後悔しない選択
「後悔しない選択をして欲しい」
30を超えるであろうおじさんが俺に話しかけてきた。
平日の昼間。普通なら働いているであろう時間にそのおっさんは花を片手にブランコにのって泣いていた。
俺は学校をサボって散歩していたらおっさんに話しかけられた。高校に入学して1ヶ月。昔から目つきの悪さと無駄にでかい身体のせいで周りからはガラが悪いと言われ友達はできず学校にも行っていなかった。
「学校は楽しいかい?」
おっさんのそんな一言にイラッとして見向きもせず通り過ぎようとした時続けておじさんが話しかけてきた
「君は独りだね。その目を見ればわかる。昔の友人にそっくりな目をしている。」
図星をつかれたことに焦ったのか言い返してしまった。
「どーゆう事だよ」
怒りなのか虚しさなのか心の中でこれが何なのか考えながら足が止まった。
「私にはね、小学生の時からずっと仲良しの友達がいた。仲良しだったのかは今となっては分からないが、私は彼女がすごく好きでね、いつも彼女の後を付けていた。彼女は私に見向きもせず自由に生きていた。休み時間になればいつも色鉛筆を握って今の私でも理解できないような絵を描いていた。私が話しかけてもこちらを見向きもせず必死に描き続けていた」
「よくそいつの事好きでいられるな。俺なら無視されたら殴って蹴飛ばすよそいつ」
「ははは、君もさっき私を無視しただろう?殴ってもいいかな?」
「それは、変なやつだと思ったからだ。変なやつには絡んじゃダメって小学校で習うだろ。こんな昼間にブランコ漕いでるおっさんが変なやつじゃないわけないだろ」
「面白いね君。無視するのが正解だよ。変なやつには絡んじゃだめ。彼女もまた小学校では無視されていたよ。声をかけるのは私1人。みんな声をかけても無視されるってわかってるからだった思う。授業にも参加せず絵を描いている事もあってね、変なやつだとみんな決めつけて誰も話しかけることは無かった。入学してすぐその子には補助的な先生が専属で着くようになったんだ。」
「精神的な何か病気だったのか?」
「うーん。どうだろうね小学生の私には難しすぎたよ。ただ彼女は気持ちを言葉にするのが苦手だったらしい。言葉で表現するよりも絵や行動が彼女にとっての気持ちの表現だったのさ。私はね、彼女の自由さに小学生ながら惹かれてしまいどんな絵を描くのかどんな世界が見えてるのか知りたくっていつも彼女の後ろをつきまとってたんだよ。彼女は私を拒絶することなく一緒に居てくれたんだ。描き終えた絵は毎回くれた。外で遊んだ時はその日気に入った花を私にくれたりもした。」
「2人でひとつみたいでなんかいいな」
「君はそう思うかい?」
「うんだって独りじゃないんだぜ。ずっと誰かと一緒って幸せなことじゃんか。俺はいつも独りだからそんなこと言われたら嬉しいとお思う」
「私も今ならそう思うかもね。ただ中学生に上がったばかりの私は周りからのその言葉をからかいとして受け入れてしまった。恥ずかしかったのさ。歳が上がるにつれ言葉が増えていく。友達として一緒に居たのに『あの子の事好きなの?』『あの子と付き合ってるの?』成長するにつれ言葉が増え窮屈になっていく。」
「周りの目なんか気にすんなよ」
反射的に言葉が出てしまった。
「今の私なら気にしないさ。」
おっさんは生えっぱなしの整えられていない髭を寂しそうに触りやけに悲しい表情を浮かべた。
「思春期というものだね。好きという感情よりも恥ずかしさが勝ってしまってね、私は呪文にかけられたように彼女に付き纏うことが話しかけることが出来なくなってしまった。」
「可哀想。」
おっさんの顔なんか見なくてもわかる俺が言った言葉でおっさんを刺したのを。
「そうだよね。今思えば最低なことをしたと思っているよ。私が話しかけなくなってからも彼女は独りで絵を描いていたよ。授業中には校庭の花を見て外へ飛び出したり。持久走大会では1人スキップで最下位を独走していたよ。」
「ずっと見てたんだその子のこと」
おっさんの話す言葉一つ一つに思い出が詰まっていて彼女のことを思っていたことが感じ取らなくても伝わってきた
「ああ、見ていたよ。クラスも同じだったからね。彼女も私が見ていることに気がついていたと思うよ。描き終わった絵は変わらずプレゼントしてくれたからね。」
「なんだかんだいい感じだったのか。安心したわ。」
「彼女が変わり始めたのは中学2年の頃だった。クラスが別々になった事で私も彼女を見ることがなくなり、彼女もまた私に絵をくれる事はなくなった。学校にもたまにしか来なくなった。」
黙るおっさんの顔にはシワが集まっていた。
「いじめられていたんだ彼女はずっと」
その言葉と共におっさんの手から花が落ちた。
少し風が吹いた。誰の足音もしない公園で、乾いた花びらが地面を滑る音だけが聞こえた。俺は何も言えずに、ただおっさんの横顔を見ていた。
「私が気づいていなかっただけかもしれない。いや、気づいていたのかも。でも見て見ぬふりをしたんだ。関わって、何か言われるのが怖くてさ。ずっと黙っていた。彼女が泣いていても、授業中に消えても、私は教室の椅子に座っていただけだった。」
おっさんの目から涙が落ちた。最初は一滴だけだったがすぐに頬全体を濡らした。
「彼女は死んだんだ。」
いきなりすぎたその言葉に俺は何も言うことが出来なかった。
「中三になってすぐだったよ。彼女がこの世からいなくなったのは。遺書なんてなかった。私にも何も残さずいなくなった。ニュースにもならなかった。誰も覚えていない。先生もクラスメートも。まるで最初からいなかったみたいにさ」
「……最低だな」
口に出した自分の言葉に胸がギュッとなった。けど、おっさんは怒らなかった。むしろ頷いてた。
「そうだ。最低だったよ、私は。彼女に声をかけなかった後悔を、今でも毎日背負ってる。あの時、もう一度だけでも声をかけていたら、もしかしたら変わってたかもしれない。でも、それはもう何の意味もないんだ。」
俺は拳を握った。胸の奥が熱くて、悔しいとか悲しいとか、そういう言葉じゃ片付けられない何かが渦巻いてた。
「君は今、独りかもしれない。でもね、今の君の隣に、誰かが座っていたら、その人が変なやつだったとしても……怖がらずに、声をかけてあげてくれ。たった一言で救えることがあるんだ。……後悔しない選択をして欲しい。」
「……俺に何ができるんだよ」
思わず声が震えた。おっさんは、俺の目を見て、小さく微笑んだ。
「何かをしてやろうとか、大それたことじゃなくていい。ただ、見ていてあげるだけでも違う。声をかけるだけで、世界は少しだけ優しくなる。君にはそれができるように思えたからそんな目をしてたから、話しかけたんだよ。」
気がついたら、おっさんはブランコを立ち上がっていた。落ちた花を拾い、軽く息を吐く。
「彼女が好きだった花だ。花の名はエリカ、そして彼女の名も絵梨花。いつもこの公園で摘んで私にくれていた花だったんだ。そして今日は彼女の命日なんだ。だから、ここに来たんだ。」
そう言って、ゆっくりとベンチの方へ歩いていった。
俺はしばらく動けなかった。何かを託されたような、だけど重すぎるそれを、背負ってしまった気がした。
「後悔しない選択か……」
その言葉が胸に刺さったまま、俺はスマホを取り出して、今まで既読無視してた友達のLINEに
「明日、学校行くわ」と送信した。
ほんの少しだけ、世界が違って見えた気がした。
風がまた、落ちた花を揺らしていた。
エリカ
エリカ族ツツジ科
白やピンクの可愛らしい花を咲かせる。
花言葉「孤独」