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私の目は、目の前の状態をはたして正しく映してくれているのだろうか。そして私の耳は、おかしくなってないか? 体はそれらを拒絶するようにじりじりと後退していく。近寄りたくない。
目の前には、絵画から飛び出したような、イケメンというのもおこがましいような美貌の青年が佇んでいる。真っ白な肌、金髪碧眼。この条件だけで辟易としてしまうのに目を見張るような美人だ。どこの宮殿からいらっしゃったのかしらなんて突っ込みたくなってしまう。彼が天国はこっちですよと微笑んでくれたらそれはもうなけなしの大和撫子を絞り出して微笑み返しただろう。
しかし、彼はその外見に似合った言葉を知らないようで、先程から私は精神的にまいってしまう。
「おい」
うん、完璧な美声だ。胸をほわりとあたためてくれそうな穏やかさを感じる。ろくなことを言わないならいっそ歌でも歌っててほしい。
「さっきから無視するな。母親ならその職務を全うしろ。子が懸命に話しかけているというのに無視する奴があるか。この外道」
「……」
見つめ合いながら冷静に罵られるというのは、初めての体験だ。さっきから初めてのことを更新しすぎていて頭がパンクしそうである。どうにもこの人は何やら人違いをしているようで、私の目をしっかり見ながら心当たりのないことを責めるのだ。ちょっと待って、と言えないのは小心者の性と、これは夢かも知れないという他人事感があるから。
マンホールにそーいと放り投げられ間もなく対面した相手と冷静に対話する気なんて起きるか、いや、起きない。未だ実感のないまま呆然と座り込んでいる私にその美人は舌打ちを連発する。
「どんくさい奴だな。キースもなんでこんな奴……どう見ても子供じゃないか。これでは本末転倒だ」
仮に夢だとしても、酷い言われようだ。私こんな自虐趣味あったのか? 知りたくなかった。
「だから、母親じゃないって……」
「うるさいな」
えー。
小声の反論にうるさいですってよ。ない。これはないよ。いくら美形でも性格悪いのは駄目だと思いますよ。待てよ、そもそもさっき否定したのも華麗にスルーしたし、この人私の言葉理解できんのか? いやでも喋ってるのは日本語だし……まあ所詮は私の夢だからかもしれないけど。
私は混乱極まれりな頭で必死に考え、とりあえず質問を投げかけることにしてみた。歩み寄りは、相手を知ることが大切だ。
「あなたは誰なんですか?」
彼はいかにも不愉快そうに私を見下ろしはあと大きなため息をついた。そしてしぶしぶといった体で口を開く。
「アル」
ねえ、歩み寄りって言葉知ってる?
端的すぎる言葉で彼の名前を意図せず多大な敗北感とともに手に入れた私は、慣れない異国の名前を舌に乗せた。
「……アルさん、ここはどこなんですか」
「アルと呼べ。それでも母親か」
は、母親じゃねー。
突っ込みたいのをぐっとこらえてすみませんとへらへら謝る。
「じゃあ、アル。ここどこなんですか?」
「知らん」
「そっかー……」
私はどんどん体から力が抜けていくのを感じた。なんだろうこれ。さっきまで感じていた恐怖苛立ちその他もろもろがすぽーんと飛んでいくような感覚。不思議なテンポを持つ彼のせいだろう。どうも真剣身に欠けてしまう。
まあいっか、夢だし。
現実離れした状況と、現実離れした美貌を前に、私は考えることを放棄することにした。ありえないからねこんなシチュエーション。夢だね。はい、夢。
いまだ何か言いたげに私を見下ろすアルという名の青年に、座ったままも難だしと立ち上がることにした。そしてやっぱり思う。この人、でかい。言動の幼さが浮き彫りになって奇妙な感じだけれど、普通に大人の男の人だ。日本人の平均身長より明らかにでかい。
友達も家族も先生も、そこまで長身な知り合いのいない私にとってこの顔の位置はいっそ驚嘆に値する。そしてリアル八頭身な気がする。すげえ。
もはや架空の人物として認識することにしたアルの顔を見上げ、じいっと見つめる。
「な、なんだ」
僅かにたじろいだ気配を感じ、別にと首を振る。それでも目をそらすのはもったいない気がして上から下までじっくり眺めていると、彼は落ち着かない様子でそわそわしだす。大きな両手を後ろに回し、視線を不自然に横に。うっすらと色づく頬はこちらから丸見えである。
こ、これが萌か……。
なんとも言えないきゅんを体感してしまった私は、無意識に一歩歩を進めていた。
「アル、背高いよね。どのくらいあるの?」
「し、知らん。測ったことなどない」
「ええーそうなの。わたしの二倍くらいない? すごいなあ。美人だし、声もかっこいいし、この世の人じゃないみたい」
「な、な、な」
思いつくままぽんぽんと投げかけると、アルは体をプルプルふるわせて押し黙ってしまった。さっきまでの憎たらしい口は閉じられ、そうすると黙ってれば何とやらだなあと思ってしまう。
ていうか、もともと私の夢に出てきた人物ということは、そのビジュアルは私の好みを反映しているということである。つまり、こえが私のタイプ? 待って待って待って。確かに格好いい。その点においては間違いない。十人中十人が美形だと答える容姿をしている。だとしたら、私の嗜好って気付かないうちにとんでもなくハードルを引き上げている。味のある醤油顔がいいと友達に豪語しておきながら、本当に求めているのはこんな人物なのだとしたら、相当だぞ。相当だぞ私。思わず頭を抱えたくなってきた。もしかして、私に今まで彼氏ができなかったのって……? 私を好きになってくれる人がいいとか言っておいて実は……? 駄目だ。自分がわからない。
「おい、どうしたのだ」
「どう見ても醤油じゃない……」
「は?」
極上のデミグラスソース? いや、なんかソムリエとかの舌を唸らせる一級品のアレとかだ多分。
アルは私の言葉に首を傾げ、そしてよく分らんがとつぶやく。
「いいの。褒め言葉だから。気にしないで」
「褒めたのか……」
ぽっと頬を赤く染めたアルは、小さな女の子のように恥じらいながら私を見つめた。
「あ、ありがとう……」
可愛い気がする。とてつもなく可愛い気がる。だって私の心臓やばいもん。これ以上なく暴れ狂ってるもん。
私は暴言を吐かれていた事実を忘却のかなたに、にへえっと笑み崩れた。そして次の瞬間、地面とお友達になっていた。
「愛らしいでしょう。この方をお育てすることができる僥倖をかみしめなさい」
「キース!」
第三者のぬくもりが、私の背に乗っている。もっと的確に言うと、何者かの馬鹿力による寝技を決められ、声も出ないほど痛かった。いっそ殺せ。
「離せ馬鹿者!」
「はい」
アルの一声によって永遠とも言える苦痛がふっと楽になる。解放された私はうつ伏せのまま浅く呼吸を繰り返した。そしてじんじんと突き抜ける痛みに自覚した。
これは夢じゃない。
この信じられないほどの苦しさが夢であるはずがない。
美貌の男と、禍々しく恐ろしい気配を漂わせる背後の影に挟まれ、今度こそちゃんと気絶したくなった。
切実に逃げたい。




