赤髪の騎士フレッドの話④
「フレッド様、大丈夫ですか?」
まさか、と思いガバリと上体を起こす。
目の前で膝を付き心配そうに自分を見ている女性を見て、フレッドは固まった。
月明かりに照らされる、栗色の髪。
優しげで柔らかな声。
そしてふわりと風にのって香る、微かな蜂蜜の香り。
初めて顔を見たはずなのに、そばかすの散った薄紅色の頬も、緩やかに下がった眉尻も、若草色の澄んだ瞳も──その全てが、記憶の中の彼女にピッタリと重なった。
(──この子だ)
本人に確かめる必要などなかった。
自身の五感の全てが、煩いほどに「彼女だ」と叫んでいる。
「きみ、は……」
驚きすぎて、息が上手く吸えず声が詰まる。
目の前の光景が信じられずに呆然としているフレッドに、女の子が慌ててハンカチを差し出して来た。
「血が垂れてきています。これを──」
小さな手で差し出されたそれを見て、フレッドは破顔した。
「あの……?」
突然表情を緩めたフレッドに、女の子が困惑の表情を浮かべている。
「また、スミレだ」
「──え?」
フレッドは手を伸ばし、スミレの刺繍が施されたハンカチごと、彼女の手をそっと握った。
びくり、と手を引こうとする彼女を宥めるように、フレッドは握る手にほんの少し力を込め、その若草色の瞳に甘く微笑んだ。
突然手を握られ、ただ驚きの表情を浮かべた彼女は、次第にその目を見開き、顔を真っ赤にして言った。
「わ……私を、覚えていらっしゃるのですか?」
「もちろんだよ──君をずっと……探していたんだ」
フレッドはようやく辿り着いた正解に、胸が熱くなった。
嬉しさが全身を駆け巡り、破裂しそうなほどに苦しい。
「私を、ですか?」
「そう」
「なぜ──」
「好きだから」
フレッドははっきりと、彼女の目を見て言い切った。
真っ赤な彼女は、時が止まったように目を丸くして動かない。
「好きなんだ。君に惚れてる。1年前に会った時から、もう一度会いたくて、ずっと探してた」
「で……ですが、フレッド様には恋人が」
「君と会ってから、恋人がいたことなんてない」
「でも街で」
「誓う。絶対にそういうのじゃない。君を探して、似ていると思った子に確認してただけ。……ずっと、君しか見えてなかった」
そう言ってフレッドは、自身の制服の胸元からハンカチを取り出した。
丁寧に畳まれた、スミレの刺繍のハンカチ。
彼女は息を呑み、ゆっくりフレッドに視線を戻す。
首まで赤くしジワリと瞳を滲ませる彼女を見て、フレッドはぐいと彼女の手を引き寄せた。
「あ──」
ぐらりと傾いた彼女を、フレッドは胸元に片手で優しく抱き留めた。
「ねえ、お願い。名前教えて?」
縋るようにそう問えば、腕の中の女の子は、真っ赤な顔のまま、涙を溜めた瞳でふわりと微笑んだ。
「ニコルです……フレッド様」
その表情に愛おしさが込み上げてきて、抱き留める腕に自然と力が込もった。
「ニコル」
一年間、思い続けてきた彼女の名前を、ようやく呼べる。
「ニコル。君が好きだ。ずっと探してた。──どうか俺の、恋人になって」
フレッドが甘く囁くと、ニコルは両目に溜まっていた涙をぼろりと溢れさせ、頷いた。
(ああ──!!)
その瞬間、フレッドはニコルを両手で強く掻き抱いた。
甘い蜂蜜の香りが、肺いっぱいに流れ込む。
腕の中に閉じ込めた彼女は、そっとフレッドの背に手を回し、震える小さな声で言った。
「私も──ずっとあなたが好きでした」
次の日から、フレッドはいつもの調子を取り戻した。
訓練では初めて隊長相手に模擬戦で勝利を収め、書類も期限内提出でミスもない。
迷子になっていた子どもの親をすぐに見つけ、暴漢も一瞬で制圧し、食堂には新たにお気に入りのメニューができた。
と言っても、そのメニューが食べられるのは、週に1回。
臨時の調理師がいる時に、フレッドだけが食べられる、特別なメニューだ。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
食堂の裏口。
フレッドはニコルからランチボックスを受け取り、耳元で「愛してる」と囁くと、頬にキスを落とした。
茹でダコのようになったニコルを抱きしめてから食堂に入ると、アランとノアを見つけ隣に座る。
「情熱的なのはいいけどさ、あの子の心臓の心配もしてあげた方がいいんじゃない?そのうち爆発すると思うよ」
軽口を叩くノアの足を踏み、フレッドはランチボックスの蓋を開けた。
「あー訂正。あの子が爆発するより、フレッドが溶ける方が先だね」
「それは否定しねえ」
フレッドはそう言って破顔すると、ライ麦パンのサンドイウィッチに豪快に齧り付いた。