表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ちんでんぶつ

ネコ吸い異世界転生

作者: 白河リオン

 ――猫を吸う。それが俺の日課だった。


 朝起きて、ベッドの横に転がってるニコを抱き上げて、すーっと鼻を埋める。


 毛の香り。ぬくもり。小さな鼓動。


 これを「猫吸い」と呼ぶらしいとネットで知ってからというもの、俺はほぼ毎朝それをやっていた。


「おはよう、ニコ。今日も世界が続いてるな」


 ニコは「にゃあ」と一声返して、俺の顔をぺろりと舐めた。


 仕事はリモート。昼休みに猫動画を流しながらカップ麺をすする。


 夜はSNSで猫を眺めてから寝る。


 そんな、代わり映えのない日々。


 だけど、あの日だけは違った。


 玄関先に知らない猫がいた。


 白と金の毛並み。瞳がやけに鮮やかな青だった。


 まるで空を閉じ込めたみたいな、澄んだ青。


「……お前、どこの子だ?」


 首輪はない。


 抱き上げると、すっと俺の胸の中に顔を埋めてきた。


 ああ、可愛い。たまらない。


 つい、いつものように――吸った。


 毛の匂いが、やけに甘くて。


 頭の奥が、じんわりと温かくなっていく。


 そのまま、世界が暗転した。


ฅฅฅฅฅฅ


 次に目を覚ましたとき、俺は見知らぬ草原の真ん中にいた。


「……ん? え、は?」


 空が広い。風がやけに甘い。


 鼻をくすぐる匂いがどこか懐かしい――ニコの匂いに似ていた。


「ようやく起きたか、人間」


 声がした。


 振り返ると、あの白金の猫がいた。


 いや、違う。立っていた。二本足で。


 しかも喋っている。


「お前、さっき……」


「吸っただろう? 我を」


「いや、それは……癖で……」


「ふむ。では説明しよう。我は『猫神ねこがみニャル=ルーン』。お前は我を吸いすぎて、魂がこちら側に引きずり込まれたのだ」


「……転生、ってやつ?」


「正確には『召喚吸引』だな」


 猫に吸われて転生。なんだその新ジャンル。


 目の前の猫神は金のしっぽを揺らしながら続けた。


「この世界では、人間の魂が弱ると魔が入り込む。その魔を祓うのが、我ら猫族の役目だ」


「つまり……猫がヒーラー?」


「簡単に言えばそうだ。お前の世界で猫吸いが流行っていたのも、我らがほんの少しだけ干渉していたからだ。疲れた魂を癒やすためにな」


 猫はさらっと言った。


 あの幸福感には、ちゃんと意味があったのか。


「で、俺はどうなるの?」


「お前には猫守(ねこもり)の素質がある。吸引適正が高い。だから――この世界で、猫を守れ」


 その瞬間、俺の腕に柔らかな光が走った。


 手の甲に刻まれたのは、肉球の紋章。


 ちょっと可愛い。


ฅฅฅฅฅฅ


 それから俺は「猫守」として生きることになった。


 村に着くと、猫が多すぎて笑った。


 屋根の上、窓辺、道端――あらゆるところに猫。


 人々は彼らを「ニャーン様」と呼び、祈りを捧げる。


 猫の機嫌が悪いと、天気が崩れるという。


 どんな宗教だ。


 俺の役目は、猫を癒やし、守り、時に抱き上げ、吸うこと。


「……吸ってもいいのか?」


「猫守の資格があるなら構わん。ただし、敬意をもってだ」


 村長が真顔で言うものだから、笑うに笑えない。


 試しに一匹抱き上げ、鼻をうずめると――


 ふわりと光が舞った。


 猫の毛から、まるで桜の花びらみたいに魔素が散る。


「……癒やしって、こういうことか」


「お前、上手いな」


 後ろから声がした。


 振り返ると、少女がいた。


 黒髪に猫耳。尻尾がふわふわと揺れている。


「私はリュリカ。猫人族の巫女よ。あなたのことは聞いてる。猫吸い勇者って」


「勇者? そんなたいそうな……」


「だって、あなたの吸い方、優しいもの」


 リュリカは笑った。


 その笑顔に、胸がきゅっと鳴った。


ฅฅฅฅฅฅ


 村の暮らしは穏やかだった。


 朝は猫の世話。昼は畑で手伝い。夜は焚火のそばで猫たちと眠る。


 時々、リュリカと並んで夜空を見上げた。


「リュリカ、猫ってさ、人を癒やすために生まれてきたのかな」


「違うわ。猫は、ただ好きな人のそばにいたいだけ。それが結果的に癒やしになるだけよ」


「……そういうもんか」


「そういうもんよ。あなたも、そうだったんじゃない? 前の世界で」


 思い出す。


 ニコの体温。あの柔らかさ。


 いつも吸ってたのは、俺のためじゃなく――


 ニコの方が、俺を気遣ってたのかもしれない。


ฅฅฅฅฅฅ


 そんな平和な日々が、突然終わった。


 ある夜、森の奥から黒い霧が流れ込んできた。


 魔喰い(まぐい)――人の魂を喰らう存在。


 猫たちが一斉にざわめいた。


「猫守! 結界が破られました!」


 リュリカの声が震える。


 俺は剣を取った。猫の紋章が光る。


「吸引魔法、発動!」


 吸うたびに、魔が霧散する。


 猫の毛に顔を埋め、深く吸い込む。


 ――やばい、これ、中毒性あるな。


 けれど、敵は多かった。


 猫たちが次々と倒れていく。


 リュリカも膝をつく。


「だめ……このままだと……」


 その時、頭の中に声が響いた。


『お前が望むなら、全ての猫の力を貸そう』


「ニャル=ルーン……!」


『代償は、お前の魂ひとつだ。それでも構わぬか?』


 迷わなかった。


 俺は猫に救われた人間だ。


 なら、今度は俺が救う番だ。


「いいよ。吸ってくれ、全部」


 光が弾けた。


 世界が白に染まる。


 猫たちの鳴き声が、祈りのように響いた。


ฅฅฅฅฅฅ


 次に目を覚ました時、俺はニコの顔を見ていた。


「……夢?」


 部屋も見慣れたまま。


 PCのモニターが光っている。


 胸の奥が、じんわりと熱い。


 腕を見ると――


 手の甲に、うっすらと肉球の跡。


「……帰ってきた、のか」


 ニコは「にゃ」と鳴いて、俺の胸に顔をうずめた。


 そして、ふわりと――光の粒がこぼれた。


「おかえり、って言ってるのか?」


 俺は笑いながら、ニコを抱きしめた。


 ――吸った。


 柔らかい毛の香り。あの異世界の匂いが、確かにした。


ฅฅฅฅฅฅ


 その夜、夢を見た。


 草原の上。


 リュリカが笑っていた。


 猫たちが風の中を走り回っている。


「ありがとう。あなたのおかげで、猫たちは今日も眠れるわ」


「リュリカ……お前……」


「こっちの世界でも、吸い続けてね。それが、あなたの魔法だから」


 風が吹いた。


 猫の鳴き声が、遠くで重なる。


 優しい光が俺を包み――夢は、溶けた。


ฅฅฅฅฅฅ


 朝、ニコが顔を舐めた。


「……はいはい。今日も吸わせていただきます」


 俺はニコを抱き上げ、ゆっくりと息を吸い込む。


 温かい毛の香りに包まれながら、ふと笑った。


 ニコは「にゃ」と返事をした。


 その声は、どこかで聞いたリュリカの声に似ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ