4話 終わりの始まり
「ただいま」
「あら、お帰り。今日は遅かったのね、ご飯は?」
「あ~ごめん、食べてきた。連絡するの忘れてたよ」
家に帰ると、母さんが声をかけてくる。
僕の母さんは極普通の主婦で、週三回のパートで働いている。因みに父さんも極普通のサラリーマンだ。
佐藤家は両親と僕、それ以外にもう一人家族がいる。
「……お帰り」
「うん、ただいま」
階段から降りてきたのは僕の妹、佐藤柚希だ。
僕の名前の「サム」が却下されたことから今度こそ妹に「マリン」というキラキラネームを付けようとした父さんだったが、母親に却下されて柚希と名付けられた。
どれだけキラキラネーム付けたいんだよ父さん……。
妹は二つ下の中学三年生。
見た目は少し可愛いが、美少女というほどでもない。僕と同じでモブに価するだろう。
僕と柚希の兄妹仲は良くも悪くもないといったところか。まぁ、僕が余り関わらないようにしているんだけどね。
【モブの流儀その8】
妹と仲良くなってはならない。
これを言うとドン引かれるかもしれないが、正直言うと僕は妹が欲しくなかった。
家族内であっても一人っ子の方が人間関係が少なくて楽だし、妹といえど年下の異性が近くにいることはそれなりに気を遣うし疲れてしまうからね。
ただ勘違いして欲しくないのは、別に妹を毛嫌いしている訳ではないんだ。
柚希が勉強を教えて欲しいと頼んでくれば教えるし、アイス取ってきて~みたいに何か頼んでくれば喜んでやってあげよう。もし柚希が窮地に陥ったとしたら、命を懸けて助けに行くつもりもある。
ただ、「妹」という存在が厄介なんだ。
「妹」だけではなく「姉」もだけど、姉妹は「恋愛」関係に巻き込まれる可能性がある。
例えば野口や山田に妹がいると話したとしよう。
そうしたら、二人は気になって妹と会ってみたいと頼んでくるかもしれない。
友達からの頼みを無碍にするのは関係が拗れてしまうかもしれないし、かといって二人が万が一妹に好意を抱いてしまったら最悪だ。
そんなことになれば面倒臭いったらありゃしない。だから僕は二人に妹がいることを話していなかった。
僕だけではなく、妹からも気を付けなければならない。
妹が友達を家に連れてきて、僕に一目惚れする可能性があるかもしれない。別に「一目惚れされると困っちゃうな~」みたいなナルシスト的な意味ではなく、そういう可能性が絶対にないとは言えないからだ。
「妹」という存在は、“僕にとっては”かなり厄介なんだ。
だから柚希には申し訳ないけど、敢えて適切な距離を取っている。まぁ、思春期の兄妹がベタベタしている方が少ないから特に問題はないだろう。
世の中には冷戦になっている兄妹なんて山ほどいるだろうしね。
階段から降りてくる柚希に道を譲ると、妹は僕の横を通り過ぎる。
「お腹空いた~。お母さんご飯できた~?」
「はいはい、もうできたわよ」
「僕は部屋で勉強してくるよ。悪いけどお風呂の順番がきたら教えて」
「頑張るわね~」
「あれ、お兄はご飯食べないの?」
「今日は外で食べてきたんだ」
「へぇ、珍しいじゃん」
驚く妹に「たまにはね」と言うと、僕は階段を上って自分の部屋に入る。鞄を置いてから、椅子に深く腰を下ろした。
「ふぅ……疲れたな。よし、勉強するか」
鞄から筆箱とノートと教科書を取り出して机に広げ、勉強に取り掛かる。
【モブの流儀その9】
学業を疎かにしてはならない。
そこそこ良い大学に入るには、そこそこ良い成績を取らなくてはならない。その為には、家でしっかりと予習復習をしなければならないんだ。
モブの流儀的に、塾に通うのは嫌だからね。
そもそもバカキャラはモブではない。成績が良過ぎても駄目だ。中間かその少し上辺りが望ましい。
学業に関する勉強と並行して、大学や会社で役立ちそうな勉強も行っている。
サラリーマンに必要な技能であるエクセルやパワーポイントといった基礎的なものから、プログラミング的なものもね。
今からそういうのに多少手をつけておけば、後々になって困ることはないだろう。
それ以外に覚えなければならないことがあったら、その都度覚えておけばいいさ。
「ふぅ……今日はこのくらいにしておくか」
キリがいいところで終わらせ、勉強道具を仕舞った僕はベッドに寝転んだ。瞼をゆっくりと閉じながら、今日の出来事を一から反省していく。
今日もいつもと変わりなかった。
八神ハーレムが教室の隅でラブコメをしていて、その光景を野口や山田など男子生徒が羨望の眼差しを送る。
朝から放課後まで、平穏平凡な一日を過ごすことができただろう。
僕はかなりの頻度で教室の空気を観察している。
別に、人間観察が趣味だとかそういう訳ではない。モブとして生きる為にやらなくてはならないからやっているだけだ。
何か揉め事が起こってないか、誰々と誰々の仲が悪くなっていないか、イジメなどはされていないか。
そういった細かい変化を日々チェックしていることで、いざ何か問題が起きた時に即座に対応し、面倒事を回避することができるんだ。
だが、時として回避できない問題がやってくることもある。
今日のようにね。
「あれは最悪だったな……」
駅でのナンパ事件。
僕は関わらないように少し離れて通り過ぎようとしたのに、赤髪の女性に腕を掴まれ強引に巻き込まれてしまった。
ああいうのは本当に困るからやめて欲しい。
「だけどまぁ、その後の対応は良かったと思う」
ナンパ男と殴り合いの喧嘩になるなんてことはなく大人しく立ち去ってくれたし、赤髪の女性とイベントが発生しないように即座にその場から離れた。あれは自分でもファインプレーだと思う。
もしお礼にご飯でもご馳走するなんて言われたら最悪だ。勿論断るが、通り過ぎる学生の腕を掴んでも揉め事に巻き込んでくるような人だし、強引に誘われたかもしれない。
モブの流儀的に、女性や面倒事とはなるべく関わってはならないからね。あそこで離れられたのは僥倖でしかなかった。
「今日のことは教訓にしよう」
もし次にナンパされている女性がいれば、無視して通り過ぎるのではなく、すぐにその場から離れよう。
まぁ今日のは事故に遭ったようなもので、早々に起こることではないけれど、用心を重ねることは大事だ。
あの赤髪の女性とも、もう二度と会うことはないだろうしね。
「よし、反省終わり。風呂に入って寝よう」
けれど、改めて感じてしまうな。
モブに徹して平穏平凡に生きることが、どんなに難しいということかを……ね。
◇◆◇
「おい佐藤、ビックニュースだ! ビックニュース!」
「朝からテンション高いな~。山田のビックニュースはいつもあてにならないからな~」
「いや、今度ばかりはそうでもないぞ」
登校して自分の席に着くや否や、山田が興奮した様子で話しかけてくる。野口も一緒で、どうやら二人共真新しい情報を手に入れたようだ。
二人がそれだけ大小判を押すのなら、よっぽどのことなんだろうね。
「聞いて驚くなよ、このクラスに転校生が来るらしい! それも女子だ!」
「へぇ~、転校生ね~」
また面倒なイベントが舞い込んできたもんだ。
何でこんな中途半端な時期にわざわざ僕のクラスに転校してくるんだよ。それも男子ではなく女子がさ。
いや、「ラブコメの主人公」こと八神がいるからこそこのクラスであるとも言えるのか。まさしく、物語を動かすような重大なイベントのように。
はぁ、あいつと同じクラスになってしまったのは本当に運がなかったな……。
「どんな女の子なのかな~可愛いと良いな~」
「俺達にもワンチャンあってもいいよな」
「はは、どうだろうね」
安心してくれ、君達にワンチャンはないから。
何故なら十中八九、その転校生は八神ハーレムに加わるだろう。「八神陽翔の物語」を動かす歯車として、ね。
「お前等席に着け~。今日は朝からやることあるんだからな~テキパキいくぞ~」
「先生ー、それって転校生のことですか~」
「なんだ、もう知っちまってんのかよ」
「「転校生キターーーーーーーー!」」
「そういうの待ってました!」
担任の口から言質が取れたことにより、教室にいる生徒達が「うぇ~い!」と騒ぎ出す。まぁ、騒いでいるのは主に男子だけどね。
「こら~静かにしろ~。んじゃあま、入ってきてくれ」
担任が廊下に顔を向けてそう告げた瞬間、転校生が教室に入ってくる。
「「「……」」」
あれだけどんちゃん騒ぎをしていたクラスメイトが、電池が切れたように一瞬で静まり返った。
それは仕方がないかもしれない。
教室に入ってきた転校生が、目を見張り言葉を失ってしまうほどの美少女だったからだ。
ハーフなのか、外国人のようなくっきりとした顔立ち。炎を彷彿とさせる真っ赤な長髪と長い睫毛に、思わずひれ伏してしまいそうな眼力が備わった大きな目。スッと筋が通った高い鼻に、潤いのある唇。
胸は大きく、腰はほっそりとしていて、長くて細い足。
身長は170センチほどで、彫刻のようなスタイルと陶器のように白い肌。
しかし特筆すべきは、完璧に整った容姿ではなくその身から溢れ出ている圧倒的なまでの空気だ。
正直、令和の女子高生は客観的に見ても可愛い子が多いと思う。
その中でも、八神ハーレムである日和小春や一ノ瀬アイ、才波凪といった群を抜いている美少女が存在している。
だが――だがだ。
彼女に至っては、その三人をも軽く凌駕してしまうほどのオーラがあった。住んでいる世界が違うというか、纏っている空気が一般人のソレではない。
会ったことはないけど、一流の芸能人に直接会ったらふと言葉を失ってしまうような、そんな領域に達している雰囲気だ。
クラスの生徒達が驚愕するのも無理はない。
けど僕は、彼等とは違った理由で驚いていた。
(ば……馬鹿な!?)
僕は彼女を知っている。あの目立つ真っ赤な長髪に見覚えがあった。
昨日、ヤンキー風の男からナンパされて僕を巻き込んだ女性ではないか。
いや、待て。まだ断定できない。
彼女は目深に帽子を被っていて、マスクをしていた。はっきりと顔を見てはいない。人違いという可能性はある。できれば人違いであって欲しい。
「……」
「……」
目が合った。合ってしまった。
そして僕を見た彼女は、ニィと愉しそうに口角を上げる。
その笑みはまるで、いたずら好きな悪魔のようだった。
ピシリッ――と。
僕の平穏平凡なモブ生活が崩壊するような死音が鳴り響いた気がした。