第3話
「……じゃあ、行ってくるね、お母さん」
「車に気をつけなさいよ」
靴を履く由香の背中に、母親の声が降ってくる。いつものこの時間なら母親の方が先に出かけているが、今日は出勤が遅いらしい。朝食時には顔を突き合わせたものの、何となく見るのが怖くて、由香は振り返らずに玄関を出た。
日差しの角度のためか、犬小屋の中は朝なのにやけに真っ暗だ。底の見えない暗闇に、黄色の目が二つ浮かび上がった。
由香がどきりと身を引くと、ラッキーが飛び出してくる。
『わぁふっ! わふっ!』
「こ、こらっ、やめなさいって! これから学校に行くんだからっ!」
――ラッキーの目は茶色だけど、きっと光の加減で黄色に見えたのね。
言い聞かせるように思った。
可愛い愛犬と別れ学校へと歩きながら、由香はスマホをチェックする。
――……やっぱり、誰もコメントしてない。
昨日流したフェイク動画。予想に反して、一件のチャットも流れていなかった。
――既読は人数分ついているから、みんな見たはずなのに……。
強烈な内容に、日和っているのかもしれない。
きっとそうだと思い、由香は学校に向かう。
□□□
教室に入ると、クラスメイトがもう全員来ていた。なぜか、みな窓際で外を見ている。
――どうしたの、みんな? ……そうか、もも子の登校を待ってるんだ。
後ろから、いつも一緒にいる女子の肩を揺する。
「おはよっ。ねえ、昨日の動画見た? ヤバくない? あいつがあんなことす……っ」
突然、クラスメイト全員の顔がだらりと振り向いた。
頬が盛り上がり、額が潰れ、頭蓋骨が不規則に陥没している。
あのフェイク動画の……バグで潰れた……もも子の顔そのものだ。
声も出せずに釘付けになっていると、背後から女の声に貫かれた。
「藤井さん」
もも子の声のはずだが、どこか低く感じられた。
確かめたいのに、振り向け、ない。
由香が全身で脂汗をかく中、声は続く。
「ありがとう、私を呼んでくれて。残すのは藤井さんだけ。さっさと済ませなきゃ。武田先生にも見せないといけないし。……でも、また転校かぁ。あの子にも苦労をかけるね」
もも子と思しき女生徒が淡々と話し終わると、由香の頭は猛烈な痛みに襲われた。
まるで、大きな手で握り潰されるような猛烈な痛みに。