第7章
源頼朝と北条政子の長女・大姫の生涯を描いた作品です
平家討伐の第一の功労者は、誰が何と言っても義経さまであったはずです。事実、義経さまが軍を率いるようになってから、源氏軍は連戦連勝でした。そんな大殊勲者の義経さまと頼朝さまが仲違いし、頼朝さまが義経さま討伐の軍を派遣なさったのですから、わけが分かりません。わたくしどもに勝利をもたらしてくれた義経さまは一転、追われる身となりました。
その義経さまの妻である静さまが、ご生母さまと共に鎌倉へ送られて来ました。義経さまの消息について尋問を受けるためです。
元は白拍子だったという静さまは、それはもう美しいお方でした。肌が透き通るように白く、目元は涼やかで、長い黒髪が艶々と輝いていて・・・しかも、単に可愛いだけでなく、英雄の妻に相応しい凛とした威厳が備わっていらっしゃいました。わたくしなんぞは、いささか生意気ではありますけど、さすがは義経さまがお選びになった方だけのことはある、とひどく感心したものです。
噂では、たぶん本当なのでしょうけど、美しい静さまに邪まな感情を抱いた頼朝さまが、もちろん政子さまには内緒で、自分の妾になれば命を助けてやるぞと言い寄ったところ、静さまは
「そんな事をするくらいなら死んだ方がマシ」
と、にべもなくお断わりになられたそうです。当然でしょうね。頼朝さまは少し調子に乗りすぎていらっしゃいました。
ムッとした頼朝さまは、その代わりなのでしょうか、静さまに鶴岡八幡宮で舞うようお命じなさいました。意外な事に、この命令に静さまは素直に従いました。
頼朝さまと政子さま、それに大勢の御家人たちの前で、静さまは舞台にお立ちになりました。何と麗しい立ち姿でしたでしょう。普段からおきれいな静さまでしたけど、華があると申しますか、舞台に立つとその美しさがなお一層映えるのです。わたくしを含め聴衆全員が静さまの美貌にぽーっとなっておりました。
静さまは歌い、そして舞い始めました。
「しづやしづ、しづのをだまき、くり返し、昔を今に、なすよしもがな」
「吉野山、峰の白雪、ふみわけて、入りにし人の、跡ぞ恋しき」
こ、この歌は?・・・
なぜ静さまが頼朝さまの命令に素直に従ったのか、その時わたくしにもようやく合点がいきました。この晴れの場で、何と静さまは、義経さまを恋うる舞いを披露なされたのです。それは非常に危険な行為でした。頼朝さまが激昂すれば命が無くなったことでしょう。実際、頼朝さまは不快そうな表情をなさっておりました。しかし、それを覚悟の上で、静さまは舞われたのです。
しかも、これは後で知ったのですが、このとき静さまは義経さまのお子を身籠っていらっしゃいました。身重の身でいながら、あの華麗な舞い、しかも頼朝さまへ反逆の意思を露わにして・・・わたくしは静さまの肝っ玉の太さに感心せずにはいられませんでした。
思い起こしてみれば、義経さまという人は、いつも陽気で、ざっくばらんで、形式的な事にこだわらない自由闊達なお方でした。わたくしも大姫さまも、そんな義経さまの明るい人柄が大好きでした。義経さまと比較すると、どうしても頼朝さまの暗く粘着質で執念深いご性格に辟易することがあります。御家人たちの中にも、内心では義経さまに好意を抱く者が少なからずいたと思います。彼らは心の中で静さまに喝采を送っていたのではないでしょうか? いずれにせよ、命をかけて女の意地を貫いた静さまへ、わたくしは心の中で拍手せずにはいられませんでした。
そんな静さまの事を、病床の大姫さまにあれこれ話して差し上げると、あまりにもわたくしが熱っぽく語ったのがいけなかったのでしょうか、興味を持たれた大姫さまが
「静さまに会いたい、それも二人っきりで」
そう言いだしたものですから驚きました。政子さまに相談いたしましたところ
「それで、おいちの病気が少しでも良くなるのなら・・・」
と承知していただけましたので、さっそくわたくしは大姫さまの部屋へ静さまをお連れいたしました。政子さまが同席を希望なさいましたが、大姫さまにあっさり拒否されましたので、仕方なくお部屋へお戻りになられました。
部屋の中は、大姫さまと静さまと、そしてわたくしの三人だけです。侍女たちも全員部屋の外へ出されました。大姫さまのご指名で、わたくしだけは特別に同席を許されました。
静さまは、最初、なぜご自分が大姫さまの部屋へ呼ばれたのか、その理由が分からず戸惑っていらっしゃるご様子でした。そんな静さまに、大姫さまがこう声をおかけになりました。
「静さま、鎌倉から逃げてください」
(え?)
わたくしは驚きました。それは静さまも同じで、きょとんとした表情をなさっていました。
「このまま鎌倉にいたら、静さまも、お腹の子供も、みんな殺されてしまいます。だから逃げてください」
大姫さまのこの言葉を聞いて、静さまはご自分のお腹にそっと手を添えられました。
確かに頼朝さまの面前であれ程はっきりと反逆の意思を示された静さまに命の保障は出来ませんでしたし、生まれてきた子供が男だったら頼朝さまによって必ず殺されるはずです。
「わたしが手助けしますから逃げてください」
明らかに大姫さまは、静さまとご自分の境遇を重ね合わせていらっしゃいました。そして、義高さまを助けられなかった代わりに、静さまとそのお子さまを助けたい、そういう気持ちになっていらっしゃるようでした。