一説:春麗らか、萎む心
この物語はフィクションです。
登場する団体・人物などの名称はすべて架空のものです。
作中には暴力的・中傷的な表現が含まれております。
そのような描写の苦手な方はご注意ください。
穏やかな風に桜の花びらが舞い、誰もが新たな門出に心躍らせる中、
相馬聡一郎は過去の自分を呪っていた。
警察官になって三年目の交番勤務を向かえ、
忙しくはあるが平凡な日々に辟易としていた。
そんな平凡な一警察官の元に刑事課への転属と警部補への昇進が
一度に舞い込んできた。
思いも寄らない転属と昇進に心躍り、飛び付いた。
それもそのはず。
聡一郎にとって刑事になるのは一つの目標であった。
警察官になったのは正義感が人一倍強く、人々を犯罪から守りたいという
使命感から来ているのだが幼少期に見た再放送の純情熱血刑事ドラマの
影響による所が一番の動機だった。
その念願の刑事課への転属と大きな昇進を前にして二つ返事で受けるのは必然だった。
しかし、それは刑事課を目指す警察官にしては軽はずみな行動であった。
今思えば、怪しい点はいくらでもあった。
転属と昇進手続きを行いに来た一種異様な雰囲気を漂わせた黒服の男。
長身でやせ細った体は現役の警察官の体格とは思えないほどで
重病を患っているのかと心配するほどだ。
しかし、眼光だけは不気味なほどにぎらついており、
挨拶の時に目を合わせた瞬間、例えようの無い違和感に目を背けてしまった。
そんな不気味な男を前にして普段は自分のデスクで踏ん反り返っている署長は
鍛え上げた巨体を子リスのように小さくして新人警察官の様な
緊張感たっぷりの敬礼姿を見せていた。
黒服男の転属の話は聞いた事もないような特例のオンパレードだった。
昇進試験無しの手続きによる警部補への三階級昇進。
ただし転属先は極秘情報にて当日まで公開できないこと。
また手続き後は戸籍や個人情報に至る全ての情報が消去されてしまうこと。
そして、日本には2度と帰れないということ。
聡一郎はこれらの話を何かの潜入捜査だと思い申し出を受領した。
そして何よりも平凡な日々から脱却したかった。
そんな過去の軽はずみな自分を今のこの狭い閉鎖空間の中で呪っていた。
まるで棺桶のような形をした重厚な箱に梱包された聡一郎は
新たな職場へ向かってコワレモノとナマモノ扱いで運搬されていた。
転属先の職員に「入れ」と指示を受けた時は
このまま火葬場に直行するのではないかという不安さえ抱かせた。
棺桶は完全密閉、完全防音で外の情報を完全に遮断している。
たまに微かな振動と加速による反動を感じるだけだった。
中は意外に空調が整っており四方は衝撃吸収性に優れた材質で
優しく体を包んでくれているので多少の窮屈さを感じてはいるが
快適と言えなくともなかった。
ただし途中休憩がないため、大人用オムツの着用を命じられた
一点を除いてだが・・・。
始めは五感を集中して何か情報を得ようと試みていたが暗く、
時間間隔さえも狂わせるこの空間の中で夢の世界に落ちるには
それほど時間はかからなかった・・・。
********************
(あれからどれぐらい経った。数時間?
それとも数十時間は過ぎたのか?
眠っていたのはどれぐらいだろうか?)
目覚めて意識が回復する中でそんな事を考えていると目の前の重い蓋が開いた。
明るい世界に放たれて、思わず腕を額に当てて目を細める。
少しずつ目が慣れてくるにつれ、真っ白な部屋であることに気が付いた。
中央には一人サイズの机と椅子が並べられ、机の上にはPCディスプレイと
携帯電話のようなデバイスが置かれているように見えた。
そして、机の右側に白衣を纏った男が立っていた。
男の側にはステンレスのトレイ台があったが
ここからは中に何が置かれているのかは分からない。
「ここはどこです?そして、あなたは何者ですか?」
ドラマなどで記憶喪失にあった主人公が目覚めた時のような質問を
投げ掛けたが男からの返答は無かった。
もう一度、同じ質問をしたがやはり返答はない。
男から距離を取り、辺りの情報を収集すべく身構えていると
机上のディスプレイが点灯した。
「いやぁ、初めまして相馬くん。」
この緊張した空間に気の抜けた声が響き渡る。
ディスプレイにはやせ顔で丸眼鏡を掛けた男がにこやかな笑顔を見せていた。
顔は細面で突出した頬骨が更に顔の細さを強調している。
目は細目で笑顔と相まって眼球がほとんど見えない。
口元は笑顔で大きく吊り上っている。
長い黒髪はオールバックにして綺麗に後ろで結んでいた。
聡一郎はあちこちのパーツが細い人だなと思いながらモニタに近づく。
「さぁ、そんなに身構えずに着席して下さい。
これから貴方の新たなお仕事と
この街に関する簡単な規則についてご説明しましょう。
あ、自己紹介がまだでしたね。私はこの街”東京25区:華鞍”の
特別公安四課課長の 灰羽 憐路と申します。
課長なので四課で一番偉い人で相馬君の上司になります。
あ、四課と言いましても他の課はないのですがね。」
とここまで一気に話すと喉の奥を鳴らすように笑った。
聡一郎の方はこの男の話に呆然としていた。
「あれ、可笑しくなかったですか?今日の挨拶のために考えていたのですが。
ちなみに四課は私が創設する際に好きな番号を取ったのですよ。
幸せと死を合わせ持った表裏のある数字ですよね。
私はこの数字がたまらなく好きでしてね。
それにこの課に相応しい見事なチョイスだと思っています。
さぁ、遠慮なさらずにお座り下さい。」
言われるがまま椅子に腰を落としつつ、疑問を目の前の笑顔の男にぶつけた。
「東京25区って何ですか?聞いたことありませんよ。
そもそもカグラと言えば、確か北海道の・・・」
「ノン、ノン、ノン。先走っては損をしますよ。
まぁ、この様な扱いで知らぬ所に来ては
不安で焦る気持ちは分かりますけど、私の説明が先です。
質問は話が終わった後に時間を取っていますのでご安心下さい。」
まるで子供を諭すような物言いに多少の苛立ちを感じたが食い下がっても
自分の不利な状況は何も変わらないので素直に相手の話を聞く事にした。
「よろしい。では、ご説明しましょう。まず、我々がいるこの街ですが国より
特別に指定された治外法権地区、東京25区、名称は”華鞍”と言います。
敷地面積は約25平方キロメートル、人口は約10万人から成り、商業、工業、農業、
サービス業とある程度の供給はこの都市で賄っています。
生活水準においては高い水準を保証していますのでご安心下さい。」
灰羽課長の話に合わせて、ディスプレイに街の紹介映像が流れ出す。
「この都市は5階層から成る地下構造になっています。
上層、所謂地上は農業、工業地区に指定されています。
その他には学校等の教育施設やちょっとしたレジャー施設なども
上層に指定されています。
それ以外に関しては全て地下に指定されています。
地下は1階層の高さが建物2階分ほどの約10m。
1階層ごとにセキュリティを設けており、地下に降りるにつれて
セキュリティが高くなっています。
一般は2階層までなら開放されており、自由に行き来が可能です。
ちなみに相馬君のセキュリティレベルは4階層までのレベル4に指定されています。
交通機関は地下鉄のみになります。外界のような自転車、自動車といった
一般の乗り物は全面禁止されており、搬入用のトレーラー以外は
この街には存在しません。
その代わりに道路には歩行用エスカレータが設置されています。
後は各階層の移動にエレベーターと非常用階段が各所に設置されております。
エレベーターは運搬用から乗客用まで用途に合わせて等間隔に配置されております。
階層の移動の際には出来る限り乗客用をご利用下さい。
街の構造に関しては簡単ですが以上です。
次は生活に関してですがまずは市民手続きを行いましょう。
モニタ右下の枠で指紋認証とカメラで網膜認証を行ってください。
それが完了しましたら市民コードのチップをインプラントします。
役所の方、インプラントをよろしく。
あぁ、相馬君。
そんなに怖がらなくても普通の注射と同じでちょっと痛いだけですから。」
灰羽課長がそう言うと今までマネキンのように静止していた白衣の男が
トレイ台を押して近づいてきた。
トレイから消毒メッシュを取ると聡一郎の首裏と右手首を消毒する。
そして消毒した箇所に注射器でチップのインプラントを行った。
「よろしい。これで相馬君は晴れて華鞍の市民です。
さて、続いて生活に関してですがこの街には紙幣通貨が存在しません。
買い物や手続きなど生活のほとんどをその机上にある携帯端末:LLDで行います。
あ、ちなみにLLDとはLuxurious Life Device(贅沢な生活のための機構)の略称でして
何とも皮肉で滑稽な名称と思いませんか。」
と話すと灰羽課長の笑い声が室内に響き渡る。
「それでそのLLDは指紋認証、網膜認証を行った後に市民コード登録することで
ユーザー認証が完了します。
買い物は指紋と右手首と首裏の市民コードの認証がないと手続きできません。
そのためLLDは本人以外には使用できないようになっています。
端末の有効範囲は市民コードより2メートルです。
無効範囲で15秒が経過すると自動ロックする仕様になっています。
その場合は再認証することでロック解除が可能です。
端末に関しては紛失、破損させないように大切に扱うようにお願いします。
細かい街の規則については端末より華鞍市役所の
ウェブページの生活便りに記載がありますのでそちらをご覧になるか
生活の中で少しずつ覚えていってください。
生活に関しては簡単ですが以上になります。
ここまでで質問がありましたらどうぞ。」
「自分で言うのもなんですが平凡な自分をここに連れてきたのは
何か目的があったからですか。
それと来る前の説明で二度と日本には帰れないと言われましたが
この街から出ることができないという認識で構わないんですか。」
「まずは一つ目の質問の回答からお答えしましょう。
君をここに呼んだ理由ですが2点あります。
1点目はその出生。
親族を含め、身寄りがいないということ。
情報操作がし易く名簿上、そして人の記憶から存在を消すのが楽ですからね。
こちらにとって手続きがスムーズに行えるのが条件だったのです。
そして、2点目は警察官であること。
これはまぁ、募集項目の条件としては当たり前と言えばそうですね。
ただ警察官の中でも成績が普通で目立つ存在じゃなかったというのも
1点目の条件と同じく選抜のポイントになりました。
そして二つ目の質問の回答ですがこの街は存在自体が極秘裏にされており外部に
情報が漏れる事のないように強固なセキュリティシステムが構築されています。
そのため、この街に一度でも踏み込めば外に出る事は出来なくなります。
もちろん、ここで生活している市民はこれまで一度も外に出た経歴はありません。
通信情報網から交通網まで完全に外界とシャットアウトしています。
それと巨大な結界装置にて空間ごと切り離されていますので
物理的に簡単に出ることも外から入ることもできない訳です。
ですからこちらの世界に入る選択をして踏み込んだ時点で
もう二度と外界に帰ることはできなくなるのです。」
「平凡で空気な存在を欲していた訳ですか。素直に喜べる理由じゃないですね。
謎の三階級特進も手続き上は殉職扱いだった訳ですね。
あと結界とかファンタジーな話が出てきて驚いているのですが
本当にそんなものが存在するのですか。
これまでの経緯を考えれば多少の理解はできそうですが・・・。」
「いえいえ、平凡も立派な才能ですよ。ご謙遜なさらずに。
環境に溶け込みつつ存在感を薄めて生活するなんてまるで忍者みたいですよ。
それこそ非凡な才能ではないでしょうか。
昇進に関してはそのように受け取って頂いて構いません。
結界については次のお仕事の話を踏まえて説明しましょう。
ここからが本題になります。」
灰羽課長の細い目がより細くなり、口が大きく引き上がる。
その奇妙な笑顔に聡一郎はぞっとして唾を飲み込んだ。
「まずは結界に関しては紛うこと無き事実です。
空間ごと隔離しているのには大きな訳があります。
それはこの街は眷族と呼ばれる人ならざる存在と共生しているからです。
そちらでは妖怪や八百万の神という呼び名の方が親しみ深いでしょうか。
結界はそれらの存在を外界に出さないための封印装置なのです。
そして、我々四課は眷族による犯罪を専門にした対策課になります。
ヒトに様々な性格があるように眷族にも個々に様々な性格を持ち合わせています。
ここでの規則を守る眷族もいれば破る眷族もいましてね。
たまに正規の手続きを行わずに上階層に上がって
法を犯すモノが出てくる訳ですよ。
それを我々は“エグザイル(ナガレモノ)”と呼称しています。
で、相馬君にはこの課でエグザイルの取締りを行って頂きたいのですよ。
近頃は物騒でしてエグザイルの出没が増えてきているので
四課の人材が不足していましてね。
今日も新しい事件が発生しまして、こちらの全メンバーは
他の担当でいなくて困っていた所です。
なので、いきなりですがそのまま事件担当をお願いします。」
「今日来たばかりで街の地理にも疎いのに入っていきなり出動ですか。
それに妖怪退治が仕事なんて聞いてませんよ。
そもそも結界やら妖怪やら言われても
すぐに受け入れられる訳ないじゃないですか。」
「えぇ、確かに伝えていませんでしたね。
ただし、今伝えたのでちゃんと伝わったでしょう。
眷族の存在に関してはここでの生活の中で少しずつ慣れていってください。
あ、ちなみに四課は1名を除いて全員が眷族で構成されています。
私はもちろん眷族です。昔は夜叉鴉とか言われていましたけどね。
新人歓迎の一環として手品をお見せしましょう。」
と言って右手を掲げると指先から黒く変色していき、翼のように変容していく。
あまりの出来事に聡一郎は言葉を失った。
妖怪や八百万の神の存在を完全に信じない訳ではなかったが
テレビや本の中の架空の存在だと思っていた。
しかし、今モニタ越しの灰羽課長の右手は黒い巨大な翼に変容している。
手品とか合成映像ではない。
現実として受け入れ難いが確かな存在感をモニタを通してでも感じることができた。
「手品に驚いて頂いて光栄です。さて、質問があると思いますがお時間です。
次は四課の事務所でお話ししましょう。」
聡一郎は目の前に映る眷族と呼ばれる自分の上司の姿に気負けしないように
気持ちを奮い起こすために立ち上がろうとした。
が、意思に反して体が動かず、無様な格好で滑るように椅子から転げ落ちてしまった。
視界が歪んで狭まっていく。これは睡眠薬・・・。さてはさっきの注射で・・・。
朦朧とする意識の中でとんでもない所に来てしまったと
絶望感を抱きながら闇に落ちていった。
初投稿になります。
書くペースが遅いので投稿が不定期になりますが
暖かく見守って頂けましたら幸いです。
本作品に対するご意見・感想がありましたらお待ちしております。