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04.取引しましょう


 彼が突然求婚した動機がようやく分かった。毒に身体を侵され、彼もまた藁にも縋る思いだったのだ。


(こんな状態で冷静な判断なんてできるはずない……)


 立っているのもやっとの極限状態でリナジェインに辿り着いた。そして、冷静な判断もできずに剣を突き付けたのだろう。


「……救うことができるだと?」

「は、はい。信じられないかもしれませんが、私には生まれつき人の怪我を癒す力が備わっているんです。他に手を尽くせないというなら、どうぞ私をお役立てください」

「……」


 彼は半信半疑だったが、逡巡の末に「頼む」と懇願を口にした。医者が手を尽くせないのだから、選択の余地はないのだろう。

 リナジェインも、死にそうな人間を見殺しにするほど冷酷ではない。


(どの道、陛下は私を頼るしかない。ならこちらも――)


 満身創痍で死にかけているシュナを尻目に、先程の契約書を裏返して条項を付け足した。彼の鼻先にびしっと紙を見せて言う。


「助ける代わりに、こちらからも条件を提示させていただきます……!」

「……いいだろう。望みを言え」


 リナジェインは、指を立てて数えながら言った。

 行方不明の兄の捜索に協力すること。

 リナジェインにに危害を加えないこと。

 この二点をお願いします、と。


「……そんなことでいいのか?」

「え……?」


 きょとんとして首を傾げた。シュナは小さく息を吐き、「その条件を飲む」と額に汗を伝わせながら頷いた。


「ありがとうございます。では、そちらに横になってください」


 彼をソファに寝かせて、上裸にした。力を注ぐには、できるだけ隔たりがない方がいいならだ。胸元に直接手を添え、囁く。



『――万物の源よ。我が力となり、かの者の傷を癒せ』



 すると、リナジェインの手の先が淡い金の光を放ち、シュナの身体に浸透して腕の傷を癒した。更に呪文を唱える。



『――浄化』



 より強い光が、彼の体内の毒を清めていく。シュナは神秘的な現象に圧倒されていた。治癒が終わり、シャツを彼の上半身にさっと投げ捨てて顔を背けた。


「お、終わりましたので……服を、着てください……!」


 鍛え抜かれた成人男の裸体は、年頃の娘には少々刺激的だ。照れているリナジェインを見て、シュナは面倒くさそうに眉尻を下げた。


 他方、シュナは体を起こし、シャツに袖を通した。それから、自分の体を確かめながら呟く。


「凄いな。本当に傷が塞がっている。体も軽い。……これが"聖女"の力か」

「聖女……?」

「知らないのか。病や怪我を治すのは聖女の力といい、かつて旧皇家の女にのみ生まれていた」


 旧皇家は、新皇家ヴァーグナー家の初代が――根絶やしにした不幸な一族だ。その血筋は今や戸籍には存在しておらず、まして賤民のリナジェインは縁もゆかりもない。


「旧皇家とかはよく分かりませんけど、ちゃんと治癒はしました。だからどうか、どうか約束通り兄を捜してください……」


 目的はただそれだけだ。兄さえ無事でいてくれたら、他にはもう何も望まない。

 隠してきたこの力を搾取されることだって、どんな屈辱を味わわされることだっていとわない。


「ひゃっ――」


 すると、次の瞬間。シュナに強引に腕を引かれ、ソファの上で組み敷かれていた。


「無欲すぎるな。 皇帝を助けるのに、見返りに求めるのが金銭や地位ではなく、最低限の身の安全と、兄の捜索だけとは」

「……私のような身分の者は、与えられるもの以上を望むことは許されませんから」


 賤民は、何も望んではならない。

 日の当たらない場所で、目立たず、慎ましく生きるしかないのだ。けれど、幸せだった。

 朗らかな両親と、頼りになる優しい兄がいて、それだけで十分だった。


「ではなぜ、契約の破棄を望まなかった?」

「……陛下は、占い師に結婚しなければ一年以内に死ぬと言われたのでしょう? この毒以外にも何か危機があるかもしれないじゃないですか」

「はっ、人がいいにも程があるな。お前は殺すと脅した人間さえ助けるのか。……ずっと手が震えている。私が怖いのだろう」


 シュナに押さえつけられている両手は、かたかたと小刻みに震えている。皇帝と対面して冷静でいられるのは、相当腹の座った人間でないと無理だ。

 ましてや、人並み以上に臆病で小心者のリナジェインは、恐ろしくて目を合わせるのさえ躊躇われる。


「とても、怖いです。けれど……あなたには恩が、あるから」

「恩?」

「はい。あなたは入都許可令を施行してくださいました。そのおかげで賤民の私が、皇都に入ることができたのです。これまでなら、皇都に入っただけで捕まっていたでしょう。……それに、宮殿で衛兵に捕らえられていたときも、助けていただきました。二度の恩を返したいのです」


 シュナが来てくれなければ、死んでいた命だ。恩には報いるべきというのがリナジェインの考えだ。


「――殊勝なことだな」


 そのとき、シュナの紺色の瞳の奥が微かに揺れた。まるで、獲物を狙う野生獣と対峙しているようで、心臓が縮こまる。


 シュナはリナジェインの顔にかかっている亜麻色の髪を手で払い除け、頬を撫でた。


(なっ、ななな何を……!?)


 突然の行為に戸惑い、目を白黒させていると、彼が意地悪に口角を上げた。


「兄は捜す。私は必ず約束は果たす主義だ。……それより、お前に興味が湧いたぞ。――リナジェイン。お前のような奇特な娘には初めて会った」

「は、はははははい!?」


 意味が分からない。毒で頭がおかしくなったのか。こんな泥まみれでぼろぼろの卑しい女のどこに興味など持ったのだろう。

 徐々に接近してくるシュナの顔。女物の長い耳飾りが揺れるさまが、やけに色めいて見える。


(ひっ、近い近い近い……! 心の準備がまだ――)


 身体を拘束されているせいで抵抗できず、せめて目を固く瞑るしかなかった。しかし、しばらくしてもなんの反応もない。


 おずおずと片目を開いて覗き見すると――。


(寝てる……?)


 口付けでもされるかと身構えていたが、彼はリナジェインの体に覆いかぶさったまま、安らかな寝息を立て始めた。治癒されて、身体が楽になったから眠くなったのだろう。


(良かった。死の匂いが消えてる。……寝ていたら、子どもみたいな顔)


 ずっしりと男の体重がかかって息苦しいが、毒の苦しみを耐えてきた彼に少しでも休息を取らせてあげたくて、起こすことはできなかった。そして、いつの間にか自分も眠っていた。

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