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第12話 - 二名の告白

部室の中には、まだ静けさが残っていた。

私が紫乃 雨音だと告白した余韻が、

完全には消えきっていなかったからだ。


チハル先輩は目元を拭いながら感嘆の息を漏らし、

ユイは腕を組んだまま、ちらちらとこちらをうかがっている。


けれど――

ミオ先輩の銀の瞳だけは、微動だにせず、まっすぐ私を貫いていた。


私は指先で原稿用紙をぎゅっと握りしめた。

汗が染みて、紙がかすかに湿っていくのがわかった。

もう隠せないことは、とうに分かっていた。


「……ひとつだけ、まだ言わせてください。」


私の声が、静寂を裂いた。

三人の視線が再びこちらに向く。


「……私が休載を宣言したのは、単純な理由じゃなかったんです。」


喉が渇き、震える手を必死に押さえ込む。


「最初は……『夜九時に作品を投稿する』ってことが、奇跡みたいに思えました。

 毎日決まった時間に書き上げて、誰かに読んでもらえる――

 そのことが、生きている証みたいだったんです。一行一行が、私の呼吸でした。」


だが、声は次第に低くなっていった。


「でも、いつからか――それは牢獄になっていました。

 九時が近づくと、時計の秒針が足枷みたいに響いて……

 雨音という名前が、私を押し潰すようになったんです。

 “読者が待っている”という事実が重すぎて……

 私自身ではなく、文章だけが残ってしまうような気がして。」


チハル先輩が、そっとつぶやいた。


「……だから、止まったんだね。」


私は小さくうなずいた。


「はい。休載は……逃げたかったんじゃなく、ただ息をつきたかった。

 “ハナエ”としては普通に学びたかったけど、

 “雨音”としては毎晩何十万人の期待を背負っていました。

 二つの名前を同時に抱えるのは……もう限界だったんです。」


すると、チハル先輩は目を潤ませて声を張り上げた。


「だったら、なおさらすごいよ!

 そんなに苦しかったのに毎晩書いてたなんて……私、むしろ尊敬する!」


私は照れくさく笑い、うつむいた。


「……尊敬なんて……ただ、耐えたかっただけです。」


ユイが眼鏡を押し上げ、低く言った。


「でも、やっと正直に言ってくれてよかった。

 ひとりで抱え込んでるより、ずっといい。

 私、中学のとき君が壊れかけたの、そばで見てたから……

 二度とあんな顔、見たくない。」


私はその視線を逸らさず、真っ直ぐに受け止めた。

そこにあったのは叱責じゃなく――確かな心配だった。


最後に、ミオ先輩がゆっくり息を整えながら口を開いた。


「……いいわ。

 “言葉を信じる”って、君が言ってた意味……

 今なら、少しだけ分かる気がする。

 休載の理由さえ、君の物語の一部だと思うから。」


銀の瞳がわずかに揺れ、そして静かに沈んだ。

その瞬間、胸の奥で何かがふっとほどけていった。


チハル先輩が両手をぱっと挙げて、明るい声を響かせた。


「よしっ! もう私たちは全部知ったんだし、

 この秘密は四人だけのものだね!

 その代わり、ハナエがまた前に進めるように、一緒に考えてあげる!」


ユイは小さくうなずき、ミオ先輩も腕を解いて静かに同意した。


私は目を閉じ、そして開いた。

恐怖と解放感が胸の中で交差していたけれど、

もう――ひとりではなかった。


「……ありがとうございます。本当に。」


部室の静けさはまだ残っていた。

けれど、それはもう重い沈黙ではなかった。


互いの心を確かめ合ったあとだけに訪れる――

あたたかな静寂だった。


チハル先輩が手を叩き、目を輝かせた。


「で、これからどうするつもり?」


ユイが首を傾げる。


「どうするって?」


チハル先輩はにっこり笑って、椅子にもたれた。


「いいアイディアがあるんだ♪

 いっそ、紫乃 雨音を中心にアーティストデビューしちゃうのはどう?」


――空気が、凍りついた。


ユイは眼鏡を押し上げ、眉をひそめた。


「……先輩、本気で言ってます? どれだけ無茶か分かってますよね。」


「なんで? 十分できると思うけど!」

チハル先輩は指で楽譜と歌詞を交互に指した。


「見てよ。言葉もある、メロディもある、

 ハナエが声を乗せれば曲になる。

 もう“私たちだけの歌”はできてるんだよ!

 だったらそれを世界に届ければ――

 それが“アーティストデビュー”ってことでしょ?」


「……無謀だよ。」

ユイはきっぱり言ったが、その声の端がほんの少し震えていた。


ミオ先輩は腕をほどき、低くつぶやいた。


「アーティスト……デビュー、ね。」


銀の瞳がふっと揺れ、どこか胸をときめかせる色が差した。


「荒唐無稽な話ではある。

 でも……同時に、雨音の言葉を

 もっと多くの人に届ける道にもなる。」


私は呆然と彼女たちを見つめた。


――アーティストデビュー?

 私の言葉が、私の声が……文芸部を越えて、世界と繋がる……?


胸が高鳴った。

けれど同時に、恐怖も押し寄せた。


「……そんなの、私にはまだ……分かりません。」


チハル先輩は笑って手をひらひらさせた。


「大丈夫! 今すぐやろうってわけじゃないよ。

 ただ――想像してみたの。

 ここだけじゃなく、舞台の上で、

 世界の人たちの前で歌ってる自分たちを。」


その瞳はふざけているようで――

どこか、真剣だった。

まるで「文芸部の次の夢」をそっと口にした予言のように。


そして、チハル先輩は続けた。


「それに、まずハナエも“なんで休載したのか”

 二度目の告知を出さなきゃでしょ?」


喉がきゅっと渇いた。


そうだ。ただの「休載します」だけじゃ足りなかった。

毎晩、私の言葉を待っている何十万もの読者たちがいる。

何の説明もなく止まってしまったのは――無責任だった。


ユイが腕を組んだまま、すぐに口を挟んだ。


「そうだね。それに、それが言い訳みたいに聞こえたらだめ。

 どうして止まらざるを得なかったのか、

 これからどうしていきたいのか――

 はっきり伝えないと。」


ミオ先輩はゆっくり息を吐き、まっすぐ私を見た。


「……それはつまり、

 “雨音としても”“ハナエとしても”責任を取る最初の一歩になる。

 言葉を信じるっていうのは――

 自分の声と選択にも責任を持つってことだから。」


私はペンをぎゅっと握った。


――二度目の告知。

 言い訳でも、嘘でもなく、私自身の声で書かなきゃ。


でも同時に、胸の奥で別の震えが芽生えていた。


――もしその告知を、ただの文字じゃなく

 歌詞とメロディで伝えることができたなら――


それはきっと、雨音でありハナエである

自分自身をいちばん正直に示す方法かもしれない。


ノートパソコンを開き、告知文を書こうとした。

けれど、カーソルは点滅するだけで、

指先は一文字も打てなかった。


「……書こうとすると、手が止まるんです。」


私が言うと、ユイが首をかしげた。


「止まる?」


「うん。文字にすると……嘘になりそうで。

 本当に伝えたいことは、活字じゃなくて――

 “声”で残さなきゃって思う。」


その瞬間、チハル先輩が手をぱんっと叩いて、ぱっと笑った。


「それだよ! 歌にしよ!

 ただの告知じゃなくて、私たちだけの曲として出すの!

 そしたら言い訳じゃなく、本当の“君の物語”になるじゃん!」


ミオ先輩は銀の瞳を細め、じっと私を見つめた。


「……文字ではなく、歌。

 危ういけれど――同時に、いちばん正直な方法かもしれないわね。」


私は指先をぐっと握りしめた。


――そうだ。

 二度目の告知は文章じゃなく、歌で残そう。

 雨音とハナエ、その両方の声を込められるのは、それしかない。


ユイが鉛筆をとんっと置いた。


「じゃあ決まりだね。

 文字で告知するんじゃなくて、歌にして出す。

 それが……君が本当にやりたい方法なんでしょ。」


チハル先輩は両手をばんっと上げて笑った。


「やった〜! ついに私たちの初ステージだ!

 オンラインだけど、デビュー舞台だよね!」


私は小さく笑い、うつむいた。

指先はまだ震えていたけれど、

もう――それは恐怖じゃなかった。


「……うん。これは言い訳じゃない。

 私の声で書く、告知だから。」


ミオ先輩の銀の瞳が、静かに光った。


「いいわ。準備しましょう。

 これは、あなたの声であり――私たちの歌になるのだから。」


その瞬間、部室の空気が変わった。


本棚と埃とインクの匂いに満ちていた空間が――

今は、何かが生まれようとしている

幕が上がる前の“舞台袖”のように感じられた。


私はそっとペンを置いた。


そして、夜九時を目指して

時計の針が、再び動き始める音を聞いた。


――次の九時は、ただの投稿じゃない。

 世界に私の声を届ける、最初のステージになる。

[読了ありがとうございます。

続きが気になったらフォロー&★評価をお願いします。

次回も21:00にお会いしましょう。]

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