4・17 唯と身体測定 3
「あっ、そうそう。これ渡すの忘れてた」
学校からの帰り道、三瀬虎之助はめずらしく部活が休みで一緒に帰っていた真島友宏に、封筒を手渡した。
「あっ、それ」
このふたりと一緒に帰っていた麻宮唯をはさんで、彼にも見おぼえのある封筒が友人から友人の手に渡っていく。
「おまえだったのかよ」
身体測定の全種目が終わり、あとは帰るだけという普通なら弛緩した空気になるはずの教室で、唯たちのクラスでは誰が一番の成績だったのか、男子の間でちょっとした騒ぎになっていた。
途中で数字の改ざんが発覚し、HRの途中もギスギスした雰囲気が消えず、担任の教師が戸惑っていたほどだ。
担任から呼びだされて今日の体力測定について注意されていた唯には何があったのか知らないが、彼が教室に帰ってきたときには女子の姿は消えており、男子全員が床にのびていた。
封筒を受けとった友宏はバツが悪そうに唯を見る。
「その……すまん」
「いや、なんで謝るんだよ?」
「他の男が鹿島の写真もってるなんて気分悪いかなあと思って」
「だから、なんでだよ。べつにおれ達付き合ってるわけじゃないんだから遠慮することないだろ」
「だ、だよな。うん。ありがとう」
それで吹っ切れたのか、封筒から出した写真を嬉しそうにながめる友宏。
その顔になんとなく複雑な気分になり、唯は頭のなかで「違う違う」とそれを否定する。
「あっ、でもこれは返しといてくれ」
渡されたのは例の水着がはだけた写真だ。
「おいおい。いいのか? それが今回のメインディッシュだろ」
虎之助が横から覗きこんで、なにを考えてるんだと友宏のことを見る。
「い、いいんだよ。こういうの持ってるのがバレたら軽蔑されるだろ」
「黙ってたらバレないって」
虎之助のその指摘に唯が否を唱える。
「いや、うちの男子は信用できない」
「あー、確かに。おれたちはともかく、写真の存在はうちの男子全員が知ってるからな」
嫉妬とノリで、友を平気で裏切るのが彼らのクラスの男どもだ。
「でも、おれなら気にしないけどな」
「おれは気にするんだよ」
「まあ、それだけ本気で……おっと」
虎之助はちらっと唯のほうを見て言葉を止めた。
「なんだよ?」
「なんでもない。それよりマジー。それいらないなら、おれにくれよ」
「ダメだ。おまえはなにに使うかわからない」
「おいおい。わからないってことはないだろ。健全な男子なら使う目的はひとつだ」
「絶対にダメだ!」
そう怒鳴って友宏は写真を唯に渡した。
「唯がネコババするかも」
「しねえよ!」
今度は唯がそう怒鳴って、しかし受けとった写真に戸惑いの表情浮かべた。
「でもこれ、誰に返せばいいんだよ?」
姉に返すのも変だし、だからといって晶に渡すと殺されそうだし。
悩んでいると自分の携帯から着信が聞こえてきた。
「おっと。メールだ」
相手はいま噂していた晶からだった。
画面に「これからケーキ わーい♪ヽ(〃▽〃)/」なんて文章を見て苦笑を浮かべる。
「晩御飯もちゃんと食べろよ」と返信すると、すぐに「わかってる」と返ってきた。
それを確認して、友人ふたりの会話に加わる。彼らは今はソーシャルゲームで今はなにが面白いという話に花を咲かせていた。
ゲームに一家言ある唯はレトロゲームこそ至高と主張し、虎之助と友宏が反論する。
そうやって歩いていると、ふたたび携帯がメールの着信をつげた。
見ればまた晶からだった。
「夕貴さん発見。一緒にいるのは大学の友達かな? お皿にすごい数のケーキΣ( ̄Д ̄;) 見なかったことにしよう(^Д^)」
「夕貴お姉ちゃん……」
晩御飯は大丈夫かなと心配になったが、あれでなかなかの大食漢なので心配はないだろう。むしろ心配なのは……。
「たっだいまー」
夜。玄関のドアをあけた沙希は、陽気に帰宅の挨拶を告げ、上がり框にその大きなお尻をおろした。
なにがそんなにおかしいのか、彼女はケラケラと笑いながら靴を脱ぎ散らかしていく。
今日も今日とて麻宮家の長女はいい感じに酔っ払っていた。
「んー」
いつもなら玄関まで出迎えてくれるひとつ下の妹がやってことないことをちょっと疑問に思い、しかし、すぐにまっいいかと思いなおして、彼女は廊下を鼻歌まじりに歩いていく。
「…………」
その動きがリビングに入って、ピタリと停止した。
夕貴が、部屋の隅っこで膝を抱えて真っ白になっている。
「……い……い」
なにやらぶづふづ言っているので、耳を近づけてみる。
「ケーキ怖い。ケーキ怖い」
「ふむ」
しばらくその場で妹の頭頂部を見下ろしていた沙希だが、いっこうにこちらに気づく気配もないため、肩をすくめてキッチンにむかう。
なんとなく話しかけるのは躊躇われた。
ダイニングもかねたキッチンには弟の唯が沙希ために水を淹れてくれていたので、とりあえず妹の惨状について聞いてみる。
「一キロ太ったんだって」
唯が苦笑してるのは、毎度のことだからだろう。
「さしずめケーキでももらって、ふたり分食べたのを後悔してるってところかしら」
さすが姉。当たらずも遠からずといったところだ。
とりあえず、事実を知ってる唯は笑って誤魔化しておいた。
「……もん」
一言で切り捨て、水の入ったコップの水をあおっていると、沙希の耳に何かが聞こえてきたのでふり返る。
唯が「おれじゃないよ」と顔のまえで手をふっていた。
「なんか言った?」
リビングをのぞいて聞いてみる。
「もうケーキなんて食べないもん」
「あっそ」
信用してないのが丸わかりの長女の生返事だった。
それも当然、麻宮家において夕貴のこの手の宣言は何度もくり返されてきたが、一度も守られた試しがないのだ。
「本当よ! もう一生ケーキなんて食べない!」
「……そうね。そうしなさい。あなた、脂肪が胸じゃなくて腰まわりにつくタイプだから」
容赦のない一言だった。
唯は戦慄した。
かつてここまで姉の胸をえぐる言葉があっただろうか? これ以上えぐったらなくなってしまいかねない。
「沙希ネエ! なんてこと言うんだよ!」
「これくらい言わないと、この子、また同じことくり返すでしょ。妹のために心を鬼にしたのよ」
ふんと髪をかきあげて腕を組む沙希のそのサマは女鬼軍曹そのものだ。
「ゆ、夕貴お姉ちゃん? 大丈夫だよ。夕貴お姉ちゃんは十分細いから。むしろ、もうちょっと肉がついたほうがいいくらいだと思うし」
これは本音だ。
実際、夕貴の体型はスラリとしていて、唯なんかにしてみれば何を悩んでいるのかわからないレベルだった。
「ほら、どう見ても沙希ネエのほうが――」
後ろから頭を掴まれた。
「おいこら弟。いま何を言おうとした?」
「あ、いや……そうじゃなくて……」
思わず滑らせそうになった口を慌てて閉じる。
「わたしは出るところが出てるだけ。体重だって大学のころから一キロも増えてない」
「は、はい。お姉さまのスタイルは完璧です」
かつて何度も復唱させられた言葉が、かってに口からついて出た。
「もう一度!」
「沙希お姉さまのスタイルは完璧です!」
「もっと!」
「沙希お姉さまのスタイルは完璧すぎて怖いくらいです!」
「夕貴の心をえぐるように!」
「沙希お姉さまのスタイルは完璧すぎて夕貴お姉ちゃんが可哀想です! って、しまったぁぁぁぁ!」
「イ……イ……イヤアァァァァ!」
夕貴は逃げだした。
「違うんだぁぁぁ! 勢いで! 勢いで言わされただけだから! 夕貴お姉ちゃぁぁぁぁぁん!」
「さすがにこれで懲りたでしょ」
その夜、夕貴はもう二度と部屋から出て来なかった。
ちなみに、一生ケーキを食べないという夕貴の誓いは三日で破られた。
「夕貴……あんたって子は……」
「しょうがないじゃない……! だってケーキが食べて食べてって言うんだもん……!」