書店の店主 ドナの話①
「ビアンカさん、紅茶とコーヒー、どちらがいいですか? カフェオレも作れますよ」
「あ、じゃあカフェオレをお願いします」
「わかりました。先に庭で待っていて下さい。少し冷えるかもしれないので、これも持って行って」
台所で大きめのカップを出しながら、ドナは用意していた膝掛けをビアンカに渡した。
楽しそうにぴょんと足を弾ませ庭へ向かう彼女の後ろ姿を眺め、ドナは短くため息を吐いた。
「さて……どうしたものか」
温め直すため、すでに火を着けていたオーブンにブリオッシュを並べながら、思わず小さく呟いていた。
ドナは静かに困惑していた。
今もそうだが、昨夜ビアンカに声を掛けた自分自身に、本当に驚いていた。
(五つ……いや、下手したら七つくらいは年下な気がする)
ドナは今年で二十八歳になる。
それなりに恋愛はしてきたし、神経質そうな見た目に惹かれる物好きはいるようで、相手に困ったという経験もない。
だが、どの出会いも女性側から寄ってきたものであり、同年齢、あるいは年上の女性との、後腐れのないサッパリとしたものばかりだった。
(これは……もしやそういうことなのだろうか)
ふわりと湯気をたてるカフェオレを二つと、籠に並べた艶やかなブリオッシュを手に、庭へ向かう。
店の奥、裏口から出てすぐにある庭は、隣接する周囲の建物とを区切る塀に囲まれ、外からは見えない。
背の高い木が何本かと、低い果樹が数本。
ふかふかの芝は、ドナが店を貰い受けてから敷いたものだ。
祖母が好きだったからと祖父が手入れを続けていた沢山の鉢植えには、今年も色とりどりの花々が咲いている。
正直手入れは面倒だが、祖父母の思い出も含めて受け継いだような気がしていたため、そのまま世話を続けていた。
緑が風に揺れる中に、小さな木の丸テーブルと、椅子が二つ。
よく手入れされた古いそれは、祖父母が使っていたものだった。
「あ、ドナさん」
椅子に座って庭を眺めていたビアンカが、ドナに気づいて笑顔でパッと振り返る。
ドナが店を継いでから、自分以外、庭には誰も立ち入ったことはない。
完全に自分だけの領域である、小さな庭。
そこに、今日はビアンカがいる。
(ああ……これはクるな)
庭にいる彼女を見て、ドナの中に、ゾクリと仄暗い愉悦が広がった。
塀に囲まれた己だけの空間に、彼女を閉じ込め独占している──ビアンカを自分だけの物にしたような、そんな甘い錯覚が自身を襲い、ドナは確信した。
彼女に恋をしていると。
(思えば、あの店に行く時、いつも彼女がいるかどうかを気にしていた。眼鏡屋でも自分から声を掛けてしまったし、帰りだって、別にわざわざ一緒に店を出る必要もなかった)
己の行動を一つ一つ思い返し、なるほど、と納得する。
近頃自分に感じていた僅かな違和感は、全て恋が原因で起こっていたことだとするなら、説明がつく。
(彼女は自分よりもまあまあ年下だ。怖がらせるのは得策じゃないな。ゆっくり……それでいて確実に距離を詰めるとするか……)
ドナは自分から恋に落ちたのは初めてだった。
驚きはしたが、己から心が動いたということは、その心に無駄な抵抗をせず、彼女を手に入れる事に尽力するのが、結果的には一番自分のためになる──本能的に、だが冷静にそう判断した。
彼女を自分のものにしたいというドロリとした欲望を内に隠し、丸テーブルに籠を置き、ビアンカにカフェオレのカップを一つ差し出すと、ドナは穏やかに言った。
「……さあ、食べましょう。店を開けるまでは、まだかなり時間がありますから。──どうぞ、ゆっくりして行って下さいね」
何も知らないビアンカは、礼を言って可愛らしく微笑むと、差し出されたカップを受け取った。




