4・12 唯と朝 3
次に唯がやってきたのは長女の沙希の部屋である。
彼は深呼吸をすると、涼子のときと同じようにまずは礼儀正しくノックして呼びかけた。
「沙希ネエ、朝だよ」
「…………」
返事がなければ、起きる気配もない。
このあたりは涼子と違って沙希は本当に朝に弱い。
このていどで起きることはずがないことも、毎朝起こしにきている唯にとっては常識である。
「入るからね」
仕方なく、いつもそうしているように断りをいれてから部屋のなかに入った。
沙希の部屋は大きな書棚にぶ厚くて難しそうな本がギッシリとならべられており、内装もいかにも高校の教師らしいシックな装いでまとめられている。
唯は床に散らばった資料らしきものを踏まないよう気をつけながら部屋のなかを横切っていった。
奥の寝台で寝ているのはあたりまえだが麻宮家の長女、麻宮沙希その人だ。
ゆるくウェーブのかかった長い髪にハデな顔立ちの美女で、その大きな胸は横になっていても形を崩したりしない。奇跡のおっぱいと言われる所以である。
彼女は弟が部屋に入ってきたことにも気がつかず、起きているときの姿からは想像もできないような無防備な寝顔をさらしていた。
そんな姉の寝姿を見て、唯は「うっ!」と顔をひきつらせる。
きっと彼女が横になった直後にはシーツもそのメリハリのある体を覆い隠していたのだろう。
だが今は無残にもそれがベッドのすみに追いやられ、その役目をはたせていない己を恥じるようにクシャクシャに縮こまって丸くなっている。
唯はあわてて目をそらした。
上半身が唯からかすめとったワイシャツなのはまあいい。前をとめるボタンが上から三つほど外されて、奇跡のおっぱいの谷間が見えてしまっているが、それはまだ許容範囲だ。
……許容範囲ったら許容範囲なのだ。
それよりも問題は下のほうである。
下半身に身に着けているものが紫のレースの下着一枚のみで、白い太ももとのコントラストが鮮やかなその色はいやでも目についてしまう。
「部屋の内装は落ち着いた色なのに、こういうところはハデなんだもんなあ」
わざとらしい口調で不満をのべるのは、自身の不手際を恥じるためだろう。
唯だって毎日起こしてにきているのだから沙希の寝姿がこうなっていることは知っていた。だから、いつもならあまりそちらに目をむけないようにして彼女を起こす。
ただ、今朝は涼子とのやりとりに気をとられて忘れていたのだ。
沙希が寝るときはズボンをはかない派だということを(唯にしてみればそんな一派があることが驚きだったが)。
青少年にこの艶姿は目の毒でしかない。
涼子のときとはくらべものにならない衝撃に少年の頭はクラクラした。
わが姉ながらものすごい色気だ。
「さ、沙希ネエ」
思わず小声でよびかけてしまったのは男の性というものか。
そして、もちろんそんなことで沙希は起きたりしない。
「し、仕方ないなあ、沙希ネエは」
仕方ないので姉の体をゆすって起こそうと、その二の腕に唯は手を伸ばし……。
「うっうーん」
「あっ」
沙希が寝返りをうった拍子に豊かな胸を鷲づかみにしていた。
ムニュウっという擬音が手のひらから脳天につき抜けたのがわかる。それでいて弾力もあり、えもいわれぬ力で押しかえしてもくる。
長女のオッパイは未知の柔らかさでした。
「う、うわっ!」
我に返った唯は慌ててその場から飛び退いて姉の様子をうかがう。
「…………」
起きる気配なし。
「ふう」
このときばかりは姉の寝起きの悪さに感謝した。
そして手のひらに残った感触をひそかに反芻……。
「ってオレはなにを考えてるんだ!?」
危ないところだった。もう少しで弟としての道を踏み外すところだった。
「さ、沙希ネエ! 起きて!」
今後こそ正しく手を肩において、おのれの蛮行を誤魔化すように姉の体を強めにゆさぶる。
「ん……」
唯の呼びかけに反応して沙希のまぶたが薄っすらとひらかれた。
「……ゆー?」
「うん。起こしにきたよ」
「そう」
それだけ確認して姉のまぶたがふたたび閉じられていく。
「って、寝ないでよ! 起きて!」
「ゆー、うるさい」
沙希は自らすみの方に追いやったシーツを引き寄せて、弟の言葉を遮断するかのように頭からそれをかぶりなおした。
学校ではしっかり者の麻宮先生でとおっている沙希であったが、まさか教え子たちも彼女がこれほど朝にだらしないとは露ほども思っていないだろう。
しかも大抵の場合、不機嫌な声で唯をビビらせるのだから始末が悪い
「うっ……で、でも起きないと。仕事あるでしょ?」
「じゃあ休むから。川添くんにそう言っておいて」
ものすごい我がままを言いだした。
「ズル休みしたいなら、子供でももうちょっと工夫すると思うよ?」
「…………」
反応なし。
きっといつものあの言葉を言わないと起きてくれないだろう。
やれやれとタメ息つき、唯は少し頬を赤らめてそれを口にした。
「俺、大好きな沙希ネエといっしょに朝ごはんを食べないと一日が始まった気がしないなあ」
甘えた声で言うのがポイントだ。
しばらくするとシーツのなかがもぞもぞと動きだし、沙希が顔をだしてきた。
「……仕方ないわねえ。いつまでも甘えたなんだから」
ようやく沙希が目を覚ます気になったようだ。
彼女はいかにも気だるそうに上半身を起こすと、肌色丸出しの足をベッドからおろした。
「じゃあね」
それを確認して唯はいち早くこの部屋を離脱しようとしたのだが……
「待ちなさい」
その一言で足が止まった。つまり逃げ遅れたのだ。
イヤな予感がする。いや、これは予感ではなく確信だ。なぜって、それは朝のいつもの出来事だから。
「わたしの着がえを手伝っていきなさい」
ああ、やっぱり。
「それくらい自分でしてよ」
そしていつもの抵抗。
「面倒くさいからイヤ」
可愛い生徒たちには聞かせられないセリフである。
「いや……でも……」
なおも唯がためらっていると、
「わたしは着がえを手伝いなさいと言ったのよ?」
昔、色々とされたトラウマを刺激するような底冷えのする声が聞こえてきた。
「喜んでやらせていただきます!」
その声を聞いただけで唯の体は気をつけの姿勢をとり、謹んで姉ゅ命(主命)を受諾するのだった。
ここで断ると実験と称して文章では書けないようなことをされるのだ。男の身体の構造を弟で確かめるのは勘弁してほしい。
そう思わずにはいられない唯だった。