オキナグサ
翌日、俺は院内にある大きな本屋を訪れていた。
「えっと……花言葉の本はっと……あった、これだ」
目的の本を手に取り、レジに向かう。
自分の部屋に戻ってから、ビニールがかかったままの本を眺める。
何故この本を買ったのか、自分でも分からない。ただ、昨日の若葉の表情が気にかかっていた。なぜあんなにも悲しそうな顔をしたのか。
もしかしたら若葉は本も読みたいのかもしれない。しかし、彼女は歩けないと言っていた。誰かに本を買ってきてくれと頼むのもできなくて、あんな顔をしていたんじゃないだろうか。
そういう結論に至って、俺は勢いで本を買ってしまった。しかしこれを渡すには直接会いに行かなくてはならない。そもそも、出会って1日しかたってないのに本をプレゼントするというのは彼女に嫌われないだろうか。
うだうだとベッドの上を転がる。
彼女の顔を思い出しただけでなぜか胸が締め付けられる。花の話をしていた時のあの笑顔が頭から離れないのだ。
「あぁもう!」
頭を掻き毟りながら俺は本を紙袋に入れて、部屋を出た。
彼女の部屋の前に立つ。昨日はたまたま開いていただけのようで、今日はしっかりと扉がしまっていた。
深呼吸してから控えめにノックする。
「……?」
返答がない。もう一度先ほどよりも強めにノックした。
やはり返答はない。
「いないのか?」
扉を開けたいところだが、さすがに自重し、部屋に引き返そうと踵を返した時である。
「――♪」
扉の向こう側から歌が聞こえた気がした。
「――♪」
確かに聞こえる。
しばらく逡巡した後、意を決してそっと扉を開く。
若葉はベッドの上で、ヘッドホンを付け、窓の外を眺めるように座っている。
「――♪――♪」
美しい旋律。若葉が歌っていることは間違いなかった。
歌う彼女はとても美しくて、つい見惚れてしまった。
暫く見惚れた後、我に返る。
恐らくヘッドホンのせいでノックの音が聞こえなかったんだろうと納得し、邪魔しないようにそっと扉を閉めようとしたところで、手に持っていた紙袋を扉にぶつけてしまった。想像以上に大きな音が響く。
驚いたように若葉がこちらを向いた。ヘッドホンを外し、怯えたようにこちらを見つめる。
「ごめんっ! 勝手に開けちゃって!」
手を合わせて思い切り頭を下げる。
俺の声に若葉は一瞬ぴたりと固まると、徐々に顔を赤らめていく。
「楓……さん? もっ、もしかして、歌聞いてました、か……?」
彼女にとって、部屋をのぞいていたことよりも、歌を聞かれた方が恥ずかしいらしく、あぅあぅなどと呟き始めた。
「本当にごめん! 歌も聞いちゃったけど上手かったし、ちょっと見惚れてただけでっ!」
俺は何を言っているんだ。
どうやら俺も相当パニックになっているらしい。
「その、あのっ、も、いいですから」
湯気が出そうなほどに赤面した若葉はぎこちなく笑みを浮かべる。
「入っても、いいかな?」
「ど、どうぞ」
紙袋を彼女に見えないよう後ろ手に持って、中に入る。
ばれないようにして、若葉を驚かせようとそっと歩み寄り……
「何か持って、きたん、ですか?」
ばれた。
「ちょ、隠してたのになんでばれるんだよ」
「え、かっ、隠して、たんですか?」
「下手だけど隠してたよ、まあいいや、はい。これ」
紙袋から本を取り出し、若葉の目の前に差し出す。
「これ……」
本を持つには中途半端な所を掴む若葉。
「もしかしたら、本も読みたいんじゃないかと思って」
この時の俺は、心のどこかで若葉が満面の笑みを浮かべるのを期待していた。だが、若葉の反応は俺が予想していたものと随分違った。
「ありがとう、ございます」
なぜか悲しげな笑みを浮かべて、本を机の上に置く。
机の上に積み立てられていたCDにぶつかり、音をたてた。
「読まないのか?」
すぐにでも読むと思っていた俺はビニールも剥がさない彼女に違和感を感じた。まただ。若葉といると、感じる違和感。
「今度、読ませていただきます。それよりも、お話、しませんか?折角、来てもらったんですし」
そう言って、彼女はまた、悲しそうに笑った。
ずっと停滞しておりました続きです!
ちなみにオキナグサの花言葉としては、何も求めない、告げられぬ恋などがあります。