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08.メイドに紛れる

 

 お仕着せを支給してもらい、翌朝からさっそく動き始めた。側妃の顔は後宮の者たちにほとんど知られていないものの、身元が割れないために変装は欠かせない。


 亜麻色の髪は三つ編みにして、丸眼鏡を掛け、頬にはそばかすを描いた。元々華のある見た目ではないので、下女によく馴染むだろう。そして、部屋をこっそり抜け出すのである。


(優しそうな人……優しそうな人……優しそうな人……)


 下級メイドは、掃除や洗濯を主に行う。リナジェインも例に漏れず、洗濯に参加している。――侍女にふさわしい人かを見極めながら。


「リナ、お疲れ。わー、今日もお洗濯物が大量ね」

「ジニーこそお疲れ様。うん、肩が凝っちゃった」


 リナというのは偽名だ。働きながら下女の何人かと話しているが、基本的に皆優しくて気さくだった。大抵は常民や良民で、リナジェインのような賤民は少ない。やはり、下女の間でも賤民という地位には多少差別意識があった。


 多くの賤民の使用人は、宮殿の端に追いやられ、宮殿で亡くなった人の遺体の処理や、家畜の解体などの仕事をさせられているとか。また、逃げようとすると懲罰房に入れられ、惨い罰を受けるという。賤民の扱いが悪いのは、どこに行っても同じだ。


 また、皆噂好きで、突如輿入れしてきた謎の賤民の側妃についての話題で持ち切りだった。絶世の美貌を持つとか、誘惑して皇帝を篭絡したとか、根も葉もない憶測が飛び交っていた。


「ねえ、側妃様ってどんな方だと思う? 賤民が見初められて側妃に成り上がるなんて、夢があるよね」

「う、うん」


 実際は、見初められたのではなく、無作為に選出されたお飾りの妃だ。その馴れ初めはロマンの欠片もなく、恐怖でで塗り固められたトラウマもので。


「側妃様はきっと、物凄く美人なのよ」

「それは……う、うん、どうだろう」


(目の前にいるけど)


 白い目を浮かべる。残念だが、現実の側妃は、平々凡々の田舎娘だ。期待外れで申し訳ない。


「皇帝陛下も、かなり男前な方と聞くわ。一度でいいからお目にかかってみたいわぁ」

「確かに、なかなかの美丈夫だったけど……」


 見た目だけは良いかもしれないが、中身は違う。中身も伴って真の良い男というのではないか。それは例えば、兄ユーフィスのような。彼は、紳士的で笑顔を絶やさず、いつも前向きな言葉をかけてくれる。一方。シュナは独善的で仏頂面、いつも上から目線の命令口調、まるで大魔王様だ。


「ええ!? リナ、陛下のことを見たことがあるの!?」

「わ、えっと、一瞬だけ! 遠くからチラッとだけ!」


 遠くからチラッとどころか、鼻先が触れるような至近距離で嫌というほど尊顔を見せつけられている。が、そんなことは言えるはずもなく。


「ふうん。ま、あたしたちには縁のない方々よね」


 下女は上流階級の者たちに仕えることはない。許されるのは、良家出身の上級メイドだけだ。下女たちは貴族の側仕えに憧れているらしいが、実際の侍女たちは、そんな名誉ある職務を放棄するというていたらくである。


 ジニーという少女は、リナジェインと同じくらいの年頃で、茶髪茶目の快活な少女だ。噂好きでよく喋り、世話好きな性格で、賤民だと打ち明けても対等に接してくれた。


「そこの二人、こっちはうちらに任せて、この桶の水を下水溝に流してきておくれ」

「はーい、ただいま」


 中年の下女の指示に、ジニーが返事をする。リナジェインたちは洗濯で汚れた水の入った桶を抱え、下水溝に向かって歩いた。敷地内には煉瓦造りの下水路が造られており、排水は川へ流れるようになってる。


(ジニーは侍女に誘ったら、引き受けてくれるかな?)


 彼女はなんとなく波長が合うので、今のところ有力候補だ。侍女は、今後一年間の話し相手でもあるので、気の合う相手の方がいい。


 呑気に思案しながら歩いていると、突然目の前に上級メイド三人が立ちはだかった。そして――


 ――バシャン。


「きゃあっ!」


 ジニーが悲鳴を上げる。リナジェインとジニーがそれぞれ持つ桶を、向こう側から傾けられ、汚水が零れた。リナジェインたちは汚水でびしょ濡れ。ジニーは、慌てて桶を水平に持ち直し、リナジェインの方はバランスを崩して尻餅を着いた。


「あんたさー、新人?」

「はい」

「ここはね、宮殿の窓から見えるから、下女は通ってはならないの」


 その女は遠くの木の影にある細道を指差して、「あっちよ」と言った。言いがかりをつけて汚水をかけ、謎のルールを押し付けてきた。よくある新人いびりだ。


(早く謝らないとっ)


 こういうときはとりあえず謝って、余計な波風を立てるべきではない。しかし、ジニーは違った。


「どうして今、水をおかけになったのですか」

「あんたたちが暗黙のルールを破ったから、指導しているのよ」

「くだらないですね」

「は? 今なんて――」


 上級メイドたちは目を見開いた。リナジェインも、目上の立場の人相手に反抗するジニーに困惑する。


「確かに、組織の秩序を守るための教育は必要かもしれません。でも、今私の友人は尻餅を着いて怪我をしました。汚れた水をかけて、怪我を負わせるのは教育じゃなく、単なる嫌がらせでは?」


 怪我と言っても、手のひらを少し擦りむいた程度だ。


(ジニーは実直すぎる……)


 確かにジニーの言うことは尤もだ。組織を統率する上で上下関係は必要不可欠だが、行き過ぎた指導はいじめだ。上の者たちが、よく分からない暗黙のルールを作り、下の者に強要するのも間違っているかもしれない。しかし、ここで彼女たちに歯向かうのは得策ではない。


 完全に上級メイドたちの不興を買ってしまった。

 ジニーは友人に危害を加えたことを怒り、懸命に立ち向かってくれているが、その手は小刻みに震えていた。


「彼女に謝罪してください!」

「生意気な……! あんた、あたしが誰か分かってるの? あたしは子爵家の娘よ。逆らうということがどういうことか、分かってるの!? 懲罰房に行きたいならそうしてあげるわよ!」

「そ、それは……」


 どんどん事が大きくなっていく。ここを収めるのは、リナジェインの役目だ。小さな諍いすら収められずに、側妃なんて務まらないだろう。ジニーを庇って立ち、まっすぐと女たちを見据えた。


「あんたまで何よ……私に歯向かうつもり?」

「大変……」

「……?」


 そして。


「――大変、申し訳ございませんでした」


 九十度に腰を折り曲げて、謝罪を口にするのである。

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