いつも「仕事が忙しい」と無視した元恋人にプロポーズされたが謹んでお断りいたします
「ガルダさん、少しいいですか?」
そうおずおずと俺に声をかけたのは、恋人のニーナだ。
栗色の髪は飾りの一つもなく後ろに結び、その顔は年頃だというのに化粧っけもない。
この鍛冶場に残っているのはもう数人だ。
俺も一段落したから帰ろうかと思っていたところだった。しかし、このあとニーナの相手をするのは面倒だ。
俺は小さくため息を吐いて、そのまま鍛冶仕事を続けることにした。
「……ごめんなさい。もう、仕事が終わったと思ったから」
申し訳なさそうに謝るニーナを見ることなく、また鉄を熱し始めた。
ニーナはこの町で唯一の商会、カルロス商会に勤めていた。
俺がカルロス商会に剣を卸しに行った時に出会い、何度か会ったのち、ニーナから告白をされて付き合い始めた。
正直なところ、俺は女の子に人気がありよく告白を受けた。しかし、特に必要を感じなかったから全て断っていた。
では、なぜ地味なニーナの告白を受けたのかというと、単にタイミングがよかったからだ。
その頃、ちょうど田舎から両親が来ていて、いい人はいないのかとうるさかったから、真面目そうなニーナを選んだのだ。おかげで、両親も安心して帰ってくれた。
とはいえ、俺は仕事をしている方が楽しいし、付き合って三年経つがデートも数えるほどしかしていなかった。
別れた方が気も楽かとも思うが、今さら新しく嫁になる女を探すのも面倒だ。
ニーナは俺の仕事に理解があるし、差し入れてくれる料理もうまい。部屋も掃除してくれるし、付き合っていて楽だった。ゆくゆくは結婚してやってもいいと思っていた。
「今度の太陽の日、九時に噴水前で」
面倒だが、たまには相手をしないとまずいかと、帰ろうとするニーナを見ることなくボソリと言ってやった。
「は、はい! ありがとうございます」
ニーナは嬉しそうに帰って行った。
俺はやれやれと顔を顰めて、また剣を打ち始めた。
「おいおい、せっかくニーナちゃんが来てくれたんだから、夕飯でも一緒に食べに行けばよかったんじゃないか? その剣だって急ぎじゃないだろ?」
俺達の様子を見ていたリックから声をかけられた。
「仕事をしている方が楽しいんだ。今度の休みの日に会ってやるんだし、いいだろ?」
俺が肩をすくめて答えると、リックがなんとも言えない表情をした。
「お前、あんないい子なかなかいないぞ? 大事にしないと後悔するからな」
俺はそれを聞いて鼻で笑った。
「あんな地味な女を相手に後悔も何もないだろ? でもまあ、嫁にするには浮気の心配もない、いい子だよな」
「はぁ……勝手にしろ。俺はアリッサとデートに行く!」
リックは呆れたように言い捨てて、さっさと帰って行った。
太陽の日の朝、俺はすごいアイデアが思い浮かんで仕事場に夜までこもった。
ずっと鉄を打ち続けて手が真っ赤になったが、最高のできの剣ができた。
親方にその剣を見せると、これなら鍛冶コンテストでも上を狙えると太鼓判を押してもらえた。
俺は帰り道、ホクホクした気分で月を見上げて、はたとニーナとの約束を思い出した。
「はぁ、ニーナとのデート忘れてた」
ああ、しまった。約束なんてするんじゃなかった。せっかくいい気分だったのが台無しだ。
しかし、もうこんな時間だ。
今さら遅い。
「まぁ、いっか」
次に会った時にでも、また誘ってやればいいだろう。
そんなことを思ったのも忘れて、仕事に打ちこんで三ヶ月……。下宿屋の部屋がとんでもなく汚くなっているのに気づいた。
俺は散乱した服や、床の埃、食べっぱなしの皿に舌打ちした。
いつもはニーナが定期的に声をかけて掃除をしてくれていたのに、あいつは何をしているんだ?
そこで俺はデートをすっぽかしたことを思い出し、ニーナが怒っているのかもしれないと気づいて腹が立った。
鍛治職人と付き合っているのに、仕事を優先されて怒るなんて恋人失格だ。
俺は腹立ち紛れに部屋のドアをバンッと開けて、ニーナの勤めるカルロス商会に向かった。
「おい! ニーナはいるか!?」
俺がイライラと受付の女に声をかけると、冷たく睨み返された。
「ねぇ、ニーナがここ辞めて三ヶ月なんだけど? あんたニーナと付き合ってたんだよね? なんで、今頃? 今まで何してたの? 三ヶ月も会えなくて、気にもならなかったわけ?」
は? ニーナが仕事を辞めた?
俺は訳がわからなくて、目を瞬くしかできない。
「お、俺は、そう、仕事が忙しかったんだ」
「ふ〜ん。私、リックと付き合っているんだけど、あんただけそんなに忙しいわけ? なんで?」
「い、いや、俺はいろいろ考えて、だから、その」
俺はたじたじと言い訳を並べようとするが、うまい言葉が見つからない。
そんな俺に目の前の女はため息を吐くと、手紙をずいと突き出した。
「これ、ニーナからの手紙」
俺は奪うように手紙を受け取ると、一目散に部屋に帰った。
そして、ビリビリと封筒を破り、中から手紙を取り出して開いた。
そこには、ニーナらしい丁寧な字で一言。
『さようなら』
と、書かれていた……。
それからは、うまくいかないことばかりだった。
部屋は汚いままで、何がどこにあるかもわからない。
せっかくいいアイデアが浮かんでも、紙もペンもインクも見つからず忘れてしまう。
汚い部屋はますます汚くなり、アイデアはこれっぽっちも浮かばなくなった。
しょうがないから、新しい恋人を探した。
しかし、誰と付き合っても思い出すのはニーナのことばかりだった。
あいつは俺のしたいようにさせてくれた。
あいつの料理は美味しかった。
あいつは、文句も言わないで部屋を綺麗にしてくれた。
ついつい新しい彼女とニーナを比べてしまって、なかなか長続きしなかった。
そんな時だ。
俺の作った剣がコンテストで優勝したのだ。それは、ニーナとの約束をすっぽかして作ったあの剣をさらに改良した剣だった。
賞金もたんまり入った。
これなら、ニーナも俺のところに戻ってくれるはずだ。
ニーナがどこにいるかはわからなかったが、今度リックとあの生意気な受付の女が結婚式を挙げる。
絶対、ニーナも祝福に来るはずだ。
そうだ! その時プロポーズをしよう!
俺は結婚式には呼ばれなかったが、こっそりと式のあとのガーデンパーティーに忍び込んだ。
プロポーズのために、スーツを着て赤い薔薇の花束も用意した。
きっと、ニーナは泣いて喜ぶに違いない。
これで、やっと仕事に集中できる。
集まっている奴らに訝しそうに見られたが、俺は気にせずにニーナを探した。
栗色の髪に、化粧っけもない地味な女だ。あいつは華がないから、なかなか見つからない。
「ニーナ! 来てくれてありがとう」
しかし、ウェディングドレス姿の女がニーナの名前を呼ぶ声が聞こえた。
見つけた!
かすかに栗色が見える。
俺は急いで駆けつけた。
「おい! ニーナ!」
「ガルダ、お前呼ばれてもいないのになんでここに!?」
しかし、ニーナの前にリックとウェディングドレスの女が立ちはだかった。
「ニーナ! ニーナ! 聞いてくれ」
俺は必死でニーナの名前を呼んだ。
やっと、気づいたんだ。
「俺にはお前が必要なんだ! 愛しているんだ! ニーナー!! ニーナー!!」
俺は声が枯れるほど叫んだ。
それは、ニーナの心に届いたのだろう。
ニーナがそっと俺の前に姿を見せた。
俺は、久しぶりに会ったニーナの姿に目を見開いた。
栗色の髪はサイドを編み込み緩やかに下ろし、繊細な細工の髪飾りが挿してあった。
柔らかな紫の瞳が潤んだように艶やかで、すっきりと通った鼻筋に、ドキリとするような仄かな色っぽさのある紅い唇、俺の理想が具現化して現れたようだ。
久しぶりに会ったニーナは、ゾクゾクするほど魅力的な一人の大人の女性となっていた。
「ニーナ?」
「お久しぶりです。ガルダさん」
ニーナは、付き合っていた頃と変わらない優しい微笑みを浮かべた。
そして、その胸には黒いネックレスをつけていた。そのネックレスは、結婚式には一見地味にも見えるネックレスだ。
しかし、それは俺の髪と同じ色だった。
ニーナがそのネックレスを愛おしそうに握った瞬間、彼女がまだ俺のことを想っていることに気づいた。
俺のことが忘れられなくて、やり直したくて、こんなに綺麗になってくれたんだ。
「ニーナ。愛している。結婚しよう」
俺は心を込めて跪き、赤い薔薇を差し出した――。
◆
ガルダさんは私の四つ上の恋人で、鍛治職人だった。その仕事に対する実直な姿勢に惹かれて、私の方からお付き合いを申し込んだ。
ガルダさんは、目つきは鋭いが顔立ちは整っていて、無造作に伸ばされた黒い髪がどこかミステリアスで、職業柄体格もがっしり頼もしく、よく女の子達から告白されているのを見かけた。
だから告白を受け入れてもらえた時は、とても嬉しかった。
ガルダさんの仕事をしている姿が好きだった。応援したいと思った。仕事が忙しくて、なかなか二人で過ごす時間が取れないのは寂しかったが我慢した。
しかし、いつからだろう……。
私はガルダさんといると、自分が空気になってしまったように感じた。
「ガルダさん、少しいいですか?」
私は、おずおずと声をかけた。
前に仕事中に声をかけた時は、大声で怒鳴られてしまった。
だから、ガルダさんの仕事が終わるまで待って声をかけた。
私の声は聞こえているはずだ。
しかし、彼からの返事はない。
ガルダさんは、そのまま鍛冶仕事を続けた。
どうやらまだ仕事中だったようだ。
「……ごめんなさい。もう、仕事が終わったと思ったから」
やはりそれにも返事はなかった。
彼に私の姿は見えているのだろうか……。
「今度の太陽の日、九時に噴水前で」
どこか空虚な気持ちになって帰ろうとしたところで、ガルダさんがボソリと言った。
「は、はい! ありがとうございます」
今度の太陽の日は、私の二十歳の誕生日だ。
彼が覚えていてくれたのが嬉しくて、太陽の日が楽しみで仕方なかった。
「あれ? ニーナ、今日はなんかウキウキしてる?」
次の日の休憩時間、仕事仲間であり親友のアリッサがニヤニヤと声をかけた。
「え? 私そんなにわかりやすい?」
私は慌ててほっぺを押さえた。
「ここのところ、元気なかったでしょ? 今日はなんか嬉しそう」
「うん。今度の太陽の日にガルダさんとデートなの」
途端にアリッサが顔を引き攣らせた。
「まだ、付き合ってたの? あんな仕事人間のどこがいいわけ?」
アリッサの恋人はガルダさんの仕事仲間だから、彼のことも知っていた。
「仕事に一生懸命なところが好きなんだ」
「でも、全然デートしてないんでしょ?」
アリッサが心配そうに尋ねた。
「うん。でも、今度の太陽の日に会おうって誘ってくれたの」
「あ、その日ニーナの二十歳の誕生日だよね! もしかしたら、とうとうプロポーズされるかも!?」
あまり会ってはいないが、付き合ってもう三年だ。
私もその可能性を期待してしまう。
「そっかぁ。ちゃんと奴も考えてたんだね。見直したよ」
うんうんと、アリッサが腕組みして頷いた。
「デート楽しんでおいでね」
「うん」
私は、はにかみながら頷いた。
そして、太陽の日。
私はガルダさんの気に障らない程度にお化粧をして、噴水前に三十分前に着いた。
ガルダさんと会うのにお化粧をするのは久しぶりだ。
以前、ガルダさんにチャラチャラした格好をするなと怒られてしまったことがあった。
ちょうどその時は鍛冶のコンテスト前だったから、ストイックな彼の気に障ったのだろう。
それ以来、彼と会う時はお化粧は控え、飾りをつないように気をつけていた。
しかし、今日は誕生日だ。
たまにはと思い、お化粧をして髪飾りもつけてみた。
それだけで、気持ちが明るくなった。
……しかし、ガルダさんは来なかった。
私はもしかしたら、約束の時間を間違ったのかもしれないと思った。
ガルダさんは、九時にって言った。もしかしたら、夜の九時のつもりだったのかもしれない。
本当は、頭のどこかでそんなことはありえないとわかっていた。
それでも一縷の望みを賭けて、私は夜の九時に噴水前に来た。
暗い中、辺りにはバシャバシャと流れる噴水の水音だけがした。
私はその水音を聞きながら、しばらく待った。
……やはり、彼は来なかった。
俯いたら溢れそうな涙を堪え、どうしようもなく震える唇をぐっと閉じ、私はガルダさんの下宿屋に向かった。
自分でもなんのために向かっているのかわからない。ただ、私は今ガルダさんと会わなくてはならないと思った。
いや、多分、私は聞きたかったのだ。『私のことを好き?』と。
とても、とても、疲れてしまっていたから……。
そして、偶然にも道の途中でガルダさんを見つけ、声をかけようとした時、聞こえてしまった。
「はぁ、ニーナとのデート忘れてた」
………………忘れてた?
「まぁ、いっか」
………………まぁ、いっか……………?
スタスタと何事もないように帰っていくガルダさんの背中を私は黙って見送った。
その背中を見て、ガルダさんは今日私の誕生日だということすら気づいていないことがわかってしまった。
私は一つ吹き出した。そして、笑い出したら止まらなくなって、お腹を抱えて笑った。
笑って笑って、笑いすぎて涙がたくさん出た。
ふと、空を見上げた。
雲一つない空には星がミルクを流したように瞬き、満月はどこまでも澄んで美しく、そして優しかった――。
◆
あの夜から、もう三年が経った。
今日は、親友のアリッサの結婚式だ。
式のあとは、色とりどりの花と緑に溢れたガーデンレストランの中庭でビュッフェ形式のパーティだ。
すでにアリッサとリックの友人たちも集まっていた。
「ニーナ! 来てくれてありがとう!」
綺麗な花嫁衣装を身に纏ったアリッサが、私にガバリと抱きついた。
「アリッサ、おめでとう! とっても綺麗!」
私もアリッサをギュッと抱き返した。
「ニーナちゃん、来てくれてありがとう」
「リックさん、おめでとうございます」
私は花婿のリックさんに微笑んで答えた。
「ニーナのおかげで最高の結婚式になったよ」
結婚式の緊張から解き放たれたようで、アリッサがテンション高く笑った。
「どういたしまして。こちらもいい宣伝になったよ」
私の胸元で紺青のネックレスが揺れた。
私はあの綺麗な月の夜、すっぱりガルダさんと別れることを決めた。
うちの実家は王都にあるカルロス商会の本店だ。
この町のカルロス商会の支店には、仕事を覚えるために三年の契約で勤めていた。もうすぐ契約も切れるから、ガルダさんと今後のことを相談したかったのだが、結局話し合いなんてできなかった。
いや、本当はもう、前々からこの人は無理だとわかっていたのだ。
仕事仕事と忙しいのはしょうがない。
そんな人を私は選んだのだから。
しかし、話しかけても無視をする。無視をしていることさえ、悪いと思わない。何も感じないのはおかしい。
彼と一緒にいると、私は空気のように見えない存在になっているような気がした。
もう、この時点ですでにアウトだったのだ。
それでも、どうしても好きで、ガルダさんの役に立ったら私をちゃんと見てくれるのではと、彼の部屋の掃除もしたし、料理の差し入れもした。
それすらも、あって当たり前の空気にされたが。
極めつきがあの誕生日だった。
彼の『忘れてた。まぁ、いっかぁ』が、私に対する全てだと思った。
そんな男と結婚してどんな先が待っているだろう?
彼の空気になる未来なんてごめんだ。
そして、付き合った三年を振り返ったら、彼の背中しか思い出せなくて笑った。
それでも、好きだと思っていた自分を笑った。
笑って笑って、見上げた涙で滲んだ月がまん丸で、よし、がんばったと思ったのだ。
それからアリッサにガルダさんへの手紙を頼んで、王都にある実家のカルロス商会本店に戻った私は仕事に生きた。今は、カルロス商会のブライダル関係の部門を任されている。
アリッサの結婚式後のパーティー会場も、私がこのガーデンレストランを紹介していた。
そして、私も来月――。
「おい! ニーナ!」
その時、聞き覚えのある男の声に呼ばれた。
「ガルダ、お前呼ばれてもいないのになんでここに!?」
アリッサとリックさんが、私を庇うように私の前に出た。
「ニーナ! ニーナ! 聞いてくれ」
私はその声をうんざりした気持ちで思い出した。
それは、ガルダさんの声だった。
今さら私になんの用があるのだろうか。
「俺にはお前が必要なんだ! 愛しているんだ! ニーナー!! ニーナー!!」
まさかの愛の告白に、私はゾワゾワと気持ちの悪さを感じた。
しかも私の名前を連呼し、周りの迷惑なんて気にしないこの男を前に、『黒歴史』という言葉が浮かび、三年前の自分の見る目のなさに乾いた笑いが出た。
このままでは埒があかないので、そっとガルダさんの前に出た。
当時はミステリアスだと感じた黒髪は、ただのボサボサ髪で、整った顔立ちではあるが、鋭い目というよりは感じの悪い目つきの、まるでごろつきを前にしたような嫌な気分になった。
「ニーナ?」
ガルダさんが、ポカンと口を開けて固まった。
目を見開いて私を見つめるその顔が、あまりにも間抜け面で吹き出しそうになった。
なぜ、ここで笑いを取ろうとするのか意味がわからない。
「お久しぶりです。ガルダさん」
私は笑顔を作って挨拶した。
じろじろと品定めするように見る彼の目に鳥肌が立つ。
無意識に胸元の紺青のネックレスを握った。
それだけで、気持ちが温かくなる。
早く家に帰りたい気持ちになってしまった。
しかし、意味不明な彼の行動はまだ序の口だったようだ。
「ニーナ。愛している。結婚しよう」
いきなりガルダさんが跪き、てっきりアリッサ達の結婚祝いだと思っていた赤い薔薇の花束を私に差し出した。
この騒動にザワザワと見守っていた周りがシンと静まり返った。
私は数度目を瞬き、跪くガルダさんと赤い薔薇を往復して見た。
もしかして、これ、プロポーズ……?
三年前の誕生日に、これをされていたら私は泣いて喜んでいただろう。
怖い怖い。地獄の入り口を回避できて心からよかった。
「謹んでお断りいたします」
返事はもちろんこれ一択だ。
「な、なんで? だって、俺のために綺麗になってくれたんだろ? 付き合っていた時はお化粧もしなくて地味だったじゃないか!」
俺のために?
私が化粧をして綺麗にするのは、誰のためでもない。自分がしたいからだ。
「お化粧をしなかったのは、ガルダさんがチャラチャラするなって言ったからです。だから、お化粧も装飾品も控えたんです」
「お、俺はそんなことを言った覚えはない。お前の勘違いだ。誰だって綺麗な恋人の方がいいに決まっているじゃないか」
記憶にないほど軽い気持ちで言ったようだ。
「付き合って初めの頃、コンテスト前くらいの時に怒鳴られました」
私が答えると、ガルダさんはハッとした顔になった。
「あ、あれは、コンテストに出す剣が思うようにできなくて、それで、能天気に化粧なんかするお前に腹が立って」
「もう終わったことなので結構です」
長くなりそうだから、途中で切った。
「そ、それに、俺の髪の色のネックレスをつけているだろ? 俺が忘れられない証拠だ。意地張るのはもうここまでにしろ。さすがにこれ以上は許せなくなるぞ」
ガルダさんが、最後は声を低くして威嚇するように頓珍漢なことを言った。
許す許さないの問題などあったろうか?
それに、とんでもない勘違いをしている。
「このネックレスは、あなたの髪の色の黒ではなく紺青です。ほら」
私はよく見えるように持ち上げた。
陽の光を受けて、紺の中に青が煌めく。
私の大好きな彼の瞳の色と同じだ。
「黒じゃない……?」
当たり前だ。
ガルダさんは、自分が私にどう接したか覚えていないのだろうか。
「私の婚約者が、私のためにデザインして贈ってくれた大切なネックレスです」
そう――私は来月、結婚式を挙げる予定だ。
すでに婚約者と一緒に暮らしていた。
婚約者のグランツさんは、兄さんに強制的にお見合いをセッティングされて会った男性だった。
アッシュグレーの伸びっぱなしの髪、鋭い三白眼の紺青の目に、整った顔立ちなのにニコリともしない、お見合い中だというのに仕事を始めた宝飾デザイナーの彼は、どこかガルダさんを思い出させて、もちろん即行でお断りさせていただいた。
しかし、いろいろあったのち、兄さんのごり押しで私達はお試しでお付き合いを始めることになってしまったのだが、それは思いのほか楽しかった。
デート中、彼はいいデザインが浮かんだと没頭してしまうこともあったが、不思議なことに私は寂しい気持ちにはならなかった。
それは、グランツさんが不器用ながらも言葉を惜しむことなくその愛を伝えてくれて、何気ないやり取りの中に私を大切にしてくれているのを感じたからだろう。
お試し期間を終了し、結婚を決めた私達は、すぐに一緒に住み始めた。
仕事がお互い忙しく不規則なので、少しでもそばにいたかったからだ。
私とグランツさんは来月、結婚式を挙げる。
「こ、婚約者? いつの間に……?」
魂が抜けたような顔で小さく呟くガルダさんに、心底呆れた目を向けた。
「もう、別れて三年経っているんですよ。心にあなたを留めておけるほど、思い出もありません。なので、プロポーズは謹んでお断りいたします」
私は再度きっぱりとお断りした。
もし、婚約していなかったとしても、この人だけはない。
「プッ」
静寂を破って、アリッサが吹き出した。
「それはそうよね! なんで別れて三年経ってるのにプロポーズを受け入れてもらえるなんて思ったんだか」
「はぁ……だから後悔するからニーナちゃんを大事にしろって言ったろ? とりあえず、お前は呼んでないから帰ってくれ」
周りがとても可哀想な人を見る目をガルダさんに向けた。
ガルダさんは、やっと周りに気づいたようだ。
そして、縋るように私を見た。
しかし、私の目には未練の一片もない。
ガルダさんは、それがわかるとあたふたと転びそうになりながら去って行った。
その場には赤い薔薇の花束だけがポツンと残された。
「これ、どうする? いらないよね?」
アリッサが迷惑そうに指差した。
「うん」
私は困った顔で赤い薔薇の花束を見た。
薔薇に罪はないが、持って帰る気はしない。
「誰かほしい人いる?」
「いや、だって、それ持って帰ったら、なんか不幸になりそう……」
周りも申し訳なさそうに首を横に振った。
「明日俺がガルダの奴に返しておくよ。みんな、俺の仕事仲間が騒がせて悪かったな。よし、忘れて楽しんでくれ」
「オー!」
微妙な空気を盛り上げるように、みんなが声をあげた。
さて、明日この赤い薔薇の花束を見て、ガルダさんは何を思うだろうか?
しかし、それは私の知ったことではない。
家に帰ると、グランツさんは仕事場でデザインを描いていた。
私は、その後ろ姿を見て幸せな気持ちが込み上げた。
「ただいま、グランツさん」
私が声をかけると、グランツさんはパッと振り返り、その紺青の瞳を柔らかく細めた。
そして立ち上がると、優しく私を抱きしめた。
「おかえり、ニーナ」
『私の人生にあなたは必要ありません〜婚約破棄をしたので思うように生きようと思います〜③』
☆ コミックシーモア様より9/25 先行配信 ☆
これにて完結です!
予約はこちら→
https://www.cmoa.jp/title/1101459278/vol/3/
・コミックシーモア特典SS
「私の名前を呼んでほしい」
・番外編は3つ収録
「アレを怒らせてはならぬ」
「リューゼン・ガルオスの願い」
「いい夫婦の休日」
Kindle様などほかサイトからは10/15(水) 配信予定です。
ぜひ読んでいただけたら嬉しいです ♪
☆ラジオドラマのお知らせ☆
ドラマ関西(JOCR 558KHz)でラジオドラマの放送が決まりました!
第一回は9/20(土) 22:20〜22:30です。
バルドとセシリアを声で楽しめる o(^▽^)o
全5回の毎週土曜日です。