09.生まれたての側妃
上級メイドに詫びながら、シュナに「妃らしい振る舞いを」と再三念押しされていたのを思い出した。しかし、目上の人の怒りを買ったとき、弱い者はただこうして詫び、許しを乞うしかない。
「どうかこの者だけはご容赦ください。罰は全て私が受けます」
「へぇ、お友だちのために、どんな目に遭っても構わないというの?」
「はい」
隣でジニーが、「そんなのだめよ」と半泣きで訴えたが、リナジェインは彼女を制した。
「なら――」
女はこちらに詰め寄って顔を覗き込んだ……リナジェインは俯きながらだらだらと汗を流していた。心臓も大きく音を立てている。
(怖い怖い怖い怖いどうしよう……!)
彼女は意地悪に口角を上げて囁く。
「土下座しなさい」
「そんなことでいいんですか!?」
「そんなこと」
「ありがとうございます!」
「なんで感謝!?」
リナジェインの頭ほど安いものはない。喜んでしますと言って腰を下ろすプライドのない様子に、彼女たちもきょとんとしている。しかし、両手を前に着こうとしたそのときだった。
「――おやめなさい」
リナジェインの腕を取り上げて、土下座を止めたのは、それはそれは美しい女だった。華やかなドレスを身にまとい、赤い髪が波打つように広がっている。エメラルド色の切れ長の瞳も品があり、お姫様のような凛とした佇まいをしている。
すると、上級メイドたちが急にかしこまって頭を下げた。
「……ヴィクトリア様」
「ルシア嬢、お久しぶりですわね。その者たちはわたくしの友人ですの。悪いけれど、今回は見逃してくださいまし」
「も、もちろんです……!」
ヴィクトリアは鋭い眼差しで女たちを見て、片眉を持ち上げた。
「新人さんに意地悪をなさっては駄目ですわよ? ……誰もが最初は新人なのです。大目に見て差しあげて」
「……はい」
「さ、早く仕事にお戻りなさい」
上級メイドたちは悔しげにこちらを一瞥してから退散していった。ヴィクトリアはあっという間にこの場を収めてしまった。ただただ、その優雅さに圧倒される。すると、彼女がこちらを振り返って、リナジェインの濡れた顔をハンカチで拭いてくれた。
「あらあら、こんなに震えて。お可哀想に。怖かったでしょう? 新人に意地悪を言うなんて、あんまりですわよね」
(なんか、良い匂いがする……)
リナジェインは美しい女に、うっとりとしていた。
「濡れたままではお風邪を召してしまいますから、早く着替えた方がいいですわ」
「はい。ご親切にありがとうございます。ご迷惑をおかけしました」
「ふふ、いいのよ。お気になさらないで?」
(わ……笑顔も可憐だ……)
彼女の美貌と優しさに心を鷲掴みにされていると、彼女はジニーにも声をかけた。
「あなた。その実直さは身を滅ぼしかねませんわよ」
「……はい」
「でも、ご友人を庇う姿はとても格好良かった。勇敢ですのね」
どうやらヴィクトリアは、一部始終を見ていたらしい。本当に、彼女が来てくれなかったらどうなっていたか分からない。ヴィクトリアはそれから、宮殿内の人間関係を話してくれた。
あの上級メイドは、子爵令嬢のルシア・ルナウドといい、下級メイドに執拗に嫌がらせをしているという。宮殿内のいじめは他にも横行しており、心を病んで辞めてしまう下女も出ているのに、上は看過しているとか。
熱心に話を聞いていると、ヴィクトリアはリナジェインの姿をじっと見つめて首を傾げた。
「あら、あなた珍しい瞳をなさっているわね。真朱色の瞳は旧皇家の者のみに現れ、神聖の証と言われているのですよ」
「……そうなんですね」
「ええ。お綺麗な顔立ちによく似合っていますわ。大切になさってください。あなた、どこ出身の方? 名前は?」
助けてくれた恩人の彼女には隠す必要もないだろうと思い、正直に答える。
「あ、はい。西の貧しい村から来ました、リナジェインです。……賤民なので苗字がなかったんですけど今は、ヴァーグナーの姓を名乗らせていただいています」
ヴァーグナーは、アンデルス国の皇家の姓だ。そしてリナジェインという名前の人物は、賤民でありながら皇帝に見初められ、初めての妃として後宮入りした、今世間を最も騒がせている女だ。
そんな女が、あろうことか下女の真似事をし、恥じらうことなくメイドに頭を下げていたのだから、さぞ驚きだろう。
「――へ?」
ヴィクトリアは美しい目を大きく見開いて、唖然とした。