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第13話 - アップロードボタンの向こう側

数日ぶりの文芸部の部室は、

いつもと違う熱気で満ちていた。


机の上には原稿用紙の代わりに、録音機材とノートパソコン、

そしてユイが持ってきたマイクが置かれていた。


古い本棚とインクの匂いが染みついたこの空間が、

今はまるで小さなスタジオに変わったようだった。


「ちょっとだけ借りたやつだから、長くは使えないよ。

 早めに終わらせよう。」


ユイはそっけなく言ったが、

その声の端にはかすかな高揚が滲んでいた。


マイクスタンドを直す指先は、

ぶつぶつ文句を言いながらも丁寧だった。


チハル先輩は楽譜をひらひらさせ、

椅子の周りをぐるぐる回っていた。


「ふふっ、ついに世界に出すんだね〜!

 もうドキドキしてきた!」


そのふざけた様子は、緊張をほぐそうとしているみたいだったが、

目はきらきら輝いていた。


「一番緊張してるのは、ハナエだろうな。」


ミオ先輩の銀の瞳が、まっすぐ私に向けられる。

射抜くようなその視線には、無言の励ましが込められていた。


私は唇を噛み、そっとマイクに視線を落とした。

原稿を広げるときとは違う震えが、指先から這い上がってくる。


――いま出す声は、紙の上に留まるだけじゃない。

 もしかしたら、この世界のどこかに届くかもしれない。


その想像に、胸が苦しくなるほど息が詰まった。


そのとき――

部室の扉が、勢いよく開いた。


「君たち、今何をしようとしてる?」


サワムラ先生だった。


一瞬で空気が凍りついた。

机の上のマイクとノートパソコン、

そして楽譜が、視線に飛び込んだはずだ。


「こういう機材は、許可なしに使ってはいけないと知ってるよね。」


その声は厳しかった。

けれど、怒りだけではなく――

どこか探るような色も混じっていた。


チハル先輩が勢いよく手を挙げた。


「先生! ふざけてるわけじゃありません!

 文芸部活動の延長です!

 “言葉を信じる”って、紙の上だけにあるもんじゃないと思うんです。

 だから……私たち、自分たちの言葉を“歌”で伝えたいんです!」


ユイは眼鏡を押し上げ、落ち着いた声で続けた。


「生徒会とか放送部みたいな大規模な活動じゃなくて、

 あくまで私たちだけでオンラインに出すだけです。

 学校の名誉や規律を傷つけることは絶対にしません。」


一瞬の沈黙。

サワムラ先生の視線が、私に向けられた。


「……カワサキ。君はどう思っている?」


顔が一気に熱を帯びた。

けれど――逃げずに、息をのんで口を開いた。


「……先生。

 私たち、自分たちの言葉を“読む”だけじゃなくて、

 “歌”という形で残したいんです。

 それは文芸部の新しい挑戦でもあるし……

 私にとっては、どうしても必要な“告白”でもあるから。」


サワムラ先生は、ゆっくり私たちを見渡した。

そして、少しだけ長く、私に目を留めた。


「……ハナエ。君が誰であっても、

 “生徒”であることは変わらない。

 でも“生徒”であっても、世界に声を届けることはできる。

 どうバランスを取るかは――君次第だ。」


その言葉は軽くなかった。

けれど、不思議と、私を支える柵のようでもあった。


私は深くうなずいた。


「……はい。責任を取ります。

 “ハナエ”としても、“紫乃 雨音”としても。」


白い紙が机に置かれた。

同意書だった。


「私の名でも保証する。だから君の名で署名しなさい。

 これは規律を破るためじゃない、

 “君が責任を取る”という約束だ。」


ペンを取ると、指先が震えた。

けれど、もう後ろには下がれなかった。


私は一文字ずつ丁寧に書いた。

カワサキ・ハナエ

そして――紫乃 雨音


「よし。これで正式に許可する。」


サワムラ先生は微笑んで去っていき、

部室は再び、私たちだけの空間になった。


「さあ、ついに始まりだね!」

チハル先輩が両手を挙げる。


ユイはいつになく真剣な顔だった。


「冗談じゃないからね。本当に録るから。気を抜かないで。」


机の上には、楽譜と歌詞が広げられていた。

部室はすっかりスタジオのようになっていた。


喉がからからに乾いて、ごくりと唾を飲み込む。

――私の声、本当に世界に届くんだろうか。


ユイはヘッドホンを私の耳にかけて、静かに言った。


「深呼吸して。いつもみたいに“読む”だけだよ。」


「……うん。」


チハル先輩はマイクを抱えて、ふざけて歌真似をして、

ユイに睨まれていた。


「先輩、ほんとにふざけないでください!」


「ははは、緊張ほぐしてあげようと思って〜」


ミオ先輩はメトロノームのアプリを起動し、

淡々とテンポを合わせた。


「テンポは90。言葉のリズム的に、それが合う。」


私は息を吸い込んだ。


――この声が世界に届いた瞬間、

 私はもう“隠れた匿名”じゃなくなる。


録音ボタンが押された。


「夜九時、止まった時計がまた動き出すとき――」


初めてのテイクは、散々だった。

拍を外し、声が震えて音程もぶれた。


「夜九時、止まった時計が――」

「違う、ビートから遅れてる!」


ユイが手のひらで、ぱんぱんと拍を取りながら導いてくれる。


チハル先輩は肩を揺らして大きく鼻歌を歌った。


「砕けた心は欠けた星屑になって〜!」


めちゃくちゃだった。

でも、不思議と笑えてきた。


ミオ先輩は静かに言った。


「読むときと同じように――

 一文一文に、心を込めて。

 歌も結局は、“君が信じる言葉”なんだから。」


その言葉に、私はもう一度息を整えて喉を開いた。


二度目、三度目の挑戦。

少しずつ、声が安定してきた。


やがて歌詞とメロディがぴたりと重なったとき――

部室の空気が、変わった。


チハル先輩が目を輝かせて、手を叩いた。


「きたっ! これだよ、完璧!!」


ユイは録音ファイルを確認し、小さく笑った。


「これでもう……本当に、

 私たちが世界に出す“歌”になったね。」


ミオ先輩は目を閉じ、静かにうなずいた。


「……ああ。“言葉を信じる”方法が、またひとつ増えた。」


夜は更けていった。

最後のテストが終わる頃には、

部室には疲労と高揚が入り混じっていた。


ノートパソコンの画面に波形がきらめき、

私たち四人の声を刻み込んでいた。


「よしっ! あとはアップロードするだけだよね?!」


チハル先輩が声を上げた。


瞬間、心臓がずしんと沈んだ。


画面のカーソルが、

「アップロード」ボタンの上で点滅していた。


ユイが私の肩に手を置いた。


「ハナエ。君が押さないと、誰も押せない。

 だってこれは――君の声だから。」


私は三人を、順番に見た。


チハル先輩は興奮を隠せず、

ユイは真剣に私の決断を待っていた。


ミオ先輩は落ち着いていたけれど、

銀の瞳の奥には確かな震えが宿っていた。


指先が、マウスの上に乗る。


――この瞬間、もう私は隠れない。

 “ハナエ”としても、“紫乃 雨音”としても。


胸が、舞台上の太鼓のように鳴り響いた。


点滅するカーソルの向こうで――

もうひとつの世界が、私を待っていた。

[読了ありがとうございます。

続きが気になったらフォロー&★評価をお願いします。

次回も21:00にお会いしましょう。]

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