パン屋の娘オリビアの話①
「はい、焼けたよ!」
たくさんのパンが乗ったトレイを渡され、看板娘のオリビアは「はーい!」と元気な返事と共に、慣れた手付きでそれを受け取った。
ふわっと焼きたての優しい匂いが顔を包み、ふっくらとしたパンは艶々と輝いている。
だが、オリビアの目にはパンなど全く映っていなかった。
ちらり。
──ちらり、ちらり。
何度目線を逸らしても、オリビアの目はすぐに店の入り口に向いてしまう。
次々と焼き上がるパンを棚に並べながらも、そわそわと落ち着かない様子なのは、毎日朝一番にやって来る特別なお客を待っているからなのだ。
「こら、オリビア! さっさと並べる!」
「はーい!!」
元気な声が響くこの店は、街で一番早く、朝日が昇る前から営業しているパン屋。
昔から親しまれる味が自慢の、家族で営む小さな人気店だ。
店の奥の厨房が両親の仕事場で、カウンターがオリビアの担当。
くるくるとカールした巻き毛の前髪を撫で、うっすらとガラスに映る自分の姿を何度も確認してしまう。
(まだかな……)
カランカラン……と扉に吊るされた古いの鈴の音がお客の入店を知らせるなり、カウンターにいたオリビアはパッと立ち上がった。
「いらっしゃいませ! ──あ、ラーラさんか。おはようございます。今は胡桃のパンが焼きたてですよ」
ほんの少しほっと息をつき挨拶すると、知り合いの鍛冶屋の奥さんが、並んだたくさんのパンを眺めつつ笑いながら言った。
「おはよう、オリビア。そわそわしちゃって。今日はまだなのかい?」
含みのある物言いに、オリビアは顔を赤くして捲し立てた。
「い、いや別にそわそわとかしてないですから! ほら、早く選ばないとフリオ爺ちゃんにドヤされますよ。あの人朝ご飯遅れると機嫌悪くなるでしょ」
「はいはい」
なおもくすくすと笑うラーラを一睨みすると、オリビアの視線はまたもや店の入り口に吸い寄せられた。
支払いを済ませ、店を出るラーラと入れ替わりに、その客は店に入ってきた。
「──っい! いらっしゃい、マセ」
オリビアの心臓がドキリと跳ねる。
緊張で声が裏返ってしまった。
「よう、今日も元気な前髪だな」
そう言いながら入って来たのは、騎士団の制服に身を包んだ赤髪の青年──オリビアが絶賛片思い中の幼馴染、アランだった。
アランはカウンターにもたれると、ニカっと笑いながら手を伸ばし、大きな手でオリビアの前髪をグシャリとひと撫でした。
アランは子供の頃から、オリビアのぴょんと跳ねたくるくるの髪を揶揄ってくるのだ。
だが笑って撫でるアランの瞳は優しく、オリビアはそれが嫌ではなかった。
「うるさいな。癖毛なんだからしょうがないでしょ──はい、いつもの!」
オリビアは赤くなりそうな顔を隠すように前髪を抑えながら、後ろの棚から取り出した紙袋をズイとアランの前に突き出した。
袋の中身は具がたっぷり挟まった大きめのサンドウィッチが2つ。
それから特製のアップルパイ。
「ありがとな! やっぱこれがないと1日が始まんないからさ」
「調子いいこと言って。早く行かないと遅刻するわよ」
「げ、まずい。じゃあまた明日もよろしくな」
アランは代金をカウンターに置くと、もう一度わしゃっとオリビアの頭を撫でた。
オリビアが前髪を抑え「べっ!」と顔を顰めて舌を出すと、アランは笑いながら早足で店を後にした。
閉まるドアに合わせ、カランカラン……と古い鈴の音が静かな店内に響く。
オリビアは「また明日」と言うアランの姿を反芻しながら、カウンターの椅子にどさっと座ると、ガラスに映る自身を見ながら、再び前髪を撫でた。
「あや、アランはもう行っちまったのかい」
「うん」
「あの子も毎日毎日、頑張るねー」
厨房から顔を覗かせた母が、そう言いながら追加のパンを渡してきた。
オリビアとアランのこの朝のやり取りは、4年前から続いている。
家が近所で、もともと親同士の仲が良かったため、幼い頃はよくお互いの家を行き来し、預けられたり預かったり、喧嘩したり一緒に叱られたりといった関係だった。
それは成長してからも同じで、毎日のように何かと2人は顔を合わせていた。
だが、転機が訪れた。
アランが街の駐屯所勤務の騎士団員の募集枠に応募し、見事試験に合格したのだ。
新人の騎士は、通常勤務の他にも研修や訓練が鬼のように組まれ、「騎士になったら3年は帰らない」と言われる程忙しいとの噂だった。
「はあ……アランとも会えなくなっちゃうのか」
毎日気落ちしていたオリビアは、ある晩アランに呼び出された。
「オリビア、その……話があるんだ。ちょっと来てくれないか」




