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牛丼屋に誘ったら?【未帆編】

 桜吹雪はとうに打ち止めになっており、青々とした新芽が顔をのぞかせることも多くなってきた。甘酸っぱい空気が混ざったあの日が、気の遠くなるほど昔に思えてくる。


 未帆が勇気を出してくれなかったらとパラレルワールドを想起するだけで、まともに立っていられなくなる。根本から誤った育ち方をしている『思いやり』で意図的に彼女を遠ざけ、必死の訴えにも耳を貸してやらないのは、トラウマで済まされない非情だ。


「……久しぶりだったけど、また昔に戻った気分だね……」


 回想に体のコントロールを明け渡している未帆は、電池が切れていてもみずみずしい。タバコや違法薬物は不健康モンスターを製造するのにうってつけだが、真逆を行くように細胞レベルまで潤っている。


 スポーツ少女と聞いて真っ先に浮かび上がるのは、澪。全国大会に出ていそうなほど脂肪が引き締まっていて、ゆがみのない流線形を描いている。


 そういった子が運動のたまものを流している姿は、絵に残る。二次元イラストで男子の誰もが食いつくような写真が撮れる。


「砂場でお山作るのは、流石に胸が締まりそうになったけど……」


 今日の澪は、太陽と並べても見分けがつかない程光り輝いていた。すぐ隣に宝石のような未帆が付いていて印象がボケることがよくあったが、わだかまりを過去に置いてきたのか彼女自身を余すことなく表すことが出来ていた。


 亮平が未帆と抱き合った運命の一時から、澪はどう過ごしてきたのだろうか。どうしようもない事実が差し迫って吐きそうになったのか、事実を否認して平常運転になるように努めてきたのか……。選んだ側が偉そうな口を聞くのは気が引けるが、彼女の心労はトラックを背負うより重かったに違いないのだ。


 右から、万力の絶対的な圧力に腕を支配された。色気のないブロック塀へと垂れていた焦点が、目の前に引き戻される。


「……ねえねえ、亮平! また、澪のこと考えてるの……?」


 ラブコメに出てくる典型的な美少女にプラスアルファで握力を授かったのが、ここにいる世の中の全てを止めてしまうガールフレンドである。他人に紹介する時に『彼女』という言葉が不慣れで、かと言えど代用する語が見つからずに苦戦しているのは別の話だ。


 しびれを切らしたように見えても、上まぶたが緩み切って迫力が一ミリも出せていない。口が上向きにカーブしていて歯も見え隠れしていて、怒る気がないのが隠せていない。


「……考えてた、ごめん」


 彼女と手つなぎしている際に他の女子へ思いをはせるなど言語道断で、即地獄に落とされても文句を言える立場ではない。


 未帆が許してくれているから、関係が破壊されないのだ。一般常識では、浮気のレッテルを貼られて慰謝料を請求されるまでがワンセットである。


「……彼女と手を繋いでるときに……」


 言うが早いか、未帆は身を翻して通行止めの標識よろしく立ちふさがった。腕でバッテンマークを作り、反省するまで家路には着かせない威勢がにじみ出ている。


 不動明王も思わず惚れそうな仁王立ちの女神は、天界の神ではない。間違っても嫁に迎え入れようと連れて行かないでもらいたいものだ。


 頬っぺたを真っ赤にしてアンパンのように膨らませているのが、彼女が他人に好かれる所以を語っている。キャラを作らずに素で動いているから、人が付いてくるのだ。


 ……まったく、このかわいい生き物は……。


 こういう女の子を前にすると、どう困らせようかと躍起になる自分が存在する。相手が寛大であるのをいいことに、ドッキリを仕掛けたくなるいたずら心が発現してくる。


 亮平は通せんぼに見向きもせず、つま先を元来た道に向けた。通行止めになっているのなら、遠回りになっても確実な道を選ぶだけだ。


「まーてまてまてまてー!」


 ワンテンポ遅れて、ツッコミの達人が駄々っ子のように背中から手を回してきた。歩こうとする度に、コンクリートと服が擦れるよろしくない音が耳に入る。


 未帆は、歩く意志を失っていた。膝小僧に擦り傷が出来たら亮平のせいだ、とありえない論理で思考を乱してくる。数学の証明に慣れている亮平にとって、論理の飛躍をゴリ押しされると弱い。


 蝋燭のロウに消しゴムのカスを落とすと、だんだん火元へと昇っていくのを見たことがあるだろう。ロウが燃料として供給されるために起こる現象だ。同じ原理で、倒れ込んでも痛くないマットレスである腕が、胸へとスライドしてきた。こちらは、巻き付いたものから養分を受け取るためのようだが。


「……幼馴染の女の子を引きずることなんか、しないよね?」


 亮平が傷をつかせようとはしないことを見切られている。見抜かれたからと言って逆張りしても仕方ないが、手も足も出ないのは負けん気に障るというものだ。


 コンクリートに太ももから下を寝そべらせている人間が、痛みに耐え抜くことがあるのか。のこぎりで切断されるのと同等の苦痛が押し寄せてくるのなら、自ら危険を回避するのが本能だ。


 亮平が仕掛け人だったとして、猿でも引っかからないフェイントに惑わされて手を放してしまいそうだ。誰だって、こんなことに身を張る価値が無いと知っている。


「……あ、ヘリコプターかな、あれ?」


 雲の向こうに、透明で捉えられない飛行機が空を舞っている。当然、未帆には麻薬常習者だと思われるだろう。


 女子に体重の話題を振りにいったことはない亮平。サバサバ系とデリカシーの無さの差違はわきまえているつもりだ。地雷を踏みたくなければ、大人しく箱の中に納まっているのが一番なのだ。


 ……まあまあ体重あるよな……。


 未帆という重りが乗っかった右脚は、馬力が足りないと悲鳴を上げた。軽くいなす予定だったが、女子の体重は空気伝説を信じすぎていたようだ。


 自重があると括っても、悲報に繋がると短絡に回路を接続させるのは考え無しだ。一般に人間の部位で最も重いのが筋肉で、その逆が脂肪なのだ。太っている人間の体が動きにくいのは脂肪の物量作戦でかさましされているだけであり、ボディビルダーとは天と地ほどの差がある。


 横一列に並ぶと、未帆の頭のてっぺんは目線の一直線上に位置する。これは同学年の女子で比べても背が低く、チビと小学校でやじられていてもおかしくはない。


 その体に詰まっているものは、何なのだろう。夢と希望は棚の上に放り投げておくとして、見合った筋肉の塊が詰まっているのが普通だ。


 りんごを上から掴むのと下から持ち上げるのでは感じ方が違うように、厳密には筋肉質な体質でないのかもしれない。が、そうである可能性は大いにある。


 ……未帆って、筋肉多そうに見えないけどな……。


 外見には、さほど特徴は見られない。澪よりは主張が大きいが平均でならすとどうと言うことは無い双子の山と、丸くなって人を包んでいくクリーム色のオーラを放っているだけである。


 ……思い当たる節は……、数えきれないな。


 未帆が時折発動させる馬鹿力も、筋肉量の違いが原因なのではと推測してしまう。


「……空耳じゃないの?」


 架空のプロペラ音が耳に入らなかったゴキゲン斜めの彼女は、腕で腰をロックしたまま。発言の真意に触れてはいなかった。


 太陽がまん丸に照っている青空は、コンクリートを熱し続けている。亮平が降参するまではテコを破壊しそうな未帆が、火傷することもあり得る。


 先ほどとはギアを変えて、亮平は右脚を力づくで前へと持っていこうとした。しかしながら、


「……何となくわかってたけど、そうはいかないよ……!」


 海老ぞりになって摩擦力と一緒に、亮平からの死角を耐えていた。


 ここまでして未帆が意地を曲げないのは、久しぶりの三人集合に浮かれたままだからなのか。酒盛りの席で危ない技に走ることは知識として蓄えているが、人間の脳は調子に乗りやすい構造なのだろう。


 ……手詰まったな……。


 本格的に、この状況を亮平側から打破する手段が潰されてきていた。おバカさ満天の未帆が繰り出した策は、舐めてかかった亮平をノックアウト寸前まで追い詰めている。


 このまま腕の緊張が解けるまで引きずり続けると言うのは、想像力が足りていない。俳句や短歌を詠んで、風景から情緒を感じてみるのがいい。


 立ち止まっていても、好転する要素は少ない。後ろから車が来れば強制解除されるだろうが、未帆の機嫌が戻るとは考えにくい。


 ……もっとこう、AIには導き出せないような画期的な方法が、どこかに……。


 才能は石ころ同然のように転がっているが、それを拾って磨く人は国に一人しかいない。ピンチに陥っている時に頭が冴える人も同じで、天才と称してもいいだろう。


 凡人が、そう易々と臨機応変な対応策を編み出せる作りにはなっていないのだ。


 元凶を辿って行けば、未帆を無視してきびすを返した亮平の旗色が悪くなるのは必然だ。妥協して謝罪をするかどうかで、一直線の道も三叉路に映る。


『ぐーーーーー』


 膠着状態を打ち破ったのは、偶然だった。高度な科学が進歩しても尚予想し切れない、たまたまの産物であった。


「おなか、減っちゃった」






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 四月ともなると、暖房がついている飲食店は姿を消すようになる。標高が高いからと言って、一年中涼しいとは限らない。冬季には積雪する亮平たちの街も、夏は熱中症で倒れそうになるのだ。


 愛しの彼女は、メニュー表を見てよだれを垂らしそうになっている。腹の虫が鳴ったから当たり前なのだが、食に飢えている未帆は新鮮で色とりどりに思えた。


「……未帆、ここで良かったか……?」

「私、お肉は好きなんだよ? ダイエットなんか、気にしない、気にしない」


 早い、安い、旨い。三拍子そろった財布に優しい牛丼屋のボックス席に、付きあいたてのカップルは陣していた。


 ノーマルのものもあれば、女子が敬遠しそうなチーズ増し増しのもの、趣向を凝らした創作ものまで勢ぞろいだ。未帆にはふんだんに迷ってもらいたい。


「……亮平、これはデートっていうことでいいんだね?」

「……!?」


 昼食の時間だったから牛丼屋を選んだのであって、デートの場所をセッティングしたつもりはない。そもそも初デートが牛丼屋だと漏らしたら、センスがないと一刀両断されるだろう。


 ……未帆と、まだ二人きりになったこと、無かったんだっけな……。


 未帆に告白したあの日から、気まずさと恥ずかしさで約束を入れてこなかった。友達としてしか見てこなかった未帆がいきなり恋人になって、直視できなかったのが正直なところだ。


 彼女の特長を百個唱えられるくらい、どのようなところも好きだ。未帆がどのような気持ちで毎日を過ごしていたかが、当事者になって初めて汲み取れた。


 ……デートでもなんでも、未帆が喜んでくれてるならいいかな……。


 食欲を搔き立てられている未帆は、獲物を目の前にしたハイエナだ。とても、牛丼を忌み嫌っているようには感じられない。


「これ、初デートにしちゃおうよ! もう、こいびと、だもんね!」


 献立表が前倒しになって、前歯が煌めく。どんぶりがあったら、亮平へと中身が零れ落ちてきただろう。サイズピッタリの服で胸元が締まっているのが救いだ。


 ……未帆が、そう望むなら。


 単なる食事で済ませようとしていたのを、アルバムの一ページに残せるようにしたのは彼女だ。最愛の人が牛丼でも構わないと言うのなら、それに追従するまでだ。


 自分も大切に、相手も大切に。ちびっ子でも幸福追求を怠らないガールフレンドが身をもって教えてくれたことだ。


 ……平凡だけど、いいんだ。


 ありたきりな一時を、過ごしていく。奇抜な行動をしなくとも、幸せはつかみ取れるのだ。


「決めた! 未帆は、これにする!」


 未帆は、躊躇なくチーズだくだく牛丼を指差していた。


 こんな純粋な少女を、悲しませて溜まるか。亮平は、改めてそう決意した……


「……あ」


 おっと、部外者が乱入してきたようだ。


「亮平くんと、未帆……。亮平君のおごり?」

「ちがうよ? もちろん、食べた分だけ払うけど」

「……そこは、亮平くんが全額おごるところじゃないのー?」


 真っ先に二人でいる事を責めなかったところに、澪のやるせなさが深くしみ込んでいた。

※澪は亮平と未帆が付き合っていることを知っているため、二人きりの状況を寛容しているということです。

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