辺境の島1
その日も朝からよく晴れて、気温も早くから上昇を始め、朝食前には汗ばむくらいだった。
孤島トレオからは海の向こう、大陸南端にある禁域のそびえたつ大樹が見えている。
いくつもの巨木が絡み合い、それらを巨大な蔦状の茎がまとめ上げるようにして上空に伸び、遠くからは一本の大樹に見えるそれは山よりも高く、その頂上は雲をまとい霞んでいた。
島にも大陸にも緑は多いが、そんな大樹でなくとも樹木は高さ数十メートルに達するものも珍しくはなく、下から見上げたところで絡む蔦と樹皮、枝葉と木漏れ日が広がるばかりで全容は分からない。
高いものはそれなりに太さも立派で、大きな樹は小動物の棲家にもなっているから、あらゆるものが循環し、豊かな恵みをもたらす。
遠く頭上に響く鳥の声、所々に落ちた果物があるから、これは果樹だ。残念ながら落ちた果物は傷んでしまって、食べられそうにない。
そんな大きな樹が島のあちこちにあるが、見渡すと島の周囲に限られるが海に突き出している樹もあった。
時間とともに気温は上昇するが、煌めく水面を駆けてくる風は爽やかだ。木々や葉を揺らす音、小鳥の声に虫の羽音、海鳥や波の音。たくさんの音があちこちで聞こえてくるけれども、ただゆったりと流れる時間に相応しく心地よい。
そんないつもと同じのんびりと流れる島時間を、畑仕事の合間に過ごしているのは、独身の達人と言われるタオだ。
程よく引き締まった浅黒い身体は、腰に大判の布一枚を巻き付けただけの軽装、グレイの長い髪を無造作に首の後ろで束ねてある。
本人は全く興味を示さないが、それなりの服装で整えれば、上流未亡人から声がかかる程度に見栄えそうな、適度に整った容姿の原石と言えるかもしれない。
が、基本的に温暖なこの島の気候は、幸か不幸か衣服への関心を薄めてしまうのと、裕福でない暮らしが装飾の優先順位を下げてしまうので、ほぼ年中、布一枚で過ごしている。
結局、男の一人暮らしで手入れがラクなものをと取り入れてきた結果なだけなのだが、世話を焼きたがる存在をスルーしたのもまた、一度や二度では無かった。
達人、という呼び名は、尊称でも名誉でもない。
ぼんやりと海を眺めていたが、なんとなく水鳥達の声に違和感を覚えて島陰に向かう。
この島でも少ない第二進化、「水棲」を遂げているので、自らの足を魚の尾に変えザプンと海に飛び込み大岩を回ると、ひっそりとした小さな砂浜に一抱えはある立派な籠を見つけた。
数羽いた水鳥達がタオを認め、その場から飛び立つ。
近づいて中を覗くと、美しい光沢のある贅沢な布に包まれた、一人の赤ん坊が笑いかけてきた。
同時に籠が静かに崩れ始め、慌てて赤子を抱き上げる。
崩れて波間に溶けていく籠をただ茫然と見つめていると、
「訳あって手放さざるを得ません、どうかこの子を育てて下さい。名はキーラです」
一方的なメッセージが空中に浮かび上がって消え、足元にいくつか、キラリと光るものが落ちているのに気付く。
赤子を抱いたまま拾ってみると小金貨で、全部で十枚あった。
進化ごとに伸びた寿命も、終盤に差し掛かりつつある自覚が足腰や物覚えに見え隠れする、ここまで独身を通してきたのに、まさかいきなり子持ちになるとは想定外。
過疎化するこの離島で畑を耕し、魚を捕って慎ましく暮らしてきた平和で穏やかな生活に、今更新たな要素が加わるとは人生分からないものだ。
放置する訳にもいかないので連れ帰り、自分のベッドに寝かせて状況を整理してみる。
あの籠やメッセージは、上級魔術師によるものだろう。
現れた金貨は本物で、赤子を包んだ布も魔術のかかった上等の品だ。
どこかの名家で生まれたのだろうが、髪は全体が淡い紫なのに、両耳横の一房ずつだけが紅い。
手放された理由はこの髪の色だろうと、苛立ちつつ納得してしまう。
紅と黒は魔の色、血の流れた後に咲く紅い花と妖魔が湧くと言われる黒い花は象徴的で、忌み嫌う人は少なくない。
そのせいでも無いのだろうが、人の髪や瞳、第二進化の尾や最終進化の羽は様々な色があるが、紅と黒はまず見かけない色だった。
国の神官長が人体に現れても無害と公言しているにも関わらず、淡い色彩が多いこの世界で魔華以外に目にする機会が無いのも、一般的に受け入れられにくい色である要因だろう。
公言されようが事実だろうが、人の世で正しく周知することの難しさなのかもしれない。
「それにしたって、子供を捨てるもんかよ…」
ベッドで寝息を立てる赤子を見ながら、ひとりごちる。
まぁ、捨てきれないから、あんな小細工をしたんだろうが…いくら魔道行使したからって、海に流すとは勝算の低い賭けなんじゃないか?
危険な生き物だって多いし、海自体が荒れる可能性も高い。そもそも何日も漂流するだけで無事でいられる可能性は低いし、拾われる相手によっては金貨だけ持ち逃げるヤツに当たらないとも言い切れない。
「けどまぁ、結果的に育ててみようかと思っちまう、俺に拾われたんだよな、キーラ」
そう言ってタオは、日に焼けた浅黒いゴツゴツした手で、そっと赤子を撫でてやる。
ふと薄く開いたスミレ色の瞳が、安心したような笑みを浮かべたかと思うと、また静かに眠った。
読んで下さって、ありがとうございます。
初めての長編チャレンジです。
毎日更新したいところですが、遅筆ですのである程度キリの良いところまでを書き溜めた分だけ連続更新、しばらくお休みしてまた溜めてから続きを更新の予定です。
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