表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/12

第1話 税金の明細

社会人になって、初めて税金の額を見たとき、

少しだけ立ち止まったことはありませんか。


この物語は、そんな違和感から始まります。


政治の話ですが、特定の思想を押し付けるものではありません。

一つのフィクションとして楽しんでいただければ幸いです。

昼休み、社内システムにログインしたのは、ただの習慣だった。

経理から届いた「今月分給与、反映済み」というメールを見て、何気なく給与明細を開く。基本給、残業代、各種手当。その下に並ぶ控除の数字に視線が止まった。


源泉所得税。

健康保険。

厚生年金。

雇用保険。


今月は案件が重なり、帰宅が日付をまたぐ日も多かった。売上も悪くない。額面は確実に増えている。それなのに、差引支給額は思ったほど伸びていない。


源泉所得税の数字が、先月より明らかに重い。


「……こんなに持っていかれるか」


思わず声が漏れる。隣では後輩がコンビニの弁当を広げ、スマホで動画を見ている。営業フロアの大型モニターでは情報番組が流れ、《未来志向の税制改革》というテロップが軽やかな音楽とともに表示されていた。


「将来世代への投資と考えるべきでしょう」


コメンテーターが穏やかに語る。未来への投資。その言葉を聞きながら、正義は再び控除額を見つめた。自分の残業時間が、ほとんど数字の中に吸い込まれていく感覚。努力と成果が、途中でどこか別の場所へ流れていくような曖昧な感覚。


税金が必要なのは分かっている。社会保障も、インフラも、教育も、防衛も、どこかで誰かが支えている。だが、その使い道が具体的に見える瞬間はほとんどない。ただ毎月、天引きされるだけだ。


気になって、財務省のサイトを開いたことがある。予算書は膨大で、数字が羅列されているだけだった。数兆円という単位の中に、自分の数万円が埋もれている。補助金、不祥事、使途不明金というニュースは断片的に流れるが、その後どうなったのかまで丁寧に追う番組は多くない。


最近、ニュースで見た補助金の不正受給の話を思い出す。何十億という予算が不適切に使われたという報道。しかし翌週には別の話題に埋もれていた。あの金は、誰の金だったのだろう。自分の給与明細にあるこの数字と、無関係ではないはずだ。


午後、放映エリア担当の局外勤営業・山本と打ち合わせをする。喫茶店のテーブルに広げられた資料には、放映エリア内シェアの比較表が並んでいた。


「御社の今期シェア、正直落ちています」


山本は率直に言う。


「アクチュアルも、他局のほうが出ています」


アクチュアル。発注したGRPに対して、実際に流れたGRPの値。数字は嘘をつかない。だが、どの番組にどれだけ線を引くかは、最終的にはデスクの裁量だ。


「どうすれば、御社のシェアを上げられますかね」


山本の声には切実さがある。局はお願いする側だ。広告予算は限られている。代理店がどの局にどれだけ振るかで、売上は大きく変わる。


「アクチュアルが安定すれば、提案はしやすいです」


正義が答えると、山本はうなずく。


「デスクに掛け合ってみます」


線を引くのはデスク。しかし、その前にシェア配分が決まる。スポンサーの意向、視聴率、番組の空気。


ふと、昼のニュースのテロップが頭をよぎる。番組で扱われる話題、質問の順番、専門家の選び方、尺の長さ。それらもまた“線引き”なのではないか。何を長く流し、何を短くまとめるか。それによって視聴者の印象は大きく変わる。


正義は、自分が売っているのが単なる時間枠ではなく、「空気」なのではないかと考える。企業イメージに合う番組を選び、数字で説得し、枠を確保する。その先で作られる報道の空気に、自分は無関係だと言い切れるだろうか。構造の外に立っているつもりでも、実は内側にいるのではないか。


夜、自宅でテレビをつける。昼と同じ税制法案のニュースが流れている。


A局は法案を前向きに伝え、経済効果を強調する。

B局は家計への負担増を前面に出す。

C局は「評価は分かれる」と中立を装う。


同じ法案のはずなのに、温度が違う。使われる言葉も、映し出される映像も、専門家の顔ぶれも違う。ある局では「将来への責任」という言葉が繰り返され、別の局では「生活への直撃」という字幕が大きく表示される。質問も微妙に違う。ある局は経済効果の試算を何度も確認し、別の局は生活者の不安を繰り返し引き出す。


どれが間違いとは言い切れない。だが、全部を見なければ全体像は見えない。多くの人は、一つの局しか見ない。そこで作られた空気が、その人の現実になる。


正義はリモコンを置き、スマホで国会中継のアーカイブを再生する。数ヶ月前の答弁映像。


「国民の負担が増えることはありません」


その言葉と、昼に見た源泉所得税の金額を思い比べる。負担は増えていないと言い切った政治家の声と、自分の手取りの現実。その間に横たわるものは何だ。


税金は必要だ。だが、どこに、どの程度、どう使われているのか。メディアは本当に全体像を伝えているのか。自分が売っている広告枠の先で、どんな編集が行われているのか。


LINEが鳴る。凛からだ。


「同じ法案なのに局で言い方違いすぎないか?」


「普通だよ。スポンサーも視聴者層も違うし」


「でもさ、質問の仕方も違う。ある局は経済効果ばかり聞いて、別の局は負担の話ばかり掘り下げてる」


少し間が空き、返信が届く。


「それも編集。番組の設計。悪意とは限らないけどね。でも、結果は偏る」


「偏ったままでいいのか?」


既読がついてから、少し時間が空いた。


「正義はどうしたいの?」


短い一文だったが、胸の奥に刺さる。どうしたいのか。怒りたいわけではない。誰かを糾弾したいわけでもない。ただ、自分が見ている世界が本当に全体なのかを確かめたいだけだ。


もしスポンサーが企業ではなく、国民だったらどうなるだろう。月額980円。


一万人いれば月980万円。十万人なら九千八百万円。企業に忖度しない構造は作れるのか。税金の使い道も、法案の経緯も、過去発言も、報道の差異も、ただ並べるだけのメディアは成立するのか。


怒りではなく、透明性で対抗することはできないだろうか。誰かを攻撃するのではなく、事実を可視化するだけでいい。税金の流れも、報道の差異も、質問の傾向も、数字で並べるだけでいい。判断は、見る側に委ねればいい。


正義はパソコンを開く。真っ白な画面にカーソルが点滅している。


R、E、:、P、U、B、L、I、C。


RE:PUBLIC。


その名前を見つめながら、彼は深く息を吐いた。違和感は、怒りよりも静かで、しかし確かに消えない。それは自分の給与明細から始まり、報道の画面へと広がり、やがて自分自身の立ち位置へと向けられている。


Enterキーに指をかけたまま、彼はしばらく動けなかった。


その夜、彼はなかなか眠ることができなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ