 そう言うと甲斐さんは右腕を大路の腹部にぴったりとくっつけた。大路は今にも泣きそうな表情で、目を瞑って歯を食いしばって恐怖に耐えていた。

 さっきまで俺を殺さんばかりに追い詰めてきた、言ってしまえば敵なわけだが……それでも、あまりにも哀れに思えてしょうがない。

 周囲の緊張が俺にまで伝わり、何が起きるかわからないまま、その光景に釘付けになった。

「"VOODOO MON AMOURブードゥー・モナムール"」

 バキンという異音が轟く。

 みるみる甲斐さんの右腕が得体の知れないものによって浸食され、あっという間に覆われてしまう。

 僅かな光を照り返し、漆黒の装甲で包まれた腕が、大路を捉えた。

「行くぞ」

 宣言。


 ――大路の姿が、廊下の彼方へ遠ざかった。


「――――ぉぉぅあぁぁッ!!」

 まるでワイヤーアクションの如く、後ろから全力で引っ張られたように飛んで行った。

 俺は確かに見た。

 甲斐さんの腕がその場から微動だにしていないということを。

 ありえないほどのインパクトにもかかわらず、ノーモーション。得体の知れない彼女の能力の仕業なのだろう。

「極限まで加減してやったぞ。壁にぶつかって死なれても困るしな。それにな、弱い者いじめは趣味じゃないんだ」

「ぶぅぁぇッ!! ごぇぁッ!! ごぼぁッ!!」

 血か、吐瀉物か、あるいはその両方をびちゃびちゃと吐き出す音。

 聞いたことのないような阿鼻叫喚の絶叫を上げ……だがすぐに大路の声は聞こえなくなった。

「鳥羽。大路をまた治して、それから反省部屋にでも運んでおけ。それでお前の処罰は終わりにしてやる」

「はぁい……でもめんどくさいなぁ」

「"こっち"がいいとは言うまい?」

 既に漆黒の装甲がなくなった右腕を掲げて、口の片端をニッと上げた。

「いやぁん、行ってきまぁす」

 おどけて答えると、すぐに鳥羽は小走りに大路の方へと駈け出してしまった。

 甲斐さんは後姿を見送った後、俺の方へと向き直った。あの異様を見せつけられた直後だけに身構えてしまう。

「今回は被害者ということで、お前たちにはお咎めなしだ。だがな箱崎。もしこんな風な騒ぎを起こしたら、次にああなるのはお前だということ……肝に銘じておけ」

 親指で廊下の先を指し示した。言われなくてもあんなところを見せ付けられたのだから、よほどの理由がなければ彼女にケンカを売ろうだなんて気にはならない。

「ええそりゃあもう、肝に銘じておきます。でも君みたいな美人のパンチなら……悪くないかもね」

「馬鹿だね君は」

 遠城さんは呆れたように溜息をつきながら俺を小突いた。

 甲斐さんが美人だというのは本当だが、俺にマゾっ気はない。つもりだ。

「……。まあ、いい。二人とも帰っていいぞ。と言っても、私ももう寮に戻るんだがな。一緒に行くか?」

「喜んで。って、いいんでしょ、遠城さん?」

「うん。残っててもやることないし」

 先ほどまでの死闘も、目の前の甲斐さんの圧倒的な暴力のことも、全て頭の片隅に追いやって考えないことにする。

 もう今日は疲れた。余計なことは考えず、普通の学生に戻りたい。

 鳥羽が大路を介抱しているであろう廊下を振り返ることなく、俺たちは校舎を後にした。



 学生寮は敷地内の隅の方にあった。

 入口のプレートには「光明ヶ丘学園東学生寮」という文字。比較的新しい、校舎同様に面白味のない建物だ。

「こっちはシェアード・サイキックだけの寮なんだ……っていうのは聞いてるんだよね。だからあっちと比べてそんなに大きくないでしょ?」

 遠城さんは反対側に建つ立派な――だがデザインはこちら同様に簡素な――宿舎を指差した。あちらは西学生寮とかそんなところだろう。

「ちなみにあっちは僕たち立ち入り禁止だからね。うっかり行っちゃダメだよ」

「そりゃあがっかりだ。もし女子からお誘いがあっても行けないなんて……あ、こっちに連れてくるのは」

「もっとダメに決まってるだろーが」

「ぐふっ」

 甲斐さんに脇腹を殴られた。きっと本人的には軽いツッコミなのだろうが、女子のそれとは思えない威力だ。普通にパンチだ。

「入って左が女子寮、右が男子寮だ。食堂以外は別になっているから、間違えて入りましたは言い訳にならんからな。もし変な気を起こすようなら……まあ言うまでもないだろう」

 彼女に限らず、みんながそれぞれ能力を持っているんだ。返り討ちの恐ろしさは半端じゃない。

「そこは大丈夫。俺は純愛派だから。誰でも襲うような狼じゃないからね」

「そう言う奴が一番信用ならないんだ」

 彼女が扉を引いて押さえてくれた。これじゃあ男女逆転だが、ご厚意に甘えることにして中に入る。

 そこには見覚えのある顔が並んでいた。

「なんだ、箱崎の出迎えか?」

 待っていてくれたのは、自治派の面々と、敦賀さんたちだった。

 みんな既に制服を着ておらず、銘々に自由な格好をしている。

「おお、甲斐も一緒か。おかえり遠城、箱崎。無事で何よりだ」

 まず駆け寄ってきたのが赤羽根さん。

「また大路の馬鹿がやったんですって? 派閥の株を下げるのが本当に大好きなのね。いい趣味していること。軽蔑しちゃいますわ」

 ぶつくさと文句を言っているのは敦賀さん。

「思ったよりもなんともなさそうだね。傷は悠ちゃんが治したの?」

「うん」

 ところどころ破れた制服を眺めながら遠城さんに尋ねたのは菜月ちゃん。

「また勝ったんだ。……凄いね」

 無関心そうにしていながらも、しっかり出迎えてくれたのは、小隈さんだった。

 そして、

「本当は喜ぶべきではないんだけどね。でも、君が勝ってくれてよかったよ」

 ……見ず知らずの男子生徒が一人。

 眼鏡をかけ、後ろで赤茶けた髪を結んでいる。少しやせ気味の標準体型。

 これと言った特徴はないが、人当たりのよさそうな雰囲気をしている。

「えと、初めまして。箱崎透です」

 とりあえず挨拶だけは済ませておく。

 すぐに眼鏡の男子は、俺が理解できていないことを察したようで、頭を下げた。

「あ、ごめんごめん。そうだよね、いきなり話しかけてもわかんないよね」

 ふっと笑い、それから手を差し出しつつ、

「俺は三年の冴木真斗さえきまなと。自由主義派のまとめ役。よろしくね」

 あんまりにもあっさりと言われたものだから、反射的に「どーも」なんて言いながら、普通に手を握り返した。

 ワンテンポ遅れて、

「……はい?」

 と握手をしながら間の抜けた返事をしてしまった。

 この凄く爽やかで人当たりのいい人が……あの滅茶苦茶そうな自由主義派のリーダーだって!?

 もっと大路を破天荒にしたような奴や、とんでもなく冷血そうな人物を想像していただけに、驚きが隠せず赤羽根さんの方を見てしまう。

 すると俺の動揺を理解してくれたのか、こくこくと頷き、

「マジだって。そいつがリーダー。ドッキリじゃないよ」

 いや、確かに学内自治派の集まりで冴木という名前は挙がってたけども。

 遠城さんもいい人だと認めていたけれども。

 だからって……こんな人だと想像できるわけがないじゃないか!

「みんなにはちょっかい出すなって言ってるんだけどねぇ。誰から見てもリーダーっぽくないからかな、聞いちゃくれないんだ。いっそ威厳だすために髭でも生やすかなー」

「止めとけ。お前絶ッ対に似合わないから」

「いやぁでもカイゼル髭とかダリ髭とかなら、眼鏡との相性もいいと思うんだが」

「それもう威厳関係なくないか」

「おーい、お二人ー。脱線しとるぞよー」

 菜月ちゃんが先輩二人を窘める。彼女はボケもツッコミも一人でやるタイプか。

「あー、そうだった。……大路の奴もさ、箱崎に負けたんだし、甲斐も厳しく躾けてくれたんだろ? だったら当分はおとなしくしてるだろうから。うちの奴が迷惑かけて悪かったね」

「しかも僕と鳥羽は参加してないからね。一対一でやって勝ったんだから」

「ほお。そいつは期待できるな」

 赤羽根さんが興味深そうに俺を眺めた。

「これでサイキックとの戦いは経験済み。クラッカーとの実地戦闘もやってるんだろ? 聞いた感じじゃスカウトも得意そうだし、近いうちにも仕事させられそうだね。君なら選り取り見取りだ」

「仕事、ですか」

 確か敦賀さんからそんな話を聞いた気がする。

「そうそう。この先うちの奴らとも一緒に仕事することもあるだろうからさ。無理にとは言わないけど、仲良くしてやってよ。こっちもちゃんと言いつけておくから」

「あら真斗さん、心配の必要はなくってよ。私は既に彼とリンケージしている間柄ですもの」

 すると敦賀さんは俺の腕に自分の腕をからめてきた。

 いきなりの悪戯っぽい行動と、風呂上りなのかフローラルな香りに鼻孔をくすぐられドキドキする。

「へぇー、敦賀がねぇ! やーるねぇ箱崎」

 本当に感心したように冴木さんは頷いた。

「げっ……まだ切ってなかったんだ」

 一方で小隈さんは不満げに顔をしかめた。

 犬猿の仲なのだから無理もないが……今日は"インドラ"のおかげで命を救われたのだし、ちゃんと持ち上げておかねば。

「切る理由がないからね。今日だって敦賀さんの力があったから、最後は勝つことができたんだし」

 敦賀さんは心底自慢げににやりと笑うと、小隈さんへと顔を向けた。

「あら、まあ! お聞きになりました? 私の力のおかげ、ですって! 貴方が「早く切って」と、やきもちを焼いてしまうのも無理はありませんわねぇ。なんせ私の力は優秀、ですもの!」

「や、やきもちなんて焼いてない! 別に! 私は関係ないから……ふん!」

「あ、陽菜ちゃーん。これこれ、お待ちなさいな」

 瞬間湯沸かし器のように小隈さんは怒り、すぐに女子寮の方へと行ってしまった。すかさず菜月ちゃんも追いかける。全く、この二人はいつもこうなんだから。

 小隈さんが居なくなると同時に、敦賀さんは笑いをこぼしながら腕を解いた。

 この人は小隈さんをからかうためだけに、よくやるもんだ。まあ女子と腕を組めるなんて、俺も役得だと思うが。

「敦賀ぁ……お前さー、人が「仲良くして」って言ってる傍からちょっかい出すんじゃないよぉ」

「これは私なりの陽菜さんとのコミュニケーションでしてよ。彼女、あまりにも怒りの沸点が低いのが心配で心配で……それで善意から鍛えてあげているんですのよ」

「あかりん、それは善意とは言わないぞ」

 いきなり変なあだ名で呼んだのは誰だろう、と思ったら、意外なことに甲斐さんだった。今までとのギャップの激しさに、ちょっと戸惑う。

 そんな話をしていると、不意に壁掛け時計がボーン、ボーンと鳴りだした。もう七時か。

「おっと、そろそろ無駄話も終わりにするか。箱崎、寮を案内してやるから、まあ上がれよ」

「はい、ありがとうございます」

「じゃあまた後でね」

「では、また」

「うん。また後で」


 みんなと別れ赤羽根さんの後をついてゆく。

 今日から俺が寝起きをすることになる建物。そして、敵か味方かもわからない超能力者たちの巣窟。

 不安も興奮もひっくるめた期待感が、疲れた体を押しのけて心をくすぐる。

「案内……と言っても、大したことはないんだがな」

 入口から正面に延びる廊下を歩きながら、まずは左手に広がる部屋を見た。

「ここが食堂、って見りゃわかるよな。まあ、普通にあそこのカウンターで飯を頼んで、そこらの空いてる席で適当に食うって感じだな」

 空いた席には既に人がまばらに集まり、食事をしている。見たことのある顔は居ない。

「営業時間って決まってるんですか?」

「それがここの素晴らしいところでな。なんと二四時間営業だ。しかも食事は無料と来たもんだ」

「わお。なんて太っ腹」

 二四時間とはびっくりだ。夜食も食べ放題というのは、育ち盛りにはありがたい。もっとも、調子に乗ってデブにならないよう注意しないと、だな。

「ずっとオープンしているとは言え、ある程度みんなが集まる時間ってのは決まってるんだがな。大体の奴は、七時から九時の間に来て、くっちゃべりながら飯ってのが多い」

「赤羽根さんたちは何時くらいに?」

「用事がなければ七時だな。ま、もし事情があってみんなと顔を合わせたくなけりゃ、適当にずらせばいいってことだ」

 このあたりは生活してゆく中で、追々雰囲気を掴むしかないな。

「説明が終わったら飯にしよう。次に行くか」

 次に案内されたのは、廊下を奥に進んだところにある部屋だった。

 入口には「男子共同浴場」と書かれている。

「風呂だな。ここも二四時間、好きな時に使える。ただ掃除やお湯の張り替えしてる時もあるから、うっかり被らないよう予定表だけは見ておくといい」

「風呂かぁ……男子風呂じゃ、ワクワクはないですね」

「よかったよ。男子風呂でワクワクするような奴と一緒に入りたくはないからな」

 赤羽根さんは苦笑していた。同意見だ。

「部屋にはシャワーも風呂もあるんだが、たまにはデカい湯船につかりたいって時にはこっちだな」

「実際、どっち使う人が多いんですか?」

「んー……部屋風呂派が多いんじゃないか? 裸を見られたくないお年頃、って奴も居るんだろうしな」

「ほぉ。ところで女湯を覗いたことってあります?」

 唐突に質問をしてみると、赤羽根さんは吹き出した。

「ない、ない! そんな命知らず、そうそう居ないって。例えばさ、うっかり敦賀が入ってるところでも覗いてみろよ。即座に感電死させられるぞ?」

 なるほど、本物の"電気風呂"を味わうことになるってわけだ。うん、止めておこう。

「うちの女子はどんなに見た目が可愛い奴だとしても、中身は恐竜みたいなもんだ。下手に手を出せば大けがしちまうからな」

「了解です。覗くときは、ちゃんと人柄と能力を知った上で実行することにします」

「……まあ、痛い目を見て学ぶこともあるからな、うん。それじゃあ次行くか」

 呆れたのかそれ以上のツッコミはなしで、赤羽根さんは歩き出した。

 次に訪れたのは、共同浴場を出てすぐ、隣の部屋だった。

 そこにはプラスチック製の籠と、複数の洗濯機が押し込められていた。

「ま、見てわかるな。洗濯場だ。割と新しい洗濯機だからあんまり音もうるさくない。夜中に洗濯して怒られるってこともないから、人に見られたくないもの洗う時でも安心だな」

「なるほど。女装趣味の奴なんかは助かりそうですね」

「ははは。幸いそういう趣味の奴にお目にかかったことはないな。さてと、これで大体説明はしたかな。後は自分の部屋くらいか」

「部屋はもう番号も聞いてますし、鍵は受け取ってるんで大丈夫です」

「じゃあこれで終わりだ」

「はい。案内、ありがとうございました」

「うん。それじゃあ飯にするか。多分、他の連中も集まりだしてるだろうしな」

 来た道を戻る。料理の懐かしいようないい匂いと、ざわざわという話声が段々と大きくなってゆく。

「お。みんな居るな」

 六人掛けのテーブルに小隈さん、菜月ちゃん、遠城さん。向かい側には音々さんと冴木さん、そしてもう一人知らない男子生徒が座っていた。

 他のテーブルにも、数人ずつのグループらしき一団、一人空いている席でスマホをいじりながら食事をする生徒が居た。

 ここに居る以上、彼ら彼女らは全員がサイキックである。できれば大路のように敵対することなく、平和的にお友達になりたいものだ。

「先に注文しとこうぜ」

「はい」

 勧められるがまま、並んでいる人の居ない厨房前カウンターへ行く。

 壁に貼られた少し変色しているメニューから、食べたいものを探す。どうせこの先毎日食べることになるのだ、あまり悩む必要はない。

「日替わり定食、ご飯大盛りで」

「からあげ定食のご飯大盛りでお願いします」

 日替わり定食の内容まではわからなかったから、ここは手堅くからあげ定食を選ぶことにした。疲れてお腹もすいたことだ、がっつりと食べたい。

「はーい。日替わり大盛りとからあげ大盛りー」

 おばちゃんがガチャガチャという作業音に負けない、威勢の良い返事をした。

(ところで、この人たちもサイキックなんですか?)

 すぐに出来るそうなので、受け渡し口の前で立って待つ間、浮かんだ疑問を口にした。

「いや、違う。学校側の用意したエージェントらしいぞ。……まあお前がやるとは思わないが、サイキックじゃないからと言って、脅したり攻撃したりは厳禁だ。昔、からかい半分でやった奴が居たんだがな。そいつは今に至るまでこの寮には戻って来てない。特別学級へ送られたって話だ」

 秩序を乱す者は排除され、矯正されるということか。

 自分たちが与えられている自由の範囲を逸脱すれば、それさえ奪われる。

 俺が居るのは、傍目には格子が見えないだけの透明な檻の中なのだ、という自覚が強まった。

「日替わりの大盛りだよー。こっちがからあげの大盛り」

 差し出された夕飯を受け取りながら、食堂のおばちゃんの顔を見る。近所の床屋の石井さんに似た、どこにでもいるようなおばちゃんだ。

 平然としているが、この人たちからすれば、俺は……俺たちはさながらサーカスのライオンのように映るのだろうか?

 普段はおとなしく従い、芸をしてみせる。だが調教師が隙を見せるその一瞬を、従順そうな態度の下に隠した獣に……。

 まあ、どう思われていようと、それを知る由はない。俺が気にするべきは、ここの飯が美味いのかどうか、それだけだ。

「お。案内はもう終わり?」

 冴木さんが手を挙げて俺たちを迎えてくれた。丁度隣のテーブルが空いていたので、俺と赤羽根さんは向かい合って腰を下ろした。

「案内ったってなぁ。ここと風呂と洗濯場以外、特に見せるところもないしな」

「え~? なんかないの? 例えば、男子寮のマル秘共有桃色図書館とか。入口に黒い暖簾がかかってるようなの」

「馬鹿。ご飯中にそんな話題しないでよ」

 菜月ちゃんの下ネタジョークに、小隈さんは顔をしかめた。

「じゃあいつもみたいに食後にしようね。約束だからね!」

「ぶふっ! ふ、普段からしてないし! 変なこと言うな!!」

 小隈さんは思わず口に含んだご飯を噴き出しかけた。いつもこの調子じゃ食事もままならないだろうと思うと、ちょっと不憫だ。

「あはは。あー、ところでこちらの方は?」

 二人の馬鹿馬鹿しいやりとりに笑いながら、同じように笑っていた、一人だけ見覚えのない人の紹介を促した。

 ちょっと太めで貫録のある男子生徒。先輩だとは思うのだが……音々さんの一件があるだけに断言出来ない。

「あ、そーだ。まだ紹介してなかった。じゃ、自己紹介どーぞー」

 冴木さんが「ぱちぱちぱちー」なんて言いながら、囃し立てるように拍手をしてみせた。菜月ちゃんも一緒になって拍手をしている。

「初めまして。俺、荒井慶喜あらいけいき。三年。自由主義派。よろしくな」

 握手が出来る距離ではないので、頭を下げた相手にならって、こちらも礼をする。

 このメンバーと一緒に居るということは、少なくとも常識派で信頼できる人物だと考えていいのだろう。そして推測していた通り先輩であったことに、ちょっとほっとした。

「初めまして。二年の転校生、箱崎透です。よろしくお願いします」

「ケーキさん、華ちゃんと茉莉ちゃんの写真、見せなくていいのぉ?」

「隠すことでもないけどなぁ、見せびらかすようなもんでもないからな。まだにしておく」

「ちぇーっ。ちゃんとリアクション教えてくれなきゃダメだからね! 絶対だぞ!」

「わかった、わかった」

 また菜月ちゃんがよくわからないことでちょっかいを出しているようだった。

 なんの写真なのだろう。気になるが、本人がまだにしておくと言ってるのだし、急かす必要もないか。

「嘘ついたら条鰭綱フグ目ハリセンボン科ハリセンボン属ハリセンボン飲ますからねー」

「なんでそこだけ無駄に詳しいんだよ」

「いつか言おうと思って調べておいたんだ。イェイ!」

 自慢げにサムズアップ。ヤバい、俺、この子のこと好きかもしれない。

「馬鹿だろお前」

「うん。菜月は馬鹿」

「菜月ちゃんってたまにしょっちゅう馬鹿だよね」

「みんな酷い! これがイジメか! うわぁん教育委員会にチクッてやるー!」

 机に突っ伏して泣き真似をする彼女を見ていると、総スカンを喰らうのも無理はない。俺も彼女は馬鹿なんだな、と思った。

 マジで小隈さんと姉妹だというのは嘘なんじゃないか、というくらい、本当に似ていない。

「盛り上がっているところ失礼しますわ。相席よろしいかしら?」

「ん? おお、お二人さんか。いいよな、箱崎?」

 顔を上げると、そこには敦賀さんと甲斐さんが居た。

「ええ、そりゃあもちろん大歓迎です」

「ふふふ、お言葉に甘えさせていただきますわ」

 敦賀さんが俺の隣に腰を下ろした。

 そして……ひっじょーに気になる彼女の方を、ゆっくりと振り返る。

「…………ふんっ」

 やっぱり小隈さんは全力で不機嫌そうだ。こちらを見ようともせず、わざとらしく顔を逸らしている。

「なんだ箱崎、まだ着替えてなかったのか」

 甲斐さんは食べ始めるなり、俺の服装を見咎めるように言った。無数の傷と血の跡が残る服装は、確かに食事の席に相応しくない。

 彼女は一度部屋に戻ったらしく、制服ではなく上下ジャージに変わっていた。

「いやぁ、とにかく腹ペコだったからね。ドレスコードを破ってしまい、申し訳ない」

 パスタを口いっぱいに頬張る姿は、あまり女子らしからぬお行儀の悪さだ。

 しかも大盛りで、サラダも山盛りである。飲み物もコップではなく、牛乳を一リットルの紙パックそのままで持ってきている。どれだけ飲み食いするつもりなんだ。

「初日だから大目に見るがな。食欲が減りかねん服装で食堂に来るのは止めてほしいものだ。なあ、あかりん」

 先ほど玄関口で敦賀さんのことを「あかりん」と呼んでいたのは、やはり聞き間違いではなかったらしい。

「あなたねぇ、それだけ注文しておいて、冗談キツイですわよ。ナルはもう少し食欲減らした方がいいんじゃなくて?」

「わ、私はちゃんと消費してるからいいんだ。体力使って減った分は補わないと、体にも悪いだろう」

 敦賀さんは甲斐さんのことを「ナル」と呼んだ。この二人、一緒に行動しているだけあって仲がいいみたいだ。

 先ほどの"私刑"を目の当たりにしてしまった所為でピンとこなかったが、こうしてあだ名で呼び合って、好き放題言い合っているところを見ると、彼女も年相応に女子高生なのだと実感する。

「……何をにやにやしてるんだ」

 どうやら俺は目の前の微笑ましいギャップへの思いが、顔に出てしまっていたらしい。

「いやぁ、甲斐さんも可愛いところあるんだなーって思ってさ」

「…………」

 一瞬、甲斐さんの動きが固まった。

 かと思うとすくっと立ち上がり廊下の方へ歩きだし、途中で「あかりん」と手招きをした。敦賀さんは怪訝な顔をしながらも食事の手を止めて、彼女を追って廊下へ消えた。

「箱崎。お前、度胸あるなー」

 赤羽根さんが苦笑した。

「へ? 何がですか」

「何って……一緒に帰ってきたってことは、甲斐が能力使うところ見てるんだろ? なのにあんなこと言うなんてさ」

「だって甲斐さんって、別に私利私欲で動くタイプじゃなさそうですからね。立場的にも個人的な感情で殴りかかるようなことはしないでしょうし。だったら、普通に同級生として接しなくちゃ失礼でしょ」

「へぇー。箱崎にとっての普通ってのは、女子にちょっかいだすことなのか。いいねぇ、期待の新人だねぇ」

 冴木さんまで茶化すように笑い出した。

 小隈さんは呆れてるし、菜月ちゃんと遠城さんは含みのある笑いを浮かべている。荒井さんも、ただ静かに笑っていた。

 そして音々さんはまたしてもいつの間にか居なくなっていた。

「…………あっはっはっはっはっ!!」

 突如、廊下の向こうから大きな笑い声がして、食堂の視線のほとんどが廊下へと送られた。

 笑い声は敦賀さんのもののようだが……なんであんなに爆笑しているんだ、そもそもあの人もあんなに爆笑するのか、と驚いた。

 さらに続けて、

「そんなに笑うことないのに! 酷い!」

 と叫びながら、顔を真っ赤にした甲斐さんが食堂へ戻ってきた。

 そのまま席に着くと、牛乳をぐびぐびと豪快に飲み、食事を再開した。

「ひー、ひー……っ。……ははははっ。ナル、あんたちょっと面白すぎますわ」

 引き笑いをして腹を抱えながら、よろよろとした足取りで敦賀さんも戻ってきた。

 隣に座るなり、俺の顔を見てまた噴き出した。何だかわからないが、ちょっと傷ついた。

「ねーねー敦賀のあっかりーん。何がそんなにツボったのさー? 教えてちょー」

 椅子を後ろに傾けながら菜月ちゃんが尋ねた。その目はキラキラと輝いている。

「くくく……ナルってばいきなり「なぁ、箱崎って私に気があるのか?」なんて、真顔で聞いて……ふふふははははは」

「ぶはっ。マジで!? なるみん、それホント!?」

 噴いた衝撃で思わずバランスを崩しかけながら、菜月ちゃんは甲斐さんを好奇の目で見つめた。他のみんなも噴き出したり、あるいは顔を伏せ声を殺して笑っているようだった。

「う、う、うるさい! ちょっと聞いてみただけだ! 大体こんなところでバラすなんて酷すぎる! あかりんの人でなしー!」

 大急ぎでサラダとパスタをかっこみ牛乳を飲み干すと、空いたトレーを返却口に戻すやいなや、そのまま逃げるように甲斐さんは去って行った。

 だけど食堂のおばちゃんにちゃんと「ごちそうさま」と言うあたり、律儀な人だ。

「いくら自分がナンパされないからって、ちょっと男子に「可愛い」って言われただけで……想像力たくましすぎですわよ……あいつってば乙女すぎますわ。あー、お腹痛い……ふふふ」

 よほどツボに入ったのだろう、机に突っ伏して笑い続けている。

「女心を弄ぶなんてひっどーい。甲斐かわいそー。こりゃあ責任とらなきゃだね、箱崎くん」

「ハッ……! ひ、ひょっとして、そうやって口八丁手八丁で陽菜ちゃんのこともたぶらかしたのね! ピュアっピュアなお姉様を騙くらかすなんて、サイテーよ透ちゃんっ!!」

 遠城さんはジト目に半笑いで指差してきた。菜月ちゃんにいたっては劇がかった大げさな素振りで非難する有様だ。そしてまた無関係な小隈さんに飛び火している。

「わ、私関係ない! ていうか、たぶらかされてないし!」

「あ、なんだ。ちゃんと合意の上のラブラブちゅっちゅなのね。ならいいのよ、菜月ちゃん安心したわ」

「もう黙れ菜月!!」

 騒ぎが別の騒ぎを呼び、一際賑やかな笑い声と怒声が食堂に響いた。



 家具は全て事前に指定した位置に収まっており、衣服や本なんかのこまごまとしたもの以外は準備万端使えるようになっていた。

「ここが今日から俺の根城かぁ……」

 都心のOLが暮らす小奇麗なマンションの一室のような、高校生の一人暮らしにはちょっと勿体ない広さの部屋。実家の俺の部屋よりも、数倍は綺麗で広々としている。だからこそ、慣れるのに時間はかかりそうだ。

「あ、そうだ」

 入学時に聞いていたことを思い出し、クローゼットを開く。

 ずらりと並んだブレザー、シャツ、ズボン。これが予備の制服、というわけか。今日のようなことがよくある以上、こういったものが必要になるのだ。

 荷物の整理を今からするには、ちょっと疲れすぎた。シャワーを浴びた俺は「服」と書いてある段ボールを開けて、一番上のトレーナーとスウェットのパンツを取り出して着替え、ベッドに腰掛けた。ボロボロになった制服は、とりあえず一つところにまとめておいた。

 蛍光灯に照らされた、まだ黄ばんでいない壁紙で包まれた部屋を見渡す。

 それらしいものはどこにも見当たらないが、話を聞く限りじゃ監視カメラと盗聴器だらけのようだが、わからない以上は気にしたら負けだ。もうこれからは、そういうものだと割り切る以外にないのだから。

「……ふふっ」

 さっきの食堂でのやり取りを思い出して、自然と顔がほころぶ。

 小隈さんに菜月ちゃん、敦賀さん。学内自治派、自由主義派、そして生徒会。

 超能力者であっても、みんな一介の高校生なのだ。そんな当たり前のことが、忘れてはいけない一番大切なことだと思う。

 大した理由もなく襲いかかってきた大路のような奴も居る。

 だが同時に、理由はどうあれ共に戦ってくれた遠城さんたちのような仲間だって居るのだ。

「楽しい高校生活になりそーだ」

 一年生の時、入学式後の教室で感じたワクワク。あの感覚よりも、もっと大きな興奮が、胸の奥で静かに燃え上がる。

 ベッドに倒れ込み、体を布団に埋める。ヤバい。一気に眠くなってきた。

 俺はこの学園で何を成すべきなのか。……それを考えるには、ちょっと疲れ過ぎて、とても眠い。

 長すぎた一日に別れを告げる間もなく、俺の意識は夢の畔へと旅立っていった。

 目覚ましをかけ忘れて、翌朝、心配した赤羽根さんによる三度目のインターホンに起こされるまで、ぐっすりと眠った。


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