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プロローグ






 いつものように友達と学校の帰り道を歩いていると、前方に怪しい人影を発見した。全身黒。裾の長いコートに身を包み深くフードを被り性別すら分からない。電柱に寄りかかり俯いているその姿は道行く人に不審な目で見られている。季節は桜の花が鮮やかに開き始めた頃だと言うのに、明らかにそぐわないあたたかそうなコート。さっき担任の先生がついでの様に生徒に呼びかけた言葉を思い出した。

『暖かくなってきたし、露出狂に気をつけろよー』と。

 生憎不審者に出くわしたことも、痴漢にあったこともない私はそれを軽く受け止めて夕飯のメニューに思いを飛ばしていたわけだけれど、もしかして、と思う。まばらに人がいる状況でしかもわりと昼間。最近の変質者にとってもはやそれらの条件はハードルにもならないのだろうか。足を止めるわけにも行かず着々と近づく距離に、内心焦る。こういう時の具体的な対処法って、何なんだろう。いざ目の前にその状況を持ってこられると、どうしていいか分からない。どうぞ通報してくださいと言わんばかりの容貌は逆に対処に困るというのもある。あからさま過ぎて、え? これもしかしてカメラ隠れてるんじゃないの? と言いたくなる。今更整えるような格好もしていないけど、もし本当にカメラに映るならなんと言うか心構えをさせてほしい。一応私も年頃である。

 なんていうあほな事を考えながら、ちらりと隣を歩く友達の顔を見る。けれど、私と同じように何か考えているようよるようには見えなかった。もしかして、気付いてない? 迷いのない足取りで速度を緩めることもなくさくさく歩いていく隣に歩調を合わせていたけれど、影が濃く大きくなってくると流石に少し不安になった。

「ねえ、ちょっと」

「いいから。堂々と歩いて」

 声を上げれば端的にそんな言葉が返ってきて、ああもしかして、と思った。とっくに気付いていて敢えてスルーしようと言う作戦なのかもしれない。よく見れば友達の目線は私の方に傾いて少し不自然だ。視界にその怪しい影を入れまいと足掻いているように見えた。でも無表情。なんか頼りになる。

 友達に合わせてさくさく足を進めていた私は、目の前に差し掛かった影にごくりと唾を飲んで見上げた。

 私たち二人を包むようにかぶさる影は大きい。近くで見ると、本当に大柄な人物なのだと言うことがわかった。たぶん男だろう。深く被った帽子と顔を隠すような長い髪が遮ってどんな顔をしているのか見えない。

 未知との遭遇に、とっさに沸きあがるのは恐怖よりも混乱である。

 お、おかあさーん!

「東雲ほのか様ですよね?」

「は?」

 聞き取りづらい低い声に反応したのは、私ではなく友達だった。しかし彼は、おそらく私のほうを向いたまま小さく頷くようなしぐさをして見せた。

「東雲ほのか様、間違いありませんね」

「ちがいます」

「照れなくてもよろしい」

 照れてねえ!

 否定もむなしく、どうやら彼は確信を持って私の名前を言ったらしい。隣にいる友達はもう空気と化しているではないか。ぽかんと私と不審者を見比べている。この子にも話振ってあげて。仲間はずれ、よくないよ。

 けれど悲しいことに口を挟む隙なんてなかった。問答無用。正にそんな気迫で怪しいコートに身を包んだ長身から伸びてきた腕にがしっと囚われる。予想外の行動に呆気にとられているうちに、ぐいぐいと引っ張られてしまう。

「ここは人目も多いのでこちらに」

「え」

「ちょっとほのか!」

 固まっていた友達がはっとしたように慌てて伸ばしてくる手に縋り付こうにも、虚しく掠めるだけだった。驚いたように口を開いた友達の顔を尻目に、何だかよく分からないまま走り去る私と不審者の二人。ええええこれ何のフラグ。

 しっかりと捕まれた腕を解けないから走るしかない。ここで立ち止まろうものなら足を縺れさせて盛大にこける未来しかない、と思った。しかし、遅い。この男、足めっちゃ遅い。スキップかよと言いたくなるようなスローモーションで走り去る二人。めちゃくちゃ衆目を集めている。たぶん友達も後ろから見てる。まだばっちり視界に入っちゃってる。謎の羞恥心に耐えられなくなった私は、その男の腕を逆に握り返した。

 足を踏み出して、その巨体の前に出る。

「おせえ!」

 相手は手ぶら。私は重たい教科書の入ったかばんを持っている。ハンデを持っているのは私のほうだ。なぜに鈍足。男は疲労をたっぷり声に乗せて、ゆっくりと停止する。

「歳には勝てません」

 がっしりした体つきと、枯れた様子のない声は老人とは思えない。何でこんなことしてるんだろうという思いを抑えつつ、問いかけた。

「いくつなんですか」

「百二十歳」

「……」

「……」

 何ともいえない沈黙を挟んだあと、男はまた重々しく走り出した。

 この人、売れない芸人臭すげえ。




 漸く立ち止まった場所は、見たことのない住宅街の細い一本道だった。とろすぎて、三十分近く振り回された気がする。あまりのどんくさい足に、二人三脚で運動があまり得意でない子とあたった時のことを思い出してたよ。軽く同情しちゃいそうだったよ。普通に走ったら十五分とかからない距離感だったよね。

 いい運動をしたとばかりにふうと息をつく男に、息ひとつ乱れない私を見てみろと言いたい。

 人気のない通りで息を整える不審者を見下ろす私。この構図、絶対おかしいでしょ。

 自分時間で生きているらしい男は、自分の調子を整えると心なしかさわやかな声を出す。

「ほのか様、説明している時間が惜しいので、とりあえず落ちてください」

「は?」

 落ち着いてください、じゃなくて? 思わず聞き返すと、件の人は足元のマンホールの蓋を軽々と開けてしまう。今、物凄く嫌な予感がするんですけど。

「さあどうぞ。遠慮は要りませんぽーんと」

「ちょ、ええええええ!?」

「そーれ」

 抑揚のない口調で全く面白くないことを言いのけたその人は私が制止の声をあげる前に、穴の中に放り込んだ。私を。どう考えてもおかしいですよねこの展開。

「後で私も行きますから」

 上を見上げるも絶賛落下中の私には、閉ざされていくそれを止める手段は持ちえていなかった。下水道ですよね下下水道ですよね辿り着く前にアスファルトの上にぐしゃなんじゃないですかこれえええ。目を瞑って巡ろうとする走馬灯を必死で弾き飛ばした。全身で受ける風の抵抗で捲れ上がっているだろうスカートを気にする余裕もない。お父さんお母さん、変質者にマンホールに突き落とされるなんて間抜けな死に様でごめんなさい。遺影は可愛く写ってるのお願いします!




「おい」

 なんと言うことでしょう。気づいたらなくなっていた浮遊感に目を開ければ、目の前に超絶美形な天使様が立っておられました。展開が速すぎて着いて行けないけれど、そうか私は死んだのか。この人がお迎えか。整った造形に思わず見蕩れていると、そのお方は痺れを切らしたように舌打ちをなさった。おい、性格悪そうだぞ。

 そうして天使様は、それはもううっとりするような美しいお声で、意味の分からないことを仰いました。

「お前が俺の母親か」

 

 日本人と言えどその場の雰囲気に流されてはいけない。さっきは不審者とうっかり逃避行紛いのことをしてしまったけれど、正しい道を進むには自分に正直に生きるのが一番だ。

 もう変なのと関わりたくない。

 混乱最高潮の私は、とりあえず首を振った。


「ちがいます」



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