第6章
源頼朝と北条政子の長女・大姫の生涯を描いた作品です
大姫さまは、昏睡したまま、時々うわ言で義高さまの名前を呼び、うなされていらっしゃいました。
頼朝さまと政子さまはたいへんご心配なされ、何人もの医者を呼び寄せては治療をさせたり、鎌倉じゅうの僧侶をかき集めては病気快癒の読経を上げさせたりいたしましたが、さっぱり効果がありませんでした。政子さまは泣き悲しみ、
「ほら見たことじゃない、おいちがこうなったのは、みんなおまえさまのせいだ」
と激しく頼朝さまを責め立てられました。
弱った頼朝さまは、政子さまの怒りを鎮めるため、義高さまを討ち取り、本来ならば褒美が貰えるはずの家臣に、逆におまえの配慮が足りなかったため姫がこうなったのだと難癖をつけ、その者を殺して晒し首にしましたけど、罰せられた方はたまったものではありません。何も悪い事をしていないのに、ただ命令に従っただけなのに、処刑されたわけですから。まったくいい迷惑です。このように、義高さまを殺害した結果、みんなが不幸になりました。誰にとっても良い事はありませんでした。
長い昏睡状態の末、大姫さまはようやく意識を取り戻されました。しかし、その時にはもう別人に変わっていらっしゃいました。天真爛漫な大姫さまは姿を消し、その代わり陰鬱でもの思いに沈んだ大姫さまが姿を現したのです。
そんな大姫さまに対して、頼朝さまも政子さまも、まるで腫物に触るかのように接していらっしゃいましたけど、それでも頼朝さまの心中は楽観的であったと思います。
(時が解決してくれるさ)
頼朝さまはそう思われていたのでしょう。
確かに今は心の傷が大きいかもしれないけれど、それもやがて時の流れの中で癒えてくる・・・なにしろ、おいちはまだ子供だ・・・今いくら義高の事を思いつめていても、大人になれば次第に忘れてゆき、また新しい恋もするだろう・・・時がすべてを風化させ、忘却の彼方へ押しやり、新たな展開を用意してくれる・・・それが人間というものだ・・・それが人生というものだ・・・
こう考えていらっしゃったのだと思います。わたくしが大姫さまだったら、たぶん頼朝さまのお考え通りになり、大人になった頃には義高さまの事は記憶の片隅にほんの少し残っているだけになったことでしょう。そして別の男性との人生を楽しんだことでしょう。死んだ人間にいつまでもこだわっていても何の得もありませんからね。たった一度しかない人生、失ったものはもはや取り返せないのですからきっぱりと諦め、気持ちを切り替えて新たな人生を楽しまなければ損だ・・・そう考えるのが当然です。普通の人間はそう考えます。ただ、大姫さまは普通ではなかったのです・・・
大姫さまは決して頼朝さまを許しませんでした。頼朝さまが病室に入って来られ、わざとらしい笑顔と猫撫で声で
「おいちや、今日は気分はどうだい?」
などと話かけられても、大姫さまはいっさい返事をなさいませんでした。それどころか頼朝さまを完全に無視なさっておりました。昔はあれほど頼朝さまが大好きだった大姫さまが、です。
頼朝さまはさぞかしムッとなされたことでしょうけど、大姫さまの断固たる態度からは
(文句があるならわたしを殺しなさいよ、義高さまのように)
という死をも恐れぬ強い覚悟がありありと読み取れましたので、天下の頼朝さまといえども如何ともし難く、結局はすごすごと引き下がるしかありませんでした。
その頃、大姫さまはわたくしに、お庭の景色を眺めながら、やや放心したご様子で、ぼそりとこうおっしゃったことがありました。
「加代、死んだらまた義高さまに逢えるのかな?」
わたくしは、そんな事を考えてはいけません、そんな事を考えていたら逆に義高さまが悲しみますよ、そうお諌めいたしましたが、大姫さまが義高さまのいなくなった現世を、もはや見捨てていらっしゃるのは明らかでした。
「だって、あの世に義高さまがいるのなら、おいちはこの世よりあの世の方が良いんだもの」
「いいえ、大姫さま、そんな事はありません。この世でも、これから楽しい事がたくさんありますから」
「でも、加代、おいちは殺されたんだよ。それでどうやって楽しめと言うの?」
「え?」
「人間って生きながら死ぬこともあるんだね、加代」
そうおっしゃって大姫さまは微笑なさいましたが、目を細めた力ない笑顔は、もはや大姫さまが半分ほど黄泉の国の住民になりかけていることを如実に物語っておりました。
大姫さまがそんな状態であった頃、源氏と平家の闘いは最終局面を迎え、義経さま率いる源氏軍が壇ノ浦の海戦でついに平家を討ち果たしたという知らせが入ってまいりました。当然のことながら、わたくしどもは大喜びいたしました。しかし、大姫さまの顔に笑顔はありませんでした。