7話 来たか
「おいそこ、授業始まってるぞ。いつまでくっちゃべっているんだ」
「すいません、蘇芳さんは転校生なのでまだ教科書がないんです」
数学の教師から注意されてしまったので、僕から言い訳を述べる。
残念なことに、教師に叱られたことでクラスの注意がこちらに集中してしまう。こっちは目立ちたくないのに、この女のせいで否が応でも目立ってしまう。
本当に厄介な存在だ。
「ほう、転校生か。なら実力試しに、この問題を解いてみてもらおうか」
と言って、教師はトントンとチョークで黒板を叩く。嫌がらせのようなやり方でも、蘇芳は「OK」と気にせず椅子から立ち上がり黒板に向かっていく。
カッカッカと淀みなくチョークを走らせると、挑発的な態度で教師に問いかけた。
「Hou is it?」
「う、うむ……正解だ」
「すっげ~、蘇芳さん頭も良いんだ」
難しい問題をサッと解いた蘇芳に、教室中から感嘆のため息が漏れる。
しかし、彼女が凄いのは数学だけではなかった。
本場のアメリカで暮らしていたから英会話はネイティブで流暢だし、科学などの科目も得意としていた。
現国や歴史などは日本に居なかったからそこまでではないけど、地頭の良い彼女ならすぐに覚えてしまうだろう。
勉強だけではなく、運動神経も抜群だ。
体育でのバレーボールでは羽のように跳躍し、強烈なアタックを繰り出す。女子がキャーキャーと騒ぐ中、男子達はじっと胸を見ていた。
蘇芳の胸はかなり大きくて、ジャンプするごとに豊満な胸がたゆんたゆんと揺れるのだ。
あれは健全で健康な男子高校生には目に毒過ぎる。見苦しいほどに、見ていられないほどに、ほとんどの男子がわかり易い姿勢を取っていたね。
「蘇芳さんってヤバ過ぎるよな」
「なんというか、同じ人間だとは思えないよな。佐藤もそう思うだろ?」
「そうだね、次元が違うっていうかさ」
「だよな~」
時は昼休み。
僕は山田と野口の三人で、中庭で昼ご飯を食べていた。普段は教室で僕の席に集まって食べているんだけど、今日は落ち着いて食べられそうにないからね。今日というか、今後も食べられそうにないだろうけど。
「いいよな~八神はさ~、今頃蘇芳さんとご飯食べてるんだろ~?」
「まぁ、八神だけじゃなくて日和さんも一緒だけどね」
羨ましそうにぼやく山田に、内容を付け足す僕。
蘇芳は今頃、八神と日和と一緒に食堂でご飯を食べているだろう。
何故その二人なのかというと、二人は学級委員であり、担任から学校案内などいった諸々の面倒を見てやってくれと頼まれたからだ。
流石は「ラブコメの主人公」。新ヒロインとのイベントは事欠かないね。
個人的には大助かりだ。そのまま蘇芳の興味が八神に移り、そして八神ハーレムの一員になってくれれば嬉しいことこの上ない。その調子でさっさと僕との縁を切ってくれないかな。
「蘇芳さんってさ、何者も寄せ付けない女王様みたいに性格が悪そうで近寄りがたい雰囲気はあるけど、意外と気さくなんだよな。クラスの奴等とも楽しそうに話してたし」
「わかる、わかるぞ山田。気取ってはいるんだけど、それが自然体だから全然嫌にならないんだ。というより彼女の場合、様になっているから不快に感じることがない。流石はカリスマモデルって感じだな」
「へぇ、そうなんだ」
二人の会話は、恐らく僕がトイレに引き籠っていた転校生タイムのことを言っているのだろう。
確かに意外だ。高圧的なあの態度や雰囲気からしてお高く止まっているように思えるが、二人の話を聞く限りそうでもないらしい。
高飛車でもなく、誰にでもフランクに話すそうだ。てっきり人を寄せ付けさせないタイプの人間かと考えていたが、そこは僕の読みが外れたか。
「とんでもない転校生が来たもんだよ。休憩の度に他のクラスから蘇芳さんを一目見ようとひっきりなしに押し寄せてきてたからな」
「二年だけじゃなくて、一年生や三年生もわざわざ見に来てたな。一瞬で平和高校の有名人だ」
「俺なんか早速蘇芳さんのイマスタフォローしちゃったもんね」
「拙僧がないね」
凄い転校生が来たという噂は、瞬く間に学校中を駆け巡った。
そんなに凄いの? と半信半疑で尋ねてきた生徒達は、一人残らず驚愕し、驚嘆し、圧倒されていた。
そりゃそうだろう。
ただでさえ目立つ赤髪と、日本人離れしたスタイルにあの美貌。さらには一流芸能人ばりの雰囲気を纏う美少女を目にすれば、驚くなという方が無理な話だ。
多分今の時点で学校の美少女ランキングみたいなものは更新され、蘇芳アカネの名が一位の座に据えられただろうね。もしくは、ラブコメでお馴染みの親衛隊のようなファンクラブがどこかで誕生しているかもしれない。
これは決して冗談でも、大袈裟に言っている訳でもない。
それほどの人物なのだ、蘇芳アカネという転校生は。
だからこそ厄介で、僕にとっての脅威でしかない。
そんな学校の有名人と関わりのある僕は、否が応でも周囲から興味の対象と捉えられてしまうからだ。
「蘇芳と話しているあのモブはいったい誰だ?」といった具合にね。
学校中の男子から目の敵にされ、嫉妬され、羨ましがられる。たまったもんじゃない。全男子から目の敵にされるなんて考えただけでも恐ろしいよ。泣きそうになってしまうよ。
そうならない為に、僕は全力で蘇芳アカネと関わらないようにしなければならない。しかしあの女は、僕を弄ぶかのように罠を仕掛けてくるんだ。爆弾を起爆させようとしてくるんだ。
「そういえばさ、“佐藤って蘇芳さんと知り合いなのか?”」
「……ん? どういうこと?」
突然山田から問いかけられた僕は、首を傾げて素知らぬふりをする。慌てるな、慌てちゃダメだ。その問いに答えるのには、もう少し情報を入手しないとダメだ。
「いやさ、蘇芳さんって佐藤のことを少し気になっていたらしいんだよ。他の奴が何で佐藤を? って聞いたら、お前に“困っていたところを助けてもらったから”って言ってたんだ」
「えっ、そんなこと言ってたんだ」
わざとらしく驚いた反応をして、何も知らなかった感じを出す。もし僕が蘇芳と接触していたことを隠していたら、山田と野口は良い気分ではないだろう。「友達なのにどうして話してくれなかったんだ」と思うかもしれない。
それにしても……あの女は“そういう風に”クラスの皆に話していたのか。
なるほど、“そう出てきたか”。「ナンパから助けてもらった」ではなく、「困っていたところを助けてもらった」に置き換えた意図は計りかねるが、僕にとっては隠してもらった方が非常にありがたい。
「そうなのか?」と野口に真意を尋ねられた僕は、二人に内緒にしていたと勘違いされないように上手く説明する。
「う~ん、身に覚えがないなぁ。“あっ!” もしかしたら昨日の人かも!」
「昨日?」
「うん、駅で困っていそうだったから声をかけたんだよ。赤髪だったし、そう言われてみれば蘇芳さんだったかもしれない」
真実と嘘を交えて説明する。
わざわざ自分からナンパから助けたなんて言わない。駅で困っているといえば、大抵はどの電車に乗ればいいか分からないといったものだろう。内容をボカして言っておけば、後から追及されても言い逃れはいくらでもできるしね。
「はは、気付けよ! 赤髪の美少女なんて滅多にいねぇだろ」
「帽子を被ってマスクもしていたし、最初は分からなかったんだよ。顔をじろじろ見るのも失礼だろ?」
「まぁ、そりゃそうか」
「俺としては、佐藤が人助けをするのが意外だったな」
「僕だって時には正義感に駆られる時もあるよ。まぁ、ちょっとくらい下心があったかもね」
「おいおい、実はそっちが本命なんだろ~」
「違うよ~」
野口の疑問を、冗談を交えて言い逃れする。これ以上疑われない為に、下世話な話も盛り込んでおいた。案の定山田が食いついてきて僕に肘で突っかかってくる。
山田のこういう単純なところ、僕は好きだしいつも助かっているよ。ありがとね。
と、校舎の中庭で男子高校生っぽい青春話に盛り上がっている時だった。不意に現れた一人の男子生徒に声をかけられる。
「なぁ佐藤、ちょっといいか?」
(“来たか”)
君が来ることは分かっていたよ。必ず僕に接触してくるってね。
だから僕は、慌てたりせず少々驚いた顔を作って問いかけた。
「何かな、灰谷君」
「ラブコメの主人公」八神陽翔の「親友」である、灰谷賢也にね。




