4・23 唯と銭湯 6
「はあ。さむっ」
「弟くん!」
唯が滝の湯の外で待っていると、その滝の湯から出てきた涼子が飛びついて腕をからめてきた。
「弟くんを待たせることになるなんて、姉、一生の不覚」
「そんな待ってないから」
どうにか肘にまわされた姉の腕をひきはがそうとするが、涼子は頑としてそれを許さず、唯はそうそうにあきらめた。
「ダメ。姉はつねに弟の一歩先を行かなくてはいけない」
なにやらこだわりがあるらしい。
「はあ。エライ目にあった」
次に晶が「やれやれ」と気疲れした様子で出てきた。
「どうしたんだ? そういえばなんか女湯のほうが騒がしかったけど」
「どうしたもこうしたもないわよ。あのふたりが大喧嘩やらかして」
晶の視線の先には銭湯の入り口で靴を履いている沙希と夕貴がいた。
ふたりは晶の言葉が信じられないくらい和気藹々としているが、腕からは涼子の震えが伝わってくるので、ウソではないのだろう。
「じ、地獄絵図……」
「そんなに? 滝の湯が心配になってきた。壊したりしてないだろうな」
「それは大丈夫だった。でも椎名にすごく怒られたわ。とうぶん出入りさせてもらえないわね、あれは」
「あちゃあ。オレからも謝っとかなきゃいけないな」
「ごめんなさい」
「どうして姉さんが謝るの?」
「あう……」
自分の不用意な言葉が原因だったとは言いだせない涼子だった。
そして悪びれもしない沙希と、ひたすら肩をすぼめる夕貴が建物から出てくる。
「はあ。いいお湯だった」
「姉さん。少しは反省しましょうよ」
「聞いたよ、ふたりとも」
あきれた唯が半眼で姉たちをにらむ。
「説教ならいらないわよ」
「怪我とかしてないんだね? 。ならいいんだけどさ」
「昔からふたりがケンカすると、本人じゃなくてまわりに被害がでる」
涼子の指摘に晶は「そう言えばそうだったな」と思いだす。
いっぽう、思いかげない心配をされた沙希と夕貴は顔を見合わせた。
「可愛いこと言うじゃない」
「ですねえ」
ふたりに頭をなでられ、唯の髪がグシャグシャにされた。
「ちょっとやめてよ」
「私もやらねば」
そこへ涼子まで加わってきて、唯の髪はちょっとしたカオスになった。
「やーめーてー!」
「なにやってんだが」
ひとり他人のふりをしている晶があきれてつぶやく。
五分ほどで唯は解放された。
「じゃあ帰りましょうか」
沙希の一言に一同が歩きだす。
「夕貴お姉ちゃん?」
そこでふと夕貴の表情の違和感に気づいた唯が彼女のことをよぶ。
「ん? なに?」
「なんかスッキリした顔してるね」
「へっ? えっ? そうかな?」
「ねえ? 涼子姉さん」
結局、涼子はあれから一度も唯の腕をはなさなかった。
「うん。弟くんが言うなら間違いない」
「聞いた俺が馬鹿でした」
「……? 弟くんは馬鹿じゃないよ?」
まるで大学生でも解けないような難問をつきつけられた小学生のように、初心
うぶ
な目な見つめ返してくる涼子。
彼女の弟にたいする信頼度は無限大だった。
「でもそうかもね」
夕貴は沙希の背中を見ながらひとり納得した。
「不器用な姉を持つと妹は苦労するわ」
夕貴の脳裏に銭湯での沙希との会話が思い出される。
『内に溜めこむタイプだもんね、あなた』
『そういうのって自覚ないっていうじない。なにかで発散させなきゃダメよ』
「なんの話?」
「こっちの話」
わけがわからず聞きかえす唯に彼女は笑顔をむけた。
「こら。そこの三人。遅れてるわよ」
晶とならんで前を歩いていた沙希がふりかえる。
「ほら、行こっ」
夕貴は妹と弟をうながすと、姉のもとにむかって走りだした。
日常パート2の章はこれで完結です。