幸せの店の名は『パン屋〇〇』
マシューはパン職人だ。
通りに面した自分の店も持っている。
街の小さなパン屋で、そこそこ人気の店だと自負している。
「俺はパンを世界一愛している!」
これが、マシュー・マルタンの口癖だ。
マシューの父もパン職人で、そのまた父もパン職人。
その父も、さらにその父、その前は母、その前は父──遡ればいつから始まったのかわからない程にずっと前から、マシューの家はパン屋だった。
パン屋は人気だったが、パン屋の名前は誰も覚えていない。
なぜかって?
それは、マルタン家で代々受け継がれている家訓に原因がある。
『パン以上に愛するものができたら、その愛を世界に知らしめること』
これが家訓で、そしてマルタン家の者は愛情深く、燃えるような恋をする者が多く、マシューも例外ではなかった。
十七歳になった頃。
マシューは相変わらずパンを愛し、パン一筋で生きていた。
あまりにパンを愛していたため、早くに継がせてもらえた店の名を、勝手に『パン屋』という他を一切削ぎ落としたシンプルな名前に変えてしまった程、真っ直ぐにパンに情熱を向けていた。
そんなある日、マシューは衝撃的な運命の出会いをした。
後の妻になるローズだった。
マシューはそれはもう、毎日毎日……というか、パンを焼いていない時間は休みなくと言っていい程、ローズに猛アタックした。
「好きだ!!」
「愛している!!」
「俺の世界一は君だ!!」
どれだけ断ってもめげないマシューの猛アプローチに根負けし、とうとうローズは頷いた。
結婚式の日。
マシューはまた、店の名前を変えて『パン屋ローズ』という看板に架け替えた。
そして時が過ぎ、マシューはまた衝撃に打たれた。
愛娘が誕生したのだ。
「見ろ! 君に似たオリーブ色の瞳がなんて可愛らしいんだろう!!」
夫婦は娘を『オリビア』と名付けた。
そしてもちろん、また店の名前が変わった。
『パン屋オリビア』。
これが、今のパン屋の名前だ。
マシューは三度も店の名前を変えたが、それはマシューだけの話ではない。
マルタン家は、代々家訓に従い最愛の者ができたらその都度、店の名前を変えてきた。
マシューが継ぐ前の名前は『パン屋マノン』。
これはマシューの妹の名前。
『パン屋マシュー&マノン』の案と揉めたが、父、母、マシューの三人で決めた。
その前はもちろん『パン屋マシュー』。
その前は『パン屋アンナ』。
これはマシューの母の名前。
さらに前は『パン屋ジェームス』。
これはマシューの父の名前で、考案はもちろんマシューの祖父母。
こんな感じで、ずーっと昔からある店なのに、何度も何度も名前が変わるので、住民達はパン屋の名前を覚える気がない。
ある者はこの店を『パン屋ジェームス』と呼び、ある者は『パン屋マノン』と呼んでいては、こんがらがってしまうからだ。
だから住民達は、いつの時代もこの店をこう呼んでいた。
『幸せの店』と。
今日も店のドアを開ければ、元気な声が出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ!お好きなパンをお選び下さい!」




