第2話
――さて、まずは素材の厳選ね。いくらAIが優秀でも、素材がまずかったら良い動画ができないし。
由香は撮りためた写真や動画を見返す。"ふぇい君"は自分で撮った画像や動画を元に文章を打ち込むと、それに応じたフェイク動画を作れるアプリだった。
もも子の顔が写ったデータならたくさんある。今まで散々虐めてきたためだ。
取り巻きと一緒に腹を殴り嘔吐いている様子、トイレにぶちまけたあいつの弁当を掃除させている様子、捕まえたカマキリを無理矢理食べさせている様子……。
どれも見返すと、あの頃の楽しい思い出が蘇る。フェイク動画の材料探しということも忘れ、しばし見入ってしまった。
――……っと、いけない。早く作業を始めなきゃ。今日中に作ってクラスチャットに流すんだから。
初めて使うアプリでも、自分ならすぐ作れる自信がある。それも、本物に見えるような高精度なフェイク動画を。
由香は考える。
――どんな動画を作ろうかな……。
自分の手は汚さずに、もも子の評判を落としたい。そもそも、単なるいじめ動画では今まで撮ったものと変わらないし、教師にバレたら少々面倒だ。
しばし思案したところで、由香の口角は吊り上がった。
「……そうだ、もも子が猫を殺している動画にしよう」
周囲からは間違いなくひかれるだろうし、教員に見られても自分の立場が危うくなることもない。だって、猫を殺しているのはもも子なのだから。うまくいけば、停学にだって追い込めるかもしれない……。
由香は"ふぇい君"の使い方を簡単に把握すると、早る気持ちを抑え手際よく作業を始める。
材料は、カマキリを喰わせている動画を選んだ。もも子の無様な顔が大きくはっきりと写っているから、再現度も高くなるはずだ。
動画の余分な部分を削除し、アプリにドラッグする。スマホの画面は狭いが、日頃から使い慣れているのでスムーズに操作できた。内容を考え、テキストボックスに文章を打ち込む。
〘この女の子が猫を殺す動画〙
なるべくシンプルな文章の方がわかりやすいだろうから、端的に入力した。【作成!】という動画の内容に不釣り合いな、可愛らしいボタンをタップする。
偶然にも、カートゥーン調の猫と猫がじゃれ合うロード画面が流れ出す。
――えっ、何これ。おもろ。
待つこと十数秒。【完成!】というコミカルな表示が出た。ようやくできあがったらしく、タップして完成品を見てみる。
校舎の裏に似た場所に、制服姿のもも子が立っていた。画角は横からで、全身がよく見える。数秒してから、彼女の前に小さな白い猫が歩いてきた。もも子がしゃがみ込んで猫を触ると、そこで動画は終わった。
由香は落胆のため息をつく。猫を殺してはいないし、何より全体的に動きがガクガクしていた。これではフェイク動画とバレバレだ。
落胆したものの、やる気が削がれたわけではなかった。
――でも、思ったより優秀なアプリね。ちゃんと動画になってた。
文章や材料を調整すれば、もっと精度の高い動画になるかもしれない。
いじめの動画をもう一度確認し直すのは時間がかかるので、まずは文章の調整から試してみる。
――もう少し、具体的に書いた方がいいかも……。
由香は作りたい動画を、頭の中で鮮明に思い浮かべる。
もも子が子猫を殺す場面だ。何の警戒心もなく近寄ってきた子猫を、撫でるフリをして頭を潰す……ふむ、なかなかに残虐でいい。
あいつの表情はどうしようか。殺人鬼のような猟奇的な顔……それとも、子供のような無邪気な顔…………いや、敢えて無表情でいこう。細かい指示がアプリに反映されるかもわからない。
由香は新しい文章を打ち込む。
〘この女の子が、足下に歩いてくる白い猫の頭を潰して殺す、十秒くらいの動画。女の子は無表情〙
【作成!】のボタンを押し、猫が戯れるロード画面を見る。忙しい中学生にとってただ待つだけの十数秒は長かったが、少しでも気が紛れた。
そうして完成した動画を確認する。画角は先ほどと同じ横だ。制服姿のもも子、歩いてくる白い子猫も同じ。
ただ違うのは、もも子の表情が無機質になっている点と、子猫の頭をきちんと触っている点だ。
先ほどよりはいいが、とうてい望む内容ではない。
――う~ん、まだまだね。というか、過激な動画は作れない仕組みだったらどうしよう…………ん? なにこれ。
ふと、もも子の顔が微妙に歪んでいるのに気がついた。汚れかと思って画面をこすってみたが、謎の歪みは消えない。もも子と一緒に動いていることから、バグかノイズだとわかった。
――ま、所詮は無料のアプリってことね。
由香は再度文言を考え直し、テキストボックスに文字を打つ。自分以外誰もいない部屋に、コツコツという硬い音が響いた。
〘女の子の足下に、子猫が歩いてくる。女の子はしゃがみ込んで、子猫の頭を手で覆う。女の子は無表情〙
どうせ長い動画は作れないのだから、時間の説明は省いた。殺す、とか過激な言葉は弾かれる可能性があったので、柔らかい表現にする。
修正を重ねると、動画はよくなった。しゃがみ込んだもも子が子猫の頭に手を当てると、本当に潰しているように見える。
だが、バグはまだ残っている。それどころか顔の歪みは大きくなり、パッと見では誰かわかりにくくなってしまった。
由香は作業をしているので、もも子がもも子だとわかるものの、この動画を初めて見る人にはわからないかもしれない。
――このバグうざっ! 邪魔だよ! もも子の顔がわかんなくなっちゃうじゃん!
このフェイク動画はクラスチャットに流す予定なので、みんなスマホで見るはずだ。よって、顔の鮮明さは非常に重要だった。文章をもっとわかりやすくすれば消えるかもしれない……。
由香は気持ちを落ち着かせると椅子に座り直し、さらに修正を重ねる。
〘女の子の足下に子猫が歩いてくる。女の子はしゃがんで、子猫の頭を手で覆う。子猫は苦しむ〙
何度も新しい文章を打ち込んだ結果、ほぼ満足できる動画になってきた。
だが、肝心のもも子の様子がおかしい。
――なんか……バグ、大きくなってない……?
もも子の歪みは、もう顔全体に広がっていた。複数の魚眼レンズを当てたように、あちこちが歪みまくっている。面影からかろうじて、もも子とわかるものの、これでは誰かまるでわからない。
――またやり直しか……。いい加減面倒になってきた。
さすがに疲労を感じてきた。
由香は適当に文章を打ち、愛らしい【作成!】のボタンを押す。コミカルな猫の見飽きたじゃれ合いが始まる。
――はぁ、だる……。
ぼんやり眺めていたら、突然猫が凶悪な顔に変わった。血走った目と血だらけの鋭い牙や爪で…………互いに共食いしている。
食い合いの途中でロードは終わり、可愛らしい【完成!】のボタンが現れた。
由香のスマホを持つ手は小刻みに震え、じんわりと手汗が滲む。
――い、今の、何……?
見間違えでは、ない。たしかに、猫が共食いしていた。心の底が熱せられるような、焦燥感に似た不安が生まれる。
――……いや、大丈夫。大丈夫よ。ただのバグなだけ。
気丈な心に反して震える手で【完成!】のボタンを、タップする。
「うわぁっ!」
もも子の地味な顔は……頬が目を潰すほどに盛り上がり、額は陥没し、頭蓋骨や顎骨は何か大きな力が加わったように変形している。子猫や背景に異変はない。
ただ、もも子だけ……もも子の顔だけがおかしかった。目を逸らしたいのに、身体が金縛りに遭ったように動かない。
――こ、これは……バグ……じゃ、ない……。
自分は機械に詳しくないが、それだけはわかる。何かよくわからないもの、触れてはいけないものが写っているのだ……。
もも子が子猫の頭に手を当てた時、こっちを見たような気がした。
由香は落としかねない勢いで、慌ててスマホの電源を落とす。心臓が激しく脈打ち、息が切れる。
深呼吸を繰り返して気持ちを落ち着かせていると、部屋がずいぶんと暗いことに気がついた。日はすでにとっぷりと暮れて、自室は真っ暗だ。机の片隅で、蓄光の目覚まし時計がぼんやりと光る。窓から申し訳程度に差し込む街灯の明かりも、寿命が近いのか弱々しい。
――そういえば、カーテン締めるの忘れてた。
自転車が走るような、きぃ、きぃ……という無機質な音が、窓をすり抜けて由香の耳を撫でる。
何かに見られている気がして、由香は大急ぎでカーテンを締めた。頼りない光さえ遮られ、自分しかいないはずの部屋は、完全な闇となる。
「ただい、ま~!」
突如として、甲高い女性の声が自室のドアを貫いた。聞き慣れた母親の声なのに、なぜか心臓が喉から出るほど驚いた。目線だけ動かして目覚まし時計を見ると、八時五分を指している。
母親が帰宅するのは……いつも九時過ぎだ。
――な、なんで、予定より早いの……?
不意に、喉の渇きが気になった。
ぴたりと張り付いた、喉。
おかえりと言いたいのに声すら出せず黙っていると、階段を昇るたん……たん……という軽い音が、由香の部屋に近づいてくる。
「由香ち、ゃん…………どこ、にい、るの……?」
大事な娘がいじめをしているなど、とうてい知らないであろう母親が……近づいてくる。拍動する心臓の音が聞こえてしまいそうで、由香は必死に胸を抑えつけた。部屋の外にいるのは母親のはずなのに、絶対に音を立ててはいけない気がした。
足音が止まり、扉が軋みながら開かれる。そこにいるであろう、母親の顔は暗くて見えない。心臓の拍動音で耳が壊れそうだ。カチッ……と照明のスイッチが押される。
照らされた母親の顔は…………いつもと変わらなかった。
「なに、電気も点けないでうずくまってんのよ。ご飯は食べたの?」
「え……た、食べてない……そ、その……寝てたから……」
由香がたどたどしく答えると、母親は呆れた様子で額に手を当てる。
「まったく、中学生にもなって何やってんだか。じゃあ、簡単に作るから降りてきなさい。ほら、さっさと着替えて」
たんったんっと軽やかに降りていく音を聞きながら、由香は大きな安堵のため息を吐いた。
ほんの一瞬暗がりに浮かんだ目が、ロード画面の獰猛な猫たちみたいに血走って見えたから……。
□□□
普段より楽しい夕食を終え、自室に戻るとすぐに電気をつけた。異変はないが、机の上に置いたスマホがやけに目を惹く。
――……大丈夫。あれはバグなんだから……。
意を決して起動し、フェイク動画を開いた。
もも子の顔は、いつもの地味な顔だ。歪みも何もない。
由香は肺の空気を全て押し出すくらいの、大きなため息を吐く。
――やっぱり、ただのバグだったんだ……。緊張して損しちゃった……。
完成したフェイク動画をダウンロードし、クラスチャットに流す。さっそく、既読がつき始めた。
誰かがコメントする前に、由香は電源を落とす。明朝、溜まった反応を一気に見たい。
ベッドに潜ると、自然と笑みが零れた。
――ふふっ、明日が楽しみ~。あいつ、どんな顔して学校来るかな。いや、もう一生来れないかも。
もも子の苦しむ顔を想像し、由香は楽しみながら眠りに就いた。