3 南棟3階の階段教室①
「君が、ブランノワール学術院図書室の主様なんだろう?」
私が図書室の主様?
ロゼもアイラも「ついにバレた」といったような表情で、ユーラを見た。
この学術院では三年前からーー入学してから間もない頃から図書室に引きこもって本を読み漁っていたユーラは、図書室の主様という異名で有名だった。
しかし、この事実は本人は全く知らないのであった。
「世界各地から書物が集まっているという、このブランノワール学術院図書室の主様となると、私が知りたいことも知っているのではないかと思って、君に出会えることを楽しみにしていたんだよ!」
「えっ……、あっ、はあ……」
「ぜひ、今度、君の話を聞きたい! また、よろしくな!」
あまりの興奮気味に、ユーラは引いてしまった。一方、そんなことに全く気づかず、ヒューゴは騒ぐだけ騒いでさっさといなくなってしまった。
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学術院の南棟三階には、図書室に入りきらない書物や芸術作品などが所狭しと並べられている階段教室がある。
この教室はその授業の時にしか入られないため、ユーラは誰よりも早く教室に入ることが日課であった。
「失礼しますーーーー」
ユーラは扉をそっと開けて入室すると、すぅーっと深呼吸をした。
この匂い。たまらないわ。
ほとんどの学生が好まない、この教室独特の香りがユーラの気持ちを落ち着かせる。
「ん? 誰だ?」
教室の奥から、初めて聞く低い声がした。
「あっ、すみません。午後からここで授業なので、来ました」
「はあ? まだ、授業までたっぷり時間があるぜ」
確かに、普通であれば今は食堂で昼食をとり始めようとする時間ではある。その昼食を抜いてまで、ユーラはこの教室で過ごしたいのである。
声の主は頭をくしゃくしゃと掻きながら、ユーラがいる扉のほうに歩いてきた。
「なんだって、こんな早くからーーーー」
ようやくユーラを見たらしく、言葉が途中で止まって、ユーラをまじまじと観察し始めた。
「あ、あの。近いのですけど」
今日は朝の食堂での出来事といい、おかしい。
私が人から注目されるなんて、あり得ない。
これまで、皆の影に隠れて、物静かに過ごしてきたのにーー。
ユーラの気持ちは全く気にされることなく、向かいに立つ男性は顎に手をやり、何かを納得している様子である。
「あの、あなたは誰ですか? なぜ、私を見るのですか?」
「ん? ああ、確かにそうだな」
忘れていたことを思い出したかのように、男性はユーラの真正面に立った。
「俺は、ルーク・デルフォルト。今年からドートン先生の代わりに魔術歴史学を教える教員だ」
眼鏡の奥に見える蒼い瞳が、ユーラの目をしっかりと見てきた。
「そして、君は噂のユーラ・アザーだな」
ユーラにはほんの少しだけ、目元が緩んだように見えた。その理由は、全く分からないけれども。
「失礼ですが、その噂のとは、どのような意味ですか?」
「ああ、ドートン先生からうかがっていたから、噂のと表現しただけだ」
「ですが、話だけで私だとなぜ分かったんですか?」
「それは簡単なことだ。ドートン先生が『昼食も食べないでこの教室に入ってきて、ここにあるものを授業が始まるまでずっと物色している女の子がいるからね』と言っていたからな」
物色とは……聞こえがあまり良くないが、確かにそう見えるであろう行動をしている自覚はある。それにしても、おじいちゃん先生は、そのようなことを話しているなんて、想像もしていなかった。
「まさか、初日から来るとは思わなかったがな……。まあ、どうぞ。好きに物色しろ」
怪訝そうな態度を見せて、少しだけ関心があるかのような言葉を言ったと思ったら、あっさりと奥に引っ込んでいった。
「…………変な先生」
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ユーラはルークからの許可を得た上で、物色を始めた。
今年で四年生ではあるが、この教室の書物についてはまだ半分しか読めていない。この一年でなんとか全ての書物を読みたいと考えているが、その目標は叶いそうにない。
だからこそ、ユーラは書物を厳選して、手に取るようにしている。
今、最も関心があることは、精霊の召喚方法についてである。
「たぶん、ここらへんにあるはずだけど……」
人差し指で本の背表紙をぽんぽんと触りながら、目的のものを探していく。近しく見えるものは棚から取り出して、ぱらぱらぱらと中身を確認してみる。
しばらく続けていたが、思うようなものが見つからない。
ふと、棚の一番下の隅に、見覚えのある本を見つけ、手に取ってめくり始めるとーーーー。
「珍しいものを手に取ったな」
「きゃっ!」
いつの間にか、ユーラの真横にルークがいた。
「何も驚くことはないだろ? それにしても、これを読もうとするなんて、変わっているな」
ルークは本に書かれている文字を、トントンと指差した。
「エウリュ語、読めるのか?」
「いえ、読めませんよ。ただ、本の装飾が素敵なので何かなと思って」
ユーラは笑いながら、本の表紙の金色の刺繍を指差した。
「ふーん。そうか」
やはり、あっさりとルークは別のところに歩いていった。
これでいい。
余計な注目を浴びたら面倒が起きることは、姉や兄を見て知っているから、絶対に余計なことはしない。
ユーラが幼い頃から心がけていることである。
ルークがいなくなったので、ユーラはそっと表紙をめくった。
やっぱり、この前の古い魔術書と同じね。
ロゼが貸してくれたブーゲンビリアの魔術書を思い出しながら、中を読み始めた。