カザニル・フォード 尿管結石(1)
サーキスが医者のパディと二階に上がると、入院病室から大声が聞こえていた。
「おいパディーーーっ! 早くどうにかしろーっ!」
「はあ、もうやだなあ…。フォードさん、怖い…。苦手なんだよー」
パディは意を決して病室の扉を開いた。サーキスも後から付いて行く。
「痛いんだよ、くそ医者ー! ヤブでも、ちったあ頑張れよ! そんなんだから僧侶も逃げて行くんだよー! ぐ、ぐぐ…イタタタタタ! はあ…はあ…下腹が…」
(え? 逃げる?)
フォードと呼ばれた男はベッドに横たわったまま叫んでいる。パジャマ姿で腹はリンゴ肥満で膨れている。頭は壮年性のハゲだ。見苦しくもバーコードスタイルに整えている。
「家賃も滞納しまくり! とっとと払え、ヤブ医者ー! 僧侶がいないと何もできないこの役立たずがー! い、いてえ…」
パディが小声でサーキスに繕うように言った。声はうわずっている。
「こほんっ…。この人は普段はいい人なんだ…。痛みでこんな風になっているんだよ…」
サーキスも昔、自分が寺院で働いていたことを思い出した。怪我の痛みで他人への配慮がなくなった人間は粗暴な態度が剝き出しになる。治療が終わってみれば別人のように穏やかになったものだ。
「く、くそっ。いてえっ! ぐあぁぁぁぁぁっ!」
そこまで叫んでいたフォードは急に糸が切れた操り人形のように動かなくなり、何も言葉も発しなくなった。
「あ、気絶した」
サーキスが震えながら言った。
「こ、このおじさん、どうしたの…?」
「あ、えっとね。この人の病気は尿管結石。たぶんね。調べてないけど、まあ一回尿管結石になったから再発したとみるのが妥当だね。あ、このおじさんの名前はカザニル・フォードさん。五十歳だよ。それから尿管結石はね、男の疾病の中で一位か二位になるぐらいの痛みなんだ。見ての通り気絶するぐらいの痛さだね」
「お、男⁉ じゃあ女は⁉」
「病気じゃないけど、女性で痛いのは出産」
「おー! なるほど…。それでどうするの?」
「おじさんの腎臓から伸びる管の中にできた石を取り出す。腎臓はおしっこを作っている臓器なんだ。その治療に君の力が必要なんだ。とりあえずフォードさんを一階に運ぼうか」
サーキスとパディがフォードの両脇から体を支えて下の階へと降りた。太鼓腹の彼は気持ち重かった。
(でも、このお医者さんもさっきから何を言ってるか全然わからないよ! ニョーカン? ジンゾー? 僧侶って名乗るといつも変なことに巻き込まれるぜ! 不思議な所へ来ちゃったよー!)
「診察室の隣が手術室だ」
部屋の中央にはベッドがある。人がベッドの周りに立てるようあえてそういう配置にしているようだった。壁の棚にはビーカーやフラスコ、他には見たこともない医療器具などが並んでいる。
「こほんっ。さて。手術をするのにあと一人、僕の助手が必要なんだ。サーキス君、ちょっと探して来てくれない? さっきから彼女を見ないんだよね…。病院の中にいると思うけど。名前はリリカ。あ、金髪でツインテールの女の子だよ」
「う、ううっす…」
サーキスは生返事で部屋を出た。女の捜索なんてたいへんな仕事だ。
(うわぁ、見つけて初対面の女と何を話せばいいんだよ…。帰りたくなって来たなあ…。もうやけくそだー)
「おーい、リリカー! どこだー⁉ 先生が呼んでるぜー」
返事がない。さしあたり目に付くドアを片っ端から開けることにした。すると三つ目の扉の中でツインテールの女が何かに座っている場面に出くわした。下着を下ろしているところを見るとどうやら用を足している真っ最中だったようだ。
「きゃ、きゃ、きゃーーっ! 変態! あんた誰ーーっ⁉」
サーキスは勢いよく扉を閉める。しばらくして看護師の格好をした女が出て来た。
「あんた誰よ⁉」
サーキスより彼女は十二、三センチほど背が低い。ツインテールという子供っぽい髪型に童顔。胸も小さい。全てがサーキスの嗜好に合わなかった。先ほど道端で見かけた女性とまるで反対だ。
「お、俺はサーキスだぜ…」
「患者さん⁉」
「今のところ、どういうポジションかわからないぜ…。俺一応、僧侶なんでフォードっていうおじさんの治療を手伝うことになったぜ…。っていうか便所なら鍵をかけない方が悪いぜ…」
「ノックしなさいよ! トイレってここに書いてるでしょ⁉」
ブルドックのような唸り声を上げながらこちらを睨み付けてくる。
「先生から頼まれたからお前を探したけど、呼ばれてるぜ。手術ってのをするってさ」
「あー! そっか。じゃあ、まずは手洗いよ! 教えてあげるわ!」
怒気が含んだ声で洗面所を指差した。
「手術前は石鹸で手を丁寧に洗って! 肘までよ! もうこれは儀式と考えてもらっていいわ! ちなみにあたしが好きな言葉は呉越同舟! 敵同士でも同じ小舟に乗ったら協力しあうしかないわ! あんた幸運ね!」
根が素直なサーキスは恐れおののきながらも手を綺麗に洗い、タオルで拭いた。おまけにアルコールのようなものをかけられて消毒された。
「手術室に行くわよ!」
ぷりぷり怒るリリカの後をサーキスは追った。そして手術室へ入ると手術台の上に寝かされたフォードの周りに三人が立つ。患者のフォードは上半身裸の状態。ベッド横にはナイフやハサミのような器具、ガラスで作られた機械のようなものがある(その製品は掃除機に似ていた)。リリカがパディに謝った。
「遅れてすみません」
「いやいいよ。サーキス、リリカ君を連れて来てくれてありがとう」
「いえいえ。めっちゃ怒られたけどな」
「うん? ま、いっか。ではカザニル・フォードさんの尿管結石の手術を始めます。フォードさんが手術中に目を覚ましたら危ないからここは睡眠の呪文…。いけない僕としたことが確認が先だった。サーキス、宝箱…」
「宝箱って?」
「そうだ! まだサーキスの能力がわかってない! いつもの調子で手術を始めるところだった! 君は僧侶の呪文はレベルいくつまで使える⁉」
「レベル五だよ。大回復の呪文まで使えるよ。ちなみにレベル五はまだ六回しか使えない」
この世界の魔法は呪文の強さによって段階がある。マジックポイントは回数制だ。
「レベル五だって⁉ そんな若さで⁉」
「す、すごい…」
リリカまでも驚いているようだ。
「うーん、たまにそう言われたりするけど、俺がいた寺院じゃ俺が一番落ちこぼれだったぜ。褒められても嬉しくないんだよなあ…。ちなみにレベル四は八回使えるぜ。あ、さっきモンスターと戦った後に自分を回復したから残りは七回だ。他、レベル一、二、三は最大九回。今日は三回モンスターと戦って三回宝箱を開けたから、ちょっとマジックポイントは減ったな。今日はレベル五があと五回、レベル三の呪文はあと六回ってとこだな」
「じゃあ、このおじさんに宝箱の呪文を使って。お腹の中が見えるから」
「宝箱って宝箱の罠用じゃないの⁉」
「宝箱の呪文は実は対象に関係なく、透視ができる呪文なんだ。信仰心が高い人ほどその仕様に気付かない。それでいて信心深い僧侶さんはまず人体に使わないよね。仮に間違って人の中を視ても臓器がわからないと意味がない」
「マジか⁉ 嘘だろっ⁉ アハウスリース・フィギャメイク……リヴィア・宝箱」
サーキスが左手をかざすと目の前に臓器の世界が飛び込んで来た。それは赤かったり、白かったり、艶やかな物がひしめき合っている。浮袋のような形もあれば、蛇のようにとぐろを巻いている物もある。
「うっわー! すげえ! …心臓見たい! 心臓!」
サーキスは手のひらを胸の辺りに近づけた。
「…あれ? でっかい何かの中に木の枝みたいなのがいっぱい…。何だこれ…」
「そこはね、肺だよ。心臓はもう少し右側」
「おおー! どっくんどっくん動いてる! 思ったより小さい! 綺麗だな…。先生はよく見ないでわかるね」
「僕はお医者さんだもん。君は心臓好きかい?」
「うん! なんとなく! 動いてるのは生きてる証だよね!」
「心臓ってポンプの役割があるから小さい方がより働けるんだ」
「そうなんだ! へえっ!」
フォードの心臓は伸縮して血液を流している。全身に血を送ってやはり終着点の心臓に戻り、血液を循環させている。
「心臓は筋肉だから伸び縮みする。そしてみんなの中で動いてその人を生かしているんだ。このブサイクなハゲのおじさんでもね。命は平等。そして心臓の中身は四つの部屋に別れている。左心房、左心室、右心房、右心室。それに四つの弁があってパカ、パカって開いたり閉じたりしてるだろ? 内一つが心臓の鼓動に合わせて開閉してる」
「おう!」
「そこは大動脈弁。そこが開閉する度に心臓の音がするんだよ」
「おー!」
大動脈弁。三センチのまるい円に百二十度の扇型の弁尖が三つ休みなく動いている。
「大動脈弁は血液が一方方向に進んで漏れないようにしてるんだ。そこから全身に血液が廻るんだよ」
目を輝かせて心臓を見るサーキスに優しく講義するパディ。リリカがそこへ口を挟んだ。
「早く手術を始めないとフォードさんが死にますよ」
「あー、そうだったー! あまりに勉強熱心な生徒さんの前で手術をやるの忘れてたよー!」