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第6話 - 文は歌になって

朝の教室は、いつも通りざわめいていた。


窓の外、グラウンドから聞こえる号令。


席を立ってわいわいと群れる足音。


交わされるおしゃべりが入り混じり、ひとつの雑音のように流れていた。




その中で、ユイは窓際のいちばん端に静かに座っていた。




陽射しは窓枠を伝って机の上に長く伸びていた。


紙の上ではまだ乾ききらないインクがきらりと光り、


ユイはゆっくりとした呼吸に合わせるようにペンを動かしていた。


まわりの喧騒とはまるで別の世界――彼女だけの静かな呼吸が流れていた。




私はなんとなく近づいて声をかけた。




「ユイ、何書いてるの?」




一瞬、彼女は肩をびくりと震わせて原稿を閉じた。


「うわっ……ハナエだったのね。」




眼鏡の奥の瞳が一瞬揺れたあと、


観念したようにため息とともに原稿を差し出してきた。




「正直ね、昨日のチハル先輩の話……ちょっと面白そうだって思っちゃって。


 ハナエがいると、なんだか少しだけ寂しくない気もして。」




横を向いたまま、小さくつぶやく。


「何より……昨日、君が朗読してるのを見て、私も少しだけ信じてみたくなったの。」




私は紙に視線を落とした。


まだ未完成だったけれど、たしかにユイの声が宿っていた。




「古びた教室の窓枠にもたれていると、


 ときどき風が話しかけてくるような気がする。


 無数の雑音に紛れても、その声だけは消えたりしない。


 私はそれを、言葉に閉じ込めておきたい。」




ユイは慌てて原稿を閉じ、顔を赤らめた。


「もちろん、現実的に大したものになるなんて思ってないわ。


 でも……ハナエがいるから、続けてみたくなったの。」




私は答えの代わりに、ペンケースからペンを取り出して紙に一行書きつけた。




「人の心は、夜ごとそれぞれの声で鳴る。


 でもその声が届く場所を失えば、静かに消えていく。


 だから私は書くことにした。忘れられないように、消えないように。」




短い一文だったけれど、たしかに私の奥底から引き出した告白だった。




――夜九時、文芸部室。


机の上には四人の原稿が並べられていた。


小さなランプの光が紙の上を照らし、長い影を落としている。


窓の外はもう薄暗く、風さえ眠ったように静かだった。




「君の番だよ、ハナエ。」


ミオ先輩の凛とした声に、私はこくりと頷いた。


心臓がどくりと落ちたけれど、勇気を出して文を読み上げた。




私の声が部室に響くと、チハル先輩が感嘆を漏らした。


「……わぁ、詩みたい。」




ユイは腕をほどいて私を見つめる。


「ほんと、毎回驚かされるね。」




ミオ先輩もゆっくりと目を閉じ、やがて頷いた。


「いいわね。これが文芸部の始まりだわ。」




その瞬間、チハル先輩が身を乗り出して原稿をひらひらさせた。


「ねぇ! みんなの文章、つなげたら歌の歌詞みたいじゃない?」




「……歌?」ユイが眉をひそめる。




「そう! ハナエのも、ユイのも、ミオちゃんのも、全部つなげたら一曲みたいになるって!」


チハルは原稿を振り回しながら楽しそうに笑った。




「冗談……」ユイは眼鏡を押し上げながらつぶやいたが、


その声にはかすかな興味が混じっていた。


ミオ先輩はしばらく考え込んだあと、ふっと笑って言った。




「……おもしろい試みね。文章を曲にするなんて、新鮮だわ。」




私は無意識にペンを握りしめていた。


昨日までひとりで抱えていた文たちが、いまは他の声と混ざり合って


新しい何かになる想像――胸が高鳴ると同時に、


心の奥底でずっと眠っていた記憶がよみがえった。




「子どもの遊びみたいなこと言わないで!」


思わず声が飛び出した。部室が静まり返り、みんなが驚いて私を見た。




息を荒げながら、私は言葉を継いだ。


「……私は知ってる。言葉が遊びみたいに消費されたときの気持ちを。」




頭の中に、はっきりと浮かんだ。


「中学のとき、私の書いたものが教室で回されたの。


 みんなクスクス笑いながら読んで、先生でさえ苦笑して閉じた。


 あのとき決めたの。もう二度と、あんなふうに言葉を失わないって。」




言い終えたあと、重い沈黙が落ちた。


チハル先輩でさえ口をつぐんで私を見つめていた。




「……そんなつもりじゃなかったよ。」彼女が小さくつぶやいた。




私は頷いた。


「わかってる。だからこそ怖いの。


 また、あのときみたいに言葉がばらばらになってしまうのが。」




ユイはそっと唇を噛んでから、言葉を添えた。


「……ハナエの言う通りだよ。言葉には誰かの心が宿るから。


 軽く扱っちゃいけない。」




彼女の声は、さっきより少しだけ強かった。


「でも、同時に思ったの。


 言葉を信じる方法はひとつじゃないかもしれないって。


 その心が本物なら、歌でも何でも……別の形で続いていけるのかもって。」




部室は再び静かになった。


緊張と余韻が入り混じった、不思議な沈黙が流れる。




そのとき、チハル先輩がぱっと笑顔を見せた。


「そうそう! 私はただ、みんなの気持ちを別の形で伝えたかっただけなんだよ!」




私は顔を赤らめて横を向いた。


「……さっきは、ごめんなさい。つい声を荒げちゃって。」




「気にしないで。そんな本音なら、十分価値のある声だ。」


ミオ先輩はふっと笑い、私たちを見渡した。


「正直な気持ち――それだって一行の言葉になりうるわ。」




彼女は原稿をまとめながら、きっぱりと言った。


「いいわね。じゃあ今回は、みんなの文章を歌詞にしよう。


 3〜4分くらいの曲に。メロディをつける人も必要になるわね。」




ユイは少しだけ迷ってから手を挙げた。


「中学のとき吹奏楽部だったから……簡単なメロディくらいなら作れるかも。」




「おお〜、ユイの隠れ才能大放出〜!」


チハル先輩がふざけて飛びついてくると、ユイは顔を赤くして突き放した。


「うるさい……」




私は静かに息を整えて言った。


「じゃあ、歌詞は私がまとめるね。みんなの言葉をつないで……ひとつの作品に。」




胸の奥で二つの世界が重なった。


何千人が待つ〈シノ・アマネ〉ではなく、今は〈カワサキ・ハナエ〉として。


私の声を、私の名前で残したいと思った。




ミオ先輩はこくりと頷き、短く答えた。


「ええ。やってごらん。君が信じる言葉を書いて。」




その夜、家に帰った私は、窓の外の街灯をぼんやりと見つめていた。


古びた万年筆とノートパソコン、そして今日の部室で交わされた声たちが


頭の中でぐるぐると混ざり合っていた。




チハル先輩の弾む笑い声、ユイのまっすぐな告白、ミオ先輩の静かな微笑。


それらすべてが一つの曲になる想像が、なぜだかとても胸を高鳴らせた。




私はそっとつぶやいた。




「――夜九時、私たちだけの歌が、生まれる。」

[読了ありがとうございます。

続きが気になったらフォロー&★評価をお願いします。

次回も21:00にお会いしましょう。]

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