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アッシュとお絵描きの魔女  作者: 悪村押忍花
第一章 灰色の助手
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#3 アッシュ・フェニックス

 彼が目を醒ますと、そこは暗い部屋だった。

 ぽつねん独白する。


「白昼堂々、悪夢を見た」


 棺桶型のベッドから上半身を起き上がらせる。

 首を動かし、辺りを見回した。

 無人である。

 今気づいたが、ここは採光の乏しい地下墓所カタコンベだった。


 やおら彼は立ち上がると、階段を昇り部屋の外に出る。

 城内はカラフルでどこに視線をやればいいのか迷うほどだ。

 まるで絵画の世界に閉じ込められたようである。

 子供のように太陽光を避けながら影だけを踏み歩く。

 すると、ほんのすこし隙間の空いた部屋に辿り着いた。


 彼は隙間からのぞき込むと、部屋の中は色で満ちあふれていた。緻密に描画されたキャンバスやドローイングが煩雑と置かれており、その他には化学薬品、絵の具、筆、パレット、ペインティングナイフ、鉛筆、パステル、バケツなど、彼には馴染みのない初めて見るものばかりが鮮やかにひしめきあっている。


 そして今まさに、キャンバスに向かって絵を描く人物がひとり。

 お絵描きの魔女だった。

 左手サウスポーには年季の入った絵筆を持ち、右手の人差し指と中指には灰色の喫煙パイプが挟まれている。しかし、その火口から紫煙はくすぶっておらず、代わりに《《透明なシャボン玉》》が膨らんでいた。


 話しかけるのがはばかられる雰囲気だったので、彼は黙ったまま射し込む陽光を避けるように魔女の背後から近付く。

 無作法ではあるが、キャンバスをこっそりのぞき込む。

 するとそこには、鉛色の空の下、カラフルな包帯をぐるぐる巻きにした男が描かれていた。

【ブラックホーク】を右手に構え、深淵のような銃口はこちらを睨んでいる。


「これは……ひょっとして、僕を描いているつもりなのか?」

「うむ。妾はそのつもりだったが……ソナタにはそうは映らんかったか? どうだ、今すぐ答えるのだ」

「ひょっとして、怒ってるのか……魔女」


 彼は他者の顔色を読み取るのがひどく苦手だった。


「ぷっぷっぷっぷ。別に怒ってはおらんのだ。ただ気になってな。妾の絵が赤の他人にはどう映っておるのか……」

「僕は人じゃないけど……」

「そんな陳腐な注釈は二度とするでない。そして二度と妾にこんなことを言わせるでない。厄介なのだ」


 魔女はキャンバスにさらに絵の具を塗りたくる。


「妾には言わずとも知れておる。ソナタは夜の王――ヴァンパイアなのであろう?」


 バレてしまっては仕方がない。

 彼は観念したように白状した。


「ああ、ご明察。善人でもなければ悪人でもない――僕は吸血鬼だ」

「名は何と申すのだ?」

「ヴァンパイアに名乗る名はないよ」


 彼は定型をなぞるように淡々と答える。


「魔女。あんたの好きなように呼べばいいさ」

「そうかね。して、固有名詞がないと何かと不便なのだよ」

「たしかにな」

「ソナタはヴァンパイアなのだし素性はなるべく秘匿しておいたほうが都合がよかろう。ヒトは、よくわからないものを恐怖し、拒絶し、排除しようとするものだからな」


 そのことを、人ならざる者同士は骨身に染みて知っていた。


「では、そうなのだ。妾はソナタのことを――灰の不死鳥アッシュ・フェニックスと呼ぶことにしよう」

「アッシュ……か」


 見た目からよく呼ばれるニックネームだと、アッシュはたいして驚かない。


「僕はそれでいい。魔女、あんたの名前は?」


 今度はアッシュが尋ねる番だった。


「ソナタと同じなのだよ。魔女に名乗る名前などない。というより、呪いの魔法をかけられないように用心して本名は名乗らんようにしておるのだ」

「魔女もいろいろ大変だな」

「そのうえ長ったらしくて面倒なのでな。白状すれば、自分でも間違えずに言える自信がないのだ」

「なんだそれ?」


 自分の本名を言いたくない、という人には会ったことはあるが、間違えずに言える自信がないという人に、アッシュは初めて会った。

 ……魔女だけど。


「まあいいや。だったら僕はあんたをなんて呼べばいいんだ?」

「何でもよい。お絵描きの魔女でも、ウィッチでも、アートでも、ヘクセでも、美魔女でも、魔女えもんでも、スナフキンでもなんでも、ソナタの好きに呼びたまえ」


 魔女はすげなく答えてから、だしぬけにアッシュに訊く。


「ソナタ、絵は好きか?」

「……さあ、わからない」


 アッシュはこのアトリエに来るまで絵というものを見たことがなかったのだ。


「絵はいいぞ」


 と、魔女は続けた。

 絵筆でアトリエ内の絵画たちを指し示す。


「どうだ。ソナタも試しに一度、絵を描いてみんか?」

「僕には……何を描けばいいのかわからない」

「ぷぷっ。ソナタの心の赴くまま好きに描けばよいのだ。キャンバスは鏡よりも正直にその人物を映し出すぞ。言うなれば、キャンバスは心を映す鏡なのだよ」

「心を映す鏡。……でも僕はヴァンパイアだから、鏡には映らないぞ?」

「ぷっぷっぷっぷ。ではなおのこと、ソナタにはうってつけなのだよ。あおあいよりでてあいよりまたあおしというものだ」


 アッシュは自分の心がどこにあるのかわからなかったし、今まで考えたこともなかった。


「むずかしく考える必要はない。何でもいいのだ。ソナタが描きたい世界を描けばよい。絵は想像力の許す限り、自由なのだから」


 魔女は溌剌はつらつとロマンを語る。

 自分とは見えている景色が違うのだろうと、アッシュは感じた。


「実はこの絵には、先日ソナタが亡き者にした有色人の血液を使用しておるのだ」


 魔女は描き上げた絵を前にそんなことを言う。


「……恨まれるんじゃないのか。その人たちの血で僕なんかを描いたら」

「殺しておいて、変なことを心配するのだな、ソナタは。……別に恨まれんよ」


 魔女はあえて感情の色を見せずに呟いた。


「それにな、この絵はソナタの血が最も多い割合で占められておるのだ」

「ん? どういうことだ?」

「ソナタの意識がなかったゆえ、いま断っておく。ソナタがぐっすり寝ている間に惜しみなく採血させてもらったぞ。珍しい色だったのでついつい興奮してたくさん採ってしまった」

「…………」

「そのせいで、ソナタは何度か死にかけたのだが……すまなかったのだ。今一度ソナタに陳謝しておこう」

「そりゃ寝苦しかったわけだ……」


 そうこぼして、アッシュは自分の血の色で描かれた絵をまじまじと見つめた。

 悪くはない。


「今度から気をつけてくれれば別にいいさ。僕は殺されるのには慣れているし僕を殺したとしても僕は本当に死ぬわけじゃない。ただ、相手を生かしてはおかないだけだ」

「ぷっぷっぷっぷ。まさに鬼だな」


 奇妙に笑って、魔女はシャボン玉を燻らせた。

 表面の膜には虹の波紋が漂っている。

 まさか、この波紋で僕を抹殺する気じゃあないだろうな。

 そうアッシュは身構えたが、どうやらそれは杞憂でシャボン玉はパチンと割れた。


「まあよい。描きたくなったら妾にいつでも申すのだぞ」


 魔女がそう言ったところで、コンコンと厳かにドアがノックされた。


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