4・12 唯と朝 5
「おかわり!」
ぷりぷりと怒っている晶が差しだすお茶碗を夕貴は苦笑しながら受けとった。
金髪をポニーテールにまとめ、学校の制服をきた手足の長いハーフ娘が器用にお箸をつかって魚の骨をとっている。
ここは麻宮家のダイニングキッチン。
母子家庭で母親が会社勤めの晶は平日の朝食を家族ぐるみで付き合いのあるお隣さんでとらしてもらっていた。
「まったく! 誤解なら誤解って最初からそう言いなさいよ!」
「だから何度もそう言っただろ! 話を聞かなかったのはそっちじゃないか!」
「うるさい! あんたは黙ってわたしに謝り続ければいいの! いい? わたしが白と言えば黒ネコも白ネコに見えるのが唯という生き物なんだから。おぼえとけ!」
テーブルにおかれていたヤカンでコップにお茶を入れながら、反対の手にもっていたお箸を唯に突きつける晶。
「行儀が悪いわよ、晶」
しかし沙希がたしなめると、慌ててその手を引っこめた。
「あんたのせいで怒られたじゃない!」
かわりにポカリととなりの席にすわる唯の頭に手をだした。
「イタッ! なにするんだよ!?」
今度は唯が晶の足を横から蹴飛ばす。
「なにすんのよ!」
「それはこっちのセリフだろ!」
そこからは蹴りの応酬だ。
「まったく」
沙希はあきれて注意する気も失せたようで、自分の食事に集中しはじめた。
「ほらほら二人とも。食事中にケンカしないの」
かわりにホカホカご飯が入ったお茶碗を晶のまえに置いた夕貴が、あいだに入って二人の仲裁をする。
「晶が今日も弟くんをイジメた。そろそろ一度シメなければと思う」
そんな二人の横で涼子がボソリとつぶやいた。
その声にふり返った晶の目に映ったのは、サラダだけの朝食を早々に終えて携帯を弄っている涼子の姿だった。
「あんた、それなに書いてるのよ?」
晶が唯の頭越しに涼子の携帯を覗きこむ。
「なにそれ?」
そこには『晶が弟くんのオヤツを取り上げた』とか『晶が弟くんの頬をつねった』など、晶が唯におこなった数々の蛮行がメモされていた。
「あ、あんたねえ。いちいちそんなことメモしてどうする気なのよ?」
涼子の執念深さを知る晶が悪寒をおぼえて身をひいた。精神的にもひいていた。
「どうよ唯? これがあんたの姉よ?」
「あはははは……」
唯にしても笑うしかない。
「となりに住む意地の悪い赤の他人が姉と弟の崇高なる仲をひき裂こうとしたが、いつか冷める恋人や夫婦の愛と違い姉弟の愛は永遠なのであった。めでたしめでたし」
「涼子の変態ぶりが日に日に酷くなっていくわ」
「サルが変態した人間もどきが何か言ってるようだが人語になっていないので無視する」
「このっ」
「ダメよ、涼子ちゃん。晶ちゃんを赤の他人なんて言ったら。わたしたちにとっては家族も同然だし、涼子ちゃんや唯ちゃんにとっては大切な幼馴染でしょ」
晶になにを言われても涼しい顔を崩すことがない涼子も、夕貴にたしなめられて「むう」と不満そうに頬をふくらませて押し黙った。
晶は晶で夕貴の言葉に少し恥ずかしくなり、熱くなった頬を誤魔化すように「あっ、この味噌汁美味しい」などとわざとらしく口にして聞こえないふりをした。
食卓に不快ではないが、どこかむず痒い微妙な空気が流れる。
昔からこういう空気をかきまわすのは決まって長女の役目だった。
そして沙希は今回もその役目をしれっと忠実にこなすのだった。
「まっ、いずれ本当の家族になるんだものね。赤の他人はないわよね」
それはまさに爆弾だった。
…………………………。
一瞬、みんながどういう意味だろうと首をかしげ、時が止まったように静寂がおとずれたダイニングだったが、次の瞬間、
「な、な、な、な、な」
まず晶の顔がボンと爆発したように真っ赤にそまった。その赤さといったら先ほどの夕貴の言葉のときの比ではなかった。
自分がウエディング姿で唯のとなりに立っている姿でも想像したのかもしれない。
「ちょ、ちょっと沙希ネエ!」
唯も動揺を隠せないでいる。
「やっぱりこの金髪メスブタ野郎はいま屠殺すべき」
涼子にいたっては殺気をふくらませる始末。
あまりに大きなその殺気にベランダでチュンチュン鳴いていたスズメが飛びたっていった。
「あ、あ、あ、あんたはなに顔を赤くしてんのよ!? ま、ま、まさかその気になったんじゃないでしょうね!?」
「あ、あ、晶だって顔赤いし!」
「わ、わたしはべつに……そんなんじゃ……」
「お、おれだってべつにそういうんじゃ……」
互いが頬をそめてうつむいていくさまは、付き合いはじめた初々しいカップルにしかみえなかった。
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
横では涼子の殺気がさいげんなくふくらんでいく。
ちょうどそのころ近所の犬とネコがいっせいに騒ぎ始めたが、このダイニングでの出来事との関連性はさだかではない。
「ほらほら。三人とも、そろそろ学校にいく時間じゃないの?」
そんななか夕貴がパンパンと手を叩いて三人を落ち着かせた。
「シット! 馬鹿なことやってる場合じゃなかった!」
夕貴の言葉に慌てた晶が残りの味噌汁を御飯の上にぶっかけ、それを口の中にかきこんでいく。
「弟くん、行こう」
「あっうん」
そのあいだに食事をすませていた涼子と唯がダイニングを出て、自分のカバンを部屋にとりにいった。
「晶、食べかたが下品よ。それじゃあ百年の恋も冷めるわ」
「ゴホッゴホッ!」
沙希に指摘されて、むせる晶。
「大丈夫、晶ちゃん!?」
夕貴が急いで晶の後ろにまわり、彼女の背中をさすってあげる。
「もう! 沙希さんがへんなこと言うから鼻からご飯が出ちゃったじゃないですか!」
「唯に見られなくてよかったわね」
「うぐっ。べ、べつにあいつに何を見られたところで……」
「ほら、急がないとおいていかれるんじゃないかしら」
「わかってます!」
慌てて食事を再開する。
スポーツ少女の彼女は朝からよく食べるのだ。
「姉さん。あまり晶ちゃんをからかってはダメよ」
「はいはい」
妹にたしなめられても沙希はすました顔で軽く受けながすだけ。本気で反省なんてここ十年したことがないとうそぶく彼女らしい態度だった。
「もう。姉さんたら」
夕貴は困った顔で席につき、そこにおいてあった広告の束を何気なく手にとって結婚相談所の文字を見つけ、あることを思いだした。
「そういえば昨日、駅で姉さんを見たわよ。男性が運転する車から降りてきてたわよね」
「なぬ!? 沙希さん、新しい彼氏できたの!?」
思わぬ隣人のスキャンダル?に晶が身を乗りだす。
からかわれた意趣返しもあるのかもしれない。
「送ってもらっただけよ。まだ付き合う段階じゃないわ。むこうは下心みえみえだけど」
しかし冷静にこたえる沙希にガックリ。
「なあんだ。つまんないの」
そのとき玄関から『いってきまーす』とふたりの声が聞こえてきた。
「あいつら! 本当においていくつもり!? ごちそうさま! いってきます! ちょっと待て!」
食べ終えてお箸をおいた晶がたちあがって玄関に走りだした。
「はい。いってらっしゃい」
「いってらっしゃーい」
騒がしかった三人がいなくなるとダイニングはとたんに静まりかえった。
それを合図にしたように沙希は残った珈琲を飲みほし、夕貴はテーブルにのこった食器を片づけはじめる。
「それじゃあ、わたしもそろそろ行くわ。夕貴はどうするの?」
「私は今日の講義、午後からだから」
「そっ。それじゃあ行ってくるわね」
「はい。いってらしゃい」
沙希を玄関まで見送って、夕貴は手をふって姉を送りだす。
それから、ふと思いついてベランダに足をむけた。ここからならマンションのエントランスがよく見えるのだ。
彼女が身を乗り出すとちょうど晶、涼子、唯の順で三人がマンションの建物から出てくるところだった。
あわてて登校する彼らの姿についつい口元がほころんでしまう。
そのまま見ていると唯がこちらに気づいて手をふってきた。
夕貴もそれに手をふり返すが、立ち止まった彼の身体をひきかえしてきた晶がひっぱっていく。
あの二人はなんだかんだ言って仲がいい。
「気持ちいい風」
ここから街を見下ろすと、人の営みというものが良く見える。
学校に行く学生。会社に向かうサラリーマンにOL。道端で話しこんでる奥様がた。その横で笑いあってる幼い子供たち。
一日の始まりがそこにある。
「うーん」
今日も一日頑張るぞという思いをこめて、夕貴は組んだ手をあげて背筋を伸ばした。
空を見るとこれ以上ないくらい青と白の色が鮮やかだ。
「うん。とりあえず洗濯でもしますか」
夕貴は腕まくりしてマンションの中に入っていく。
その耳になにか下のほうから「この馬鹿唯!」という晶の怒鳴り声が聞こえてきた気がするが、それはあえて無視することにした。
あの二人はなんだかんだ言って仲が良い……はずだ。
とりあえず四月十二日の中篇?はこれでひと段落です。
キャラをイメージしやすいよう掘り下げる目的で書いた中篇?はいかがだったでしょうか?
次からは日記形式にもどりますが、気がむけばまた別の日にちのエピソードを使って長めのものを作るかもしれません。