菓子店の娘ニコルの話②
カミラの家でのお泊まり会から1週間後。
都合を合わせ二人で街へ出掛けると、偶然にもすぐに赤髪の男性を見つけた。
「もしかしてあの方じゃない!?」
「そうかも……」
「すれ違った騎士の方と親しそうだったし──あ、ほら今店のおじさんが『フレッド』って言ったわ!」
街を歩いているフレッドと一定の距離を保ちながら、二人はコソコソと後をついて行く。
「どうしよう……想像していたより何倍も素敵な方だわ」
惹きつけられる華やかな見た目の彼を見て、ニコルはドキドキと胸が高鳴った。
「声をかけに行きましょうよ!」
「む、無理よ! 覚えてらっしゃらないかもしれないし……声をかけてもご迷惑かもしれないわ」
「そんなの、声を掛けてみないとわからないじゃない。ほら行くわよ」
「でも──あ、カミラ待って!」
「え!? 何!?」
今にも飛び出して行きそうなカミラの手を、ニコルは思いっきり引っ張った。
カミラが振り返ると、ニコルは目を見開いて固まっている。
「ニコル、一体どうし──」
カミラが不審に思いながらニコルの視線の先──フレッドに目を戻すと、彼の元に、可愛らしい栗色の髪の女性が掛けて来た所だった。
「フレッド様、お待たせしてしまいましたか?」
「いいや、大丈夫。今来た所だから」
そう言って、目の前の男女は微笑みながら歩き始めた。
幸せそうに視線を交わしながら遠ざかっていく二人の姿が見えなくなるまで、ニコルとカミラはその後ろ姿を声もなく見つめていた。
「……帰ろう、カミラ」
「あ……」
「あんなに素敵な方ですもの。恋人がいて当然よね」
「ニコル……」
ニコルはズキリと痛む胸を無視して、笑顔で肩をすくめる。
その日ニコルは、人生で初めて夕食を食べずにすぐに布団に潜り込んだ。
(──あ、フレッド様だわ)
買い出しで街を歩いていたニコルは、視界の端、はるか遠くにいるフレッドを見つけた。
恋というものは厄介なもので、失恋したからといってすぐに彼を忘れることはできなかった。
むしろ、それまで何気なく過ごしていた街の至る所で、目が勝手に彼を探し、どんなに遠くでも赤髪を見つけてしまうようになっていた。
だがその度に、彼を瞳に映す喜びと共に、失恋の痛みがニコルをチクリと刺していった。
「はあ……今日一緒にいた人も、綺麗な人だったな」
私服姿の彼を見かける時は、必ず隣に可愛らしい女性がいるのだ。
見かける度に違う女性に変わってはいたが、どの女性も可憐で美しい子ばかりだった。
ニコルは、店のガラスに映り込んだ自分を眺めて俯いた。
(……私では、フレッド様に釣り合わないわ)
よく言えば優しげだが、華やかさのない地味な顔立ち。
そばかすが散った頬。
毎日調理場に立つ腕や脚は、年頃の娘にしてはやや筋肉質で、可憐な印象でもない。
手には、オーブンでついた小さな火傷の後もまだ幾つか残っていた。
「……うん……あの時、声を掛けなくて良かった」
ニコルはガラスの中の自分に小さく呟いた。
フレッドと出会ってから半年が過ぎた頃。
ニコルは父から思わぬ提案をされた。
「騎士団の食堂で働いてる知り合いが、人が足りなくて困ってるらしい。週に1、2回でも助かると言われたんだが、暫く行ってきてくれないか?」
ニコルは悩んだが、引き受けることにした。
胸の苦しみには耐えなければいけないが、会える喜びを捨てきれなかった。
「心配だわ」
週に1度だけ騎士団の食堂に通う日々を送り始めて暫く経った頃、ニコルはカミラにそう溢した。
「何が?」
「フレッド様のことよ。最近、全然元気がなくて……」
調理場の奥で仕事を任されているニコルは、フレッドと直接話すことはない。
だが食堂で友人と雑談する彼や、街で見かける彼は、ここ最近明らかに気落ちし、笑っていても、その目は悲しげだった。
「また恋人と別れでもしたんじゃない?」
「そうかしら……」
「もう、ニコル。いい加減フレッド様のことは忘れて、新しい恋でも探しに行こうよ」
そうしてカミラに誘われ遊びに出かけたり、美味しいものを食べたりして過ごしたが、新しい恋は生まれなかったし、ニコルの心からフレッドが消えることはなかった。
その日、ニコルは食堂での仕事を終え帰る準備をしている所だった。
たまたま休憩していたフレッドを盗み見ながら最後の片付けをしていると、隊長がフレッドに近づいて来て、厳しい顔で何やら話しているのが聞こえてきた。
「おい、フレッド。いい加減にしろ」
一喝され、訓練場に引きずっていかれたフレッドが心配で、ニコルは後を追いかけた。
(大丈夫なのかしら……)
隊長とフレッドの激しい剣撃が暗い訓練場に響き続けている。
ニコルはハラハラしながら、最後まで柱の影から二人の様子を見守っていた。
(フレッド様……)
隊長が帰った後、フレッドが仰向けに大の字で地面に倒れ込む。
はっきりとはわからないが、その苦しそうな様子に、ニコルも胸が痛んだ。
(……でも、きっと私にできることはないわ。……もう帰ろう)
そう思った時、フレッドが片手で顔を多い、僅かに顔の角度が変わった。
月明かりに照らされた頬に傷ができ、滲んだ血がキラと月光で光るのが見えた。
(お怪我されているわ……!)
ざっと血の気が引き、その瞬間、ニコルは思わずフレッドに走り寄っていた。
あんなに遠くで眺めているだけだった彼が、目の前に横たわっている。
自分の行動に驚きつつも、フレッドの傷が心配で、ニコルは勇気を振り絞って声をかけた。
「あの──フレッド様」