#5 人色差別
アッシュは包帯を巻き終わると衣服を着て、やっと人心地ついた。
「以前、僕がとある街を歩いていたら、そこの住民と目が合った途端に刺されたことがある。どうやら僕の目の色が気に食わなかったらしい」
「この虹の国でも未だに黒人と白人は鬼子とされ、蛇蝎のごとく嫌われておるからな。一部の原色至上主義者の人間に言わせれば、『ブラックとホワイトは人に非ず、生きるに値せん命』なのだとか」
魔女は哀愁とともにシャボン玉を燻らせる。
残りのシャボン液は模型くんの持つ無色透明な灰皿にポタポタと落とした。
「ここ虹の国の天皇――つまりは先の大戦の象徴である金人はこのレイシズムに関してあくまで違憲としておる。天皇の騎士である銀人含め以下同文であろうが……それでも旗色を変えるのは容易なことではないのだ」
「なあ、魔女」
「なんだ?」
「どうして人間は、肌の色、瞳の色、髪の色、血の色で色分けを行い、差別する?」
アッシュは素朴な疑問を投げかけた。
「自分は白い愛車に乗り、黒いお気に入りの衣服を身に纏っているくせに、それが人になった途端――なぜ差別に変わる?」
その理由がアッシュには皆目見当もつかなかった。
ヴァンパイアの僕を差別するのならともかく……。
「さあ? イロモノである妾にはわからんな」
魔女は諭すように説く。
「ただ妾に言えることは、神は無意味な色を塗らん。この世のすべては神の配剤によるお絵描きに過ぎんのだ」
魔女の言うことが真実なのだとすれば、いったい神はどんな血の色をしているのだろうか。
アッシュは思い描いてみたが結局わからなかった。
「ソナタは、なぜリンゴが赤く見えるのか考えたことはあるかね?」
「そういえばそうだ……なぜなんだ、魔女? ひょっとして、あれもこれもあんたの魔法と何か関係があるのか?」
「ぷっぷっぷっぷ。違うのだよ」
魔女は愉快そうに笑う。
「答えは単純明快。リンゴは赤以外の光を吸収し、残りの反射された光である『赤色』が我々の目に届くからなのだ」
「……僕にはむずかしくてよくわからない」
「そうかそうか。ソナタも絵を描けばいやでもわかると思うぞ」
魔女はパイプの火口をアッシュに向けた。
ふと、アッシュは疑問に思う。
「そもそもどうして世界にはたくさんの色があるんだ? 別に黒と白だけでも困らなくないか? いやむしろそのほうが人種差別はなくなる」
「ぷぷっ。その考え方が差別を生むと妾は思うがな」
「……ぐうの音も出ない」
「それにどうだかな。仮に白黒の世界になったところでどちらか一色になるまで争い、最終的には何も見えなくなるのがオチではないかね」
「そこまでするか? ……するかぁ」
この世に一色だけじゃ何も見えない。
つまり、いろんなものを見るために色があるということか。
色はみんなのために、みんなは色のために。
「人間は差別したがる生き物なのだ。色が同じならば形で、形が同じならば言葉で、言葉が同じならば声で差別する。わかりやすいものに人は飛びつくものだ」
魔女は儚げに言う。
「本当に大切なものは目には見えんというのにな」
続けて、魔女はアッシュを見つめながら透明感のある声で言った。
「畢竟、世界にあまねく色はすべて美しいということなのだよ」
そう言い切れる魔女をアッシュは心底羨ましく思う。
その言葉が美しいと思った。
「魔女、あんたは本当に世界のありとあらゆる色が好きなんだな」
「当然。妾はお絵描きの魔女なのだぞ」
腕を組み、わずかに膨らみのある胸を魔女は反らした。
「えらく脱線してしもうたが……」
ともあれ、本題に入る。
「なぜソナタがそんな目の色をしておるのか、妾は興味津々というわけなのだ」
アッシュは居心地の悪い視線を魔女から注がれる。
ついでに模型くんからも。
「――昔、僕は白人と黒人の血を吸った」
アッシュはあっさりと白状した。
そのために僕はここまでやって来たのだ。
「だから、僕はこの【黒銃】と【嘘塩】の血色能力を発現した」
「ふむ。なるほどな」
魔女は納得したように頷く。
「血色能力――それは人種によって異なる特色の異能。【黒銃】は黒鍛造。影から鉄を生成し好きに鍛造することが可能だ。そして【嘘塩】の場合は、それとはむしろ真逆の塩人柱。相手に幻術を見せる」
「おおむね、いま魔女の言った通りだ」
魔女の解説にアッシュは首肯した。
【ウソルト】についての認識は甘いようだが言う義理はない。
「しかし、解せんな。ヴァンパイアの吸血での色素沈着は一時的なもののはずだが……。ソナタの場合、魂レベルで混ざっておるのは何故なのだ?」
「さっきの魔女の説明よりも、もっと単純だ」
アッシュは黒目と白目のオッドアイで、魔女を見据える。
「食べたものが僕の血肉となる。僕は黒人と白人の魂までを喰らった」
魔女は「ほう」と関心を寄せるような吐息を漏らしてから、紅茶を一口すすった。
「なるほど。ジキルとハイドというわけかね」
「まあそんなところだ」
「うむ。であるからして、ソナタは初対面にもかかわらず妾に下着の色を尋ねてきたりと奇行を犯したのだな」
「そうだと思う。でも、どうして彼女たちが僕にそんなパンツの十字架を背負わせるのか謎なんだ……」
「ソナタ、それは女心というものなのだよ」
「?」
「む、本当にわからんのか?」
言って、魔女は呆れた。
「まあよい。さては、ソナタが魂まで喰らったというブラックとホワイトは相当な変わり者だったのではないかね?」
「正直、今じゃ記憶も混ざり合って定かじゃない。どこからどこまでが2人の人格なのか、渾然一体となって僕には判別できない」
どれもこれもすべてが僕自身なんじゃないか……という気も、今やアッシュはしていた。
「それが僕がここへ来た理由にも繋がっている。ここに来て魔女に訊けば教えてもらえると思った。――僕に囚われてしまった2人の魂を救済する方法を」
「さしずめ、ソナタは妾に魂の分離を依頼したいと?」
「端的に言えば、そういうことだ」
「ふむ。ソナタの希望を叶えうる手段に、妾も心当たりはなくもないのだが」
アッシュの想像よりもすんなりと魔女は口を割る。
「『きこりの泉』。という泉を知っておるか?」
「聞いたこともない」
「何を隠そうその『きこりの泉』に浸かった者は存在のすべてを水に洗い流され、本来の自分と遭遇する――という言い伝えなのだ」
「それじゃあ、その泉に浸かれば……」
嬉々とするアッシュに魔女は首を横に振った。
「しかして、『きこりの泉』の正確な場所は誰も知らん。その現象の真相もわからんし、いわばおとぎ話の類いなのだ。実は泉には濃硫酸が湧いており浸かった者はたちまちドロドロに融けてしまっただけ……という話も妾は側聞した」
「それでもいい。濃硫酸ごときで僕は死なない。どうかその場所を僕に教えてくれ」
アッシュは懇願した。
「しかしなぁ、妾もソナタに教えたいのはやまやまなのだが……。いかんせん、ソナタはうちの使用人を殺害した張本人であるからなぁ」
「だから、それは」
「ソナタが殺した」
「…………」
「まさかジキルとハイドのせいにするつもりではあるまいな? 吸血鬼アッシュよ」
魔女はアッシュの両眼を見つめて逸らさせない。
「全部僕のやったことだ」
アッシュがそう答えた。
なおも魔女の瞳には非難の色が宿っている。
「あの使用人たちには衣食住を提供する代わりに、妾の身の回りの世話と血液を提供させておった。したがって、今や絵の具の供給源が断たれてしもうたのだ。ソナタ、この落とし前はどう付けるつもりなのだ?」
「それは非常にすまなかった。僕は反省している」
「ソナタ、反省で済むなら警察はいらんぞ?」
言われずとも、アッシュの心は決まっていた。
「魂の煉獄から2人を解き放てるのなら、僕は何事も厭わない」
「ほほう。言うたなぁ」
言うてしもうたのだなぁ。
と、魔女は邪悪に瞳を歪めた。
「では、ソナタには妾が満足するまでの期間、妾の助手を務めてもらおう」
「助手?」
「ソナタも知っておるはずだ。この場所は、アトリエ・兼・とある事務所なのだ」
「……ひょっとして、まさか」
「ソナタの想像通りなのだ。この事務所の正式名称は『お絵描きの魔女探偵事務所』」
魔女は悪戯っぽく微笑む。
「24時間365日、どんな謎でも解き明かし、その対価として依頼人の血をいただく」
それを聞いてアッシュはゾッとした。
金ではなく血をいただくとは、この魔女、ヴァンパイアよりもヴァンパイアである。
「ソナタのせいで血液提供する使用人もまたイチから探さねばならん」
「でも探偵の助手って、急に言われても……僕は何をすればいいのか」
「そう気構えんでよいのだ。ただ目の前の謎を解けばよい。――どんな謎も、けして色褪せん」
と言って、魔女は冷笑する。
「ぷっぷっぷっぷ。不死身のヴァンパイアであるソナタとは途轍もなく長い付き合いになりそうなのだ。下僕……じゃなくて、新米助手アッシュよ」
「魔女がだんだん悪魔に見えてきた」
「それからひとつ屋根の下に住むにあたって先に忠告しておくが」
一転、魔女は眼を細める。
「妾の入浴中をのぞいたらソナタをカエルの子供に変えてやるのだからな!」
「カエルのこども……?」
オタマジャクシだっけ?
「わかったら、返事なのだ!」
「イ、イエス。マイ・ウィッチ」
たどたどしく頷いてから、アッシュは親愛の証として包帯まみれの手を差し出した。
魔女は差し出された手を一瞥したのち、パイプの火口を傾けるとポタリとシャボン液が垂れる。
アッシュの包帯にじわじわとシャボン液が滲む。
「な、何をするんだ……」
「むむ? ソナタ、灰皿のつもりではなかったのかね?」
「違う。僕は握手のつもりだった」
「そうか、なら悪いことをした。しかし言うておくが基本的に魔女は握手をせんものだ。この無礼者が!」
「えぇ……だったら、もっと先に言っといてくれ」
アッシュは戸惑いながら、引っ込めた手を嗅ぐと石鹸の香りがした。
こうして、魔女探偵の助手に僕はなった。