Op Act. 歌が呼ぶのは
シティ第三層北区を走る一台の車。
運転手のヴァンピールは、はやる気持ちをどうにか抑えながらアクセルを踏んだ。
助手席には愛する恋人ではなく、買ったばかりの十二本のバラの花束が座る。プラントの照明で育てられたシティ産のバラは、血のように赤い。生気を吸い出して枯らさないように細心の注意を払わなければ。
早くこれを彼女に渡して、仲直りしたい。
ヒューマの恋人と共に過ごせる時間は短い。それなのに一週間も仲違いに費やしてしまい、愚かだと気づいた瞬間に花屋へ飛び込んだ。大好きなクラシック音楽をかけるのも忘れて、愛する人が暮らす団地へ急ぐ。
明けない夜の街では、ヘッドライトは常時点灯が当たり前。
やんちゃなシティ都市民によるスプレー缶の落書きが目立つトンネルに入ると、光に反応する自立型監視ゴーレム・バットの群れが誘導灯からわっと飛び立った。より明るいヘッドライトに反応したようだ。それもシティではよくあること。気にすることなくトンネルをひたすら走る。今は一分一秒でも惜しい。
対向車が来ないせいか、妙に静かで薄暗いトンネルをしばらく進んでいると、ヴァンピールの耳にある歌が聞こえた。最初は車のオーディオをいつの間にかオンにしたのかと思ったが、こんな曲は知らない。ハープの音を喉で奏でるような不思議な歌声が脳に直接響くようだ。たしかに美しいコーラスなのだが、意識を強制的にそちらへ持って行かれるような、強烈な引力を感じる。
(嫌だ、リリアに会いたいのに、嫌だ、いやだ、イヤダ――……)
やがて金属が擦れる金切り音と、バキッという破壊音がトンネル内に木霊する。壁に擦れた左のサイドミラーが吹っ飛んだのだ。車体はそのまま落書きだらけの壁を擦って火花を散らし、カーブに差し掛かる。それからほどなくして、運転手は全身が砕かれるような衝撃に襲われた。ブレーキを踏むことなく、反対車線の壁に正面衝突したのだ。しばらくしてやって来た後続車のクラクションや安否を確認する救命隊の声がぼんやりと聞こえるが、朦朧とする意識は深い場所へどんどん沈んでいく。
彼を支配するのは、さざ波の音と、弦を指で弾くような不思議な歌声。歌詞らしきものはあるが、どの種族の言葉かわからない。ただ、声が呼んでいる。
虚ろな意識の中、割れたフロントガラスの破片に埋もれるバラの花束が見えた。
行かなければ。どこへ? 恋人の、いや――歌声のする方へ。
【実況見分調書(様式第九二号)】
事故発生日時:ネザー/第三夜、二十二時過ぎ。
事故現場:シティ第三層北区シンメイトンネル内。
状況:単独事故、目撃者なし。
被害:運転手のヴァンピールは全身の骨を折り意識不明の重体、血液化して救急冷凍車で搬送。車はエンジンルームを潰して全損。
所見:ブレーキ痕なし。車内に設置されたドライブレコーダー及び周辺を監視録画していたバットからは特筆すべき事象が確認されなかったため、居眠り等による運転手の過失と推定。運転主の意識が戻らないため、このまま事故処理を進める。
担当:保安局交通課 巡査部長 モンマ
サイレンが鳴り響くトンネル内で、初老のヒューマ男性とスケルトン族の若い男性二人が大破した車の写真を撮っている。保安局員の証である星型のピンバッジが、彼らの胸元で輝きを放つ。
「たっく、最近のヴァンピールは居眠りもするのか。たるんでるな」
「ですがモンマ巡査部長、今回も本当に居眠り運転なのでしょうか?」
「あ?」
「シンメイトンネルでの事故が多すぎませんか? 僕が配属されてまだ一年も経たないのに、これで五件目ですよ? 過去の事故も含めて、もう一度見直してみませんか?」
「……ティトラスお前、俺の判断にケチつけようってのか?」
「い、いえ、そういうつもりでは……」
「ならこの話はこれで終わりだ。シティはただでさえ事故が多いんだ。全部に時間をかけてたら、捜査員がいくらいても足りねぇよ」
「わかり、ました……」




