第7話 - 新しい道
ミオ先輩は、私たちに三日間の猶予をくれた。
内容はすでに決まっていたから、まずユイがメロディを作り、それに合わせて歌詞をまとめることになった。
ユイの音楽的な実力をもともと知っていた私は、一日でメロディを仕上げてしまった彼女に驚く先輩たちと違って、特に驚きはしなかった。
私の机の上には、新しい原稿用紙が広がっていた。
ペンを握る指先が、かすかに震えていた。
――本当に、これが私の書いた言葉なのだろうか。
昨日読んだあの一文が、みんなを動かしたなんて。
まるで、私じゃない誰かが書いたみたいだった。
目を閉じる。胸の奥にこみ上げてくる高揚と、それを締めつけるような恐怖。
――もし、今度はみんなを失望させたら?
私は本当に「書く人間」なのだろうか。
けれど、紙は黙って目の前にあった。
私はもう一度ペンを持ち上げた。
――それでも……書きたい。
この言葉が、私自身だと証明したいから。
ユイのメロディを聴きながら、少しずつ言葉を音に乗せていった。
最初はおそるおそる。
ひとつひとつの単語を音に合わせるたび、
見慣れたはずの文章が、いつのまにか歌になって流れはじめた。
朗読とは違った。
ただ「読む」のではなく、「響かせる」という感覚。
私の声がメロディの上を舞うように流れると、
机の上の紙さえも、生きて動き出すようだった。
翌日、夜九時。
歌詞をつなげ終えた私は、ゆっくりと、メロディに合わせて歌ってみた。
「……人の心は、夜ごとそれぞれの声で鳴る。
でもその声が届く場所を失えば、静かに消えてしまう。
だから私は書くことにした。忘れられないように、消えないように。」
私の声が曲に乗った瞬間、チハル先輩が目を輝かせて身を乗り出した。
「私のもやってみよ! メロディあるとめっちゃピッタリじゃん!」
大きく息を吸い込んだ彼女は、ふざけたようでいて真剣な目をして自分の言葉を紡ぎ出した。
「夏の夜、花火がドーン!って咲いたら、私の心もドーン!って弾ける!
君への気持ち、もう隠せないっ!」
明るく跳ねるリズムに乗せられて、部室の空気がぱっと華やいだ。
ユイは顔を赤くしながら額を押さえたが、その声を止めようとはしなかった。
そしてミオ先輩が静かに原稿を手に取った。
「夜はいつも私を試す。
でも書き続ける限り、必ず夜明けは来る。」
落ち着いた声が、メロディにしっかりと芯を与えた。
ほんの一瞬――
私たち四人の言葉がつながって、ひとつの曲のように完成していた。
静かな部室に響いた余韻は、なかなか消えなかった。
チハル先輩が「やったー!」と両手を突き上げて立ち上がった。
「やばっ! ほんとに歌みたいだった! 私の花火セリフまで、こんなにカッコよく聞こえるなんて!」
原稿をくるくる回しながら、嬉しそうに笑う。
ユイは顔を赤らめ、視線をそらした。
「バカみたいな文章だと思ってたけど……メロディに乗せたら……なんか……」
言葉を最後まで言いきれず、代わりにペンをぎゅっと握った。
「……ちょっとだけ、悪くないかも。」
その言葉に、私の胸がどきんと鳴った。
昨日まではひとりで書いていた言葉が、
いまは四人の言葉と絡み合い、新しい模様を描きはじめていた。
――私の言葉が……ほかの誰かの言葉と混ざり、生きている。
シノ・アマネじゃなく、カワサキ・ハナエとして書いた言葉が。
そのとき、ミオ先輩が静かに立ち上がった。
銀色の瞳がランプの光を反射して、鋭くきらめいた。
「……そう。これこそ、言葉を信じるもうひとつの形ね。」
短い沈黙のあと、彼女ははっきりと言った。
「誰かの心が文に宿り、別の声と出会って新しい世界になる。
それが言葉でも、歌でもかまわない。大切なのは――伝わることよ。」
その瞬間、部室の空気が変わった。
チハル先輩の弾む息、ユイのかすかな震え、
そして胸の奥でふつふつと湧き上がる確信。
すべてが重なり、一行の宣言へと形を成した。
「――これが、私たち文芸部の新しい道だ。」
チハル先輩は興奮を隠しきれないまま両手を広げた。
「やばい、なんか本当にバンド結成したみたいじゃない? 歌とか超新鮮〜!」
ユイはすぐに手を振った。
「はあ……まさかライブとか言い出すつもり? 私、人前に立つのはほんと無理だから。」
でも、その声には昨日までの冷めた響きはなく、どこか熱がこもっていた。
チハル先輩はすぐに気づいて、にやりといたずらっぽく笑った。
「ふ〜ん? じゃあさっき鼻歌うたってたのは何? めちゃくちゃ本気だったけど〜?」
「あ……あれは違うし!」
ユイは顔を赤らめて眼鏡を押し上げた。
その様子を見ていたミオ先輩は、腕を組んで少し考えたあと、静かに言った。
「もともと、私たち文芸部には朗読会という伝統があった。
部の名でもある〈九時に読んで〉というタイトルを掲げて、
夜ごと作品を声で届ける会。……でも、いつしか途絶えてしまった。」
「今回やっていることは、その形を少し変えて蘇らせているだけよ。」
チハル先輩は感嘆したように目を輝かせた。
「わぁ、伝統に新しい衣を着せたんだね! めっちゃカッコいい!」
ユイは相変わらず素っ気ない顔だったけれど、
眼鏡の奥の視線だけは、ノートに残ったメロディをなぞっていた。
私も静かにうなずいた。
――言葉を信じる形は、ひとつじゃない。
朗読も、歌も、同じ根っこから生まれたもの。
その気づきは、なぜだか私の中で新しい力のように根を張った。
活動を終えた私たちは、部室の灯りを消し、一緒に校庭を歩き出した。
夜の空気は冷たかったけれど、胸の奥はなぜか熱く燃えていた。
チハル先輩はまだ興奮気味の声で言った。
「ねぇ、これほんとにステージに上げちゃおうよ! 文化祭とかさ!」
「はあ……もう公演の心配とかしてるし。」
ユイはため息をついたけれど、口元にはかすかな笑みが浮かんでいた。
ミオ先輩は無言で歩調を合わせ、星明かりを映したような銀の瞳で私たちを見つめていた。
その視線は冷たくなく、むしろ――『信じてついてきてもいい』と、静かに輝いていた。
帰り道、ひとり交差点に取り残されたような気分で、空を見上げた。
――今日、私たちは四人の文章をひとつの歌にした。
もしかしたらこれは、ただの遊びなんかじゃなくて。
これから文芸部が歩む新しい道なのかもしれない。
かばんの中には、まだ未完成の原稿が残っていた。
けれど、不思議と不安はなかった。
もうその原稿はひとりじゃない。
メロディと声、そして仲間たちの言葉としっかり繋がっているのだから。
「……そうだ。これが、私たち文芸部の――
そして私自身の、新しい道なんだ。」
見上げた夜空では、星の光さえかすかだった。
それでも、不思議とあの闇は怖くなかった。
朗読会、メロディ、歌詞。
きっと、この瞬間こそが何かの始まりなのだと信じたくなった。
――失われた伝統を、私たちはもう一度つなぎ直している。
この道の先がどんな物語になるかはわからないけど……それでも、信じてみたい。
私は静かに、心の中でつぶやいた。
「明日の夜九時も――止まっていた時計が、また動き出しますように。」
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