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アッシュとお絵描きの魔女  作者: 悪村押忍花
第一章 灰色の助手
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#2 敗色

 いつの間にか魔女は手元には色彩豊かな傘を広げており、くるくると回して子供のように遊んでいた。


「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『忘れ物の傘メモリーロスアンブレラ』」


 魔女は呪文を唱えてから半笑う。


「この傘は非常に忘れっぽくてな。撃たれたこともすぐに忘れてしまうのだ」


 ここで初めて、包帯の彼は無表情を崩した。


「おいおい、どうしたのだ? ソナタ、目が白黒しておるぞ?」

「……」

「ぷっぷっぷっぷ……それは元からだったかね」


 自分と魔女の間には、黒白天地こくびゃくてんちほどの差があると彼は痛感する。

 同時に、快楽も味わっていた。


「僕は、こんなところで終わるわけには……」


 ――『♯FFFFFF』。

 と、彼が唱えた直後、白い濃霧が魔女を包み込んだ。


「ほう」


 白い濃霧に触れると、魔女の身体は末端部分からみるみるうちに、純白の塩の粒へと変容していくではないか。塩人形は砂上の楼閣のように風に吹かれてサラサラと崩れ去る。地面に広がった極彩色の血だまりが、塩の一粒一粒までを染色した。

 あとには、真っ赤なランドセル、ホウキ、カラフルな傘がばたんきゅーと、素っ頓狂な音を立て、虹の塩の上に落下する。


「ぷっぷっぷっぷ……幻惑か。妾も浮かれておるようで油断した」


 今や虹の塩と化した魔女がどこから声を発しているのか、それも妖しいものだった。


「しかし、ソナタがそうくるなら」


 そこでランドセルの真っ赤な大口から水色の大きなポリバケツがまろび出る。中にはもくもくと白い煙を放つ液体がボッコボッコと沸騰していた。


「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『塵は芥に治(ダスト・ザ・ダスト)』」


 魔女は呪文を唱えると、バケツが倒れて中の液体が地面に広がる。

 またたく間に、


 ドッカーン!


 と、爆散した。

 辺りには七色のダイヤモンドダストがキラキラと舞い上がり、イリュージョンのように魔女の姿は消失した。

 彼は咄嗟に、包帯の巻かれている自分の腕で口と鼻を覆う。

 そして状況を見守った。


「しょっぺ!」


 すると舞い降る粉塵の中から、のどかな声色が聞こえる。

 本来の暗紫色のローブに身を包んだ魔女はぺっぺっと唾を吐く。

 鍔広とんがり帽子に載った七色塩をパッパッと叩き払った。


「僕の幻術を見破ったのはあんたが初めてだよ、魔女」


 彼は驚嘆と興奮の入り混じった視線を、魔女に向ける。


「ふむ。初体験だったか。どうやら妾たちは既成事実を作ってしまったようなのだ」

「そうなのか……。僕にはわからないけど」

「すなわち、そこなのだ。元来、幻術とは創造力あっての賜物。要するにソナタの想像力が貧困なのだよ」


 魔女は説教じみた講釈を垂れた。


「ソナタ、外見に惑わされてはいかんぞ。実際に見えているからといって、そこに物体が存在しているという証明にはならん。また逆に見えないからといって、そこに悪魔が存在していないことを証明したことにはならんのと同じようにな」


 魔女は地面に落ちている『空飛ぶ箒(スカイブルーム)』、『メモリーロスアンブレラ』、『ダスト・ザ・ダスト』を真っ赤なランドセルにぶち込む。

 どう見ても収まるわけのないサイズである。

 しかし、すっぽりと3つのアイテムはランドセルの大口の中へ飲み込まれるように消えていった。

 あながち、魔女はきちんとお片付けはできるタイプらしい。


「おまけに、ソナタは他者を欺くためには優し過ぎる。自己欺瞞とは無縁に見えるのだ」


 そう言ってから、魔女はランドセルの中に手を突っ込みガサゴソとまさぐった。


「えっと、どこに仕舞ったのだったか。あれは久しぶりに使うからな。あーあったあった」


 我が意を得たりと、魔女が次に引っぱり出したのは――巨大な三角形だった。


「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『三角凶器(サンカクパイチョコ)』」


 それは対のアイテムである。

 ひとつは、3つの角それぞれが90度、45度、45度の直角三角形。

 もうひとつは、3つの角それぞれが90度、60度、30度の二等辺三角形。

 側面には持ちやすいようにパイ生地のような取っ手が備え付けられている。

 魔女は両脇にそれぞれの大きな『サンカクパイチョコ』を挟むように構えた。

 完全武装。

 45度と30度の照準が包帯の彼に合わせられる。

 彼は唖然として、一歩も動くことができない。

 光の粒子が『サンカクパイチョコ』の切っ先に集約して、まばゆいばかりの光源となる。


「こ、こうさ――」


 彼は、灰のようにかすれた声を発しながら、【ブラックホーク】を地面に置いた。

 両手も挙げて、武装解除。

 しかし、後の祭りだった。


「レオナルド・ダ・ヴィンチ・カラーコード・アートマジック」


 魔女は呪文を詠唱する。


「ソナタ、今日が何の日か知っておるか?」

「…………」


 アッシュは知らなかった。


「ならば妾が教えてやるのだ。とくと味わえ! 《二月十四日バレンタインデー・レート》!」


 無情にも『サンカクパイチョコ』から破壊光線が放たれた。

 包帯の彼を肉片残らずドロドロに灼き融かした。


 すなわち、滅却。


 彼を消し炭にした破壊光線は、奥の風光明媚な山をも融かし鉛色の空を割った。

 雲間からは陽気な太陽が顔をのぞかせて、地上の人外ふたりを嘲笑う。


「やはり、ソナタは生きておったか」


 目を醒ました七色の包帯の彼……いや、今や包帯は跡形もなく焼却されてしまった。

 生まれたままの姿の彼を、魔女はのぞき込む。

 魔女は太陽に逆光となっており顔は暗い。


「やや? 狂犬かと思えば……ソナタ、存外かわいい顔をしておるな」


 包帯なんぞで隠すにはもったいないではないか。

 と、魔女はにっこり笑った。


 どうやら彼が死んでいる間に『サンカクパイチョコ』は例のランドセルに収納されたようである。


「それからソナタに忠告しておこう。人間は殺してはならん。わかったかね?」

「魔女、なぜ人間を殺してはいけないんだ?」

「ふむ。見たところ、ソナタは人を殺めるのにたいした疑問を持っていないようだな」

「疑問を持ってからじゃ遅いからな。次の瞬間には僕が殺される」

「言い訳は許さん。それはソナタが弱いからだ」

「僕が弱い……?」


 目の前の魔女に比べたらそりゃそうだろうと彼は思う。


「なににせよ、無用な殺生は避けよ。妾は人間の絵の具(けつえき)を欲しておる。殺さないほうが効率的かつ持続的に採血できるのだよ」

「なるほど。ひとまずわかった」

「だいぶ物わかりがよいな、感心感心」


 それから、魔女は所持していたソプラノリコーダーを彼に差し出した。

 握って掴まれということだろう。


「ソナタ、名前は?」


 続けて飛んできた質問に、彼は応えようと手を伸ばしてソプラノリコーダーを掴もうとした――まさにその次の瞬間、


 ――彼の全身は業火に包まれた。


「くぁwせdrftgyふじこlp!」


 彼は声にもならない苦悶の声を発しながら、虹の血河をのたうち回った。


「あーあー、そうだったのだ。ソナタらの種族はとことん太陽に弱いのだったな」


 魔女は鷹揚に呟く。

 そして、目に痛い真っ赤なランドセルから、


「アブラカタブラ・チチンプイプイ――『空飛ぶ箒(スカイブルーム)』」


 と引っぱり出し、勢いよく跨がった。


「ほら、早くソナタも妾の後ろに跨がるのだ」


 しかし、魔女のそんな言葉など聞こえているわけもなく、彼は絶叫を続けている。


「ソナタは根性なしなのだ」


 言って、魔女は一瞬逡巡したあと、ソプラノリコーダーで彼を横殴りにした。強引に『スカイブルーム』に跨がらせる。というよりは洗濯物のように中折れでぶら下げた。

 ついでに、魔女は付近に落ちていた鈍く光る漆黒リボルバーのトリガーに、リコーダーの先端を引っかけ、拾い上げた。それから真っ赤なランドセルの中にポイッと放り込む。


「よし、アトリエまで飛ばすぞ! ソナタ、妾にしっかり掴まるのだ!」


 彼は駄々をこねる子供のように、真っ赤なランドセルをボコスカと叩く。

 しかし構わず『スカイブルーム』は時速100キロを優に越えて滑空した。

 向かう先には悪趣味なほどカラフルな牙城がおどろおどろしくそびえ立っている。

 彼は自身の焼け焦げる臭いに混じってとあるかほりを嗅ぐ。

 魔女のローブからは絵の具の匂いに隠れるようにして、ほんのりと石鹸の香りがした。


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