始まりの三年後
『――それじゃあ続いてのニュースだよ。昨日のお昼に、黄金クラスのみんなが新しい法律を決めたんだって。それでその内容は……』
スナック菓子のゴミ、脱ぎ散らかされた水色のパジャマや空になったペットボトルが転がるリビングに、ちびっこキャスターのニュースが流れていた。
「なあ、ミライ。今日が何の日か覚えてるか?」
朝食のテーブルを挟み、リラが問いかける。サラダとトーストを前にした彼女は、いつもの指揮官モードとは違う、柔らかな表情をしている。
「僕がリラのダラシない私生活を支える奴隷になった三周年記念日、でしょ?」
「むっ! 行く宛もないミライを保護したと言えと何度も……」
リラが頬を膨らませる。しかしすぐに表情を引き締め、未来をじっと見つめた。
「……まあいい。知性と人間性の低下は見られないな。少し嫌味っぽくなったが」
その言葉の意味を、未来はよく理解している。この世界では、年を取ると頭が働かなくなる。それが当たり前なのだ。
出会った頃より低くなった声で答えた未来に、リラは大きく頷いた。未来は「はぁ……」と、一つため息を吐いて彼女の長いまつ毛を眺める。
「いつになったら帰れるんだろ。母さんや父さん、それに友達もみんな心配してるだろうな……」
故郷に帰りたい気持ちは変わらない。この世界に迷い込んで三年。最初は激しいホームシックで泣き出すこともあったが、今ではすっかりこの歪な世界に慣れてしまった。
「むぅ……ごめん、ミライ。私も異世界に渡る魔法は調べてるんだけど、黄金会議のみんなもそんなの知らないって……」
リラがしゅんと落ち込み、見た目相応の言葉遣いになる。その仕草に未来は「あはは。ごめん、リラのせいじゃないよ」と、優しく彼女を眺めた。
(リラは本当に年を取らないんだな。どう見ても二十六歳に見えないや……)
未来は改めて考え、その可憐な姿に見惚れてしまう。十年前に魔法で成長を止めたらしいリラ。自分は肉体的に一歳追い越してしまった。
「……ありがと、ミライ」
リラはぽつりと呟き、未来の顔をまじまじと見つめた。未来は心臓がドクンと鳴るのを自覚しながらも、彼女の宝石のような瞳を受け止める。
「やっぱり、今こうしてても信じられない。体が成長してるのに、知能と知性の低下が見られない――ううん、むしろ体と同じように成長するなんて、ミライはイレギュラーすぎるよ」
「何度も言ったろ? 僕がいた世界はこれが普通。三十六歳までしか生きられない――ううん、処分されるなんておかしいよ」
自分で言っておきながら、未だに実感は薄い。子供たちが全てを決める国、世界。大人には人権が存在しないなんて。
「仕方ないでしょ? 私たちは成長すると老魔になるんだから。……私の両親だって……」
「……ごめん」
大きな瞳を揺らし、リラの声がか細くなった。未来は気まずくなり、視線を巡らせた。
「なんてね! 別に悲しくなんてないよ。だってそれが当たり前なんだもん。それにもしかしたら、ミライは老魔化を解決できるかもしれない唯一の人間なんだよ⁉︎ 言うなれば、ミライはこの世界の未来を変えるかもしれないの! ミライだけにね! ふふふふ」
わざとらしく明るく振る舞う彼女。未来は気持ちを切り替え、ニコリと微笑む。
「そのギャグ、めっっっちゃくちゃつまんないよ?」
「むー! ひどい! そこまで言わなくてもいいでしょ⁉︎」
頬を膨らませながらも目元を緩ませるリラ。その儚くも可愛らしい仕草に、未来の寂しさも薄れていった。
『それじゃあ最後に、黄金会議を代表して一言! レオル君、どうぞー!』
テレビからは一際大きな声が漏れ、映像が切り替わる。金色のブレザーを着た赤い髪の男の子が、知性溢れる眼差しを画面に送っていた。
『たくさん遊び、たくさん働こう。俺たちの時間は限られてるんだから』
幼い口から飛び出す悪夢のような言葉。しかし彼らの目に恐れはない。狂人の言葉を口にしながら、その目は聖人のように澄み切っている。
(ほんと、イカれてるよ)
その映像にも慣れてしまった未来は、大きなため息を飲み込みながらそっと呟いた。
「……僕に、何ができるのかな」
「――それじゃ未来、いつものように留守番頼んだぞ?」
「はいね。今日の巡回先は?」
「金青区の東側。老滅の第三分隊と合流予定だ」
玄関でいつも通りの挨拶を交わす二人。青く清楚なブレザーに身を包んだリラが胸を張り、襟元の白いリボンがファサッと揺れる。
(うん、今日もバッチリ美少女だ)
いつ見ても見惚れてしまいそうになる。青い制服の胸元には、【老滅】の二文字が刺繍されたワッペンが輝いている。
「そっかそっか。気をつけてね」
「ふふふ、言われなくても無事に戻る。……いってきます」
「うん、いってらっしゃい、リラ」
未来の返事に満足したリラが、飛び切りの笑顔で飛び出していく――と同時に、その笑顔を未来以外に見せないよう、凛々しく引き締まった顔付きになる。
ガチャンと閉まる扉。いつもの挨拶、いつもの静寂。そして残された未来の、いつもの笑顔。
「新婚みたいだな」
ニヤけそうになる顔を、頭をボリボリ掻いて誤魔化した未来は、彼女が残した食器とパジャマに視線を巡らせた。
「……なんて、馬鹿なこと言ってないで片付けるか。主夫の務めを果たさないとな」
流し台に食器を全て置く。粉末の洗剤を容器からひとつまみ。パラパラと全体に振りかけてから、縁にある青いボタンをポチリ。
「いでよ水魔法。食器を綺麗にしたまえー」
青いボタンを押すと、空気から水分が集まって食器が泡だらけに。
それに気を良くした未来は、リラの脱ぎ散らかしたパジャマを掴んで浴室へ。ドラム式そっくりの魔法洗濯機に、服と洗剤を入れてボタンをポチる。
「またまたいでよ。服の汚れを落としたまえー」
モコモコと泡立ち、あとは待つだけ。呆気なさすぎる家事を終えた未来は、今さらながらその利便性に感心した。
「魔法家電、便利すぎるよなぁ」
モコモコと泡立つ様子を眺めて苦笑する。
(あと二年で十九歳か……)
ふと、自分の将来に思いが向く。
十八歳まではリラと同じ青銅クラス。その先は――。
(僕、このまま帰れなかったら…………ん?)
そこで何か大事な約束が頭をよぎり、未来は首を捻った。
「なんだっけ……なーんか忘れてる気がする……こっちに来て三年……検査……病院…………あーっ‼︎」
ようやく思い出した未来が大声を出した。リビングを覗くと、時計が朝九時を指している。
「落ち着け、診察時間まであと二十分……ギリギリじゃん!」
その瞬間、玄関からガチャン! と大きな音が届き、「ミライー! 今日ミライの人間性検査の日だったー‼︎」というリラの慌ただしい声が響いた。
「そうだよ! 今日の検査が一番大事だった!」
未来も慌ててエプロンを脱ぎ、外行きの青色カーディガンを羽織る。
「行くよミライ! 準備して!」
「準備完了! いつでも行ける!」
冷静な指揮官モードを放り捨てたリラが、未来の手を引っ張る。自然と繋がれた手に未来の鼓動が高鳴った。
「り、リラ? 今日の仕事は⁉︎ 別に僕一人でも……」
「一緒に行くに決まってるでしょ! 私も今日は休み取ってたし! いいからしゅっぱーつ!」
グイグイと引っ張られ、未来の恥ずかしさが吹き飛ぶ。
「ま、待ってリラ! そんな引っ張らなくても――うわっ⁉︎」
「ちょっと未来⁉︎ そんなとこで転ばな――きゃあっ⁉︎」
静かな朝をドタバタに染め上げる二人。
繋いだ手は、互いの体温を伝え合っていた――。